第23話 大伯母様の爆弾発言
「お待ちしていましたわ!」
ロザリアと、信用のおけるハリソン商会の針子たちが緊張した様子で待っていた。
「今すぐ着替えましょう! 次はシシリー様の登場ですわ」
シシリーはちっとも美人じゃない。だけどシシリーとして初登場の今日は、そう言う問題ではないと思う。
ロザリアも言った。
「美しいとか醜いとか、それは人の見方によって変わります。だけど、きれいになろうと言う努力は大事ですわ。お嬢様、頑張りましょう。自分自身をみっともないなんて思ったら、それだけで負けですわ」
彼女たちはピンクのカツラを外し、私の黒髪を丁寧に結った。
「真珠の髪飾りですわ。マーガレット大伯母様が貸してくださいました」
「それからこちらはいただいた白バラ」
顔も一生懸命作ってくれた。化粧を落とし、次に念入りに化粧をし直す。
次は、シシリーとして兄にエスコートされて入場する。
私はダドリーなんかに負けない。
あんなつまらない婚約破棄だなんて、痛くもかゆくもない。
「急ぎましょう。エスコートしてくださる方を待たせないように」
ドレスは若い娘らしく薄いクリーム色のドレスだった。これまでの暗い色とは全然違う。
「派手だわ……」
私は少し心配になって言った。とても上質の生地のドレスだ。色といい目立ってしまう。
「目立ってください。堂々としてください」
ロザリアがきっぱりといった。
「何とか間に合いました。さあ、早く!」
押されるように部屋のドアを開けた途端、私は思いがけない人物と会った
「シシリー・ミッドフォード嬢。あなたを待っていました」
それは兄ではなかった。夜会服に身を固めたドリュー様だった。
彼は片膝をつくと、私の手を取って言った。
「あの? 兄は?」
「ロイはいない。今夜、あなたをエスコートするのは俺だ」
私はドリュー様の顔を見た。
「本気だ」
ドリュー様は言った。
「何回も言ったね? 愛している人がいると」
私はドリュー様の顔を見上げた。
「全部あなたのことだ」
えっ?
彼は私の手を取って急ぎ足で移動を始めていた。
「今日のパーティでエスコートすれば婚約者になれる。ダドリーがそう言っていたよ」
チラリとほほ笑んでドリュー様は言った。
「ダドリー様の話すことは自分に都合のいい、勝手な嘘ばかりですわ?」
「そんなことはない。エスコートは俺の意志だから。婚約もそうだ」
本当なの? 本当なの? これは夢?
「俺に演技なんかできない。嘘も言えない。あなたに捧げた言葉は全部真実だ」
急にまぶしい広間に出た。ああ、ここが会場だ。さっきの婚約破棄劇場だ。
でも、今は、胸のドキドキがさっきより大きい。
「みんないるね」
婚約破棄劇の時、走り去ったマリリンの姿を茫然として見送った人々が残っていた。
そして新たに会場に入ってきた私たちに視線を向けた。
私は堂々としていなくてはいけない。
どんなに不細工でも、堂々と。私の値打ちは外見にない。ドリュー様が言っていた。私が私だから好きなんだって。今は信じよう。
さわさわと話し声が広がっていく。
「どなたかしら? ドリュー様とご一緒だなんて」
私たちはダドリー達のように大声を張り上げたり、叫んだりせず、ただ会場に来ただけだ。
「とてもきれいだ。世界で一番」
ドリュー様はうっとりしたように言った。
「さすがにそんな言葉は信じられませんわ」
私はほのかに笑った。
「なぜ? あんなに熱心に気持ちを伝えたのに」
私は思わず頬を染めた。ドリュー様の言葉の数々を忘れることなんかできなかった。本気かもしれない、でも違うかも。波のように心が揺れる。
「婚約破棄させるのに苦労した。もう、俺が申し込んでもいいよね? 以前、話したね。ダドリーとの婚約破棄がかなったら、必ず愛する人に婚約を申し込むと」
そう言った時、好奇心でいっぱいといった表情の友人らしい男子生徒が何人か近づいてきた。
「ドリュー、その美人は誰なんだい? 教えてくれよ」
「婚約者」
ドリュー様はどこか嬉しそうに胸を張って答えた。
ちょっと私はあわてた。私はさっき婚約破棄されたばかりである。婚約破棄前に話が出来上がっていたと思われたらマズいのじゃないかしら。
「婚約者ではありませんわ」
「これから婚約者になってくれるように申し込むんだ」
ドリュー様は周りをにらむようにしてけん制した。
「それにしても、お名前をお教え願えませんか?」
私は集まった人々を眺めた。言わなくてはならない。
「シシリー・ミッドフォードですわ」
人々は一瞬黙り、引いた。
「え? 今さっき婚約破棄された?」
誰かが言った。相当驚いた様子で、つい口を滑らせたらしい。
私は鏡に映る自分の姿を眺めた。
これまで来たことのない、落ち着いたデザインだが明るい色のドレス。コロコロ太ったかわいい感じではなく、すらりとして見える。これまでは胸やお尻に詰め物をしていたので、少々不自然だった。
顔は……タヌキ顔ではなかった。私の顔だ。
切れ長の目と、今までは脱色していたが、本当は黒いまつげとくっきりと弧を描く黒い眉。それと母が大嫌いだった、黒髪。
「こんなにおきれいな方だとは思いませんでした」
「皆様、口がお上手で」
私は微笑んだ。社交界って、人を誉める場所ですものね。
「何をおっしゃることやら。ダドリーはどうしてあんなことを言っていたんでしょう?」
ダドリーは私のことをひどいご面相だと言いふらしていたが、みんな信じていたらしい。
「ダドリー様とお目にかかる機会は一度もございませんでした」
私は言った。
周囲は小さくどよめいた。
「会ってもないのに?」
「ええ。私のことはお気に召さないそうで、何度かお会いしようと試みたのですが、待ち合わせの場所に来られなかったのです」
「すっぽかしではないですか!」
私は弱々しく微笑んで見せた。
「なんでもお気に入りの方がいらっしゃるそうで、私にはその方の世話をして欲しいとおっしゃっていました。よくわからないお話でしたが、今日、事情が分かりましたわ。ほかに結婚したい方がおられたのですね」
「それが、あれですか」
何人かがさげずむように言った。マリリン、評判悪いな。
そこへ仏頂面をした兄が近付いてきた。
「シシリー。ドリューのヤツがどうしてもって言うので、エスコートは譲ったんだ。本来、兄の俺の役目なのに。ドリュー、婚約者を名乗るだなんて、もう婚約を申し込んだのか? あそこからここまで歩く間にか?」
「え? ロイの妹? じゃあ、この方は本当にシシリー嬢?」
半信半疑だった人もいたらしい。ダドリー様の話と、相当違ったイメージなんだろうな。私、性格だけは自信たっぷりの厚かましいタイプじゃないはず。
シシリー嬢本人が現れた話はどんどん広がっていって、令嬢たちも振り返って私の顔を見た。それこそ年配の紳士や貴婦人たちもだった。
う……気まずい。
大勢が私たちの周りで聞き耳を立てていた。
父が人を押し分けてやってきた。
「シシリー」
「お父様!」
「つまらない噂を気にすることはない。ダドリーのいう話は証人を押えてあるから、お前は心配しなくていい。侮辱罪で告訴してやる」
「シシリー!」
マーガレット大伯母様もやってきた。周りに親しいお友達の錚々たる貴婦人を従えていた。
まあ、海軍元帥の夫人や法務省長官の夫人までいるわ! 趣味のお友達だって言っていたけれど、すごい顔ぶれだわ。
私は深々と礼をした。
私は一介の男爵家の娘。しかも婚約破棄されたばかりだ。
いわば訳アリ物件である。
だが、大伯母様は声を張り上げた。
「あんな下品な女性と婚約したいだなんて、ダドリーは変わっているわね。でも、よかったわ。縁が切れて。私は元々この婚約には反対だったのよ」
「大伯母様……」
「ダドリー侯爵家は失礼極まりないわ。こんな場所で一方的に婚約破棄を宣言するだなんて! この婚約については私はずっと心配だったのよ。自由になれてよかったわ」
少し離れたところでは、ダドリー様が一人で茫然としていた。話は全部聞こえていたと思う。マリリンはどこかに消え失せてしまったし、マーガレット夫人の話によると、彼のアテにしていたものはすべて虚構だったことがはっきりしてきた。
マーガレット大伯母様がさらに爆弾を投げつけた。
「私は、あなたに遺産は全額残すつもりだったのだけど、あのダドリーが夫じゃねえ。浪費されるだけであなたの手に渡らないんじゃないか心配だったの。でも、ダドリーが婚約破棄すると言うなら安心したわ」
え?
シナリオにありませんけど? その話?
父も兄もドリュー様も驚いて、マーガレット大伯母様の顔を見つめた。
「あら。だって、私にはシシリー以外に残す相手がいないじゃない? 姪の娘よ」
大伯母様は当たり前だと言わんばかりの顔だった。ウチの兄は無視ですか?
「シシリー嬢の婚約はまだ決まっていないぞ!」
ドリュー様の友達や兄の友達が、大声で騒ぎ出した。
「あのダドリーのやつは嘘つきだ! こんな美人だなんて聞いていなかったぞ?」
あれ? 持参金じゃなくてそっち?
「そうだ! 大体あのダドリーは趣味が悪いからな!」
一人がおずおずと少しだけ近づき、「ハミルトン伯爵家のデビットと申します。お近づきになることをお許し願えませんか?」
それから、兄の方を向いて、
「ロイ! 紹介してくれ!」
と叫んだ。
「あ、デビットだ。俺の友達だ」
兄がびっくりしたように紹介した。
「ロイ! 俺のことも!」
同じく夜会服に身を包んだ若い男性も名乗りを上げた。
「確かにシシリーは今は自由だけど……お前らがっつき過ぎだぞ?」
だが、兄も笑っていた。ものすごい婚約はなくなった。少なくとも、ダドリーが希望しないのだから、取り消しに向けて動くことができる。
様子を見ていた父が割り込んだ。
「ダドリー家は婚約破棄をした。シシリーに婚約者はいない。本人の意思を尊重しよう」
すると、マーガレット大伯母様がしれっと言った。
「今、シシリーは私の家に住んでいるのよ」
おおっ! と、その場の人々がどよめいた。
「今度、シシリーのためのパーティーを開きたいわ」
社交界の重鎮、誰しもが知る大富豪のマーガレット夫人が、私、シシリーのためにパーティーを開く!
「本来は、父の私の役目だが、伯母様に譲った方がいいかもしれないな。ミッドフォード家のパーティはその後ということで」
父が微笑みながら言った。
もう婚約破棄された哀れな令嬢なんかどこにもいなかった。
それどころではない。私はマーガレット大伯母様の強力な支援を一身に受ける、社交界で最も日の当たる場所にいる令嬢になってしまった。
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