第16話 さらわれた子供

 夕方の五時過ぎに目的地に到着したみたいだった。周りを塀で囲まれた大きな家の近くに来て車の速度が落ちた。

綾乃はあの人身売買と言う言葉が頭を過る。逃げ出したい気持を必死に押さえた。

タクシーは道路には停まらずに門の中へ入って行く。ロータリーを回り玄関前に停まった。

道源の家よりは小さいが和風の立派な……言うなれば格調高い武家屋敷……そんなイメージだった。

インターホンを鳴らす前に「お帰りなさい」若い女性が玄関を開けた。

どっかで見たような顔だった。

「あなたが、綾乃さん?」その女性はいきなり声をかけてきた。

「はい、……」綾乃は事態が飲み込めず蚊の鳴くような声で答えた。

「真世、ただいま。話しは中に入ってコーヒーでも飲みながらしよう」お父さんがびっこを引きながらタクシーを降りた。

「綾乃さん、疲れたでしょう? ほんと色々な事あったし、山を七日間も歩いたことになるのかしら?」

お母さんは指折り数えている。綾乃も今日が何日なのかも分からないくらい頭が働かなくなっていた。

「お帰りなさいませ」割烹着を着てるから家政婦さんだろう高齢の女性が言う。

綾乃は分からないので頭を下げた。

建物は二階建てで母屋の奥に離れがあるように感じた。廊下を案内され窓外を見ると、中庭があって色とりどりの草木が美しく飾られている。

離れに見えたのはこの家が口の字型をしているからだと気が付いた。

綾乃の家と違うのは明るさだ。

空の明るさがそのまま家の中に入り込んでいるみたいだ。

ひと目で気に入った。ここに住みたいとまで思わせる素敵な姿をしている家だ。

コーヒーを啜っているとお父さんとお母さんが改まってソファから床に座り直し、頭を下げた。

「誘拐なんて卑劣な手段であなたを連れ出したこと、申し訳ない」そう言っておでこを床につける。

「えっ、いえ、そんな顔を上げてください。どうしたんです?」

「私は、興備京弥と言います。これは妻の嵩子、ソファに座ってるのが長女の真世です。そして突然なんだけど、あなたは道源綾乃じゃありません!」

突然そう言われて、そうですかなんて言えるわけない。二十年間今の名前で来たのに……。

「あのー、まったく意味が分かりません。説明訊いても良いですか?」

ふたりはソファに座り直し、コーヒーカップに口をつけて、

「実は、十六年前の三月二十六日でした。私たちには娘がふたりいました。真世のほかに紗世と言う妹が、……」

「あーそれであの時紗世と言ったんですね」

お父さんは頷いて続けた。

「 誘拐されたんです。それも真世の目の前で、泣き叫んで家に駆けこんできた真世から話を聞いてすぐ警察へ通報しました。後刻、身代金も五千万円要求され払ったんです。その受け渡しの場には警官も張り込んでいたんですが上手く逃げられた上に、紗世が戻って来ることはありませんでした。警察も随分大掛かりに探してくれてたようですが……。

紗世はたったの四歳、真世は六歳でした。

テレビでも取上げて貰ったほか、私たちは、真世にも手伝ってもらってチラシを配ったんですが、……二年、三年と経って人々からは忘れられていきました。

 警察も時々しか来なくなりました。

私は真世が見たと言った誘拐犯に男と女がいたこと、白いワンボックスに乗せられたこと、車番の最後が『七』だったこと、それらを手掛かりに探し回りました。店は昔からいる従業員にある程度任せていました。

そして十年が過ぎ、十五年になろうとしたときに噂を聞いたんです。『道源はどっからか大金を手に入れてそれで商売の手を広げたんだってよ』それと紗世の身代金と関係があるのかないのか分からなかったけど、藁をも掴む思いでその苗字しか分からない『どうげん』を探し始めたんです。半年して奈犬振村に辿り着きました。そしてあなたを見た瞬間こいつが『紗世ーっ!』って叫んだんです。私には四歳の子と十八歳くらいの娘さんとが同一人物だなんて分かりませんでした。それに車は黒で車番の最後は『八』でした。

でもこいつは『自分が産んだ子供を間違えるわけない、あれは絶対紗世よ、すぐにあの家に行って問い質しましょう』って言うんです。私は迷いました。おそらくそうなんだろうって思いました。ただ、いきなり行っても認めないだろうし下手したら紗世を隠されてしまう。いや、殺されてしまうかもしれない。妻にもそう言って落ち着かせ様子をみてました。でも、どうしたら良いのか分からなまま綾乃さんが札幌の短大に行くようになって、それでも私たちはどうやって証明するのかを考え続けていました。

妻と色々話合っていて思い出したんです。歯に治療痕があることを。

それで当時紗世が通っていた歯科医院へ行って先生に相談したんです。そしたら『乳歯は抜けちゃうから分からないですね』って言われ必死で事情を説明したら『じゃ、歯科検診してる間に髪の毛を一本採取してお母さんとDNA鑑定したらどうです』と言ってくれたので、そうすることにしたんです。

覚えてませんか、なんか上手い事言われて歯科医院に診てもらったのを…… 」

お父さんの必死に話す表情を見ていたらとても嘘をついているようには思えなかった。

そして短大時代に歯科医院へ友人と行ったことを思い出した。

「あぁそう言えば、友達と三人で歩いていたら、今なら先着三名様に限り三十分ほどで、しかも無料で歯科検査しますって言われて、夫々虫歯持ちなのでついて行ったんですよ。あれはお父さんが……」

「えぇそうなんです。それであなたが道源綾乃ではなく興備紗世だと確定したんですよ。それで、妻は直接取り返しに行くって言うし、私は警察を通した方が良いって言って、な、ふふふ、喧嘩になっちゃって……」

お父さんとお母さんが懐かしそうな目をして見つめ合ってる。

……

「こらこら、おふたりさん、いちゃいちゃしないで話!」真世がそう言ってふたりを窘める。

「あぁごめん。で、結局、その間を取って誘拐になったんだ」

「お父さんそれ全然間じゃないじゃない!」真世が注文をつけた。

「これでもう分かっただろう。だから紗世って呼んでも良いかな?」

綾乃は迷って返事をできないでいた。

「お父さん、そんな急に言っても無理よ。綾乃さんの気持も考えてあげて、今だってお父さんとお母さんはいるのよ。十六年間も一緒に暮らしてた親が親じゃなかったって言われたら、悲しいし、辛いし、先ずは信じられないでしょう。私だったとしてもどうして良いか分からないわよ」

真世さんがそう言って涙を見せる。

綾乃はふっと思い出した。誘拐される前に道源の家に届いた黒ゆりの姿見。

「あのー、誘拐される日の午前中に姿見それも黒ゆりのフレームの姿見を送って来たのはお父さん?」

「えっ、あ、あぁそうだよ。その通りだ。黒ゆりのフレームの姿見。復讐の意味を込めて送ったんだよ」

お父さんが恥ずかしそうに言った。

「やっぱり、道源のお父さんは花言葉なんてまったく知らないから、玄関入ったところに置けと家政婦さんに言ったんだけど、私は何か嫌な感じがしたんで……」

「そうか、今から思えば恥ずかしい真似をしたもんだよ」お父さんが小さく笑った。

綾乃はかぶりを振って「いえ、良いんです。恥ずかしいことをしていたのは道源の方なんで……でも、ごめんなさい。真世さん、私どうしたら……」綾乃は言葉に詰まった。涙が溢れる。

「そうね、無理にお話するのは止めましょう。今夜はここまでにして続きは明日と言う事にしましょう。天塩さん、ご飯用意して」

お母さんが呼んだ名前を聞いて綾乃はびっくり。

――天塩さんって、家の家政婦さん? そんないるはずない。……

「はい、かしこまりました」現れた家政婦さんはよく見たら家の天塩さんとは似ても似つかない顔立ちの、玄関で迎えてくれたおばあさんだった。

もう、三十年はいるという。

その家政婦さんが綾乃の顔を見るや「紗世さん。紗世さんですか? まぁお綺麗になって、お元気?」

矢継ぎ早に訊いて来る。

「天塩さん、その質問はちょっと待って下さい。本人が困るから、ね」お母さんが間に入った。

「そうですか……」家政婦さんは不服そうに首を捻りながら何処かへ行った。

「あのー、天塩さんて道源の家政婦さんも天塩って言うんですけど何か関係あるんでしょうか?」綾乃は訊いてみた。

「さぁ、家族はいなはずよ。珍しい名前だから今度ゆっくり訊いてみましょう」お母さんが言った。

「ねぇ綾乃さん。食事の支度ができるまで、部屋見に行かない?」真世が誘うので頷いた。

二階に上がると一層陽の有難さを感じる。もう夕日も沈みかけてるのに明るい。

「すごく明るいお家ですね」綾乃が笑顔で言うと真世も笑顔で頷いてくれた。

「突き当りがトイレで、その傍の部屋が私?」綾乃は何となくそんな気がして訊いてみた。

「そうよ、覚えてるのかなぁ」真世が綾乃の顔を覗き込む。

すぐ傍で真世の顔を見て気付いた。何処かで見た顔、それは自分の顔だった。

――あぁ、似てるんだ。お父さんの言った事はほんとうなんだろうな……でもなぁ、家にいるお母さんは誰? あの家で私は赤の他人だったの? ……

「ほら、入ってみたら?」真世がその部屋のドアを開けて手招きしてる。

――あぁ、この手だ、夢の中で私においでおいでしてた手。……

綾乃はその手を見て、真世の笑顔を見て、涙を止められなかった……ぽろぽろと零れる。

「あら、どうしたの。綾乃さん? なんか悪い事言っちゃった?」

真世さんが心配そうに言う。

「ううん、ちょっと、……ね」綾乃はかぶりを振った。どう話して良いのか分からず満足な返事が出来なかった。

「さあ、泣いてないで見て、ここが紗世の部屋よ」

綾乃が覗く。子供部屋だ。

――そうだよなぁ、四歳までしかいなかったらこうだよなぁ。……

可愛らしい、机、ベッド、縫いぐるみにおもちゃ、カーペットは昔はやってたアニメのキャラクター……名前何だっけなぁ? 

カーテンにはうさぎの絵が一杯描いてある。

懐かしい感じが心の何処かから染み出してきた。

そして身体中の血が徐々に頭の方へ上がって行って、ズキーンと何かで叩かれたような痛みが走った。

「痛たたたたっ」綾乃は頭を押さえて屈みこむ。

「どうした。大丈夫? 紗世、紗世、大丈夫? お母さーん、紗世がどうかしちゃった。早く来て―っ!」

真世の声が遠くなって行く。

――あれーっ、どうしちゃったんだろう私? ……

するとまたズッキーンと痛みが走った。

……

 

 目を開けたら真世さんとお母さんとお父さんの心配そうな顔が並んでいて、綾乃を見ている。

「あっ、私どうした?」

「倒れちゃったのよ急に。びっくりしたわー、でね、お医者さんに来てもらったら、疲労じゃないかって。それに極度の緊張から頭部の筋肉が痙攣したみたいだって、だから、しばらく安静にしてくださいって、薬も置いて行ってくれたわ。だから、もう大丈夫よ」お母さんが優しく説明してくれた。

「ほら、お父さんがあんなこといきなり言うから綾乃ちゃんの心がついていけなかったのよ。お父さんのせいだからね」真世さんが綾乃のために本気で怒ってる。

「綾乃ちゃん、ごめんな。今夜はここで寝て、後は明日にしよう」お父さんが言う。

「ここはどこですか?」

「あぁここね、一階の客間なの、トイレもシャワーもついてるから自由に使って良いわよ」真世が言う。

「そうですか、ありがとうございます」

綾乃は久しぶりにベッドで眠れる幸せに浸っていた。

 

 

「何? 事故った? お前が命じて襲わせた奴が……どうして?」大きな高級ディスクチェアに座ったままで男はスマホを握っていた。

「創成川通りの分離帯にぶつかった? なぁにやってんのよ。お前がそんな変な奴に頼むから失敗するんだべや、良い、もう良いわ、お前に任せておけん俺が考える」

男は乱暴に通話を切った。

「おい、失敗だ! 情けねぇ。どうする?」男が言う。

「どうもこうも、他に当たるしか無いべ」その部屋にいるもう一人の男が答えた。

「ネットで高額バイトってか?」冗談ぽい口調で男が言う。

「俺そんなやり方知らないし」相手の男はソファに座ったまま肩を竦める。

「俺もだ。それ出来るのは若いあいつだけだ」

「ダメだあいつはもう失敗してる」

「じゃ、前に言った通り俺たちで殺るしかないな」男は不敵な微笑みを浮かべて言った。

「あぁ、俺も今そう思ったところだ」相手の男もそう言ってにやりとした。

「奴らはもう札幌に着いてるって話だから、押し込み強盗だな」

「あぁ、ひとり残して後は殺っちゃおう」相手の男が自分の首を斬る真似をする。

「殺るなら日曜の夜だな」

「どうしてよ」

「普通みんな家で過ごすだろう。道路が空いてて逃げやすい」

「ふーん、ならそれで行こう」

喋ってると妻がドアを乱暴に開けて入って来た。

「ちょっとあんたたち、殺るとか物騒な事言ってるようだけど、綾乃の話しじゃないだろうね」

「泰子、心配すんな。綾乃以外のやつらの話しだ」男は妻にどやされるとつい浮足立ってしまう。長い間にそうなってしまった。

「あれは私の子だからね。変なことしたらただじゃ済まさないからね。山脇、あんたも分かってんだろうね」

妻は相手の男にも遠慮は無い。思ったことはびしびし言う。相手の男も強く反発しないので余計だ。

「おー怖っ、大丈夫だって姉さんの嫌がることはしないって、なぁ廣輔」

ホントの姉では無いのだが、いつからかそう呼んでいる。

「警察だってまだしょっちゅう来るんだから、目立つことしないでよ!」

泰子はいつも廣輔と山脇のすることに口を出してうるさいったらない。始末しちゃうかと思うほどだ。

泰子がキッチンの方へ行くと山脇が「だから、最初に子供を殺っちゃえば良かったんだよ」

「そんな事言ったって、あれがバカみたいに反対して騒ぐからしょうがなかったべや。お前だってその場にいたのに何にも言えんかったべ」廣輔は陰でごちゃごちゃ言う山脇があまり好きじゃないがやばい仕事を熟してくれるから手放せないのだ。

「しかしよー、家ん中で殺っちゃったら捕まらんか? 外へ呼び出して埋めちゃった方が良いんじゃないのか?」山脇はどうせ具体的な考えは無くてただ闇雲に反対したいだけなのだ。いつもそうだ。

「どこで殺ったって、監視カメラとかNシステムとかで写っちゃうべ、アリバイだとか車内の血痕とか毛髪とか……」

廣輔は計画を変える積りは端からない。

真世以外は全員殺す。そうでなければ会社を乗っ取るのは無理だと決めていた。

「ナイフとロープ、目出し帽、レインコートとか買っといてくれよ。人数分な。きっと泰子も行くって言うからよ」

廣輔は山脇を睨みつけながら言った。

「それは旭川行って買うから、カード」山脇がそう言って手を出す。

「しゃーない。余計なもの買うなよ。後でレシート見せれよ」

言っとかないと山脇なら何買うか分かったもんじゃない。

 

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