第14話

 個室の中は四畳ほどの空間しかない。狭いし圧迫感はあるが、珠装具の付け替えを目的としている。椅子とテーブルと施術台としての簡易ベッドしか用意されていなかった。

 他のことに使われないための予防策だったのだろうが、一人きりで使用するには何の問題もない。恋人同士にしてみれば、くっつく言い訳が立つ。そこに二人きり。無意識というわけにはいかないが、ぐちぐち言い続けているのも馬鹿みたいだ。

 俺は箱をテーブルの上に置いて開けた。安宝さんも付け替えのやり方は心得ている。腰を下ろして、エンジニアブーツを脱いで裾を捲っていた。臆面もない手つきには、一抹の不安が湧く。

 無論、俺が今まで珠装師としてやってきた信頼の上に成り立つ行動だろう。だが、異性であることもまた事実だ。警戒心を抱いて欲しいわけではないし、調律を頭の片隅に置きっぱなしにしているのだから、状況はいい。

 俺は左足を取り出して、安宝さんの足下に跪く。触れるのは控え目に収めるし、観察にも気をつけていた。

 しかし、珠装具の確認を疎かにするわけにはいかない。特に接合部となれば、肌を見ることになってしまう。そこに後ろ暗さを抱くことのほうが問題だ。仕事と割り切っていれば、そんな感情論に翻弄されることもない。珠装師としての芯に背筋を伸ばした。


「スペアで痛めたりしてないか?」

「三枝くんのスペアはスペアにしておくほど惜しいほど問題ないって前にも言わなかった? 大丈夫だよ」

「……まずは外すぞ」


 安宝さんは、珠装具そのものの問題は報告してくれる。しかし、怪我の具合などに直言したことはなかった。前回の右腕のときも、一誠曰く逆側を怪我していたという。それを俺に伝える必要は絶無だ。だから、自己申告は当てにしていなかった。

 珠装具を外して、接合部を確認する。視認しかできないもどかしさに、胸を掻いた。


「違和感はないか?」

「外れてすぐはどうしても変な感じがするけど、それくらいだと思う」

「自分で触れて確かめてもらってもいいか?」

「そうだね」


 調律の許可を得ていない状態で触れるわけにはいかない。仮に得ていたとしても、無許可とは行かないだろう。どちらにしても、安宝さん本人に行動を求める必要があった。

 安宝さんもすぐに頷いて、自分の太腿を揉んでいく。凝視しているわけにはいかないので、スペアと本機を入れ替えて、修繕した珠装具の様子を確認していた。

 どこにも失点はないはずだ。現状使える俺の技術は注ぎ込んである。しかし、これは珠装具単体としての完成度だ。安宝さんの珠装具としての完成度を目指すのであれば、技術を注ぎ込んでいればそれでいいというものではない。彼女の身体に合わせるのが一番だ。

 これまで収集してきた感覚や意見で近付けてはいる。恐らく、安宝さんが満足できるものは作れているはずだ。自負もある。

 だが、極小でも向上する余地があるのならば、そこに邁進したい気持ちは消えない。


「三枝くん、大丈夫だよ」

「それじゃ、嵌めるな」

「うん」


 頷いた安宝さんは、じっとこちらを見下ろしていた。

 以前から、ずっとそうだ。思惑を読むことはできないが、注射針を見守るようなものなのだろう。癖を探ってもしょうがないし、自分がやるべきことを全うするだけだった。

 接合部と肌に触れて、付け替えを行う。どれだけ丁寧にやったところで、接合するためには一押しをしなければならない。

 安宝さんも弁えているだろうし、俺だって躊躇するつもりはなかった。それでも、様子を窺ってしまう。これは何も安宝さんに限った話ではない。誰が相手でも、気になることではあった。

 しかし、こればかりは現在の技術では補えない。それに、痛覚を遮断するなどという危うい機能を実装できるわけもなかった。いくら品質の向上を狙っているとしても、そんな機能は求めていない。

 特に安宝さんのようなタイプに、実装するのは恐怖だ。今でさえ罷り通している無茶を、ますます通しかねない。センキと呼ばれる所以のひとつは、無茶がついて回るだろう。それを容認することはできない。

 俺は安宝さんの何でもないけれど、そのくらいの心配はする。だからこそ、補える面では補ってやりたいという感情が刺激され、思考が離れていかないのだ。


「痛みはないな?」

「三枝くん、同じこと聞きすぎだよ。私、そんな報告したことある?」

「ないな。でも、少しでも改善できる部分があるなら、聞き出したいとは思ってる」

「うーん? もっと良くなる筋道があるって三枝くんが思っているんだったらあるんだろうけど、今のところ私が思いつく欠点はないかな? 戦闘中に痛むことはあるけど、こればっかりはしょうがないし」


 ……過度な負荷をかければ痛みは生じる。

 それは何も、人工物だからという話ではない。人体であっても摩耗して痛みを発症する腱鞘炎もある。だから、しょうがないという論に、激しく反駁するのは意固地になっているだけだ。しかし、そこに拘ってしまうのが職人というものなのだろう。

 自称するのは些か過信だろうが。


「調律すれば、いくらかは改善できる余地はあるかもしれない」


 躊躇していたものだ。ずっと頭にあったものだ。留めてあったものが出し抜けに零れ落ちることは往々にしてある。

 俺自身、呆然としたし、安宝さんも時を止めていた。一陣の風が二人きりの室内に巻き起こる。どうにかしなければ、と思いつつも、自分の発案を引っ込めることはできなかった。

 この執着はどこから生まれているのか。自己分析に時間をかけている猶予はない。


「……可能性の話だ」


 我ながら、食い下がるみっともなさに、苦虫を噛み潰した。

 ここまで一定の距離感を保ち続けてきたし、それで不都合を感じたこともない。その一線を越えようとしている。溢れ落ちたものへの動揺で、突き進んだ節は否めない。

 動揺は安宝さんも同じようだ。センキと呼ばれる荒々しい反射神経の良さは、一切見当たらなかった。


「調律」


 まるで初めて聞いた言葉のように、拙く復唱する。人の耳から聞くと、改めて大胆さが迫ってきた。引っ込めなかったのは自分であるが、どうしてそんなことをしたのかと後悔が襲ってくる。

 ただ、それは安宝さんを困らせていることに対しての話で、珠装具への向上心はひとつの後悔もしていなかった。

 安宝さんの言葉は独り言のようだったので、俺は無言で続きを待つ。装着した珠装具の膝の動きを確認していた。いつもと同じ作業をしていれば、いくらか混乱の渦が収まっていく。

 だからと言って、動き出したものは止められない。


「……そっか。三枝くんは、そのほうがいいと思う?」


 安宝さんは歯切れ良く物事を決める。少なくとも、今まで俺の前で迷いを露わにしたことはない。その安宝さんからとろとろとした音が溢れ落ちてくるのを、不思議な気持ちで聞いた。そこにセンキの面影はない。


「少しでも安宝さんの力になれるのなら」

「……かなぼう」


 ひどく小声の囁きだった。

 安宝さんも噂を耳にしているらしい。それもそうか。センキのことだって届いていた。金棒のほうだけ届いていないなんて、都合の良い状態にあるわけもない。


「一誠は、従者とか言っていたけどな」

「姫を推してるのは三枝くんくらいしかいないと思ってたけど」

「俺が推してるから、そう言って揶揄ってるんだ」

「でも、本当に。そんなに尽くしてくれなくていいんだけど」


 言いながら、安宝さんは目を伏せる。

 尽くすという言い回しが気恥ずかしいのは、安宝さんも同じなのかもしれない。

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