第11話 危機迫る

 朝、目覚めたらお母さんが火の消えた枝を握り締めて岩に腰掛けたまま眠っていた。

綾乃は起さないようにそっと沢まで降りて口をゆすぎすくった水で顔を洗った。

沢の水は冷たく一気に目が覚める。ゴッドが後をついてきて沢の水を飲んでいる。

「おはよう、ゴッド」声をかけ夕べの傷を見ると、気付かなかったが熊の爪の痕が生なましく痛そうだ。

可愛そうに思って最後のおやつをやった。

「おはよう」お母さんが後ろから声をかけてきた。

「おはようございます。済みません。起しちゃいました?」

「いいえ、私は見張りだから寝てません」お母さんは如何にも冗談という表情で言うので可笑しくて笑ってしまう。

その声が聞こえたのかお父さんが起きてきた。鼻血は止まったようだった。

「ふたりとも、おはよう。どうだゴッドの様子は?」

「えぇ、夕べは良く見えなかったけど、酷いです」

綾乃が言うとお父さんはゴッドの前にひざまずいて頭を撫でながら身体の様子を見る。

「酷いなぁ、早く町へ行って獣医に見せた方が良いな」

そう言ってゴッドの身体を沢の水で洗い出した。

「傷口汚いとばい菌入ってやばいからな」

綾乃も手伝ったが水が冷たくてみるみる手が真っ赤になる。

「わーっ、冷たーい」綾乃が騒ぐ。

お父さんはにこにこしながら手を休めない。

「よし、綺麗になった」

お父さんがそう言ったと思ったらゴッドがブルブルっと身体を震わせ、綾乃とお父さんにシャワーを浴びせた。

「きゃーっ、しゃっこーい」ふたりは慌てて逃げたがすでに遅し、たっぷりと水浴びをしてしまった。

お母さんはその姿を見てけたけたと笑ってる。

その笑顔を見て思い出した。

「あっ、済みません。夜中に見張り交代しようと思ったんですけど、すっかり朝まで寝ちゃって」

綾乃が頭を下げると「あら、端からあなたは見張り無しだったでしょう」とお母さん。

「えぇでもそれじゃ悪いから……」

「ふふふ、律儀ねぇ。もう一晩野宿だったら頼むわね」お母さんが笑顔で言った。

「はい」

――でも、もう町に着いちゃうんじゃ? だから言ったのか、ふふふ、お母さんたら何処までも優しいんだから。……

「さぁ行くよ」

お父さんが歩き出す。

お母さんとふたりで並んで歩くとゴッドがその間に入ってふたりの顔を見ながら歩く。

……

しばらく歩いて行くと、お父さんの言った通り沢が右へ曲がっていた。

青空が綺麗と思ってたら雲が湧いてきて太陽を隠してしまい、ぽつぽつと雨が落ちてきた。

「わぁーまた雨降るのかしらねぇ」とお母さん。

「やだなぁ、また滑って転んじゃう」

喋っているうちに雨脚がしだいに強くなる。

沢が大きく右へ曲がって行く。

お父さんは沢を離れ斜面を上り始める。

「おい、足下すべるから気ぃ付けてな」

綾乃は四つん這いになって登る。それほど急な斜面になっていたのだ。

お母さんもそうやって登る。

先を行くお父さんが道でもついているみたいに横に歩き出した。

数メートル遅れで綾乃とお母さんもその位置まで登ると、確かに踏み固められた道のようなものが横へと伸びていた。

しばらく行くと樹木が途切れ草原のような所へ出た。結構先まで見通しが利きそうだが今は生憎の雨で見通せない。それでも丘陵のような感じで歩きやすい。


 それもつかの間、また木が生い茂る林へと繋がって行く。

そして急斜面を横切るように進んで行った。

――危ないなぁ、滑りそうだし、気を付けないと。……

そう思って慎重に歩いていたのだがいきなり足下の地面が崩れた。

右足が足場を失い落ちる。

細い木の枝をつかんだが折れてしまって、滑り落ちる。

「きゃーーーっ!」

数メートル滑って肩から下げていたバッグが太い枝に引っかかった。

「おーい、綾乃大丈夫か?」

「はい、何とか木に引っかかって……」

するとお父さんが足場を固めながら斜面を降りてきた。

綾乃も少しでも上がろうとするのだが、足が滑って上がれない。

お父さんが綾乃の少し上に生えている太めの木の所まで来て手を伸ばしてくれた。

片手を伸ばすと指だけは掴めるが力が入らない。

お母さんも降りてきて自分のバッグの紐を垂らしてくれた。

それはしっかり掴めた。

でも、綾乃はお父さんの手も掴まないと引き上げてもらうのは無理だと思って頑張って手を伸ばす。

お父さんも手を伸ばす。

苦しかったが何とか手を掴めた。

「よし、母さん一緒に引くぞ!」

「せーの」掛け声と同時に綾乃の身体が持ち上がる。そして綾乃はお父さんと同じ木の幹に乗った。

「よし、もう大丈夫だ。俺の身体を踏み台にして登って」とお父さん。

「えっでも……」

綾乃が躊躇してると「綾乃、早く、遠慮してたらみんな落ちちゃうよ。早く!」

お母さんに急かされ「ごめんなさい」そう言って幹を抱きしめた状態でいるお父さんの背中を踏み台にして斜面を登った。

そして今度はお母さんと二人でお父さんの手を掴んで引き上げた。

三人が揃って互いに顔を見合わせにこりとする。

「お父さんにお母さん、ありがとうございました。助かりました」綾乃が頭を下げる。

「まだ斜面だから油断するなよ」

そう言うお父さんは肩で息をしていて苦しそうだ。お母さんもだ。

でも、休めそうな場所がない、もう少し歩くしかないようだった。

後ろ姿のお父さんは服はどろどろのぼろぼろ破れ目からは赤い筋が覗いてる。

お母さんと綾乃はお父さんほどの破れはないけどどろどろでやっぱり服の破れ目からは傷が覗いて見える。

ゴッドも熊にやられた傷が痛々しい。

三人とも歩いてはいるけどへとへとで赤ちゃんのはいはいより遅いかも……。

雨が相変わらず降っていて歩いている方向は心配だが、その前にお父さんが、「ここで休もう」と言ってくれないかとそればかりを願っている。

……

「ここで休もう」お父さんが言ってくれた。

「お母さんも、綾乃もよく頑張ったな。この木の下で少しは雨を凌げるだろう」

お父さんがあちこちから木の枝を持って来て、綾乃らが座っている所が雨に濡れないように枝葉を重ねている。

何回も往復して屋根ができた。

殆ど雨が落ちて来なくなった。

「うわーすごい、お父さん、ありがとう」綾乃は大喜び。

お母さんは小枝や木の葉を集めて火をつけようとするが濡れていてなかなかつかない。

ビリビリッとお父さんがズボンのひざ下の切れ目から破った。

「これならどうだ、少しは火がつきやすいんじゃないか?」

お母さんはびっくりしてお父さんを見詰める。

「ほれ、早く火をつけな。綾乃が寒がってる」

そう言われてお母さんがライターでズボンの濡れていないところを探して炎にかざす……ややあって燃えだした。

「あっ燃えた」

それをまとめていた枝葉の上に置いてその上に葉っぱを少し乗せ、燃えてきたらまた葉っぱを乗せ、さらに細い枝を乗せ、……

そうやって何回も繰り返して炎を大きくしていった。

「暖かい、お父さんもここ暖かいよ」

呼ばないとお父さんは何時までも離れた所に立ったままでお母さんのやることを見詰めている。

「あぁ」そう言ってお母さんと並んで座り、葉っぱや小枝を足している。

ひと段落して三人とも炎に見惚れていた。

「今夜は私が始めに見張りやるので、お父さんとお母さんは横になって下さい」

綾乃は先手を取って言った。

ふたりは顔を見合わせて微笑んで頷いた。

少し炎に見惚れて、ふとふたりを見たらもう眠っていた。疲れたんだろう。

――でも、これで人身売買する人? 幾らでも逃げれちゃう……きっとあれは、口から出まかせだったんだ。……

綾乃にはこの夫婦が悪い人に思えなくなってきていた。

――必死で綾乃を助けてくれたし、でも、何か事情があるって言ってたから……ひょっとして私の心臓とかを必要とする娘さんがいるんじゃないかな。血液の適合ってあるらしいから、私でないとダメなんだわ。そうよ、それだとどんな良い人でも自分の娘を助けるためなら、人殺しでもなんでもやるんじゃないかな? ……

綾乃は枝葉を足しながらそんな風な想像をした。

――だったら、どうしよう。その娘さんのために私は死ぬの? ……

綾乃は迷った。死ぬのは怖い。でもそれはその娘さんも同じよね。

――どっちの命が重いの? その娘さん、天才で何か多くの人を助けるための何かを発明したとか? 何かをやってるとか? ……そんなだったら、花屋になりたいだけの私より大事な命よね。……

突然、がさがさと茂みがざわつく。

「えっ何?」

綾乃の背筋が凍り付いた。また、熊?

「お母さん、お父さん、起きて! 熊かも」

綾乃は叫んだ。

ゴッドも起き上がって唸りだした。

お父さんが枝に火をつけて身構える。お母さんと綾乃も真似て火をつける。

「ほー、こんな所に隠れてたんだ」

姿を現したのは登山客を装った殺し屋だ。

「何しに来た」お父さんが怒鳴る。

男がナイフを取り出す。

「ほー今度は端から俺たちを殺す気か? 一体何のために?」お父さんから怯える様子は伺えない、戦う積りなんだろうか?

「余計なことは知らなくて良い」

男がそう言って近づいて来る。

ゴッドが激しく吠えると男が一瞬怯む。

さらにゴッドが激しく吠え男と女の周りを素早く走る。

「今だ、綾乃、母さん走れ!」

そう言ってお父さんが枝を持ったまま走り出した。お母さんも綾乃も続く。

「あっこのやろーっ! 待てーっ!」

男が追ってくる。

暗くて良く見えないが、とにかくお父さんの後を追った。

「ゴッド、おいでーっ!」綾乃が叫ぶとゴッドは男を追い抜いて駆けてくる。

……

 どんだけ走っただろう、男の声も姿も消えた。

「暗くて見えないから追うのを止めたのかもしれないな」

お父さんはそう言いながらも急ぐ。

山の斜面を進むと洞窟がぽっかり大きな口を開けていた。

「お父さんここへ入ろう」お母さんが言う。

「しかし、どこまで続くか分かんないし、危険じゃないか?」お父さんは弱腰だ。

「かも知れないけど、あの男も同じく考えて入って来ないんじゃない? それに雨も凌げるし」お母さんが強気で言う。

「あぁそうかもな」

お父さんが洞窟に足を踏み入れる。お母さんと綾乃も続く。

「こらーぁ、待ちやがれ!」あの男だ。

三人は急いで奥へ進む。

「奴が入って来たらやばいな」

「その時はその時で戦いましょう。ゴッドもいることだし、綾乃だけは先へ逃がして……」

いざとなるとお母さんも肝が据わっているようだ。でも、綾乃だけ助かるなんてできない。

「いえ、私もその時は戦います」綾乃は真剣に言った。

「ふふふ、良いのよ無理しないの。あなたにはこの先大事なことが待ってるんだから、こんなところで命を落とすようなことがあってはいけないのよ」お母さんは優しく言ったが、綾乃の心には「あなたの心臓が必要だから無理しないでね」そう届いた。

 大分奥まで進んでから綾乃が振返って耳を澄ましてみると追ってくる気配はしなくなっていた。

「お父さん、男の人来てないんじゃないかしら」綾乃が声をかけた。

三人とも足を止めて耳を澄ませるが物音はしないようだ。

「そうらしいな。だが、入口で待ち伏せしてるかもしれないから、このまま進もう」

それが正しいかは分からなかったが、特段反対する理由も無かった。

しばらくして、コツンと小石が頭に当たった。

「痛っ」綾乃が頭を押さえると、お母さんも「痛っ」と頭を押さえる。

「お父さん、天井から小石落ちてくるわよ」お母さんが言った。

カラカラっと小石の転がる音が聞こえる。

握っていた小枝で頭を隠して歩いていると、ガンっと少し大きな石が落ちてきた。

「急いだほうが良いんじゃない、石が大きくなってきた気がする」綾乃は怯えて言った。

「そうよ、生き埋めになったりしたら大変よ」

「そのようだな、綾乃、母さん走るぞ、お前たち先に行け」

お父さんは火のついた小枝をお母さんに渡した。ぼんやりした明るさが足下を照らしてくれる。

三人は急ぎ足くらいのスピードで走った。

落ちてくる石は徐々に大きくなってるし、落ちてくる個数も増えてきているような気がしてきた。

まだ先は真っ暗だ。

綾乃の中に恐怖心が一気に広がり悲鳴を上げたくなるのを必死に我慢する。

綾乃のすぐ後ろでガラガラっと天井が崩れ落ちた。

「きゃーーっ!」思わず悲鳴が口から出てしまった。

「綾乃急げ、後ろを見るな!」お父さんが叫んでいる。

そうだ綾乃の後ろにはまだお父さんがいるんだった。

――今の崩れた天井、お父さん当たらなかったのかな? ……

「お父さんは大丈夫なの?」綾乃が訊いた。

「あぁ、危なかったが当たってない」

益々崩れる量が増えてくる。

まるで綾乃たちを殺してやろうとするみたいに次々に崩れ落ちる。

地響きが聞こえてきて地震のように足下が揺れ出した。それがどんどん大きくなってゆく。

「きゃーーーっ! お母さーん」綾乃は思わず叫んだ。

「きゃーーっ!」少し先を走っているお母さんの悲鳴が聞こえた。

「えっ、どうしたのお母さん、大丈夫?」

綾乃が叫んだけど返事がない。

「お母さーん」綾乃は力一杯叫んだ。

 

 

 三人を追って洞窟の中へ入った男と女は懐中電灯の灯りで足下を照らしながら前へ進んでいた。

途中で天井からパラパラと砂が降って来た。

「ねぇこれ何? 砂? 降って来たわよ」

「おぅ天井からかな?」

そう言ってるうちに粒が大きくなって頭に当たると痛いほどだ。

「ねぇちょっとやばくない? 天井落ちてくるんじゃないの?」

「あぁやばいかもな、戻るか」

男はUターンして入口へ歩き出す。女も続いた。

バラバラと石が落ちてくる。

「裕江、走るぞ」

身の危険を感じて男が走り出す。

「ちょと待ってよ。置いてかないでよ」

女は慌てて男の後を追う。

もう少しで入口と言うところで地響きがして奥の方から天井が落ちて土煙が洞窟内を覆う。

「裕江早く出ろ! 崩れる!」男が叫んだ。

「きゃーーーっ!」女は悲鳴を上げながら洞窟を抜け出した。

その直後ズズズズズッズーン轟音と共に洞窟が潰れた。

 危ういところで洞窟の外へ逃げ出た男は「ひやぁー危ねぇ……裕江大丈夫か?」

「あら、心配してくれるの。ふふっ、私は大丈夫だけど、彼らは埋まっちゃったんじゃない?」

「あぁ、まず埋まらなくても、もう二度とここから出られないだろよ。ざまぁみろだ」

「そしたら、お金貰えるんじゃない?」

「おぅ電話入れるわ」

男はスマホを取り出す。

「おう、殺ったぞ」

「三人ともか?」

「あぁ洞窟に逃げ込んでよ。入口まで追ったんだけど、天井が崩れてきて潰されたか生き埋めか、どっちにしろ生きちゃいねぇよ」

「ほんとか? 確かめたのか?」

「バカ言うな。掘り返して遺体を見つけるなんて出来るわけねぇだろうが」

「反対側から抜け出したんじゃないんだろうな」

「出口なんかないだろう。何百メートルあるか分かんないんだぞ。ひとつの山だからな。確かめようなんか有る訳ないじゃん」

「……じゃぁよ、札幌の住所教えるからそいつらの家を一週間張れや、そして奴らが帰って来なかったら金はやろう。これでどうだ?」

「しつけぇ野郎だな。五千万だぞ」

「あぁ、もう金は用意してあるんだ。一週間後、間違いなく払ってやるよ。奴らが帰って来なかったらな」

「あぁ分かった。じゃ明日の晩から張るな」

「おぉ良いだろう」

 

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