第一章

第1話

 極上の美を持つ右腕を撫であげる。

 人の柔肌とは違う、つるりとした硬質な表面が滑って指先を弄んだ。磨き上げられた精緻な腕は、電灯の光を乱反射させる。そうして色味を変える面白味に見惚れた。

 三百六十度。どこから見ても隙はない。ズレのひとつも、傷のひとつも見当たらない。手前味噌だ。それでも、惚れ惚れするのをやめるのは難しい。

 ほうと吐き出した息が浮ついていた。本当なら、頬擦りしたって足りない。この腕の滑らかさを堪能し尽くしたかった。

 しかし、余計な油脂をつけるわけにはいかない。利用の末に損耗することは望ましいことだ。それは美しい形である。だが、完成時の品としては、自分の痕跡を残すわけにはいかない。これは、珠装師じゅそうしとしての矜持だ。

 破る気は更々なく、揺らぐこともない。じっとりと観察こそすれ、それ以上、手を下すつもりはなかった。それに、ただ見つめているだけでも飽きない。永久に時間を溶かせてしまいそうだ。


「ちょっと三枝さえぐさ


 自分の世界に溺れていたところに声をかけられて、びくりと肩が揺れる。振り返ると、呆れ返った小太刀こだちが片手を腰に当ててこちらを見ていた。


「何やってるわけ?」


 手にしている最高傑作を前にしても、小太刀の表情に変化はない。

 俺は手にしていた珠装具じゅそうぐの右腕を台座へと置いた。作業するために作られた台座は、右腕に負担をかけない安心設計だ。そこに大事に大事に飾った。


「そっちこそ何やってんだよ」

「作業室なんだから作業しに来たに決まってるでしょ。三枝がどれだけ自室みたいに使ってても、一人じゃないんだから、気をつけなよ」

「何をだよ」


 心当たりのない注意には、眉間に皺を寄せる。流石に自室と誤認するようなことはない。


「作業台のライトだけを着けて、薄暗い教室の中で、恍惚とした表情しながら珠装具を愛でるのやめなって」

「完成度を確認していただけだ」

「心臓に悪いの」


 変わらぬ呆れた顔に、こちらも顔を顰めたままでいる。見惚れてはいたが、そこまで貶められる謂れはない。


「……薄暗い中で義手を凝視してんのは、いくら分かってても普通にビビるって言ってんの」

「珠装具の光彩を確認しようと思えばライトでやるしかないのは分かってるだろ」

「あたしは珠具じゅぐだから、珠装具のほうのやり方を当然のように言われてもね」

「知識として持ってないわけじゃないだろ? 想像すれば分かるじゃん」

「そうだとしても怖さに変化はない」

「この素晴らしい珠装具を前にして言うことかよ」

「それ、自分で言うこと?」


 半眼で見下ろされる。確かに、自画自賛ではあるだろう。そんなことは重々承知だ。だが、珠装具の素晴らしさは俺の腕に左右されない。


「宝石が綺麗だろうが。この美しく研磨された艶のある表面をよく見ろよ。ライトでも十分煌めくこの上質な宝石は分かるだろ? 珠具にだって宝石の質が関わってくるんだから。継ぎ目も滑らかだ。動きにも難はない。部品と呼ばれるものも宝石に上手く埋め込む形で外部に剥き出さないことで、美しいフォルムを保ってるだろ?」


 挑戦した部分が見事に成功した。埋め込むことだけに注力し、稼働に不備が起こるような不始末はしていない。その塩梅を見極めるのに時間がかかったのだ。

 今回の右腕だけで完成した技術ではない。これまでいくつもの珠装具を造ってきて、ようやく到達した境地だ。

 俺の力説にも、小太刀はひとつも感心しない。仮に宝石の美しさへの感覚が違うとしても、技術面では理解できるだろうに。

 珠具と珠装具は、宝石の加工という点で同じだ。その理解ができないというのなら、小太刀は一年生から授業をやり直す必要がある。


「……確かに、綺麗なのは否定しないけど、三枝ほど熱心というか夢中というか……そういうのは少ないの。宝石にどれだけ苦労させられているのか分かってる?」

「同時に生活を支えているのも宝石だろう。それに、美しさに罪はない」

「割り切れる人は多くない」


 残念ながら、小太刀に分があった。

 俺の宝石への愛を理解してくれる人は少ない。多少はいなくもないが、熱弁を振るえば途端に離れていく。過大な熱を持つには、小太刀の言う苦労の側面が強過ぎるのだ。とても看過できるものではない。故に、熱は溶かされ、仕舞われてしまう。

 探せば見つかるかもしれないが、発信しているものを身近に見かけたことはない。小太刀のような態度をされることばかりだ。だからと言って、自分の性質を歪めるつもりはないし、対応にも慣れている。改めるつもりはなかった。

 それを貫いている俺に、小太刀も呆れた顔を貫いている。こうも態度が変わらないのも、ある意味で信頼に足る感性だ。通じないのであれば、それはそれだった。


「それで? 小太刀はどうしたんだ?」

「珠具を作りに来たに決まってるでしょ」

「不足は解決していないんだな」

「珠具だけに限らず、珠装具だって珠力発電じゅりょくはつでんだって困窮しているでしょ。そっちだって、忙しいんじゃないの? ひとつの腕に拘ってる場合?」

「この腕はかなり前から任されているからな」

「……安宝あんぽうさん?」

「そうだよ。彼女の腕だ。瞳のエメラルドグリーンと合わせたエメラルドを使ったものは他にないかなり性能の高いものだ。破損箇所を接合し直して、調整をしたんだ」

「センキのだもんね、大変そう」

「その呼び方はやめろよ」


 センキ。

 元来であれば、戦姫であろう。専門学校の三年生として戦場へ赴いている生徒の中で一番。下手すると、兵団の中でさえも上位に食い込む戦果を持つ。

 そのために、安宝和彩あんぽうかずさはセンキと呼ばれていた。

 戦姫であれば、俺も呼ぶことを咎めることはない。だが、これにはダブルミーニング。それも彼女の強さを皮肉るためのものだ。

 戦いの鬼。戦鬼。

 ここにある右腕だけではなく、左足、左指先、左目が珠装具。それだけの怪我を負いながらも戦場を駆けて、多くの魔物を倒して回る。鬼のような強さ。称えているわけではない。

 地表に無制限に出土する宝石から現れる魔物。その超常現象を次々に倒していく。珠具を使って戦う珠戦士は、称えられる存在だ。しかし、珠戦士が活躍できるほど、世界の戦況はよろしくない。

 そのため、強さは異質の象徴だ。

 安宝さんは恐れられ、遠巻きにされている。ただ鬼のように強いだけならばまだしも、大怪我を負いながら珠装具を用いてまで戦場に戻っていた。そこまで戦場に拘るのは異質だ。

 これが兵団の上層部であれば、役職への忠義や信念などがあるかもしれない。それでも、覚悟の決まったものだと判断されるだろう。

 それが、一学生で、その覚悟を軽々と実行してみせる。それはどう大目に見ても異質で、安宝さんは悪目立ちしていた。

 そして、安宝さんはそうした悪印象を払拭しようとするほどに愛想良く振る舞うものではない。無愛想というよりは、大人しい静かな子だ。

 だからこそ、戦闘への苛烈さがより強烈な印象を残し、恐怖に塗り替えられている。大人しいから、その心根を晒すこともない。不透明な凶暴性は、鬼のようだと二つ名に二つの意味を付けられる脈絡として、自然な流れだった。


「贔屓?」

「俺は小太刀よりは安宝さんについて知っているってだけのことだ」


 いや、どうだろう。豪語できるようはことはない。珠装具の受け渡し以上に、相手の性格を気取れるような会話をしたことはなかった。だから、これは過言だ。

 しかし、小太刀よりはまだ近しいのは事実だった。小太刀は腕を組んで、小難しい顔になる。

 小太刀のセンキ呼びは、戦鬼の意味だったのか。それを穿つほどには、鈍い反応だった。


「……なんだよ」

「そんなに交流してるところは見たことがないけど?」

「小太刀は俺の行動を全部知ってるわけじゃないだろ。一誠いっせいと一緒の時間がたっぷりあるんだし」

「いっくんを置いて三枝と話す時間なんてあるわけなくない?」


 さも当然のような言い草は、一分の隙もなくひどい。

 俺と一誠の間に何がそれほど差があるのか。人間性という意味で言えば、そうした疑問も浮かぶ。だが、そこに愛があると言われれば、格差も当然だった。寧ろ、そこに並べられても困惑する。

 俺と小太刀はあくまでも、後方支援部隊としてのよしみしかない。

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