第6話 山を歩く

 強い雨の降る山道を走り続けていた。

峠を越えたと思ってもまだまだ山は続いた。

夜になると一層雨は激しくなってフロントガラスから前を見通せなくなる。

「あなた大丈夫なの、一旦停まって雨が小降りになるの待った方が良いんじゃない?」お母さんは心配そうに言うが「大丈夫だ、早く山を抜けたいから……スピード落して走るからお前も寝てて良いぞ」

お父さんはハンドルを抱きかかえるように身を乗り出して前方を見ている。

ラジオは掛かっているけど雨音に掻き消され良く聞こえない。

ワイパーのきゅっきゅっと言う音がやけに大きく聞こえる。

国道でも走ってるなら綾乃も寝てしまうところだが、山道では身体が左右に揺られるし、何といっても道が悪いから細かく跳ねるし、時折ガタンと大きく振動することもあって起こされてしまう。

時計は深夜の零時を回ったところだった。

「あっやばい」お父さんが突然叫んだ。

「えっどうしたの?」その声にお母さんが飛び起きた。

「ガソリンのランプが点いた。後数キロしか走れない」お父さんが悲愴な声を出す。

「えーっ、……」綾乃とお母さんが合唱した。

「随分無駄に走っちゃったからなぁ……」お父さんがぼそりと言った。

「で、どうすんのよ。スタンドなんて何処にあるのか分からないわよ」お母さんの言葉がきつくなる。

「ナビで探せませんか?」

綾乃は言ってみた。

「そうね。探してみるわね」お母さんは言いながらナビの検索を使って調べ始める。

しばらくして「スタンドのマークあるけど十キロ先みたい」

そうこうしているうちに車が止まりそうになってお父さんが車を山側のなだらかな斜面に停めた。

「えっここで止まるの?」お母さんは心配そう。

「あぁ後は歩くしかないな。道を歩いて十キロだとすると、一キロ二十分掛かるとして三時間二十分か」

「お父さん、それって街中を歩くスピードでしょう。山ならもっと掛かるんじゃないの?」お母さんが心配して言った。

綾乃は覚悟して「五時間かかるとしても、明るくなるの待ってる間にスタンドまで行けちゃうし、歩きましょう」

出来るだけ明るく言った。

お母さんは反対のようだが、お父さんも「進んだほうが良いんじゃないかな」

それで決まった。

傘はないので車にあった透明のゴミ袋を被って上半身だけは濡れないようにして車を降りた。

持ち物は水とお菓子、後は寝る時とか何かに使えそうなものだけを手分けして持って歩き出した。

三十分ほど歩いていると、後ろからライトで照らされた。

「あっ車が来る!」綾乃が叫んで後ろを振返る。

ふたりとも振返った時には真っ暗。

「何処に車いた?」

訊かれたが答えようがなく「でも、ライトが……」ぼそぼそっと綾乃が言うと、山の陰から車のライトが出てきた。

「ほら、車のライトでしょ」

「あぁホントだ。助かったぁ」お父さんが叫ぶ。

懐中電灯をぐるぐる回して車に伝える。

車は近くで停まってくれた。

三人で駆け寄り運転席側に立つと、ウインドーが下がって、見えてきた顔に驚いた。

「逃げろーっ!」

お父さんが叫んで綾乃の手を引く。お母さんも慌てて走り出した。

「待てっ、このやろーっ!」運転していたのは兄貴だった。せいじを殺している殺人者でもある。

三人は道を走ると、兄貴が車を走らせてあっと言う間に近づく。

「斜面を下れ!」

お父さんが綾乃の手を引いたまま谷を下り始め、お母さんも続いた。

三人とも滑って転んで、お父さんと繋いだ手も離れてしまう。

「きゃーーーーっ!」

綾乃は悲鳴を上げて転びながら滑り降りる。

底まで滑り降りて振返ると兄貴は来ていないようだった。

「綾乃大丈夫?」お母さんが傍に来て綾乃の身体を点検するように見て言った。

「えぇ何とか、お母さんとお父さんは?」

手に擦り傷を三人とも作ったが、骨折などはしていなかった。

暗くて見えないが、服はどろどろのはずだった。

「仕方ない、このまま歩こう」お父さんが言う。

「方向分かるの?」心配そうにお母さん。

「分からんが、この沢を下るしかないだろう。なぁ綾乃どう思う?」

お父さんに初めて訊かれた。

綾乃だって良く分かってはいなかったがそれしか選択肢は無いと思って「はい、そう思います」と答えた。

沢には川のような水の流れは無かったが、雨脚の強さがちょろちょろとした流れを作っているようだった。

しばらくしてお母さんが「お父さん、ちょっと休みたい」

綾乃も「私も休みたい」

お母さんの様子を見ていたら足を痛そうにびっこを引き始めていた。

「しゃーないな」

なるべく雨の当たらない場所を探して土手のせり出した下の岩に三人で腰掛けた。

綾乃は傍から杖にできそうな木の枝を見つけ「お母さん、これ使ったら少しは楽かも」

「ありがとう、綾乃は優しいね」ずぶ濡れのゴミ袋を通してもお母さんが微笑んでくれたのが見えた。

「足、大丈夫ですか?」

「えぇ少し休んだら大丈夫よ。日頃から散歩で鍛えてるから」そう言ってまた微笑んだ。

「散歩なんて言ったって五分か十分しか歩かないのに何言ってんの」お父さんが笑顔で言った。

「ははは、ばれちゃったわね」

お母さんが言ってみんなで笑った。

水とお菓子を口にして歩き出した。雨はさらに強くなって豪雨と言った方が良いかもしれない。

けど、風がないだけ良かったと思った。

そして三十分後、綾乃の足が痛くなってきた。

膝もつけ根も「お母さん、足痛い」随分我慢したつもりだったが、もう限界と思って言ってしまった。

ふたりはすぐに寄ってきて「じゃ休もうか」と言ってくれた。

しばし休んだが痛みがとれなかった。

「ごめんなさい、足痛い。私を置いて先へ行っても良いですよ」

綾乃は心にも無いことを言ってしまう。

ここに置いて行かれたらきっと死んじゃうと思ったが、逃げているふたりの重荷になりたくも無かった。

「ばか、言うな。誘拐された人間置いて行ったらお父さん方は何しに来たのか分かんないじゃないか。死んでも綾乃は連れて行く」お父さんが力強く言ってくれた。

「えぇそうよ。あなたがいるから私たちがいるのよ」

お母さんの言葉に涙が零れ俯いてそっと拭う。

「さあ、乗れ」お父さんが屈んで背中を綾乃に向けた。

「えっそんな無理ですよこんな場所で……」

「綾乃、我儘言わないの、お父さんの言う通りにして」

なんかお母さんに怒られたような気がした。

「でも、私デブだから重いし……」綾乃がぶつぶつ言うと「大丈夫、ここ三日間まともに飯食ってないから軽くなってる」

思わず綾乃はくすくすと笑ってしまった。

「さぁ、さぁ」お父さんに急かされ「じゃ」そう言ってお父さんの背中にしがみついた。

暖かな背中だった。

「重たいでしょう?」

「いや、重たい。ははは」お父さんはそう冗談を言って笑わせてくれた。

嬉しくてしがみついた。

沢が終わって上り坂になった。水が溜まっている訳ではないので穴でもあって地下に流れ込んでいるんだろうと勝手に思っていた。

そこから上って下ってを繰返すようになってふと気付くと、始めに沢が途絶えた場所に出たような気がした。

「えっ」綾乃が声を出す。

「どうした?」お父さんに訊かれ「ここさっき通ったとこみたい」

綾乃は一旦背中から下ろしてもらい水の流れを確かめた。

やはり地面に水が潜り込んでいる場所があった。

「あぁ坂の下りと上りが混じると下ったつもりでも上ってることがあるんだよ。それに真っ暗でまっすぐ歩いているようでも周りの景色に左右されて円を描くように歩いてしまう事もあるんだ」

お父さんが説明してくれた。

「じゃどうすんの?」お母さんは心配そうに言う。

「じゃ、口紅で目の高さの枝に印付けて行きましょうか?」綾乃が言ってみた。

「まぁそれで同じとこに来たことは分かるが、問題はどうまっすぐ進むかだ」

「じゃ、今までお父さんが先頭だったけど、お母さんが先頭にとか、どっかで思い切って右か左に曲がるとか……」

「あっ、いつの間にか私、足痛くない。私が先頭歩きましょう」綾乃は思い切って言った。

「本当に大丈夫なの? 無理したらダメよ」お母さんが心配そうに言う。

半ば強引に綾乃は歩き出した。

見える範囲で前後の木の位置を確認しながら進んだ。

途中で大きく右へ曲がりたくなる場所に出た。上りの斜面が現れる度に右へ右へと傾いていたのだ。

「ここだわ、ここから左へ行きます」振向いて綾乃がそう言う。

……

「どうやら抜けたようだね」お父さんが声を掛けてきた。

綾乃は笑顔で「はい、良かった」と答えた。

しかし、雨は一向に弱くなる気配はない。

降りが激し過ぎて袋を被ってるから濡れないけど頭や肩が痛い、打たせ湯と言うより滝行だ。雨を痛いなんて感じたことは一度も無かった。

「きゃっ!」突然お母さんが悲鳴を上げた。

「どうした?」お父さんと綾乃がお母さんに目をやると、ビニールの袋が破れて本当に滝行しているようにさえ見えてしまう。

「良いわ。もう……」お母さんは袋を丸めてポケットに入れて歩き出した。

そしてまた沢を歩くことになった。水がちょろちょろ流れている。

しばらくその状態が続いて少し岩の目立つ場所まで来た時だった。

物凄い地響きが聞こえてきた。

 

 

 せっかく見つけた綾乃と誘拐犯ふたりを逃して男は地団太を踏んだ。

車を停めてスマホを出す。

「おう、山道で見つけたけど山の中に逃げられた」

「車で追っかけなかったのか?」電話の相手が言った。

「いや、奴らは徒歩だ」

「道から外れたのなら女よりお前の足の方がはやいだろうが」

「冗談じゃねぇ、俺は道のない山には入れないしすげー雨なんだぜ、熊だって出っかも知んねえのに行けるわけねーじゃん」

「ふふふ、軟弱もんだな。熊がなんだってんだ、しゃーないやつだ……で、金はどうした?」

「あぁ金は持ってる」

「ほう、それはこっちに持って来いや。お前は失敗したんだから金はやらん」

「何言ってんだ、少しはやったんだから貰うぜ」

「ダメだ、金は仕事の見返りだ!」

「うっせー、手間賃だ! ひとり殺っちまったし」

「ふふっ、それを俺は命じてない、お前が勝手にやったことだ。……だが、しゃーない百万だけやろう」

「おう、まぁ良いか。で、残りは?」

「そうよな、……そうだ札幌の倉庫知ってるべ、そこへ持って来い話を通しておく」

「おぅ、分かった札幌の倉庫だな」

「そうだ、お前はこれからどうすんだ?」

「俺は明日飛行機で帰る」

「ふーん、まぁ捕まんないようにな」

「あぁ、じゃぁな」

「あんなけちけちしねぇで金寄越せよなぁ」男はひとりごちりながら再び車を走らせる。

「せいじ何かと組むんじゃなかった。なんぼ女に飢えてるからって、……しかし、殺っちまったのは失敗だった。いずれは俺のこともサツにばれるだろうしなぁ。……」男はぶつぶつ言いながら妙案は無いかと考え続けた。

 

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