シークレットリウム

 わたしの住む家から程近い場所に森がある。入り口には動物が出てこないようにフェンスがされているが扉は誰にでも開閉が可能だ。入ると足場の悪い砂利の道が一本道で五〇〇メートル程続く。明かりもなく、夜は月明かりとスマートフォンのライトだけが頼りだ。ホラー映画を見た後ではこの森に近づく気には到底ならない。五〇〇メートル程進むと道は左右に分かれる。左は五〇メートル程で行きどまりだ。

 わたしは身体を右側の道に向け木で出来た小さな自然的な階段を上っていく。階段を上がると左右は斜面になっており足場も悪い為、歩くのには注意が必要だ。弱い風が木々を揺らし唸り声を上げている。スマートフォンの時刻は二二時を指したところだった。月明かりが木々の隙間から射し、不気味さを演出している。数分も歩くとわたしの目的が姿を現す。気づくと先程まで不気味さを前面に押し出していた月明かりは黒い雲に陰り、見えなくなっていた。右手に見える階段を降りると、木々の合間に建物が見える。天井はドーム型になっているけれど天井には隕石でも落ちたかのように大きな穴が開いている。

 この場所を小学生の頃に見つけ、両親に聞いたことがあった。両親はここは昔プラネタリウムだったと教えてくれた。入り口は恐らく自動ドアだが、ガラスが割れているのでまだ少し残っている尖ったガラスに注意しながら中に入る。カウンターを抜け直進すると大きな映画館のような扉が堂々と存在を主張している。両手でゆっくり開けると心地のいい風と共に木々の唸りが耳に入って来る。座席がいくつも置かれていて、見上げると本物の星が目に入って来る。他のお客の声もない、あそこに見えている星が何の星なのか、説明もないけれどわたしはいつものように前から三段目、左端から四番目の席に座って顔を上げる。

 この場所は高い場所にあり、かつ建物のドーム型の天井も円形に近い状態で穴が開いている為、ここから見る星はまるで望遠鏡を覗いているようなのだ。この場所はわたしの秘密の場所なのだ。いや、きっとここに廃墟と化したプラネタリウムがあることは知っている人はいるはずだけれど、今この時はわたしだけの場所だ。そう思いたい。

 スマートフォンが一〇月一六日 二二時半を指した頃、いつものように着信が入る。わたしは一〇秒程待ってから応答し、スピーカーに切り替える。

 もしもし。わたしがそう応答すると、よぅ! といつもの元気な声が聞こえる。彼とは毎日二二時半に電話をすることが日常に一部になっている。今何してんの? という彼の質問にわたしは丁度強く吹いた風の音と木々の唸りをスピーカー越しに返答の代わりにした。

「また秘密の場所か?」

 彼は呆れた声でも興味を持ったような声でもなく、ただわたしを心配するような声だった。心配しなくても大丈夫よ、と伝えるけれど、森に一人で女がいて、それだけでも危ないのに動物が襲ってきたりもあるだろうし、彼の心配に拍車をかけてしまった。両親を除いてこの場所は誰にも教えてはいない。友達も先生も、当然電話越しの彼もこの場所は知らない。だけれど仲の良い友達も彼もこの場所を知りたがる。秘密の共有こそが信頼を築いたりより深い関係になれると思っているのだと思う。勿論、彼の事も友達の事も好きだけれど、好きだという事実がこの場所を教える事とは一致しない。

「たまには俺と一緒に居て欲しいけどな……」

 彼の声のトーンが少しばかり落ちる。わたしは彼といるときの事を思い出す。彼は素敵な人だ。身長は高く、スポーツは苦手だけれど勉強はそこそこできる。ブレザーがよく似合うし、困っている人を見ると直ぐに助ける。彼自身がよく気にしている女の子のような垂れ目もとても可愛らしい。だけれど、彼がわたしに求める事と言えば優しさ、愛、身体だ。彼は優しい。抱擁も接吻も優しさと愛の塊でそこに重さは一切なくて、空気のように純粋だ。優しい、とても優しい。けれど、彼はわたしを抱く時わたしの名前を呼ばない。毎回別の人の名前を彼は呼んでいる。言及すべきはずなのだけれど、わたしにもこのプラネタリウムという秘密がある、きっと彼にも秘密がある。秘密のあるわたしが彼を言及し、糾弾できるだろうか。できるはずがないのだ。

 わたしを抱く時彼は決まってミカと口にする。わたしの頬に触れる時も接吻をする時もミカとわたしを呼ぶ。薄暗い部屋でベッドの軋む音と布団と身体が擦れる音と彼の吐息が耳に入ってくる。ベッドの真横には窓がある。閉められたその窓を開けたらどんな景色が見えるのだろうかと毎回のように想像を膨らませる。きっとそれも彼が別の人の名前を呼ぶことに耐えられないから、別の事を考えるようにしているだけだ。想像するだけならば傷付くことは無いのだ。窓の外には街灯があって月が見えるかもしれない、隣の家の壁かもしれない、もしかすると何もない空しか見えないかもしれない。そう、想像するだけならそれで完結するけれど、欲に正直になってしまうと傷付くなんてことは分かっていることだ。

 彼と夜に会わなくなったのにはきっかけがある。いつものように彼はわたしをミカと呼ぶけれど、彼の男性器がわたしに触れるその時はわたしの名前を呼んでくれた。その事実でわたしは救われていた。しかし、二週間前は違った。彼は確かにわたしをミカと呼んだ。溢れそうになる涙も、出そうになる嗚咽も耐え、わたしは一人冷たい道を断線してしまったイヤフォンを耳に付けて歩いた。こんな時は至って歩く靴の音も、息遣いも、通り過ぎる風の音も、どれもが鮮明に聞こえた。そんな時、たまたま小学生の頃に見つけたこの場所を思い出して直感的に向かった。この場所から星を見上げた時、世界というものの認識が変わった。わたしが今までいた世界は誤魔化しの世界で、きっとこの場所がわたしがわたしでいることのできるサンクチュアリなのだと。

 彼と会っていた時間、わたしはこの場所に来るようになり、最初は生理と誤魔化していたけれど、それも厳しくなりわたしは二つ目の嘘を吐いた。わたしが絵を描いていることは彼も知っていた為、いい場所を見つけて絵を描いていると伝えると彼も納得をしてくれた。

「絵が完成したらまた一緒に過ごそう」

 この嘘にも期限がある。いつかきっと彼に本当の理由を話さなければならない時が来るはずだ。

 わたしの名前呼んでよ。そう言うと彼は何も聞かずにわたしの名前を呼んだ。ただ優しい彼の声がスピーカーから流れた。

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