黒ゆりの鏡映
きよのしひろ
プロローグ
霧の濃い月も見えない闇夜に道源綾乃(どうげん・あやの)は、殺されるかも知れない恐怖から逃れようと髪を振り乱し素足のまま必死に走っている。追手の姿は見えないが空中に目も鼻も口も無い真っ白い顔がふたつ浮かんでいて、その顔とともに足音がどんどん近づいてくる。
ここは牧草地みたいだけど何処か分からない。
「助けてーっ!」
幾ら叫んでもなんら応答はない。
どんどん白い顔が近づいて影が綾乃を覆い肩を掴まれる
「キャーーーッ!」
鋭い悲鳴にはっと目が覚めた。
掛布団から目だけ出して辺りを伺う。視界に入いるのは、薄暗い部屋にオレンジ色の豆電球が僅かに辺りを照らす光景。
薄っすらと汗を掻いて肩で息をしている自分に気付く。
じっと何が起きたのか考えて……あぁ夢だ。
「ふふふ、まただわ、いやんなっちゃうなぁ」
綾乃は呟いた。久しぶりに見た夢だった。
ふーっと息を吐き出すといつの間にか瞼が閉じられ意識が身体ら抜け出して行った。
薄っすらと霧に包まれた花畑に綾乃は立っている。遠くに男の人と女の人ともうひとり誰かが立っていておいでおいでをしている。
綾乃は何故か急いで行かなくっちゃと思って走る。
でも、なかなか近づけない。顔はぼーっとしてて良く見えないし……
走ってるのにだんだん遠ざかる気がして「待ってーっ! 置いてかないでーっ!」
叫んでも聞こえていないのか遠のいてゆく。
汗も一杯掻いて息も切れて、それでも走り続けていると、突然足下が崩れて真っ暗な底の見えない穴に落ちてゆく。
「キャーーーッ!」
悲鳴を上げると目が覚めて……あれは誰だったんだろうってじっくり考えても顔を見てないから分からない。
心臓の音が聞こえるほどドキドキしている。
札幌の女子寮に入って短大に通ってた二年間はそんな夢を見なかった。すっかり忘れてて、もう見ないのかと思ったらまただった。
いつからだろう、変な夢を見るようになってしまったのは……
そうよ、小学校五年生の頃よ、見始めたらしょっちゅう見るようになってしまったのよ。
「私祟られてるんだろうか?」友達にも話したことあるけど「夢は夢でしかない」そう言われたらお仕舞よねぇ。
あっあと金縛りにも良く合ったのよねぇ。誰かが部屋に入ってきた感じがして、「誰?」って言おうとしたら声が出ないのよ。だから起き上がろうとするんだけど、手も足も頭も動かせないの。
そのうち、足に何か重さを感じるんだけど、……目だけ動かして見ても何も無いの。
怖くて必死に叫んで汗びっしょりになって動こうとするんだけどダメで、だんだん何かが身体の上の方にきて首を掴まれる感触があって悲鳴を上げたら目が覚めるの。
そんなのが高校に入っても続いてたなぁ。
綾乃が住んでいるのは、北海道の大雪山系にある旭岳の南側一体に広がる山地の中に位置する奈犬振村(ないぬふりむら)。
その村の中央には、石狩川の二次支川に当たる奈犬振川が流れていて、川を挟むように農牧を営む百軒ほどの村人が住んでいる。でも過疎が進んで人は少なくなる一方なの、だって若い人は札幌へ行っちゃうし、お爺ちゃんお婆ちゃんは毎年決まってるかのようにぽつりぽつりと亡くなってしまう。
その川と村道の交差するところに奈犬振橋が架かっていて、そこから上り坂を数百メートル進んだ高台に道源邸はある。その邸の裏山を三十分ほど登って頂きに着くとそこは雄大な大雪山系を望むこともできる自慢の場所。
周囲を高い塀で囲われた中世の洋風の城をイメージした屋敷には主人の道源廣輔(どうげん・ひろすけ)と妻の泰子(やすこ)と娘の綾乃(あやの)の三人家族の他「おじさん」と綾乃が呼んでいる山脇勝郎(やまわき・かつろう)も一緒に住んでいる。
この山脇がどういうひとなのか誰も教えてくれないので綾乃にとったら気味悪い存在だったわ。
家が広すぎるので天塩景子(てしお・けいこ)と言う家政婦さんが住み込みで家事を熟している。天塩さんは綾乃が物心ついた頃には家にいてもう還暦を迎える。母親の仕事が忙しくって余り構って貰えなかったので、いつも天塩さんに遊んでもらってたのを思い出す。
二階には綾乃の部屋以外にも七つも部屋があって小さい頃には友達と探検しに行ったことがある。ホテルのスイートルームみたいな広い部屋に家具が置いてあるけど、何か寂し気な不気味な感じがしてた。
たまにお客様が泊まったりするので用意したと父親は言ってたけど、実際はめったに泊る人なんていなかったわ。
家の中は全体的に薄暗く、特に夜は野生動物の鳴き声とかも聞こえてちょっと薄気味悪い。
それに高校生になってから気付いたんだけど、夜ベッドに入ってしばらくすると天井で物音がするのよ、ギィギィってね。
毎日じゃないんだけど天井裏を歩き回ってるようなの。
気味悪いってお母さんに言ったら、「この屋敷古いから鼠が住んでるのよ」って笑うのよ。
でも、夜中にトイレに起きて部屋を出たら、階段の方に誰かいた気がして「誰?」って声をかけて行ってみたら誰もいないのよ。
それに天井から誰かに見られてるような気のすることもあるの。
――私は、絶対にあれは山脇のおじさんだと思ってるの。もう還暦の年だっていうのに奥さんいないし、よそん家なのに自分の家みたいにしょっちゅう泊ってるなんて可笑しいわよねぇ。……
気持ち悪くてお母さんに「この家引っ越さない?」って聞いたことあるけど、「なぁにバカな事言ってんの」
笑って相手にしてくれなかったわ。
確かに、この家は大き過ぎるくらい大きいのよ。
一階にはお父さんがやってるネット商売の事務室があって、山脇おじさんとお母さんの三人が出入りしてるけど、綾乃には絶対入るなって言うのよ。
でもね、入るなって言われたら入りたくなるわよねぇ。
中学の時そのドアを開けた瞬間「綾乃 入るなっ!」って怒られちゃって……きっと監視カメラが付いてるんじゃないかな。以来、怖いから行かないようにしてるの。
そうそう、おじさんは札幌に倉庫を持っててお父さんがネットで買ったものはそこで保管して、買い手が見つかったら送るそうよ。
それで、おじさんのお部屋が二階にあるのよ、なんか部屋が近くて嫌だった……。
それにいつも綾乃を監視してるみたいな目で見るのよ、物心ついたときからそう感じてた。
小学校の四、五年生にもなったら自分の部屋に親でも勝手に入って来たら嫌でしょう。それなのに、山脇おじさんはノックもしないで突然入ってくるのよ。綾乃が着替えしてるかもしれないのにさ。
「おじさん、勝手に入って来ないでっ!」何回も綾乃は怒ったのに、全然気にしてないのかわざとなのか平気な顔して入ってくるから、このおじさん頭おかしいんじゃないかと真剣に考えたわ。
さらに高校生になったら妙にいやらしい目で見られてる気もするから、お風呂入ったらジャージ着てから脱衣所を出るようにしたし、お母さんに何回も言って部屋に鍵もつけて貰ったわ。
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