第5話 ニュース

 走り続けて夜が明けた。

綾乃はいつの間にか眠っていた。

外を見てはっと気が付いた「お父さん、方向が違ってる。北へ向かってる。お日様が右手から登ってるし、川の流れを見て! 川上へ向かってるでしょう。この奈犬振川は空知川に合流してその先に石狩川があるのよ。だから川下へ行かないとダメなの」

綾乃が言ってお父さんも気付いたみたい「あー、本当だやっぱりこのナビ壊れてるんだ。このまま行ったら大雪山へ行っちゃう」

「札幌は南西の方向だと思うんですよね。ここは、もしかするとまだ奈犬振村かも……ぐるぐる回ってたんじゃないかな?」

綾乃がそう言うとふたりは顔を見合わせて

「やっぱり俺たちには誘拐なんて無理だったんだ……」お父さんがしょげる。

「だから端から言ったでしょきちんと警察へ行って……」お母さんは言葉を途中で切って「でも、……」と続けた。

「でも、紗世の為なんだから諦めないで! お父さん」

綾乃は自分が誘拐されることがどうして紗世と言う娘さんのためになるんだろうと不思議に思った。

「あぁそうだったな。悪い、じゃどっかで左折だな……そう言えば警察へって言ったの俺だぞ」

そう言いながらお父さんがラジオを入れた。

お母さんは聞かなかったことにしようと決め込んだようだった。

綾乃の知らない洋楽が流れてきた。初めて聞く歌だけど、でも、誘拐されてから二日間、緊張しっぱなしの気持を和らげてくれるような気がした。

聴いていると薄っすら涙が滲んでくる。

 歌が終わってニュースの時間になった。

「……奈犬振村の山中の小屋の中で男性の遺体が発見されました。年齢は二十代から三十代前半で首に絞められた痕と後頭部に殴られた痕があったそうです。その小屋には血の付いた薪が放置されていたようですが、致命傷は首を絞められたことによる窒息死で、死亡推定時刻は今朝の五時から五時半の間と発表されています。

なお、この村では三日前誘拐事件が起きておりそれとの関係を捜査する一方、被害者の身元の特定を急ぐと発表されています。……では次のニュース……」

「私が殺したんじゃないのね」お母さんがポツリと言った。

「良かったじゃない、母さんじゃなかったってことは、兄貴がせいじを殺したってことだな」

お父さんが言う。

「じゃ、もう私たちを追っかける余裕なんてないですね」綾乃はひとまずほっとした。

 

 分かれ道が近づいてきた。

綾乃がナビを見るとやはり分かれ道が近い。ただ、方向が百八十度違ってる。

「お父さん、ナビが真逆ですね。方向って直せないんでしょうか?」

「北と南を入れ替えれば良いのね?」お母さんがナビの設定画面を見ながら言った。

「えぇそう言う事です」

しばらくの間お母さんが設定画面で操作を繰り返しやってる。

そして「出来たかな?」

綾乃がナビを見ると合ってそうだ。ナビも次の左へ伸びる道へ入れと言ってる。

車が曲がってしばらく走ると再び川が眼下に見えてくる。川の水が進行方向に流れている。

「あぁここ分かる。しばらく川沿いを走るのよ。良かった」綾乃は心からそう思った。

しかし、ホッとしたのもつかの間、大きなカーブを曲がって直線が少し続くところにパトカーが停まっていて、警官が赤い旗で止まれと言ってる。

「えっ、こんなところで……」お父さんもお母さんもその後は無言になった。

 

 警官のすぐ手前で停まり窓を開ける。

「お急ぎの所申し訳ありません。免許証を見せて頂けますか?」警官が職務質問を始めた。

お父さんが財布から差し出すと警官は受取ってメモを取っている。

「札幌の方なんですね」そう言って免許証を返してくれた。

「どちらへ行かれます?」警官は丁寧な言葉遣いで話しかけてくる。

「札幌へ帰る途中です」とお父さん。

「どちらへ行かれてたんですか?」

「大雪山を見に富良野から麓まで行って帰りがけ道間違えちゃって、この道で良いんですよね?」

綾乃は、警官に質問を返すなんてお父さんはなかなかのものだと思った。

「えぇちょっと山道ですけど、んーでも、後ろに分かれ道あったでしょう。あそこ曲がったと思うんだけど少し大雪山の方へ行ったところから曲がると国道に出れてそっちの方が早く札幌に着けると思うんだけど、まぁここまで来ちゃったらこのまま進んだほうが良いかな。隣は?」

お父さんが、えっと言う顔をして隣を見る。

「あぁこれね。妻です」

言い方が不自然だった。警官もそう感じたのか「後ろは?」と訊いてきた。

「娘です」お父さんが答える。

警官と目が合ったので綾乃は頷いた。

「お名前は?」と訊かれ、咄嗟に「紗世です」と綾乃は答えた。

「紗世さんね」警官はそう言ってお父さんに目をやる。

「えぇ次女です。札幌に長女の真世がいるんです」緊張してなのかお父さんが訊かれてもいないことを言った。

「ちょっと、トランク開けて貰って良いですか?」

警官はそう言って後ろへ回る。

お父さんは車を降りてトランクを開けた。警官はトランクに敷いてあるマットまで剥がして見ているようだ。

綾乃の場所からは良く見えないが、恐らく誘拐犯が持っているだろう身代金を探しているんじゃないかと思った。

そして「後部座席も見せて下さい」と言われ、綾乃は車から降りて椅子を倒して三列目を見やすくしてあげる。

警官は乗り込んで座席の下まで覗き込んだ。

目的の物が発見できなかったのだろう綾乃に礼を言って運転席側に戻った。

「最後に、若い娘さんの乗った車とかとすれ違いませんでしたか?」お父さんに訊いた。

「いえ、車とは全然すれ違ってません」

「ご協力ありがとうございました。では、お気をつけて行って下さい」

警官は丁寧にお辞儀をして、通してくれた。

「誘拐犯だと思ったのかな」綾乃が言う。

「恐らくそうだろう。でも、良く綾乃ちゃん嘘言ってくれたな、ありがとう。あの時はもうダメだと思って覚悟してたんだ」

「えぇ私も、道源綾乃ですって言うかと思った。どうして言わなかったの?」お母さんはじっと綾乃の目を見ている。

「だって、一緒に札幌へ行ってと頼まれたし……」綾乃はハッキリした答えを言えなかった。

――自分でも良く分かんなかった。咄嗟だったから。……

午後になって雲が出てきた。しだいに濃くなり夕方から雨が降って来た。

ずーっと山道で店はまったく無い。お腹も空いてきた。

 

 

 北海道警察の清水瑚都(しみず・こと)警部は道源綾乃誘拐事件の指揮を執っていた。

身代金を吊り橋へもっと来いと言われ、川に投げろと言われることも想定して捜査員を配備していたのにまんまとやられた。

吊り橋の上流の茂みの中から水中スクーターが発見され手口が概ね分かった。

仕掛けたGPSは、川を流れてきた現金を入れてあったはずの空バッグの中から発見された。

そして付近を捜索していて小屋を見つけその中で遺体を発見したのだった。

殴られた後で絞殺されたと思われた。

死亡推定時刻は三月二十九日、誘拐発生が二十六日だから三日後で身代金を奪われた翌日という事になる。

小屋には複数人が寝泊まりした痕跡があって、犯人は三名以上と報告されていた。

 小屋の前には二種類のタイヤ痕があったほか、吊り橋の近くの茂みの中にも同じタイヤ痕が発見された。

そしてそのタイヤ痕のひとつは山を登り、もう一つは下っている。

つまり、小屋で身代金を分けて二手に分かれて逃走したと思われるが、被害者がどうなったのかは不明のままだった。

小屋の付近に地面を掘り返したような痕跡は無かったので、どちらかの車に乗せられて行ったと考えたが、金を奪った以上、人質は足手まといになるから帰されていないという事は殺害される可能性が高いと言う事だ。

清水は殺害される前に発見したいと焦っていた。

 そこへ殺害された男が乗っていたと思われる車が、誘拐事件のあった日国道に設置されているNシステムに写し出されていたと報告がきた。誘拐事件の当日の昼頃だったので、その後何処かで時間を潰してから犯行に及んだと考えられた。

「札幌から富良野へ向かう国道で被害者が運転してますね。助手席にもうひとり男が乗ってます」

大門山龍太郎(おおとやま・りゅうたろう)刑事からそう報告を受けた。

「そおかぁ、車番は確認できとるんかいな?」清水が訊いた。

「はい、今確認中です」大門山刑事が答える。

「ほかに不審車はおらへんかったんかいな?」

「はい、国道は数が多過ぎるし、奈犬振村への道には監視カメラとかは一切ないので……」

「ほうか、しゃーないなぁ。検問は?」

「はい、やってますが、今のところ怪しい車はひっかかってません」

「もう三日目やないか、もう検問いらへんとちゃうか?」

「はい、課長からも今日一杯で止めるよう言われてます」

 

 夕方になって大門山刑事が捜査本部に駆け込んできた。

村には適当な設置場所がないので近隣の光別町(ひかりべつちょう)に本部はある。

車で三十分ほどの場所だ。

「警部、車の持ち主が分かりました。長沼青二郎(ながぬま・せいじろう)三十三才で、住所は札幌市になってます」

「よっしゃ、ほなら行くで」清水は腰を上げた。

札幌まで一時間ほど、全国的に有名なすすきの歓楽街のほど近くにそのアパートはあった。

大家を呼んで鍵を開けさせ鑑識が先に入り、清水が続いた。

部屋は八畳くらいのワンルームだ。

「汚いし、何か変な臭いしまんな」清水が言うと、大門山刑事が窓をガラッと開けて手で室内の空気を外へ追い出す様な仕草をする。

「そないなことしたかて臭い取れまへんで。それより室内捜索しとくれやす」

清水はマスクをして机の周辺を調べて行く。

現場でスマホが発見されていないため犯人に持ち去られたと思われるが、部屋に残っている可能性もあると考えていた。

「ねぇ、どなたはんかこのパソコン立ち上げてくれはらへんか?」

清水が言うと大門山刑事がさっときてパソコンを開いて電源を入れる。

「ちょっと待ってて下さい」

清水は大門山刑事の言葉を無視して、雑然としている引き出しに手を入れ一つひとつチェックしてゆく「クレジットカードの請求書に電話料金の請求書、……何か請求書ばっかりごちゃごちゃ入ってるけど払ってるんやろか?」ぶつぶつ言いながら見ていると給与明細が出てきた。

清水はそれを掲げて「この会社へ行って話を訊いてきとぉくれやす」

それを若い刑事に渡して清水はさらに引き出しの中を調べる。

郵便物や写真が出てきた。写真の中には彼女だろうか女性とのツーショットもある。

しかし、誘拐に結びつくような物を発見できなかった。

二時間ほど捜索し本部に戻った。

 

 捜査会議で、複数の証言として被害者が会社を乗っ取り金持ちになると豪語していたとの情報を得る。

「どう言うこっちゃろ? 誘拐で大金を手にするちゅうんだったら分かるんやけどなぁ……」

清水が言う。

「道源のやってる仕事を脅して乗っ取るってことでしょうか?」誰かが言った。

「そんな脅して仕事を盗るなんてあんな奴らには無理無理」と、ベテラン刑事。

「ほなら、共犯者は浮かんできぃへんのんか?」

「まだ特定には至っていません」大門山刑事が答える。

「ほな、そこ洗ってんか」清水がそう言って会議は終了した。

 

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