第22話

 というよりも、今、戦場ではどれだけよく言ったところで、活躍しているものなんていない。戦鬼なんて二つ名は、少しでも誰かが接戦している、と。そうした願望も含まれているのだろう。傲慢で不敬だ。私をいいように象徴として扱っている。

 けれど、ほんの少し。頼れるもの。夢を見られるもの。そうしたものがほんの少しでもなければ、もっと早くに折れているものもいるのだろう。

 だから、私は強く拒絶できない。無論、噂などどうにかなるものでもないのだけれど。けれど、過度な反応をしないのは、微かな力でも与えられるのならばいいと諦めているからだ。

 だから、私の実態は、私の二つ名に準拠していない。残念だけど。


「派手なものではないから」


 余計な匂いはつけたくなかった。結果として端的になった言葉に、佑くんは目を瞬く。グレーの瞳は鈍く輝いていた。


「……和彩が頑張れてるなら、それでいいんじゃないか」


 この人は勘が良い。人情味もある。観察眼があって、悟ることが多い。自分だけが気を遣われているわけではないはずだ。

 そう自分に言い聞かせようとしていることに気がついて、居たたまれないような気持ちになる。


「ありがとう、佑くん」

「俺は元より、センキ否定派だからな」

「姫って呼ぶくせに?」

「和彩だって、俺のことを金棒と呼んだことがあるだろ?」


 肩を竦めて、切り返された。当たり障りのない。穏当な会話をしていた。

 珠装具や戦闘が穏当かは置くとして、冗談を差し挟んだりするようなことはない。味気ないというつもりはないが、事務的に寄っていた。前回の調律では緩んだ場面もあったが、こんなふうに斜に構えた態度を見るのは初めてだ。


「お互い様だね」

「大変なのは和彩のほうだと思うけどな」

「珠装師だって、負担が増えてるんじゃない? どこもかしこも、人手不足だもんね」

「まぁ……でも、もう珠装具で間に合わないものも多い」


 どうしても、逃れられない。いつだって、そばにある。間に合わないというのは生々しい。


「……そうだね」

「でもまぁ、手が空いてないのは事実だな。和彩がいるから」


 ぐっと喉を潰してしまう。私がしょっちゅう珠装具を壊して、佑くんの手を煩わせているのは紛れもない事実だ。そのうえ、調律によって使う時間を増やしてもらった。これは相互に了承し合ったことで、私の非によるものではないけれど。

 そっと目を逸らすと、佑くんはふっと笑みを零した。


「気をつけてくれればそれでいいよ。それ以外のことは、俺もやりたくてやってるんだから」

「珠装具馬鹿だよね」

「あんまり大声では言えないけど、宝石は綺麗だろ」


 事実だ。私はこくんと顎を引く。

 声に出すのが憚られるのは、宝石に苦労をさせられているからだ。いくら今の生活を支えているものだと言っても、大声では言えない。


「……ごめんな。聞かせて」

「ううん。綺麗なものは綺麗だよ」


 自分の腕を見下ろした。ジャケットを着ているし、革手袋をしている。肌色もエメラルドも見えることはない。

 けれど、珠装具は瞳に焼きついている。佑くんの造る珠装具は綺麗だ。首肯はあくまでも、声に出すのを憚るだけに過ぎない。


「和彩が装着していると、もっと綺麗だ」


 さらりと告げられて、目玉が落ちそうになった。まじまじと見つめると、佑くんの顔色が見る間に変わる。


「わ、悪い。本当に悪い。違う。違うんだ」


 ひどく狼狽して否定を重ねられた。突然のことに、意識がついていかない。なんで佑くんがこれほど狼狽しているのかさっぱり分からなかった。

 そうして呆然としてしまっている私に、佑くんは焦りを加速させているのか。泣きそうな顔になったかと思うと、ぐっとこちらの両肩を掴んできた。痛いと思えるほどの力で背が反る。

 触診するときだって、触れ方には気を配ってくれていた。集中して乗り上げられたときも、扱い方は雑じゃなかった。そんな佑くんが力加減を見失っていて、驚天動地だ。

 眼前の顔つきは恐ろしく全力だった。


「決して、君が怪我をしてよかったと言ってるわけじゃない!」


 あ、とようやく、佑くんが慌てふためいている原因に気がついた。けれど、佑くんの勢いに飲まれて即座に対応ができない。その隙に、佑くんの動乱は転がっていた。


「けれど、欠損したからって和彩の魅力が減ってるわけじゃない。君が、俺たちを守ってくれた証拠だろ? 気高くて綺麗だ」


 グレーの瞳は揺らがずにこちらへ意識を注いでくる。どこまでも真剣に。真っ直ぐに。注がれた言葉が身体中に広がっていく頃には、ぽろりと涙が溢れ落ちていた。佑くんの顔色が真っ青になる。


「ご、めん。ごめん。和彩。すみません。俺、ごめん」


 ただでさえ動乱していた佑くんは、今まで以上に血相を変えて腕に力が入っていた。それから、恐る恐る私の頬に触れて涙を拭う。肩を持つほうの力と涙を拭うほうの力がバラバラだった。


「……ありがとう」


 やっとのことで絞り出した私に、佑くんの動きががちりと止まる。大きく瞬きをしてから、じわじわと怪訝な顔になった。沈静化できたのはよかったのかもしれない。けれど、私が上手く対応できていないのは変わりなかった。


「ありがとう?」


 ぽそぽそと復唱する佑くんは、噛み砕くように思考している。

 私は説明しようと息を吸ったが、嗚咽がせり上がってきて言葉が続かなかった。代わりに溢れ落ちる涙が止まらない。

 戦鬼を容認している。けれども、それはしょうがないと理屈をくっつけているようなものだ。

 恐れられている。可哀想に思われている。怪我をしながらも戦う自分を認められているようで、認められていない。珠装具をしていることが恐怖の対象になっている。流していた。どうしようもないことだから。

 けれど、私はこれを悲痛なだけだと思ってはいない。頑張った結果だと、自負がある。

 気高くて、綺麗。

 それが、どれだけ私の心を救うのか。この人はきっと分かっていない。珠装具を褒める延長線上で、紛れもない本心で、実直に言っている。嘘偽りない。延長であるからこそ、真実味が増している。

 それが心の奥底を揺らした。この激震をどう収めたらいいのか分からない。ちっとも泣きやめない私に、佑くんが思考から立ち上がったようだ。というよりも、見ていられなかっただけかもしれない。困り顔で、指先が何度も頬を撫でてくる。


「……和彩、ひとまず、頼むから、泣き止んでくれよ」


 困惑は消えていないのに、懸命に励まそうとしてくれていた。今はもう佑くんのすべての言動に揺さぶられてしまい、胸に溢れ返っている情動をどうしたらいいのか分からない。


「和彩」


 切々と呼ばれる。きっと、現状に対するものでしかない。

 それは理解できるけれど、揺さぶられている体幹が、真っ当に物事を受け止めることができるわけもなかった。涙だけでは落ち着けない。会話もできない。


「たすくくん」


 どうにか漏らした音は掠れて小さくて、みっともなかった。


「うん」


 それでも、佑くんは嫌な顔ひとつしない。丁寧に相槌を打って、こちらを見て、耳を傾けてくれていた。

 ぐすりと鼻を啜ってしまったのをきっかけに、こんなに号泣していることが途轍もない羞恥心に炙られる。ひどい顔をしているに違いない。

 揺れているときに、より動揺することに気がついてしまったら、予期せぬ行動を取るようだ。私は咄嗟に、目の前にある佑くんの肩口に顔を押し付けてしまった。ひゅっと息を吸う音が耳に飛び込んできたが、だからってどうにもできそうにない。


「和彩……」


 慌てた手が、肩を握る。けれど、引っぺがそうとはしてこない。離して欲しくなくて、背中に手を回して服を掴んだ。佑くんは、やっぱり引っぺがそうとはしない。どこまでも優しかった。


「うれしいの。ありがとう。佑くん。ありがとう」


 頭の中で形になっている理由を、言葉にして口に出せるかは別問題だ。言語化しようとすると、途端にまともな単語が引っ張り出せなかった。


「みとめてくれて、ありがとう」


 佑くんは勘が良い。全部が全部掌握されているとは思わないけれど、そこで察するところがあったのだろう。もしくは、諦めてしまっただけなのかもしれないけど。


「和彩は頑張ってるよ」

「……うん」

「頑張り過ぎなくたって、誰も責められない」

「……うん」

「大丈夫。和彩は尊くて、強くて、綺麗だよ」


 強いと綺麗が並び立つ。それがすべてを許容されている気持ちになった。

 他の誰かだって、認めてくれているのかもしれない。センキという二つ名を呼ぶとき、そんな感情を持っている人もいるのかもしれない。けれど、誰も何も言ってくれることはなかった。こんなもの、早い者勝ちで言ってくれたから、佑くんを特別視しているだけだ。

 けれど、言ってくれた。それが大切なことだ。どこまでも真面目に伝えてくれる。自分が散々お世話になってきた。珠装具を通して、私の戦闘を知っている。その佑くんが伝えてくれたことに意味があった。


「……泣かそうとしてるんでしょ?」


 精いっぱいの強がりと、愚痴の半分。拗ねるように零すと、佑くんはそっと私の背を撫でてくれた。温もりに包まれる。多幸感に、頭がぐらぐらした。


「本音しか言ってないよ」

「だからじゃん」

「じゃあ、泣いてもいいよ」


 角砂糖が溶けるような柔らかな音が、密着した耳元に滑り込んでくる。その音に、涙腺が決壊した。十分泣き濡れていたはずなのに、まだまだ零れる。制御ができない。

 佑くんは涙が止まるまで何の文句もなく、私の背を撫でて抱きつかせてくれていた。

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