第三章

第13話

 左足の珠装具を修繕しながら、考えていることがある。

 いくら珠装具の完成度が高くても、痛みは生じるものだ。それは理解しているし、なくせるものではない。珠装具の破損は怪我と同じなのだから、それをなくそうなどとは神の所業にも等しいことを求めているのも分かっている。

 しかし、軽減する方法があるのだ。その知識があるがために、考えが拭えないままでいる。

 一週間前。この珠装具を持ってきた安宝さんは、いつもと様子が違った。具体的に何が、と言われると違和感があるとしか言いようがない。けれども、確実に何かが違った。

 安宝さんは、いつも粛々としている。そのドライさで自分の身をさほど省みない部分があることも気がついてはいた。だが、知らしめるようなことはしなかったし、他人を引き合いに出すこともなかった。それが繰り出される。

 そこまでにも、痛みを表に出すなどという珍しいことがあった。その違和感が確信に変わったのは一誠のためによかったと口走った瞬間だ。

 そこに至るまでも、珠装具の破損について気にしていた。今までだって、思っていなかったわけではないのだろう。安宝さんは破損率も高いし、意識していてもおかしくはない。

 だが、虚しいなどというほどにこちらへ配慮するような発言をするようなことはなかった。

 戦場で何かあったのだろうか。一誠に聞けば何か分かるかとも思ったが、センキに助けてもらったということしか分からなかった。

 クリスマスのことだ、という切り出しがよくなかったのかもしれない。それだけを言った一誠は、そこからは小太刀との惚気を立て板に水のように捲し立ててきたので、安宝さんのことでは話にならなかった。

 だから、違和感の正体も掴めないまま、軽減する方法だけが存在感を放っている。

 調律だ。

 患部の様子も見ながら、マッサージなどの施術も行って、珠装具との兼ね合いを検める。技術というよりは、カウンセリングの方向にも強い。

 俺は今までそちらに力を入れてはいなかった。何より、身体に触れ合う。女性は無論、男性であっても、躊躇するものだ。相手が安宝さんともなると余計に、というのは個人的な感情だろう。

 しかし、関わりのある女性だ。どうしても、そうした意識が調律を伝えることに尻込みを生む。自分の腕が安宝さんの状態を改善するほどであるか、という疑念もあった。

 調律ができたとしても、改善が保証されているわけでもない。色々な重石が自分の動きを制止させる。

 もっともセーブをかけるものは、自分が安宝さんにどう思われているのか。確証が得られないからだ。

 悪感情はない、だろう。であれば、専任を解かれている。だから、不安を抱えているわけではない。ただ、安定だってあるはずもなかった。

 俺がいくら珠装具に目がないだとか、珠装具が愛おしいのだろうだとか。そんな評価を得ていようとも、人に嫌われることを忌避する感情はある。想像だけでも、胸が痛い。

 殊更に、安宝さんに肩を入れている自覚はなかった。しかし、こうして考えると贔屓はしている。小太刀に姫贔屓だと突かれたことは、あながち間違ってもいなかったようだ。ただ、恋愛主義者の小太刀の言う贔屓と同列ではないだろうが。それでも、尻込みする理由にはなり得るものだ。

 だが、と消えない思考を何度も脳内で転がす。

 腕の中の左足を見下ろして、その磨かれた宝石を撫でた。これは俺が磨いて防塵スプレーなどで加工したからこそ艶めいているものだ。けれど、それは一段階状態を引き上げただけに過ぎない。そうでなくても、戦場を駆けて実戦に投入されている珠装具としては美しい輝きを保っている。

 安宝さんの手入れは素晴らしい。こうして大切にされている珠装具は、今できる最高ランクだ。

 だが、と何度だって思考が叫び出して、その思考に導かれるように接合部に触れる。

 調律ができれば、より一層。もっと。と拭えない。安宝さんの安全性のためというのも本音だし、珠装師としての好奇心があるのも本音だ。そのどちらもがせめぎ合って、離れない。提案もできないくせに。

 そう自嘲的な笑みが零れそうになるのを噛み砕きながら、待機室へと向かった。今回は念を押したので、安宝さんは戦場へ出ていない。これは一誠からの情報だ。昨日、出動要請のかかった採掘師は、その隊の中に安宝さんはいなかったと言っていた。

 その安宝さんを探している。

 自室を訪ねたことはない。そこまでプライベートを明け渡していないことは、互いに承知していた。あちらも、いつだって作業室に俺を呼びに来る。それが自分たちの距離感で、それを自認しているからこそ、縮めるための一歩がでかい。自分本位の感情だけで突き進めないほどには、懊悩している。

 そうこうしているうちに辿り着いた待機室を覗き込んだ。

 珠戦士は基本的には待機していなければならない。生理現象もあれば、諸事情もあるので絶対的な決まりではなかった。緊急出動となれば、部屋からだろうが食堂からだろうが飛び出さなければならない。だから、絶対的ではないが、大抵は待機室にいる。

 その中に、ぽつねんと安宝さんが待機していた。本を開いている。古いものだ。そもそも、紙の書籍が珍しい。電子も珍しいが、通信状況がよければダウンロードすることはできるので、オフライン利用しているものはいる。

 しかし、アナログのものはあまり残っていない。人類はここまで追い詰められているのだ。紙の資料を退避させている時間はなかった。

 残っているのは、コロニーと定められた地区に本屋や図書館が残っていた地域だけだ。うちのコロニーには、一応図書室がある。丸ごと残っているわけではないのだろう。その辺りを確認する術はもうない。

 歴史書や生活の資料。そうしたものは真偽不明なままに資料として残されている。物語のほうが、娯楽として好まれているかもしれない。安宝さんが手にしているものも、小説のようだった。

 本人が本に没頭しているのか。それとも、センキとして遠ざけられた結果として小説に走ったのか。そんな前後関係は無視して、そこに真っ直ぐに突き進む。

 どこかでひそりと交わされた音は無視した。鬼に金棒。そう言われているのだから、注目を浴びることは織り込み済みだし、気にしたところでどうしようもない。諦めが肝心だった。

 安宝さんもそれを身につけているのだろう。戦闘中でないサイレン以外の物音には、気を配っていないようだった。


「安宝さん」


 声をかけると、瞬時に顔が持ち上がって本が閉じられる。その素早さは珠戦士のそれだ。俺の顔を見ると、ほんの少し浮いていた腰を落ち着け直したようだ。


「左足、完成したよ」


 珠装具は剥き身で持ち歩くこともあるが、今日は箱に収めている。

 安宝さんの場合、義手はどこでも取り替え可能だが、義足は話が別だ。現物を持ってきただけであって、この場で作業を行うつもりはない。

 安宝さんもそれを分かっているのか箱を目視すると、腰を上げた。急ぐ必要はないが、いやに緩慢な動きだ。

 スペアの付け心地がよくなかっただろうか。それともこの一週間で何かズレが生じて怪我になったりしているのだろうか。別口の怪我だろうか。安宝さんならばどれもあり得るし、生活に困らなければ報告に来ないだろう。

 懸念を膨らませている俺に対して、安宝さんは平淡に口を開いた。


「どこか、個室に入ろうか? 作業室のほうが都合が良い?」

「……安宝さんが個室で構わないならそっちでいいよ」


 俺の懸念は杞憂であるかのように、安宝さんは行く先を決めて動き始める。今度はそこまでのろいとは思わなかった。

 気のせいか。特定の体勢に問題があるのか。考えながら、安宝さんの後ろをついていく。

 個室というのは、学園内のあちらこちらへ用意されている小部屋のことだ。妙な建て付けではあるが、珠装具を装着している人間が増えれば、調整する場所が必要になってくる。そのための個室だ。

 ただし、利用方法は千差万別に変化していて、その方向での使用率が上がっている。元の意味では、あまり使われていない。

 密室で肌に触れる。同性であればまだしも、異性となると問題が過るものだ。当人たちの信頼度に預けられることで、周囲が訝しむものではない。とはいえ、噂が恰好のネタになる世間で、リスクを取るものは少なかった。

 中には噂になっているものもいるが、彼・彼女らは恋人同士であると聞いている。正直、男女で入るというのは、そういうニュアンスが強い。

 しかし、安宝さんは気にした様子もなく個室へ進んでいく。一応、人目の少ない箇所を選んでいるようだった。こうも平然とされると、こっちが絡むのも憚られる。変な意地だな、と苦笑いしながら空いた個室へと入った。

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