第20話

「接合部、関節部、その他、すべてに違和感は」

「ないよ」

「動きはこれくらいあったほうがいいか? 少しは狭めても問題はない?」

「どう変わる?」

「そうだな……無茶な動きができなくなるだけだ。足首もな」

「……無茶な動き」


 オウム返しの意味を逃す気はない。一誠から、近頃戦い方が変わったと言っていた。今までは、無茶な動きをしていて、心当たりが大いにあるのだろう。


「気を付けて動くようになったんだったら、そこまで心配しなくてもいい。不安があるなら重さは据え置きになるよ。どっちかひとつ」

「それさえ我慢すれば、重くできるの?」

「そうだな……後は、もうちょっと動かすぞ」


 今度こそ、俺は返事を聞いていなかった。

 膝を折って持っている部分は、安宝さんの身体ではあるが珠装具だ。普段と同じ触り心地は慣れている。物怖じなどしていなかった。

 ぐいっと膝を外側へと倒す。股関節の状態を見たい、と動けていたのは、調律に集中していたからだ。邪念を持ち込まない意志を持っていた。しかし、自分がこうもあっさり意識を手放せるとは思いもしていなかった。


「安宝さん、身体柔らかいね。重いので蹴り回すと振り回されるかもしれないけど、大丈夫?」


 声をかけて、足から視線を上げる。無意識的な行動で視界に飛び込んできた安宝さんは、ルビーのようになっていた。

 そこで、ようやく自分たちの体勢に気がつく。ほとんど覆い被さっているようなものだ。しかも、片足を開かせて。眼前にバストが迫っている。ワイシャツ一枚の距離。

 ひゅっと吸い込んだ息を弾みにして、俺は思いっきりベッドから飛び降りて土下座をぶちかました。

 やろうと思ってやったわけじゃない。ベッドの横側に体勢を崩して蹲った体面を保っただけに過ぎなかった。


「すみません」


 安宝さんがブチ切れたわけでもない。ただ顔を真っ赤にしていただけで、嫌悪されたわけでもない、だろう。

 けれど、異性にする姿勢として、激しく問題があった。どれほど職業に即したものであると主張したところで、有罪なことはある。セクハラしていいわけではないのだ。何より、俺は安宝さんの返事を聞いた覚えがなかった。

 安宝さんは黙りっぱなしだ。下げた頭を上げることができない。冷や汗が背中に伝って冷える。感覚が痺れているようだった。

 恐らく、現実にはさほど時間は経っていなかったはずだ。しかし、たったの数秒がどこまでも引き延ばされて、光年の概念を理解できてしまいそうだった。

 その長い長い時間を置いて、とんと頭のてっぺんを何かに触れられる。何が行われているのか分からずに、混乱はますます助長された。触れているのが珠装具の指先であることは分かったが、それ以上はまったく掴めない。


「こっちこそ、ごめん」


 頭上に降ってくる声に重ねて、頭を叩かれる。撫でられているのか。細やかな攻撃としているのか。どちらにしても、嫌悪や激怒。忌避反応がない実感が迫ってきた。


「なんで、安宝さんが謝るの。ていうか、これ何」

「気にしなくて良いよと思って。三枝くんは真剣に見てくれてたのに、変な意識で邪魔してごめん」


 実に論理的で律儀な謝罪だ。こっちの気まずさがちくちく刺激される。下心などなかった。しかし、我に返った瞬間にそうした思考が突っ走って、この有様に落ちている。謝罪されるほど、心身ともに無垢であるとは言い難い。


「……いや、かなり前のめりになってた。ごめん」

「三枝くんが珠装具に前のめりなことなんて知ってるから」


 気さくに言われて苦み走る。当然のような態度でいてくれるおかげで、いくらか気が落ち着いた。緩く顔を上げると、人の頭を撫でている顔と視線が合う。安宝さんはふっくらと笑った。


「調律して欲しいって言ったの私だよ? 重くして欲しいって注文つけたのも私だから。気にしてない、っていうのは、ちょっと説得力ないかもしれないけど。でも、ちょっとビックリしただけだから」

「それでも、俺ももう少し気をつけるべきだったよ。やり過ぎた。何をしたいのとか言えば、俺がやらなくっても安宝さんが調子を見るんでも大丈夫だから」

「でも、実際に触れるのと触れないのとでは三枝くんの感覚は違うでしょ? 確かめたかったことは分かった?」

「ああ……それは、うん。で、これ、いつまでやってんの?」


 こっちが質問してから、安宝さんの状態に慌てて事態が止まっている。重くすることは可能だが、安宝さんの答え次第だ。それを引き出すために、頭に置かれたままの手のひらを問う。安宝さんは睫毛を瞬いた。


「もう、気にしてない?」

「大丈夫だよ。子どもじゃないんだから」

「子ども扱いはしてないよ。金棒らしいし」


 こっちからも、姫と呼んだことがある。振られることに文句を言うつもりもないが、苦笑にはなった。


「金棒を撫でてもどうしようもないだろ」

「珠装具を手入れするのと一緒でしょ?」

「もう大丈夫」


 心の底から、落ち着いたのか。その自信はなかった。今はまだ、珠装具への意識が機能している。これが薄れた頃に、不意に記憶が蘇ることはありそうだった。視界に飛び込んできた安宝さんの姿は、忘れられそうにもない。だが、そんなことを馬鹿正直にほざくわけにもいかなかった。

 大丈夫と連呼したところで、安宝さんの手のひらは離れていく。一息を吐いたのは、やはり落ち着ききっていなかったのかもしれない。俺は何事もなかったかのように、意識を切り替えることにした。せっかく事態の変化があったのだ。乗っておくに限る。


「それで、さっき聞いたことだけど、どう?」

「えっと……なんだったっけ?」


 誤魔化すような笑みで告げられて、胸の奥が擽られた。それほど震撼させてしまったことは申し訳ない。だが、初めて見る表情は、今までの関係を打破したような気持ちにさせられた。


「蹴り回すと重さに振られるかもしれないって話」

「どれくらい?」

「うーん……身体、柔らかいからなぁ。それだけ勢いで可動範囲が広くなるから、遠心力も増えるよ」

「じゃあ、どうにかする」

「どうにかって……」

「鈍器として使うのが悪いってのは分かってるよ。三枝くんが造ってくれた綺麗な珠装具だし」

「使われてこそ美しいよ」


 安宝さんの使い方は、とても綺麗だ。珠装具の輝きを纏っているのがとても似合っている。

 戦姫。

 悪びれず明言できた。


「三枝くんはいつもそう言うね」

「姫が綺麗だからな」


 意識云々。セクハラ云々。直前までのやり取りを省みて発言できないものか。発言だけでもセクハラになる。

 一度引いていた冷や汗がどばっと汗腺に戻ってきた。安宝さんの頬に朱色が刷ける。その瞬間を目撃してしまって、感情が揺さぶられた。緩く視線が伏せられる。照れる仕草は、頭に熱砂をぶち込まれたようだった。


「姫はやめてよ。柄じゃないから。あと、座り込み続けるのもやめて」

「……従者としてはちょうどだけどな」


 柄じゃない。

 安宝さんも自分のことは鬼判定なのだろうか。ふと自己評価が気になった。しかし、すぐに仰々しい二つ名はむず痒いものかと思い直す。勝手に思い悩んでいるなんて思い込むのは、図々しい。


「君は、三枝佑くんでしょ」


 困り顔で言われて、どきりとする。安宝さんが名前までちゃんと覚えているとは思ってもみなかった。

 金棒や従者。そうした噂の名しか使われていないわけではない。一誠は俺を佑と呼ぶし、聞き慣れない呼ばれ方ってわけでもなかった。それでも、安宝さんの口から聞くのでは、まったく違う。

 慣れない。

 それが一番大きいとは思うが、心が上擦っていた。小さく息を吐いて冷却をしながら立ち上がる。


「そうだね。安宝和彩さん」

「和彩でいいよ」


 一足飛びに話が進んだ。だが、突飛ではない。不思議な感覚はあったが、自分たちが胸の内を開くのに自然な流れに感じていた。

 俺は安宝さんが腰掛けているベッドに凭れるように立つ。対面できなかったのは、自然であっても意識はあったからだ。


「じゃあ、和彩も佑でいいよ」

「うん。重さに振る形で、よろしくね。佑くん」

「分かったよ。無理して取り回さないように。股関節を痛めるようだったら、すぐに元に戻すぞ」

「これからも調律を頼むから、気がついたことがあれば佑くんが判断して」


 調律は持続して行うものだ。一発で完璧なバランスでカスタマイズされた珠装具ができあがるわけもない。

 だが、失態を考えれば、様子を見られてもおかしくはないのではあるまいか。本当に一切合切気にしていないのか。

 ……そんなわけではない、だろう。自意識過剰であるかもしれない。けれど、肌が変わるくらいには隠しきれない反応を示していた。嫌悪でなかったとしても、思うところはあるはずだ。

 認識が遅かった俺だって、思うところはある。


「いいのか?」

「どうして? 佑くんは珠装具を半端にしたくはないでしょ?」

「まぁ、そうだけど。触診とか、そういうことも続くけど、いいの?」


 面目なかった。しかし、確認は必要だろう。言動にないから、とあぐらを掻いていいわけではない。不安要素は潰しておきたかった。

 安宝さん……和彩は少しだけ目を逸らして、伏せる。拗ねるような姿が物珍しくて瞼に焼きついた。


「……嫌だったら、お願いしたりしない」


 ぶっきらぼうな繊細さに、心臓を掴まれたような気がする。

 そうか、と思う。

 そうか。いいのか。

 いや、不埒なものが切除された話であることは了承している。勘違いはしていない。だが、それでも。許されているのか、と感慨が膨れた。擽ったくて胸が温まる。


「分かった。ありがとう」

「なんで、佑くんがお礼を言うの?」


 きょとんと首を傾げる和彩は、どこか幼い。

 知らなかったんだな、と思う。

 センキとして触れているつもりはなかった。俺の珠装具を使ってくれる同期。ちゃんと安宝さんという名のある知り合いのつもりでいた。けれど、こうして何気ない仕草を見ると、今までよりも鮮烈に和彩の形が縁取られていく。

 そりゃ、男に乗り上げられれば赤くなるし、それを流用すれば拗ねもするし、怪訝に小首を傾げたりするだろう。目の当たりにしたことで、存在感が変わった。


「いいんだよ。和彩にお願いされるのは嬉しいから」

「そう? いつもお世話になっているから悪いなって思ってたけど、喜んでくれるならよかった」

「そうだよ。これからも、見させてくれ」


 珠装具の品質のために。そういう野心だけであったかどうか。断言することはできない。和彩の、という特有の主語がつくことを避けられそうになかった。


「勿論。こちらから、お願いしなきゃいけないことだよ。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げて、並んでいるこちらへ顔を向けてくれる。二度目のそれは、改めて華奢で丁寧で綺麗だ。

 姫。

 柄じゃないなんて、そんなことはひとつたりとてない。寧ろ、そんなありきたりの呼称では言い表せないものがあった。


「こちらこそ、よろしく」


 いっぱいの胸の内をぐっと抑え込んで、挨拶を返す。ふわりと笑った和彩の柔和さが、いっぱいの中身を柔らかく押した。

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