第9話 愛犬ゴッド

「そうよねぇ、泥だらけの服は雨に濡れただけじゃないでしょ。道の無い所を歩いて転んだりすべったり、木の枝に服を引っ掛けたりしたんでしょう? 手足に傷があり過ぎよ」裕江の言い方がきつくなって、目を吊り上げ怖い顔になっていた。

「何言ってんですか。私たちは札幌から来て、今帰る途中なんです。そう言ったでしょう」

お母さんがきつく返した。

「ガス欠って言ったよな。だけど普通それならロードサービス呼ぶんじゃないか? 田舎の道だって時間はかかっても来てくれるはずだ。それを道じゃないとこを歩いて来たんだろう。……それは誰かから逃げてる証拠だ。違うか?」

男はにやにやしながら迫ってくる。

そして、

「身代金は持ってい無いようだな。どこへ隠したんだ? ん? 言った方が身の為だぞ!」

二枚目だと思ってた男の顔が鬼のように怖い顔になっている。

「関係ないって言ってるだろ!」お父さんも怒り始めた。

すると裕江が綾乃の腕を掴んで「この娘預かるわ」

引っ張られて転んで強かに膝を打つ「痛っ」

「娘に何すんのよっ!」

お母さんが怒鳴って裕江に体当たりして突き飛ばし、綾乃を抱きかかえて父さんの後ろに隠して綾乃を庇うように立った。

「あんたら山へ行くならさっさと行って、私らに構わないで」お母さんが怒鳴りつける。

「うっせーっ! どけっ!」男がお母さんを突き飛ばし綾乃に手を伸ばす。

お父さんがその手を掴んで男ともみ合いになる。

男がお父さんの顔を殴った。

お父さんはよろけたが男に飛びかかる。

ふたりとも転がるが、若い男の方が先に立ち上がり、遅れて立ち上がろうとするお父さんの腹を蹴り上げた。

「ぐうぇ」呻いてお腹を押さえて転がるお父さん。

「こうなったら、お前ら生かしちゃおけねぇ」男はナイフを取り出し綾乃に向かってくる。

お母さんが綾乃を庇って前に立っている。

「どけっ、婆ぁ!」

怒鳴ってお母さんに蹴りを入れる。「きゃっ」悲鳴を上げてうずくまるお母さんを綾乃は抱きかかえる。

「何すんのよ、お母さんに」綾乃は怒りで自制心を失い男に向かってゆく。

男はにやついて「おぉかわいこちゃん、お前から殺してやる」ナイフを構えて綾乃に近づく。

「止めろっ!」お父さんが男に背後から体当たりしようと突っ込んでくるが体を交わされ、つんのめって床に突っ伏す。

その背中を男が力を込めて踏みつける。

「ぎゃっ」呻いてお父さんが腰を押さえる。

そして男が綾乃に近づきナイフを振り上げた。

お父さんが男の足を引っ張って転ばす。

「うっせー野郎だっ!」男はお父さんの頭を蹴り飛ばした。

「うわーっ!」お父さんが鼻血で口の周りが血だらけになり床に滴り落ちる。

男はまた綾乃に向けてナイフを振り上げる。

綾乃は殺されると思って目を瞑った。

その時、入口が開いて泥だらけの犬が入って来た。

物音にその方向を見る。綾乃は思わず「ゴッド助けて!」

叫ぶと犬が唸り声と共に男に飛びかかった。

「うわーっ、何だこの犬っ!」男は一瞬怯んだが、ナイフを突き出して身構える。

犬は低く唸り声を上げている。

男はナイフを左右に振って犬を追い払おうとして、しばしにらみ合いが続いた。

お父さんが「今だ、逃げよう」綾乃の手を引き、お母さんの方へ目をやって叫んだ。

三人が出口を目指して走る。

「あっこら、待てっ!」男も叫んで後を追おうとすると犬が唸り声を上げて飛びかかる。

ナイフを振って犬から逃れるのが精一杯で綾乃らは外へ出る。

「ゴッドおいで!」綾乃が叫ぶと、尻尾を一杯に振って駆けてきた。

そしてまた斜面を下る。

雨こそ降ってはいないが足下は枯葉も沢山落ちていて滑る。

「きゃっ」真っ先に綾乃が滑って転んだ。

お母さんもお父さんも滑って転んだ。

「待てこのやろーっ」カップルも斜面を下ってくる。

ゴッドが立ち止まって、カップルの方へ唸り声を上げながら走り出した。

それを見たカップルは慌てて斜面を上る。

ゴッドが裕江の尻に噛みついた。

「きゃーーーっ、痛ぁーい! 助けてぇー、まさふみぃー!」

男はどうしようか迷って、裕江を置いて逃げて行った。

「ゴッドおいでー!」綾乃が叫ぶと犬は裕江を離して斜面を駆け下りてきた。

犬が戻ってくるのを待って一緒に斜面を下る。女の叫ぶ声が徐々に遠ざかる。

「綾乃ちゃんが飼ってた犬なの?」お母さんに訊かれた。

「えぇ高校に入ったお祝いに買って貰ったの。ゴッドって名前つけたの」

ゴッドは綾乃のとこまできてしゃがんだ綾乃の顔をぺろぺろと舐めだした。

「あー今回はゴッドに助けられたな。札幌まで連れて行こう」お父さんがゴッドの頭を撫でる。

「えぇ、でも良くお前ここまで来れたわねぇ」綾乃はゴッドを沢山褒めて頭を撫でた。

お父さんは殴られて蹴られた上に鼻血がまだ止まっていないようだ。お母さんの肩を借りながら歩いているが鼻を押さえているタオルが赤くなってきている。

綾乃もゴッドと一緒に続く。

 

 

 清水警部は殺害された長沼のアパートで発見された郵便物や給与明細、パソコンのデータなどから、捜査対象者を洗い出し、刑事らに当たらせていた。

清水もその中の一部を担当し話を聞きに歩いた。

大学の同級生は「あいつは授業にはあまり出て無くて、遊んでばかりだったから俺との付き合いは無かった。あいつが仲間としてたのは、五人くらいいたかな? 卒業できたのはその中のふたりだけだった」

ほかの同級生も同じような話をしてくれた。

長沼を雇っていた飲食店の店長は「十日ほど前に、出勤したと思ったら『大きな金儲けの仕事が入ったから辞める』突然そう言って帰ってしまって、その後店は混むし大変だった。普段からそんなに働きが良かった訳じゃないがいないと困るから、ほんと腹立ったよ。金儲けだなんて言ってるから殺されるんだ。自業自得だな、ははっ」事情聴取に行った刑事に腹立たしそうにそう言ったらしい。

「その金儲けって何か訊きやしたか?」清水が訊くと「店長は、その金儲けの話を細かく聞かなかったし、そもそもそんなうまい話眉唾もんだと思ったらしい」その刑事は答えた。

「せやな、それが誘拐ということなんでっしゃろな」

「えぇ自分もそう思います。それで殺されてちゃ世話無いっすよね」

話をしていると大門山刑事が帰って来て「警部、パソコンに変な事記録されてました」そう言ってペーパーを一枚清水の机に置いた。

そこには、『……誘拐させてからまとめて小屋へ連れて行って、金を奪ってから殺る……』と書かれていた。

「どういうこっちゃろ?」さすがの清水も首を捻った。

「そのままの意味だと、誰かが綾乃を誘拐する。それを待ってからその誘拐犯ごと脅すか何かして小屋へ連れ込む。そして誘拐犯が奪った身代金を横取りしてから綾乃を殺す。そんな意味に取れますが……」大門山刑事が言う。

「ふーむ、せやなぁ……でもな疑問点があり過ぎやないか?」

「えぇ確かにおかしな計画です」

「それが本当に今回の事件に関係あるんでしょうか」話しに加わって来た刑事が言った。

「せやなぁ、それも一理やわ……まぁみんなこれ頭に置いて捜査たのんますわ」

 

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