第1話 事件

 綾乃が二階の自室で引越の準備をしていると、ピンポーンとインターホンが来客を知らせている。

家政婦の天塩さんが応対してくれているはずなので作業を続けていた。

 お昼になってご飯を食べに一階に降りたら天塩さんが玄関の付近で大きな姿見の位置をあれこれ考えているところだった。

「それどうしたの?」綾乃が訊く。

「それが良く分からないんですが、先程配達されたんで旦那様に訊いたらこの辺に置けと言われたので……」

少しして天塩さんが置く場所を決めたようでお喋りをしながら釘打ちを始めた。

綾乃はその姿見のフレームの模様が何か花のような気がして眺めていた。

「なんか変な模様ねぇ、それゆりかな?」

「そうですね。フレームが黒色だから黒ゆりということになるんですかねぇ」

「そうよねぇ。だったら不気味よ。黒ゆりの花言葉は《呪い》とか《復讐》とか言う意味あるのよ。そんな模様の付いた姿見を送るなんて、お父さんに何か恨みでもある人が送って来たんじゃないのかしら」綾乃は真面目に心配した。

「あら、綾乃さんは花言葉をよくご存じで……」

「えぇ、元々花が好きで花言葉とかも随分調べたのよ。それで……」

綾乃は花屋に就職が決まっていて五月から札幌本店に来るよう手紙が来ていて、引越の準備もその為だった。

「そうなんですか、でも、どうしましょ?」

天塩さんが困り顔で言うので「でも、お父さんが置けと言うなら良いんじゃない」

綾乃が答えるのと同時に、ピンポーンとまたインターホンが鳴る。

「良いわ。私出る」

綾乃はそう言って玄関を開けた。

父の主治医の楠野正次郎(くすの・しょうじろう)先生と看護師の二木遥(にき・はるか)さんが立っていた。

村に唯一の診療所のお医者さんで月に一度父の薬の補充と触診をしに来ることになっている。

綾乃を取上げたのがそのふたりだと聞いていたので、顔を合わせるのが気恥ずかしくふたりを見たら思わず俯いてしまう。

「どうぞ、……」挨拶を交わし天塩さんに目をやると「旦那様は事務室においでです」

天塩さんがふたりを案内して事務室の方へ行った。

綾乃はダイニングへ行って天塩さんの用意してくれたお昼を食べて自室に戻った。

 

 もう直この部屋ともお別れかぁと思うと寂しい気持ちになるが、たまに帰ろうと思ったらそんなに遠くないし帰れるかと思い直して荷造りを始めた。

 本棚から持ってゆく本を選んでいるとアルバムが出てきた。

幼稚園から短大までのアルバムを持って行く積りだったが、ちょっと開いて見たくなる。

幼稚園には二年間通った。

今なら保育所と言った方が良いかもしれない。

村の人は老若男女みんな働いてるから学校に上がる前の子を預けないと仕事にならない。お爺ちゃんお婆ちゃんも畑に出たり牛の世話をしたりしてる。

綾乃もそう言う子供達の中に入って泥だらけになって遊んでいた懐かしい写真が一杯だ。

 小学校は学年によっては午前中で終わったり、二時までだったり色々で用事の有る子はすぐ帰るけど大抵は夕方までグランドで遊んでいる。

帰っても家族はみんな仕事してるから家には誰もいないし、畑に行ったら「只今」と言う前に仕事を言いつけられるから……。

大きい子が小さい子の面倒を見てくれたし、綾乃もそうしたから先生も親も何も言わないのだ。

 中学生のアルバムには好きだった先輩の写真を余白に貼り付けてある。

今となっては彼の名前すら思い出せないけど、好きだったと言う気持は今でも覚えている。

 高校生の時もそうだったけど、親は仕事であまり話し相手になってくれなかったので、家政婦の天塩さんに友達の悩みとか恋の悩みとか相談してたのを思い出す。

そうそう、それで天塩さんが「好きだったらラブレター書いて渡しなさい」って言ったんだった。

でも「そんなの恥ずかしいから出来ない」って言ったら、「じゃ諦めなさい」

結構冷たく言われたのよ。

それで思い切って手紙を渡したんだった。あれは高校三年生も三学期だったかな、相手は頭良くてバンドのドラマーやってて、バレー部とかサッカー部とか掛け持ちで……恋のライバルは沢山いた。

彼はしれっとして受取ってくれたけど、結局卒業式の時にも何も言われず終わってしまって……。

天塩さんにそう言ったら笑顔で「良かったわね。失恋出来て、これであなたも一人前よ」

綾乃は意味わかんなくって、多分不思議に思ってるって顔をしてたと思う。

天塩さんは何も言わなかったけどきっと「良い思い出になるわよ」って言いたかったんじゃないかな? 今ならそう思う。だって、本当に良い思い出だもん。

 短大は……と考えて思い出した。

明日、ひと月早い綾乃の誕生会やろって短大の友達が言ってたんだ。卒業したら東京へ行く人もいるからみんなが揃ううちにやろうって……。実質お別れ会なんだけどそう言っちゃうとなんか寂しいでしょう。

それで綾乃はケーキだけ買っとくと言って村に唯一のコンビニに予約してて今日取りに行くことになってたんだ。

綾乃は慌てて身支度して天塩さんに「誕生会のケーキ受け取りに行ってきまーす」

叫んで外へ出た。

今日も晴れてるんだろうけど霧が出ててお日様も電池の切れかけた懐中電灯みたいにしか見えない。

 

そんなだから気分もそんなにすっきり爽やかぁって感じじゃ無かったんだけど、とにかく歩いていたら、十分くらいして後ろから走ってくる人の足音が近づいてくるの。

振返ったら、黒っぽい影がふたつ近づいてくるのでびっくり、あの夢がそのまま現実になったようで足がすくんで動けなくなっちゃって、黙って通り過ぎるのを待ってたの。

「殺されるかもしれないと思うと怖い! でも、あれは夢っ!」綾乃は自身に言い聞かせる。

すれ違いざま、口に布を当てられ「えっ何っ!」

 

 気が付いたら目隠しされてて、何も見えないけど車に乗せられてるみたい。後部座席だろう席に座らされてる気がする。

外そうとしたら手も縛られてて動かせなかった。

「静かにしてて。スマホは預かったから」

女の低い声がして頬に冷たい金属のようなもの触れた。

――ナイフ? ……

背筋が凍った。

「誰です?」震える声でそう訊いたの。

「騒がなければ傷付けないから、綾乃さん」

「私を知ってる人? 村の人? まさかみんな仕事してるはず……誰?」

綾乃が訊いた。

「おい、後ろから変な車が付いて来る」

今度は男の声。前から聞こえる。運転してる人?

「気にし過ぎじゃないの?」

女の声が答えた。

車が曲がると急にがたがた揺れだした。

――山道へ入ったのね。……

「いや、尾いて来る」

「助けて! 家に帰して!」綾乃は怖くて泣きながら訴える。

「黙って」女のひとが冷たく言って頬にナイフだろうか冷たいものがまた当てられた。

――ヒッ殺される。……

綾乃は膝を抱えて身体を小さくして泣いた。

その後も車はぴったり尾いてくるようだった。

「ダメだ。何度分かれ道を通ってもこっちの進む通りに尾けてくる」

「パトカーとかじゃないでしょうね」女の声がちょっと怯えているように聞こえた。

「まさか、まだ誘拐したって言ってもないのに分かるはずないだろう」

「えっ私誘拐されたんですか?」綾乃は思わず訊いてしまった。

「ふふふ、ばかねぇ、誘拐じゃなくって、目隠しされ手を縛られて何だと思ったのかしら?」

言われてみたら確かにそうだ「あっあぁそうですね。誘拐された経験ないもんだから……」

綾乃が泣きながらそう言った途端に空気が一瞬凍った。

――えっ何? どうした? ……なんだろう? ……

綾乃は心の中で何か妙な違和感を感じた。

「ばかねぇ何度も誘拐される人なんているわけないでしょう」少し間があって女の声が言った。

どこをどう走ったのか同じ道をぐるぐる走ってるような気もするし、何時間経ったのか知らないけど車が停まった。

「後ろの車を先に行かせるわ」男の声が言う。

ところが、ザザザッ目の前で車が停まる音がしてバタンバタンとドアの閉まる音。

「おい、降りてこい」ふたりの男の怒鳴り声が運転席と後部座席の車外から聞こえた。

ガンガンと何かで車を叩いている。

――何? 何? なんなの? 私の事呼んでる? ……

 

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