第7話 豪雨

 地響きは次第に強くなって来た。

「あの音、……何?」綾乃は怖くなってきて訊いた。

「何だろう?」

お父さんもお母さんも分からないようだった。

程無く足元の水かさが増してきた。それでも足首まではなかった。

「足濡れるから少し高いとこ歩こうか」お父さんがそう言って水の流れていないところを選んで歩く。

突然滝のような激しい水音が聞こえてきた。

「鉄砲水だ。土手まで上がれ」叫んでお父さんは土手を上り始める。

お母さんも綾乃も続いた。

膝まで水が来たと思った瞬間、水流の勢いに足をすくわれ転倒し流される。

「きゃーーーっ!」

綾乃が悲鳴を上げるとお父さんが土手から駆け下りた勢いそのままに流水の中へ突っ込んできて、綾乃の手を掴んでそのまま土手の方へ引く。

お母さんも来てくれて綾乃が水から抜け出た瞬間、お父さんが転倒して、あっと言う間もなく水流に押し流される。

「お父さーん!」ふたりで必死に叫んでお父さんを追うけど、流れはどんどん速くなって姿が見えなくなっちゃう。

「うわーーーっ!」お父さんの悲鳴が一瞬聞こえた。そして滝のような雨音と激しい水流の音に掻き消されてしまった。

それでも綾乃も諦めずに「お父さーん!」叫びながら走り続けた。

雨の音と流れる水の音が激しい上、見通しも利かない。

――そんな、そんな、私を助けたばっかりにお父さんが流されちゃうなんて、そんなの嫌だ! ……

「やだ、やだ! お父さーん! わぁーーぁーーん!」 

泣きながら走った。つまずいて転んだ、でも走り続けた。

お母さんもお父さんと呼びながら走ってる。転んでもまた走ってる。

傘代わりのゴミ袋がじゃまで捨てた。

岩場に差し掛かった。人の大きさ位の岩もゴロゴロしている。

綾乃はどこかに引っかかっていないかと思って水際まで降りて目を凝らす。

お母さんも来て一緒に探す。

少し下って岩にしがみついてるお父さんを見つけた。

「お父さーん!」叫んで駆け寄る。

ぐったりしてて息をしてない。心臓も動いているのか、雨が激しく叩きつけてきて良く分からない。

「とにかく、土手へ上げましょう」

お母さんに言われて、片方ずつ腕を持って引くけど重たい。

頑張って、頑張って水から抜ける。

綾乃は学校で習ってた救命措置をしようと思った。迷ってる余裕はなかった。

「お母さん、私が心臓マッサージします。合図したら、お父さんの口から息を吹き込んで……」

それだけ言って、イチ、ニイ、……と大きな声で数えながら心臓の上あたりに両手を重ね体重をかけて押す。

三十を数え、「お母さんの番」

そう言ってお父さんの顎下に二本指を差し込んで持ち上げ、口を開き「さぁお母さん息をゆっくり吹き込んで! 私、お父さんの胸が膨らむの確認するから」

お母さんがおろおろしてるので、「じゃ、初め私やる。見てて」

綾乃は言うより早くお父さんの口から息を吹き入れながら、目で胸の動きを見る。

胸が膨らんだ。綾乃が止めると胸は元に戻る。三回やった。

そして心臓マッサージを始める。イチ、ニイ、……。

そう言いながらお母さんに目をやると、綾乃がやった通りにやろうとしている。

「お母さん、良いわよやって!」

叫ぶと、ふーっと息を入れる。……だが、胸が上がらない。

「お母さんダメ、胸が上がらない。もっと強く吹いて!」

また、ふーっと息を入れる。……今度は胸が膨らんだ。「出来てる。お母さん出来てる。あと二回だよ!」

……

どれだけ繰り返したか分からないけど、綾乃もお母さんも肩で息をしていた。汗か雨か分からないが身体は熱い。

「げほっげほっ」

お父さんが水を吐きながら咳込んだ。

「助かったぁ! お母さん、お父さん助かったわよー!」

嬉しくてお父さんの背中をさするお母さんに抱きついた。

ふたりでぼろぼろと泣いた。

「お父さん、お父さん、……、お父さん、……」

何回も叫んでいると、お父さんが目を開けた。

「あぁお前たち、無事だったか、良かった」お父さんの始めの一言は私たちを気遣う言葉だった。

ふたりでお父さんの胸で声を上げて泣いた。

いつの間にか雨は小降りになっていた。

お母さんがポケットからゴミ袋をだしてお父さんに掛ける。

もう下着までびしょびしょだからもう良いのにと思うが、これが愛情かなと思うとまた涙が零れた。

本当に優しくて相手を自分以上に大事に思ってる夫婦なんだなと感じる。自分もいつかこんな家庭を作れたら良いなぁと思った。

「お父さん、ごめんなさい。私が流されそうになったばかりにお父さんを危ない目に合わせてしまって、本当にごめんなさい。お母さんもごめんなさい、危なくお母さんの大事な人の命を奪っちゃうとこだった」

綾乃は心底そう思った。

――本当にごめんなさい。……

お母さんが何も言わずに黙って綾乃を抱きしめてくれた。それから、

「私たちは、お母さんとお父さんでしょう、娘を救うのは当然でしょう。それにお父さんを助けたのはあなたでしょう。違う?」

お母さんが笑って言った。

「あぁそうだ。綾乃ちゃんにお父さんと呼ばれた以上、お父さんは死んでも娘を守るよ。それに俺を生き返らせてくれたのは綾乃なんだろう。ありがとう」

お父さんも笑って言ってくれた。

「私も手伝いましたけどね」お母さんが拗ねたような顔をして言う。

「おぉそうか、ありがとさん」

「あらー何かその言い方軽いわね。ねぇ綾乃」お母さんに振られて綾乃はどっちの味方をしたら良いのか分からなくって、また声を出してお母さんの胸で泣いてしまった。

しばらく、お母さんの暖かさに包まれていた。

いつの間にか眠ってしまっていた……。

 

 気が付いたら周りが明るくなっていた。

お母さんは綾乃を抱いたまま寝ていた。そのお母さんを抱きしめるようにお父さんも眠っていた。

――こんな両親だったら幸せだろうなぁ。……

 

 お日様が南の空高く見えるころ三人は歩き出した。沢の水量はまだ多いが流れるせせらぎと言った感じの心地よい音を奏でている。

綾乃もふたりも服はどろどろ髪も靴も、全然乾いてないから気持ち悪い。

綾乃はお母さんと手を繋いでいた。

思えば不思議だ。綾乃を売り飛ばそうと誘拐しておきながら二人組から綾乃を命がけで守ったり、夕べのもそうだ、本当に人身売買するような悪人なんだろうか?

――二十歳そこそこの綾乃には人を見抜く力なんてないから、きっと……最後は、売られて、殺されて、なのかなぁ。……

「あっ小屋がある!」

お父さんが突然嬉しそうな叫び声を上げた。

確かに木々に隠れて屋根が見える。

 

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