夜には抱擁とグレープフルーツを添えて

朧げながら覚えているわたしの視界には誰かに抱かれた感覚と微かな苦みだけが残っていた。毒を盛られたのかと錯覚する程に身体からは汗が滲み、心臓が悲鳴を上げていた。冷蔵庫から取り出した冷え切った水を胎内に流し込むと、流し込まれた感覚は一瞬にして気体に変わり、それ程わたしは喉が乾いていたのか、と自画自賛にも似た驚きがあった。わたしの隣にいる彼の白い肌はライトの暖色に反射し、少々橙がかって、健康な肌の色に変化していた。わたしも肌の白さには自信が少なからずあって、なんだか、女の子としての優越に浸ってしまう事だってあった。それはそうだ、肌が白い方がいいという女性の方が、多いはずだ。だからこそ、日焼け止めは売れるし、SNSも肌の白い可愛い女の子で溢れている。「#裏垢女子」とTwitterで検索すれば肌の白くて、顔が整っていて、スタイルがいい事が常識の世界に生きているかのような女の子が沢山出てくるのだ。その一員になれるのなら本望であるけれど、当然、わたしにはそこまでの美貌はなくて、せいぜい、知り合いやナンパで抱かれることくらいしか女の子としての可愛いという証がないのだ。もちろん、整形だって考えた事がある。今の時代は便利な世の中で、整形の情報なんて直ぐに見つかるし、整形の過程をブログや動画サイトであげる人だって多いのだ。しかし、整形はとにかく費用がかかるのだ。今のわたしにはとても手が出ないサービスだ。それで諦めと納得ができるのだから、意外と今の自分の顔に満足しているのではないか、という気さえしてくる。ナンパだって、わたしの自己肯定感の底上げに貢献してくれていると考えれば、有難みさえ覚えるものだ。

優しく肌を傷つけないように少し高いコットンに、有名アナウンサーが使用しているという事で有名な化粧落としを沁み込ませ、化粧を落としていく。素肌になったわたしを見ると何だか滑稽に思えて、笑みが零れるのが分かった。死んだ時はちゃんとメイクを施してくれるのだろうか、と不意に心配になった。素のわたしを看取ってもらうのが一番なのだけれど、なるべく奇麗な顔で看取ってもらいとも思うのだ。自分の葬儀のことを考えるには早すぎるだろ、と自分で突っ込む前に彼が重すぎるよ、と言葉を発した。彼はそういう人だ。前向きでポジティブ思考で、わたしとは真逆の感覚を持っている。わたしが彼と一緒にいたいと思えるのもわたしとは違う感覚をまるで釘を打ちように何度も突きつけてくれるからだ。痛みとも快感とも取れるはそれはわたしの壁をすり抜けて身勝手に愛をわたしに流していく。一般的にはそれを都合がいい女と呼ぶのだろうけれど。愛って電車に似ているよね、なんとなく。空き過ぎていたらなんだか怖いし、混んでいたら窮屈だし。たまに変な香りがしたり、待たされたり、JRとかメトロとか、その辺。

スマートフォンに透明なケースを付けて背面にプリクラとか推しのパシャコレとか貼ってる人が嫌いで、そういう女ってなんか軽そうじゃん? 体重じゃなくてね、価値の方。彼はデリカシーもなく、わたしに体重を聞いた。わたしが四七キロだよと答えると標準だね、と軽い返答があった。女の標準に生きているかと思うと褒められている気はしなかったしやっぱり四〇キロくらいがいいなと、ジムに通い出した事もあった。

誰かに抱かれるだけでお金稼げるなんて最高じゃんって始めた風俗嬢も長続きしなかった。結局さ、接吻も抱擁もなんとなくするからいいんだよね。決まってするのはなんか違う。性欲に飢えたおじさんの相手だってやっぱり疲れるし、仕事終えたら彼に抱かれないと自分の下の方の奥に溜まった黒いものは排出できなかった。黒い髪を伸ばして、普段着ないドレスとか地雷系っていうの? そんな服を着て、普段履かない白色の靴下履いて、わたしじゃなくなるのが風俗嬢なのかなって。

そんな感想を反芻しながら帰った夜道でコンビニの前で騒いで花火やっている集団がいて、そういう人って何で恥ずかしげもなく生きているのかなって何となく大気の中に排出してみたけれど、別にどうでもいいのよね。どうでもいいことにいちいち悪態を吐いてる自分は多分疲れてるんだと思って泥に沈むほどに眠った。切り忘れた爪が寝ている間に割れて一日を過ごすのが馬鹿らしくなって、その日風俗嬢を辞めた。爪割れたら萎えるじゃんね。彼は理解してくれなかったけれど女の子なら理解できると思うんだ。

苺に練乳かけて、それを撮った写真をインスタに載せてるのってなんか嫌だよね。って言ったら友達が、別にいいんじゃん? だって、可愛いんだしさ、共有したくなるじゃんって言ったのだけれど、わたしにはその感覚がなかった。可愛いものって共有したら自分だけの可愛いではもうないから、なんか違うんだよね。Twitterで上がっている「ブス過ぎて無理」「裏垢女子はじめてみた」「バズらせて」って文言付きの自撮りに「全然ブスじゃないよ」とか「リツイートしするね」とか送ってる自分は一体何の為に誰を応援しているんだろうって胸がむず痒くなるのね。だけれど、リプとかリツイートとかやめられない自分はいい人なのかもしれない。勿論主観なんて大体外れるし、自意識過剰なんだけれど、そう思っていかないと多分世渡りできないのがわたしなのね。雨が降ってるのに傘をささないみたいな感じに似ているかも。スポーツドリンクを飲んだ彼から流れる汗がわたしの為にかいた汗だって思うと汗臭さも幾らかは愛せるような気がする。外からは雨の音が響いて、たまに鳥の鳴き声がする。傘をさせないし、さしてくれる人もいない鳥達に比べて屋根付きで快適なホテルでベッドに横になっているわたしは何だか鳥に悪いことをしている気分になった。彼が冷蔵庫にペットボトルを戻すのも、軋むベッドの音も、カサカサなる布団も、割れた爪だって、わたしがいつか愛せたはずの何かなのかもしれない。Wi-Fiが遅い事も、スマートフォンが重いことも、地球温暖化に比べたらきっと軽い悩み(地球温暖化は比べる対象じゃないけれど)で、でもそう思っておく事で心が軽くなるならいいかなと思う。

「おはようございます」

「お疲れ様です」

「ありがとうございます」

そんな言葉を出来るだけ明るく発言することに意味を見出せない間は社会になんて馴染めなくて当たり前。別に暗くてもいいじゃないの、人間なんていつも明るいわけない。でもそれが社会では当たり前で、相手の気分を害さないように努めるのが仕事なのね。極論だよ、って彼は言うけれど世の中極論ばかりじゃないのって返す。

さっきからわたしはなにを語っているのか、という戸惑いと後悔の中にそれでも語りたい何かがあるのだと。、それらを見出そうとしているわたしの脳は乾いていて常に水を欲している。

時刻は二三時を回って、わたしはホテルを出て、彼は右へ、わたしは左へと歩いた。彼の向かう駅とわたしのう向かう駅は真逆の方向にあって、とことん合わないなって黙読をしながら夜風に後押しを受けながら真っ直ぐ駅に向かった。人はまだ多くて、お店には明かりが灯っている。わたしは「夜のカフェテラス」を思い出した。その絵画はゴッホが一八八八年の九月に書いた油彩画だ。その絵画は夜に灯っているカフェテラス、その奥から馬車が微かに向かってきている絵だ。わたしは「夜のカフェテラス」が夜の象徴のように思えて、昔から好きだった。こんなお洒落であって寂しさが明るさの中に混在した夜があるとは思えないけれど、それはあくまで理想の夜という事で。理想なのだから、いいのだ。それにこの駅から見えるものと言えばこ何車線もある道路と光るビル、真っ赤な車の明かりと信号機だけだ。風情なんてあったものではないよね。ゴッホがなぜあれを書こうと思ったのか気持ちなんて分かる訳もないし、書ける訳もないけれど、ただ、あの絵に浮かんでは沈んでいく夜への描き方は分かるような気がした。勿論、無知な女の戯言だけれどね。

こんな時間だから電車内に人は少なくて左右に人がいない座席に腰を下ろした。少しだけ腰が痛い。なぜか数ある空きの空間からわたしの前を選んだ女性は少し細い目なのにくっきりと奇麗な二重が目立つ人だった。あまり描かれていない眉は本人の元々の眉の奇麗さと整え方の上手さを表していた。ワイヤレスイヤフォンを付けずにワイヤーのある白いイヤフォンを付けているのが少し共感が湧いた。そのワイヤーが捻れているのも。電車の座席に感覚的に取り付けられている手を掴むポールを軽く掴むその爪はネイルこそしていないのに奇麗で、ささくれも一つもなかった。恐らく地毛であろう髪は電車の明かりのせいか茶色に控えめに光っていて、なんとなくこれがフェミニン女子か、とわたしは田舎の二車両程しかない電車が通る無人駅に突如新幹線が走り去っていく程の珍さを感じた。フェミニン女子なんてそこら中にいるでしょ、ってフェミニン女子をまるでどこにでもある、コンビニと同じにされたような気がした。わたしのフェミニン女子の基準がきっと高いのだろう。

「死にたい」「生きる理由がない」「リスカした」そんなツイートばかりを見るようになって、皆元気でいいな、と考えるようになった。言葉を吐き出せているのだから、自分自身の心の内を晒せているのだから。スイーツパラダイスでお皿いっぱいのスイーツを頬張りながら「わたし、死にたくてさ。リスカもしちゃった。テヘッ」って言うようなものだ。多分、わたしはいつか炎上するような気がする。

歌う街の肌触りを感じながら、わたしは最寄駅の改札にスマートフォンをかざし、外へ出た。早速、いつもいるお姉さんたちがティッシュを配りながら宣伝活動に勤しんでいた。横目で通り過ぎると、少し睨まれた気がした。夜を生きる女性はやっぱ怖いな。

「今日彼氏できました!」

そんなLINEが来たのはコンビニを出て直ぐだった。だから何だというのだ。だけれど、無視もできない。わたしは無表情であろう自分の顔がコンビニの窓に映っているのが嫌で、数歩先に進んでLINEを返信した。

「よかったね!  彼氏さんのこと大切にしてあげなね」

何様だ、とでも返って来そうな返信を済ませると、スマートフォンを閉じわたしはまた歩いた。隣を美人な女の人が通って目で追ってしまう衝動を抑えて車のライトにせ視線を合わせた。女の人は白っぽい生地のスリットスカートっていうの? ピチピチなスカートの横に切れ目のあるスカートを履いていて、エロいなって思った。でも、女の人はエロさで履いている訳ではないし、そう思うのは失礼かもしれないけれど、誰もがエロいって思うでしょ。わたしが変態かそうでないかの議論はさて置き、エロいって思わせる服を着るのが悪いのか、そう感じる、見る側が悪いのかというとどうなのだろう。答えの出ない、もしくは答えの無い理論って面倒臭さいけれど、考えちゃう魅力もあるのね。

満員電車大嫌いって言う友達が満員電車に自ら乗っていた日、わたしはその子を軽蔑したしもう会わないって決めた。人間は矛盾の渦で生きるし、矛盾は仕方ないと思うけれど、早く帰りたいってそれだけで自分の中の意思に矛盾を加える人間って好きになれない。

頭おかしいよね、死ね、死にたい、マジ草、若者言葉ってなんかさ、安っぽい。そう言うと彼はこいつ面倒臭いみたいな表情で溜息を吐いた。その瞬間、わたしはただのセフレになった気がして、寂しくなった。セフレって性格も大事だけど結局身体だけで、でも恋人ごっこの間はその一線を守れる気がしていた。

「あんたさ、その顔でキャバ嬢するとか本気で言ってんの?」

キャバクラの面接で隣に座ったエリちゃんがそう言われて固まっていた。わたしは固まった理由が分からなかった。当たり前の事を言われて何で固まるの。そんなに自分の顔に自信があるなんておめでたいよね。羨ましい。あぁ、いいなぁ、そんなに自信があったんだ。わたしなんて自信の破片すらも持ち合わせていないのに。

「そっちの子はまあ、顔は合格。服装はもっと華やかな方がいいね」

ドレスに疎いわたしは当然ながらそこを指摘された。着ていたのは肌に密着するベージュで少し光沢のあるドレスだ。わたしには無難が一番向くと思ったからだ。問題はそこではないのだ。面接官のレイカさんは赤い付け爪を光らせながら書類をテーブルに置いた時見えたささくれだった。ささくれってケアするものでしょ。わたしがお客ならささくれのあるキャバ嬢なんてぜったい嫌だ。そんな人に「まあ、顔は合格」なんて言われたくないよね。ささくれのケアもできない人が顔のこととやかく言う資格ある訳?  沸点に到達しそうな怒りを抑え、外へ出るとエリちゃんは泣いていた。可哀想とまでは思わなかった。

呟いた小言たちが水蒸気になって空に戻る間、わたしはわたしの夜について思い出していた。彼といた夜も友達といた夜も、家族といた夜もわたしは何かに飢えていて自分がお腹いっぱいになれるなにかを探していた気がする。

家に入る時の鍵の音は耳の奥に伝う程すっきりした音で、乱雑にお吐き捨てられた靴達を掻き分けて部屋へのドアに手をかけた。昨日整理整頓した部屋はいつでも彼を迎え入れる準備ができていた。けれど、その甲斐がないことも分かっているようだった。

綺麗に髪を染めている女の子が好きだ。でも、毛先が傷んでいたり、ボワッとしてたり、いらない毛が残っている子はあまり好きではない。それが不潔に見えるとかでなくて、女の子の嗜みの基本だからだ。わたしは自分が女の子らしくなければ自分を認められないのだ。強迫観念に近い。女の子らしくて可愛い自分だから、生きているのだ。ニキビが一つでもできればその日のうちに皮膚科に行くし、トリートメントも多い時は一週間に一回は美容院でしてもらうし、普段見えない部分もわたしには見えるから気になるし。綺麗な体型で可愛いわたしがアイデンティティと言っても過言ではない。

この前、Instagramで「名前変えたので把握よろしくです」ってストーリー上げてる子がいて、お前の名前変わってるのとかどうでいいし、どこまで自意識過剰なのって心の底で呟いたら気泡がパチパチ弾けて、脳が沸騰するのがわかった。そういう人に限ってわたしなんて居ない方がいいとか言うんだよね。

小言の海に部屋が沈みそうになって、咄嗟に窓を開けた。

「性格めっちゃ悪いよね」

友人が私に言った。

「そうかな?」

「悪い。人をすぐに馬鹿にするし、何言ってるか分からんし」

「わたしの言葉が人を馬鹿にしてるって理解できるならそれこそ性格が悪い証拠じゃないかな」

「は? 誰だってそんなの分かるでしょ」

「人を馬鹿にしてる人の言葉がわかる人は誰かを馬鹿にしたことがある人でしょ? それとわたしとで何が違うの?」

友達は黙った。沈黙は肯定だって教わった。

こんな夜には接吻よりも抱擁の方がいいな。多分、嘘の接吻って分かるのだけれど抱擁は嘘でも温かいし何だか安心が出来るからね。でも何かが足りないのも事実なのね。

いつだったかわたしをいじめた女の子の集団が笑ってた。いじめの何が楽しいのか、彼女たちは笑ってた。宝くじが当選したかのように。洗濯機にはそういった記憶が詰まっていて、何度も洗濯をして乾燥までさせた。だけれど、匂いも汚れも取れなくて、どうしようもないからクリーニングに出してみた。もちろん対処できないと言われたのだけれど、専門家でもそうならわたしなんて無理だし諦めがついたら、かなり楽になったような気がする。今日は何だか明るい。空がいつもより明るいのは月が出てるせいかな。スマートフォンを月に向けてカメラを起動したら月はめちゃくちゃにぼやけて、目が悪い人が裸眼で街灯を見た時みたいな写真が完成した。

 お風呂の曇った鏡には当然、わたしのくすんだ顔が映っていて、雲のかかった月みたいだった。きっとわたしも彼も鏡越しにじゃれ合っているだけなのだ。お互いに求め合うふりをして、実は、お互いに自分を重ねて、鏡に映った自分と接吻を繰り返しているだけで、そこには皆が無条件に口にする愛なんてなかった。

 石鹸の香りにわたしの思い出を消化して、ドライヤーで髪を乾かすけれど、その動作の一つ一つは彼に重なり合って、彼の一つ一つの動作は別の誰かと重なり合っていく。もしまた会えたらと考えても何も思い浮かばなくなっていた。わたしはどんな化粧をするだろうか、どんな服を着るだろうか、何を食べて、何をして、何を感じるだろう。様々な譜面や構図に合わせて行動していくのが普通だけれど、性に合わなくてわたしはふと、グレープフルーツを取り出してみた。いつか、両親が送ってきたものの中の一つだ。実家はただの田舎で東京に比べれば何もなくて、面白くもない場所だった。そんな場所に合わせられたようなわたしの名前もわたしは嫌いだ。そんな場所から届いたグレープフルーツは古風な色合いで、ほろ苦い香りが鼻の上の方を突いた。一度も使ったことのなかったフルーツナイフを取り出して、丁寧に切っていくと、薄い赤色の果汁がまな板を伝ってシンクに流れ出て行く。硬い皮を少し雑になった手先で剥いでいくと、わたしは裸になったグレープフルーツを口に中に入れた。苦みの強いグレープフルーツはあまり美味しくなかったけれど、今のわたしには必要な味のようだった。ツイッターを開くと、彼の所属するバンドが新曲のミュージックビデオの告知をしていた。

「夜は抱擁とグレープフルーツ」

 タイトルにはそう書かれていた。

 わたしは咄嗟に、自分の感情が追い付かない勢いでリプを送っていた。

「『夜には抱擁とグレープフルーツを添えて』の方がエモいと思います」

 今日は少しだけ、朝が楽しみになっていた。光の束は窓の外へと流れ出して、多分どこか遠くの窓に映っていく。

 それをわたしはコンビニ弁当と一緒に眺めていた。

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