第18話
不具合やその調整において、痛みが伴うのは平常だ。悪いが、ある程度は割り切ってしまう他にない。俺は珠装師でしかないので、痛みを治めるためには珠装具の調子を見ることしかできなかった。
医療者であれば、別の手法もあるだろうが、今すぐとなると難しい。戦場が過酷であれば、医療者の逼迫も当然だ。こうした細やかな事案ですぐさま到着してくれるほど、医療者に暇はない。自分のできる範疇で調べるしかなかった。
関節部分が軋む音がする。かくつく感覚があるから、これは使いづらくなっているはずだ。いくら利き手でないと言っても、戦場では両方使っているだろう。それを考えると、放置はできない。
「一旦、外すよ」
「うん」
相槌を耳にしながら、ひとつひとつ指先を外していく。中指のほうは、違和感も薄い。だが、薬指に至ってはかなり摩耗しているようだ。やはり、取り替えなければならないだろう。
「中指は調整すれば大丈夫だと思うけど、薬指のほうは取り替えだな」
「三枝くんにお願いできるかな?」
「勿論。俺でよければ受けるよ。長さなんかは今のままで違和感はない? 他に気になっていることがあれば、今のうちに言ってくれれば対応できるから」
「ちょっとだけ、伸ばして欲しい」
「もう一度、手を見せて」
伸ばすのはいいが、バランスが崩れれば使いづらさは倍加する。折しも、俺は安宝さんの右指のことには誰よりも詳しい。持ち主たる安宝さんよりも、厳密に知っている。そのときに、左指の様子を見て調整したので、検めればバランスを見極めるのに難はなかった。
爪が整えられた節の目立つ指。硬く鍛えられているが、瑞々しい白磁の細さは女子のそれだった。
女の子だ。不意に力強く意識する。
端から分かっているつもりだし、意識していなければ、珠装具を造るのに不備になりかねない。差別はせずとも、肉体的な性差はどうしたってある。安宝さんがどれだけ戦鬼と呼ばれていようとも、ひっくり返すことはできないものだ。
だから、安宝さんの身体が女性体であることは理解している。
しかし、こうして触診すると、肺腑に沁みた。馬鹿みたいだ。けれども、不意と言うのは、こういうときにこそ隙を突いてくるものらしい。個室でなかったことは幸いだっただろう。
「どうかな? 伸ばすとダメそう?」
すっと耳に入ってきた聞き心地の良い音に我に返った。はっとすると同時に手を離す。
「ダメじゃないよ。確かに、少し伸ばしたほうがいいと思う。中指のほうも合わせて調整しよう」
「時間かかるかな?」
「これくらいなら、すぐにできるよ……今から取り掛かれば、今日中」
「三枝くんは腕がいい上に、手早くこなせて、凄いよね。見極めも簡単にやっちゃうし」
言いながら、くいくいと生身の指を動かしている。自分の指であっても、長さを見極めるのは難しい。これは珠装具を扱うことに慣れて、多くのものに触れてきた経験則によるものだ。安宝さんが判断できないからと言って、劣っているわけではない。
「俺は君の右腕の製作者だからね」
理由として最も強いカードを切る。安宝さんも革手袋をつけたままの右手へ視線を流して、小さく頷いた。
「三枝くんは頼りになるよね」
「……どうしたんだ?」
頼りにされていないとは思っていない。しかし、こうして面と向かって何度も確認されるのは変な感じだ。
俺たちの信頼関係とは、口にせずとも通じている。
そんな傲慢さを抱いているわけではない。だが、まめに確認してくるほど、多言ではなかった。そうあってきたのだ。区画に来るまでに抱いていた不思議さは、間違っていなかったのだろう。
今日の安宝さんは、いつもと少し違った。それを突くと、安宝さんは眉尻を下げる。へにょりと気弱な顔つきは、初めて見るものだった。
らしくない、というのは戦姫とは無関係な交流のうえで抱くものだ。それからグーパーを続けていた左手を握り締める。その拳にぎゅっと力が入って、下がっていた眉がきりっと持ち上がった。
凛とした姿は眩しい。
「三枝くんに、頼みがあるの」
凛々しい仕草とは比べ物にならないほどに、こちらを探る声音だった。非力なそれは、非力が故に俺の背を強く叩く。
頼み。
頼られている。
いつものことと言えば、それまでだ。俺は安宝さんに珠装具の依頼を頼まれてきた。何なら、今もまた左指先の依頼を頼まれたばかりだ。だから、安宝さんがこんなふうに殊勝になるというのは、今までから逸脱したものということになる。背筋が伸びるのも当然と言えた。
「なんだ?」
こちらも緊張していたが、安宝さんはそれ以上に緊張していたらしい。ふぅと大きく息を吸われてしまって、空気に感染しそうになる。
「あの、失礼なことだと思う」
先触れが掲げられるたびに、違和感を引き立てて、緊張が高ぶった。安宝さんは、握り込んだ拳を睨みつけている。凛々しさは健在だが、視線が下がっていて、どこか痛ましい。戦姫に抱くには不遜だ。
「三枝くんは言ってくれたことを断っておいて、都合のいいことだとも思う」
断る? と疑問を抱いたのは一瞬だった。
堀内夫婦の逃亡に気を取られていたとは言え、安宝さんに玉砕したことも記憶に新しい。忘れようにも忘れられるものではなかった。
ただ、咄嗟に回路が繋がるかどうかは別物であるし、繋がったからと言って、即応できるかどうかも別物だ。俺が理解への道を辿っているうちに、安宝さんは言葉を重ねていく。精査する時間は与えられなかった。
「……、調律を考えたいの」
引き続き、相当に探っている。言い回しの心中を感受することはできないが、中身には呆然としていた。
調律。
いや、分かっている。自分が提案したことだったのだから、想像できていた。けれども、こうして差し出されると脳が停止する。どうにか飲み込もうとしてみたが、自分の反射神経が当てにならない。
その間が、安宝さんを不安にさせたのだろう。握っていた手のひらが太腿の上に広げられて、ショートパンツの丈を握り締めていた
「ダメかな?」
「いや」
否定はできたが、間が空く。自分の不甲斐なさがもどかしかった。
「大丈夫。俺から、言い出したことだし、俺は大丈夫」
どうにか捻り出した発言もどうかと思う。大丈夫の繰り返しは、会話が成立していない。
調律。
拒否されて以来も、考えていなかったわけではなかった。だが、堀内夫婦のあれこれで塗り替えられている。何より、断られたことだ。そこに追い縋ろうと思わなかったし、けりをつけなければと断じていた。
だからこそ、表層的な調律のまま、詰められていない。安宝さんを調律するのに、何をクリアしなければならないのか。考えていなかったことを提示されると、人はフリーズしてしまうものらしい。
しかし、緊張しまくっていた安宝さんには、十分な返答だったようだ。
「よかった……一度、断ったことだったから、もしかしたら、もうダメかなと思ってたの。意見をころころ変えられると困るだろうし」
そりゃ、珠装具への注文を無目的に変えられるのは困る。だが、調律に対する考えが変化するのは、おかしなことではない。
知識を足したのかもしれないし、珠装具の性能を上げたくなったのかもしれないし、心境の変化が起こったのかもしれない。そうして思考が巡り始めたことで、心の整理もついてくる。
小さく息を吐いて、調子も整えた。
「調律は簡単に決めることじゃないし、あれから考えるようになったんなら、変化したって困らないよ。さっきも言ったけど、俺が言い出したことだし、安宝さんが必要だっていうなら、ちゃんと考えよう」
「ありがとう。三枝くんなら安心して任せられるし、珠装具の腕も頼り甲斐があるから、してもらうなら三枝くんがよかったの」
消去法ではない。確かな信頼の元に、頼ってくれている。発案者であったから候補に挙がっただけにしても、認められることは嬉しい。
頼られていることが鮮明になれば、今まで以上に背筋が伸びる。珠装師として手を抜いたことはない。今までだって、十全を捧げてきたし、安宝さんに恥ずかしいことはひとつもなかった。
だが、調律までとなると、更なる腕が必要になる。自分にその腕があるのか。それも定かではないのだ。試行錯誤することになる。意識が引き締められた。
「安宝さんが安心できるのなら、冥利に尽きるよ。整えていこう」
「うん。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
居住まいを正そうとしたわけではない。釣られただけだ。だが、その真摯な態度に答えるのは方正だった。
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