宝珠に捧ぐ不変の運命

めぐむ

プロローグ

 束の間の幸せとは、壊されるものであるのだろうか。最期のときを前にした運命の譲歩であるのだろうか。終わりなき戦いの日々を夜明け前と呼ぶのであれば、この先に待つのは希望なのだろうか。

 不条理なこの世界で唯一揺らがぬ理は、等しく訪れる死という理不尽だ。いくもの命が散りゆく末尾に、またひとつ、ふたつ、名前が加わるだけのこと。朝陽に照らされた極彩色の幻想的な光の中で、そのときを迎えるだけのこと。

 苦しいか。悲しいか。寂しいか。悔しいか。きっと、そのどれもを否定することはできない。反面、肯定するには後悔もない。

 今日という日まで、束の間が持ったことには感謝しているくらいだ。今日という日を迎えられて良かった。

 それは、死は救済であるなどとチープな理由からではない。

 叶うのであれば、この日々が続くことを切願している。それが成就しないことは、明瞭簡潔だ。

 夢の中のような燦々とした鮮やかな色に、無防備に佇んでいる。現実を見れば、やはり最期であることは揺らがない。俺は長く深い息を吐き出した。ひんやりとした空気が肺を満たして澄んでいく。

 晴れやかな気持ちで見上げた天は、突き抜けるように爽快なものだ。朝陽のオレンジと、明け切っていない紫のグラデーションが朝方の靄で揺らいでいる。靄に反射した光が、周囲の結晶を更に輝かせていた。

 夢現な現実ではあるが、地に足は着いている。見据えた正面には、一際美麗なエメラルドが生命を燃やしていた。


「ここまでだね」

「そうだな。分かっていたことだよ」

「独りじゃないから上等だよ」

「願ったことだ」

「私も」


 そうだ。願ったことだ。破滅に向かう世界の中で、二人で願ったものだった。だから、後悔などあるはずもない。

 煌々と光るエメラルドに手を伸ばして、そのしなやかで、勲章だらけの身体を抱きすくめる。温かい腕が背に回ってきて、寒さを埋めた。

 冬と春の間。気温が安定しない朝。今日は一段と冷え込んだ。まるで俺たちの終わりを分かっていたかのように、特別な朝だった。

 和彩かずさの栗色の柔らかい髪の毛がくしゃりと胸板に擦り付けられる。その短い髪の毛に触れ、頬へと移動させて顔を持ち上げた。

 たとえ死の淵にいようとも、いつだって綺麗だ。


「生まれ変わるの」

「誕生日だもんな。何もあげられなくてごめん」

たすくくんの全部をもらうからいい」


 その手のひらが心臓に押し付けられる。

 命ごと、全部。

 尊大な文言に、ふっと笑いが零れた。和彩が望むのであれば、どこまでも捧げよう。その手を取って指を絡めた。こうして密着するようになったのは、たったの二週間前。

 束の間の幸せ。

 その間に隙間なく近付いた。


「好きにしてくれ」

「佑くんもね」

「一緒にいてくれるのなら、それでいい」

「離れることはないよ」


 目を細めた和彩が断言する。

 魂の行き場はあるのか。離れることはないのか。そんな夢のない現実の話はいらない。今、ここで俺たちの時間は明確に停止し、ここで共に果てるのだ。

 ここで、共に。

 一緒に。

 命ごと捧げて離れずに。

 断言された言葉は紛れもない現実だ。


「誕生日おめでとう」

「ありがとう」

「愛してるよ」

「永遠に」


 陳腐だなんて言いたいやつには言わせておけばいい。

 この世界に陳腐な物事が罷り通るなら。地面から無尽蔵に宝石が競り上がり、魔物が跋扈する地で、愛と永遠を求めることを陳腐と言うのならば。

 複数聞こえる魔物の足音には目もくれずに、和彩だけを視界に据え置く。それ以外はおしなべて必要がない。戦場を主戦場としていたはずの和彩とて、一瞬たりとも俺から視線を逸らさなかった。それがすべての答えだ。

 見つめ合う永遠の時間に言葉はいらなかった。首を傾けて、必要のない唇を塞ぐ。和彩の瞳が閉じられて、すべてが委ねられた。離れぬ口付けの角度を深め、ゆっくりと目を閉じる。

 消え行く世界の端で、和彩の美しい右腕が飛んでいくのが見えた。

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