第四章

第21話

 調律を考えたのは、佑くんが言ったからに他ならない。

 周囲で調律までを任せているというものは見当たらなかったし、身近なものとして取り扱っていなかった。それがやにわにそばに引き寄せられたのは、佑くんの一言だ。

 断ってしまったときの佑くんの顔が離れないでいた。

 これと言って、分かりやすい態度を取っていたわけではない。けれども、どこか気にしている様子があった。感覚的な話でしかない。ただ、佑くんのこと、というのは大きかった。

 離れないでいたのだって、お世話になっている珠装師の言葉であったからだろう。これが、赤の他人からだったなら、私は一考だにしなかったはずだ。そして、その後珠装具の違和感を覚えなければ、お願いに踏み切ることもなかった。

 左指に違和感が走ったのは、大剣を左手に持ち替えたときだ。両利きというほど、日常生活でも左を使えるわけではない。だが、大剣においては、その限りではなかった。その例外に倣って振り回した際に、接合部に嫌な鈍痛が走った。

 夢の中で足を踏み外したような、がくんと何かが抜けるようなものだ。一瞬、指が抜けたのかと疑った。指の珠装具はしばらく替えていないので、佑くんの製品ではない。だが、いくら何でもそこまで拙劣なものではなかったはずだ。実際、抜けているわけではなかった。

 しかし、開いたり閉じたりしていると、関節が軋む。連動して、指全体にも違和感が広がっていた。小さなことではある。けれども、違和感は違和感だ。そうして、佑くんの元を訪ねた。

 そこで指の触診をしてもらったときに、調律の現実味が迫ってきたのだ。佑くんの技術も腕も分かりきっていた。けれど、触診ですぐに言葉が出てくるところを見ると、先を想像することも容易い。そうすることで、現実味が生まれたのだ。

 単純だっただろう。一度断っているのに、調子が良くもあったはずだ。しかし、生まれてしまったものを捨てることはできなかった。

 そして、私は案外生まれたものをぽろぽろ伝えてしまう質だったらしい。反射神経に自信はあったが、こんなところで反射を発揮したくはなかった。

 そんな反省よりも先に、佑くんはあっさり依頼を受けてくれた。元より、依頼には真摯だ。断るという選択肢があるとも思えないようなバイタリティを持っている。

 だからって、あまりにもストレートに通ってしまって、肩透かしを食らった。どこか手応えがないままに、流れに乗る。そのままの流れで調律へと挑んだけれど、私は自分の想像が甘かったことを痛感させられた。

 それは、佑くんの知識にも、だ。私は彼の腕はよく知っていた。だから、知識があるのも当然だろう。しかし、その手際の良さを目の当たりにすると、感ずるものがある。

 それから、もう一つ。佑くんに乗り上げられたような状態になったとき、ばくりと心臓が裏返った。嫌忌でなかったことにも驚いたが、自分が許していることにも驚いたのだ。

 佑くんのことは、信頼している。命に直結する珠装具を任せているのだ。けれど、自分がこうした接触に心拍数を上げるとは思ってもみなかったのだ。

 恋人たちに憧れる気持ちの中に、人との接触に対する意識がないわけではない。セクハラにだって、思考を巡らせることができるほどだ。その点でも佑くんを信頼している。

 何より、佑くんはすぐさま土下座をかます始末だった。これで、不用意で不躾などと怒る狭量な子にはなるつもりはない。私が調律をお願いしたのだから、尚更。

 だから、思考として落ち着くことはできたけれど、心拍数が戻るには時間がかかった。そして、それは今も続いている。


「調子はどうだ?」


 今まで通りの行き当たりばったりではなく、五日に一度、必ず医務室で顔を合わせるようになった。私が戦場に出向いているときには、私が戻ってきたところからカウントが再開されている。

 佑くんがこちらに足並みを合わせてくれていた。近頃、珠戦士は緊急出動が増えている。ここ数日でも、部隊の人数を調節して三度に及ぶ緊急出動があったほどだ。

 私もそれで約束していた一回目を早速蹴った。帰ってきてから訪ねていくと、そのときに調子を少し見てから五日後に再設定してくれたのだ。


「いい具合の重さだと思う。特に困ったようなことはなかったかな」

「もうちょっと重くできるから、その調整をしてみようか」

「宝石の継ぎ足しって簡単なの?」

「剥がれないように注意しなきゃいけないことはある。でも、和彩の珠装具は俺が造ったものだから、手を加えるのも自分の裁量次第で難しくはないな」

「人の物を弄るのは大変?」

「そうだね。情報をもらえるならいいけど……正直、あんまり当てにならないから。一般的な規格ならいいんだけど」

「佑くんはかなりこっちに合わせてくれてるよね? 設計図とか残してる?」

「勿論。引き継ぐこともあるかもしれないしね」


 他人に引き継ぐ。それは、誰しも考えることだ。

 私だって、このまま第一線に居続けられるとは思っていない。平和的に引退できるとも。明日をも知れぬ身であるのは、コロニー内にいようといまいと変わりはない。

 コロニーがどれくらい持つのか。誰もが数年以内である算盤を弾いているかどうかは分からない。それでも、自分たちがこのまま生き延びられると呑気に思っているものはいないはずだ。

 だから、かもしれないを口にすることは、ひとつも間違っていない。ただ、そこに侘しさはあった。


「じゃあ、重さの微調整も何度もできる?」

「増減を繰り返して幅を探らないとな。和彩がつらくないようにバランスを整えないといけないから……今度から、作業室に集まることも考えるか」

「触診ばかりが調律じゃないんだね」

「触診して身体の調子を見て、その状態に合わせて珠装具を変化させていくんだ。身体は変化するだろ? 身長が伸びることもあれば、傷跡が残ることもあるし、他にも色々ある。骨折なんかをすれば、それに合わせることも必要だしな……もしかすると、和彩の左指に支障が出たのは腕の怪我が原因じゃないのか?」

「なんで知ってるの?」


 言うほど、大怪我だったわけじゃない。ただ、肘の辺りに裂傷を負った。傷が残っているので、肌が突っ張っているかもしれない。その結果が、指先へと伝わった。あながち間違いでもないのかもしれない。

 その思考は巡ったが、私は珠装具に関しないことを佑くんに伝えてきたことはなかった。そういうものも、見透かしてしまうものなのか。感心と疑念混じりでいると、佑くんは渋い顔になった。


「一誠情報」

「そっか。堀内くん、最近よく出てるもんね」

「採掘師、かなり数が減ってるみたいだからな」


 採掘中に、魔物が出てくることもある。どれだけ私たちが護衛としてついていても、避けることもできない。そんな危険なやり方を中心に据えているのは問題だろう。別の採掘方法を模索すべきだ。

 しかし、代替を思索する暇もなければ、試す時間もない。採掘は発電にも繋がっている。今はほとんどのエネルギーが宝石によって補われているのだ。

 なので、採掘の手法に時間をかけている暇はまったくない。ただでさえ急迫しているというのに、これ以上採掘率を下げるわけにはいかないはずだ。

 今でも、かなり節電されている。コロニー内の暗澹たる雰囲気の一端を担っているのは、電力不足だった。採掘師を減らすことになろうとも、これ以下には落とせない。

 ……滅亡のときを予期できるのは、当然だろう。


「堀内くんは採掘師として優秀だしね」

「そうなのか?」


 私にとって、佑くんは知識人だ。珠装具への知識が他に比べてずば抜けて高い。だから、彼がこちらに疑問を呈すことは珍しかった。


「大怪我をして帰ってくること少ないでしょ? 見極めが上手い証拠だよ」


 堀内くんの身の振り方を知っているわけではない。護衛をしたことがあるのは数回だけだ。だが、左足を失った私を連れて無事に撤退できるのだから、その力は当てにできる。


「一誠は元々、珠戦士だったし、怪我をして辞退したからな。学んでいるんだろ。そっか。優秀か」


 その声音は、安堵が含まれているような気がした。けれど、万全の安堵ではない。優秀だからと言って、安泰でないことを佑くんは分かっている。


「そうだよ。私のほうがよっぽどダメかもしれないくらい」

「和彩が? 姫がダメなら、他の誰もいいってことにはならないだろ」


 周りが私の戦闘のがむしゃらなさまだけを描写しているわけではないことは、分かっていた。がむしゃらである結果だが、戦果を得ている。だが、それは過大評価だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る