第15話

「……珠装具に尽くしたいんだ」


 これは、半分以上言い訳だった。

 安宝さんの珠装具に尽くしたいという想いは胸にある。その自覚は燦然と焼きついていた。言い訳ではあるが、嘘ではない。

 だが、珠装具を通した知り合いと呼ぶべき交流程度で、相手に尽くすなどと大言を吐くことはできなかった。

 俺には、珠装具へ身を捧げている。そうした噂があるためか。この論は率直に届いてしまったようだ。珠装具へも安宝さんへも嘘をついたようで、つらっと視線を逸らしてしまった。


「三枝くんが一生懸命なのは知ってるし、それに助けられてる。とってもありがたいし、嬉しい。でも、いきなりだし……今まで自分がやるって考えたことがないから」

「そうか……そうだな。急だった」

「ごめんね。でも、三枝くんが真剣に向き合ってくれようとしてくれたのは、本当に嬉しいから」


 怪我の具合には信用がない。だが、感情を偽らない信用はある。重ねて告げられる歓喜は胸を温めた。


「いいんだ。安宝さんが安心できているなら、踏み込み過ぎだったな。膝の可動にも問題はなさそうだし、これで大丈夫」

「ありがとう。また、グレードアップしたの?」


 言いながら、膝から先を揺らし、足首をぱたぱたと上下させる。


「少し、外しやすくしてある」

「可動域が広がったってこと?」

「今までよりも軽い衝撃で外れるようにしてあるから、あんまり鈍器として使うのはやめるようにしてくれ」


 俺の注意に、安宝さんの視線が逸らされた。


「気がついてたの?」


 どうやら想像以上に、鈍器として取り扱っていたらしい。

 欠けるほどではなかったので、非道な扱いだとは感じていなかった。想像し得なかったことではないが、こうも分かりやすい反応をされるとは。


「そりゃ、珠装具を見れば大抵のことは分かるけど。でも、思ったより扱ってたんだな? ほどほどにしておかないと接合部から生身の身体を傷付けることになるぞ」

「それは気をつけてるつもりだけど」

「不測の事態はあるだろ?」

「……分かってるけど」


 ちょっとばかり不貞腐れるような顔つきになる。初めて見る顔には、意外性を覚えた。


「安宝さんのことだから、心配は余計なお世話かもしれないけど」

「そんなことはないよ」


 そう答える音は、少し低い。異変を感じることはできるが、そこから心情を推察する下地はなかった。


「私だって、心配されるくらい危ういことはあるよ」


 気にしている様子を見たことはない。泰然としているし、今だって悲壮感を漂わせているわけでもなかった。


「……じゃあ、心配してるから、無理はしないでくれ」


 じゃあ、は余計だったなと思ったところで遅い。

 けれど、安宝さんはそれでもよかったようだ。ふっと口元を緩める。表情がないわけではない。

 ただ、俺たちの会話はいつも珠装具を介していた。どれだけ綺麗で心を惹かれていると言ったって、欠損した手足の代わりとなる補装具だ。ましてや、この時代の欠損には魔物との戦闘が関わってくる。笑顔で交わすような会話はなかった。

 笑顔とも呼べないほどに、小さな緩みだ。それがやけに記憶に残った。


「ありがとう。珠装具のためにも気をつけるね」

「いくら俺でもそこまで自分本位な心配の仕方はしてないんだけどな」

「違うの?」

「当たり前だろ。安宝さんを心配してるのは本当。戦姫だって、心配しない理由にはならないだろ? 余計なお世話ってのは、普通に。言われなくたって心積もりとかしてるだろって感じ」

「なるほど」


 納得してしまうと、安宝さんはすっかり端的に戻る。変に絡まれてへこんだりされるよりは気楽だが、それにしたって納得までのスパンが短い。心境の手触りが掴めないままだ。


「それじゃあ、私もう行くね」

「ああ。変更した部分で違和感があったり問題があったりしたら、すぐに伝えてくれよ。安宝さんのためなんだから」


 胡散くさいほどの多重であった。しかし、安宝さんは聞く耳を持ってくれる。それが分かっているから、俺は遠慮せずに塗り重ねた。


「何かがあったらちゃんと報告するから。じゃあね」


 立ち去るために小さく手を上げてる挨拶を残してから、安宝さんは部屋を出て行く。左足に不具合はなさそうだ。

 いくらか縮まった距離が据え置きにされたような感覚があった。いや、後退したのか。さらりとしていたから、会話が優先されて感情のセーブがかかっていた。

 調律を断られる。

 その実感が今になってようよう胸に迫ってきて、狭いがらんどうに立ち去った物音が染み込んでいくようだった。




 お陰様で、というのは露悪的に過ぎるだろう。

 だが、断られたせいで、思考は本格的に調律に縛られてしまった。逃れられるはずもない。だからと言って、逸したチャンスを取り戻す術はなかった。少なくとも、俺にそのチャンスを手にする手法は考えつかない。

 精々、心配を胸に珠装具を介して調子を見ていることしかできなかった。

 珠装具について考えない日はない。結果として、安宝さんについて考えているのと同義だ。結びつきが今まで以上に強固になってしまったのは、やはり断られたことが原因だろう。

 どれほどマイナスな要因が周囲に溢れていると言っても、その中で起こった身近な事案のほうが顕著に胸に残る。珠装具と関わっていれば、尚のことだ。根を張ってしまっていた。


「三枝、何やってんの?」


 いつも同じように声をかけられている気がする。しかし、今日はいつもよりもずっと懐疑的だった。別テーブルで作業している小太刀を見ると、本気で不思議そうな顔をしている。これも、いつもなら呆れ顔になるような気がした。


「……何が」

「手が止まってるなんて珍しいじゃん」

「それを言うなら小太刀がそんなに丹念に珠具を作ってるのを見るのも珍しいんだけど」

「三枝が見てないときにやってるっての。それに、これは特に気合い入れなくっちゃ困ったことになるかもしれないから」

「差を付けてるのか?」


 眉間に皺が寄る。俺の態度を見て、小太刀は面倒な顔になった。


「そうじゃなくて、持ち主が規格外なの」


 それでも差は差だろうと思う。だが、持ち主によって注ぎ込む技術に差が生まれることはあるものだ。

 俺だって、安宝さんの珠装具に手抜きはできない。安宝さんの珠装具には、今ある技術すべてで以て答えなければ、品質が追いつかないのだ。

 そこまで考えて、改めて小太刀が調整している珠具に目を向けた。大剣だ。それがいつもどこに刺さっているのか。俺には覚えがあった。


「……安宝さんか」

「センキの武器じゃ、かなり品質に拘らないと戦闘によっては壊れるまでの時間が短くって手が回らなくなっちゃうから。短剣のほうは打つまでの時間も短縮できるけど、大剣はそうはいかないしね」

「安宝さんはそこまで乱暴な扱い方しないだろ?」


 珠装具だって壊れる頻度は高い。けれど、丁寧に使っている。戦闘に持ち込んでいることを加味すれば、十分過ぎるくらいだ。

 他の生徒に比べれば、傷も少なければ宝石の輝きも落ちていない。クロスによる手入れを暇潰しとして選択してくれるほどには、気を遣ってくれている。そんな彼女が、武器であっても乱暴に取り回しているとは思わなかった。


「そうかもしれないけど。やっぱり、武器だから。いくら安宝さんが大切に扱っていたって、敵対した魔物がいてのことでしょ? それに、安宝さんは戦闘率が高いんだと思うよ。センキって呼ばれるくらいだし、前線で活躍しているんでしょ。だから、どうしても劣化が早いんだよ。少しでも切れ味を保てるように鍛えようと思ったら、時間がかかるの」

「だから、俺の前でもやっている、と。今までも安宝さんの頼まれてたの?」

「今までは短剣だけ回ってきてたって感じ。大剣のほうは学生じゃない兵団の珠具師に任せてたみたいだけど、余裕がないみたい」

「……切迫してるんだな」


 言いたくもなければ、考えたくもないことだ。理解しているとしても、憂鬱を分かち合うのは気兼ねする。噛み締めようと思うものは少ない。


「学生部隊がこれだけ実戦投入されてるのも、その一端だろうしね」

「今までよりもずっと実戦投入されてるって言ってたな」

「以前の資料がないってのがね。残っている人がいるから、何となく察するものがあるけど」

「これからもっと悪化するだろうな」


 逆転する未来など、抱けるはずもなかった。最期に向けて走っている。そんなものは、人類の暗黙の共通認識だ。

 暗い未来にため息が零れた。小太刀も渋い顔をしている。そこに飛び込んできたノック音に顔を上げた。


「どうぞ」


 小太刀は相手が誰か分かっていたらしい。音域が一変した。あまりにも分かりやすい。そして、滑り込んできたのは一誠だ。小太刀に微笑んだ後に俺を見ると、少々不満げな顔になった。

 ……こっちも分かりやすい。要らぬ嫉妬をするのはやめて欲しいが。


「どうしても佑のほうが寧音と話せる時間を取りやすいのは不満がある」

「同じ家に帰ってるだろうが。嫉妬するのはやめてくれ」

「俺は採掘師として現場に出てるんだよ。同じ家にいられる時間だって減っていくんだ」

「それでも、今までよりもずっと一緒にいれてるだろ」


 結婚するまでは、それぞれ男女寮にいた。男女禁制が厳格に守られているわけではない。しかし、学生寮で恋人と一緒にいるというのは、気まずさが上回る。同棲するには、部屋も狭い。どれだけ言っても、学生寮では不可能だった。それが可能になったのだ。

 一誠はこの上なく浮かれていた。もう勘弁してくれというほど惚気を浴びせられたものだ。小太刀の私生活など知りたくはないので、右から左へ話を流していたが。


「もっと一緒でもいいよね」

「本当に。ゆっくりするって感覚がないし」


 それは、独り身だろうと何だろうと変わりがない。珠戦士ともなれば、ますますそうだろう。いつサイレンが鳴るとも限らない。

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