Part2

 誘われたその瞬間は、気を紛らわせるのに打ってつけだと感じたものだが、朝食を摂って出掛ける用意をしたら、もうすぐ家を出ないといけないのだ、そう思うと、いつも面倒になる。仮令たとえその相手が想い人であっても、誰でも、家を出る直前には足が止まる。目の前に置かれた鞄を見て、すぐに手に提げればいいものを、その前にしばし佇んで、無為に時間を浪費したりする。靴を履こうとして地面にうずくまり、そのままじっとするだけの時間。何の生産性もない、すきま。しかしその後ろ髪を引かれる億劫さも、駅に到着するまでのどこかで霧散し、わたしはふと気づくと、いつものように、自分の顔に、作り笑顔を貼り付けていた。外出するときはいつもこうだ。きっと、その行為には、心の充電が必要なのだと思う。作り笑顔を貼り付けるのにはカロリーだけではなくて、蓄えられた余裕が必要で、それを消費しながら、あるいは充電しながら、日々わたしは、生きているのだと思う。だから、外出に備えて、鞄を手に持つにも、玄関で靴を履くにも、行為そのものが、がんらい求める分だけの時間に加えて、余計に手間をとらなくてはならない。

「いたいた。寒いね」

「うん」

「その手袋、どこで買ったの? おしゃれ」

「自分で編んだ」

「いいね。編み物できるの?」

「うん」

 シオンはまだ何か言いたそうに口を開きかけた。わたしはその様子を視界の端で捉えたが、なにもしなかった。会話をするのが、だるかった。どうしてこうも、言葉を使うということを、気軽にできてしまうのか。自分の口からなにか思いがけないこと、誰かを傷つけてしまうような言葉、それから、自分の身を滅ぼすような言葉、どうしても、わたしは慎重になってしまう。口の軽くて、よく話す人には、蔑む感じと憧れの感じ、劣等感と優越感、そういうアンビヴァレントがわたしのなかで竜巻のように吹き荒ぶ。それはもう、それ以外のことを何も考えられなくなるくらいに、強烈に。ひとつの言葉に、わたしは手縄をつけられる如く、支配されているような感覚がする一方、その人の発する言葉に囚われて心を逍遥させる時間は、時間の過ぎていく感覚から逃れているような錯覚をもたらしてくれるので、やはり不思議な感覚がする。まとまらない思考をいつまでも続ける快感。シオンの半歩後ろを、ついていくだけ。世間では、時間は確かに過ぎていくのだろうが、わたしのこころは、意味のない言葉に引っ掛かって、渓流の大きな岩の影のような場所に、じっと留まっている。目の前には怒濤が流れている。

「前に言ってたさ、喫茶店なんだけど」

「うん」

「ごめん、きょう定休日だった。不定休だし、月に一回ぐらいしか店閉まらないから、大丈夫だと思ってたんだけどさ。さっきちょっと見に行ったら、シャッター下りてた。ほんと申し訳ないんだけど、別のところでもいい? そっちも美味しいし、面白いものがあるから。たぶん、ケイも気に入ってくれると思うんだけど」

「うん」

 別にどこだっていい、という言葉は頭の中で思うだけにして、呑み込んだ。そういう軽薄な発言が――言葉選びだとか、ふとした拍子に漏れた言葉によって失敗した経験があって、それが尾を引いてわたしの行動規範に刻まれているわけでもなく、単に、それが成功したためしがないから、いつもわたしは、言葉を吞み込んでいる。しかし、気に入るとはどういうことだろうか。前にシオンと入った喫茶店は、個人で営んでいるらしいお店で、このコーヒー豆にこだわっている、ミルクはこういうもので、すべてオーガニック、みたいな謳い文句が氾濫していて、わたしは、圧倒された。そういう宣伝をして店の中に客を引き込んでは、さらに店の中では、張り紙や店主の言葉に気圧されて、わたしはシオンに勧められるままに選んだコーヒーを、なるべく舌の上に乗せないようにしながら飲み下した記憶がある。口で息を吸い、吐き、なるべく香りを遮断していた。あのときは、せめて目のまえに出されたコーヒーを精いっぱい楽しもう、そう努める気もしなかった。その理由がなんだったのか。思い返そうとしたが、そうして五感を使おうとしていなかったからだろう、わたしがあのとき何を考えていたのか、その理由は記憶の何処にうずもれているのか、掘り返すためのしるしとなるようなものさえなく、わたしは早々に想起の作業を諦めた。


 歩いて十分、とシオンが言って、わたしは思わず、じゅっぷん、と、発せられた言葉の意味を理解する前に繰り返した。

「ちょっと遠い?」

「大丈夫」

「ならよかった。疲れたら言ってね。カフェなんてどこでもあるし」

 わたしは頷いて、今度は頭の中で「十分」と反芻した。たったのそれだけしかないのか。わずか六百秒。わたしなら、いくらでも歩くことができる。一時間でも、二時間でも、それ以上でも、音を上げるまで歩いてみたいと思う。疲れ果て、もうこれ以上、脚を持ち上げられない、どこにも行けやしない、と絶望するまで、歩いてみたいと思う。復路のことなど気にも留めず、気の向くままにあちらこちらへ、家や、知り合いの家など見当たらず、帰宅するための余蘊なくし、街灯にも照らされない雪の下に独り、わたしの息をうずめたいと思う。だがどうしても、どこかで折り返さなくてはならないのだと知っている。やるせない。

「好きな人とはどうなの? 最近」

「別に」

「何も進展なしってこと?」

「うん」

 生返事をしているだけのつもりだったが、雲を網で捕まえようとするようなよしなき考え事、そこに「好きな人」が混ざってきて、搔き乱してくる。

「まぁ、そんなもんだよね。焦っちゃだめだよ、追いかけてばっかりになるから。恋愛ってのは駆け引きが大事だからね、追いかけさせるために我慢しないといけないときもある」

「うん」

 シオンはわたしの懊悩おうのうを何も理解していない、と感じる。理解しようとする姿勢さえ見せてくれない。そういうところが、シオンが想い人にならない理由なのかもしれないと思った。わたしのこと、わたしが何を考えているか、何を望んでいるか、何が嫌いで何が好きか、そうしたことに想いを馳せてくれる人を、わたしも同じように、想うのかもしれない。駆け引き。そんなの、している余裕はない。想い人に対して駆け引きなんてしているような人は、人を愛することなんて出来やしない。違う人の影を見せるとか、連絡をちょっとの間だけ絶ってみるとか、人を愛することには、まったく不要。だから、わたしの想い人から、今こうして、連絡がない状態が続いていると、どうしても、内心が穏やかでなくなる。嵐を必死で鎮めようとするのだけれど、「桶屋が儲かる」のような、なんということはない文言を見るだけでこころに強風がひとつ吹いて、それを端緒に、ごうごうと恋の竜巻がこちらに迫ってきて、ぐちゃぐちゃに荒らしてくる。かぎ針を持った手が止まり、ひとつの編み目が気になり始めれば、それが竜巻の前兆。街中で見かけた看板の、文字の形状がふと気になれば、それも竜巻の前兆。気づくと、既にわたしは竜巻の渦中に居て、わたしは嫌われたのか、わたしは何か気に障ることをしてしまったのだろうか、連絡をよこさないのは向こうが駆け引きをしているつもりなのか、それであればよいのだが、万が一にでも、命の危機にでもあるとしたら、わたしは一刻も早く、もう一通、手紙を認めるべきではないのか、安否を確認するべきではないか、しかしそれはあくまで万が一、しつこいと思われて距離を置かれるようでは悪手、それではわたしにできることは何もないのか、想い人にくびきをかけられたのか、もしくは、何の気もないのであればわたしがどれだけ心惑わせても取越し苦労、しかし、ただ待つというのはとても我慢できるものではない、一方で手紙を書くのが好い場合というのは非常に限られているのだから、やはり出来ることはない、ただ思うだけ、それが地獄なのだ、などと、いつも同じ恋の竜巻に、この数日のあいだ、わたしのこころは為す術なく、胃の中に何もなくなっても酔えば嘔吐えずくように、破壊される心象が最早すべて失われても、何度でもひととおり荒らされていく。こころの水面には浪が立ち、胸のなかで砕け、わたしを内側からいて揺らす。そして、竜巻が已んだあとは、地面から芽が吹くように、希望の光が一筋かぎり、差し込んでくる。それは、わたしがシオンやほかのさまざまな人に対して思っているのと同じように、こちらから積極的に連絡をしたいわけではないが、それは嫌っているのと同義ではない、という、一見すると当然の帰結である。しかし、その一筋に縋り始めると、途端に、きっとそうだ、そうに違いないと希望的観測が優勢になって、取り囲まれた、蟻の行列のように、一心に群がり光の先を覗こうとするものなので、蜘蛛の糸は切れてしまって、わたしは、こころの水面に落下し、叩きつけられるのである。竜巻がやってくること、蜘蛛の糸の頼りのないこと、それらが分かっていても、いつも同じことを繰り返して、何度も荒野に投げ飛ばされるような、あるいはそれ以上の、新しい火山島が溶岩を吹きだし、一掃された土地に独りで留め置かれる繰り返し、その度に、恋慕とはこれほど過酷なものなのか、と思い知らされる。ではなぜこの慕情は已まないのだろうか、わたしは着古して毛玉だらけになったセーターのようなでこぼこの肌で覆われているというのに、竜巻によって、わたしの内側も荒れに荒れて、どうにも抗う手段はないのだろうか。しかし、考えるよりも先に、というよりもわたしが思考を繰り広げている次元よりも高いところから、逢いたいだとか、言葉を貰いたいという望みが与えられるように思う。電気信号を直接、脳に入力されるような独特の感覚があるとするならば、まさにそれだと思う。避けようと試みても避けることの叶わない、この天災に苛まれ、過ぎ去るのを待ち、また訪れるのを待つだけの歯痒さをもたらす情念もまた、その感覚に似たものをわたしに体験させる。


「やっぱり、元気ない? 体調悪いとかじゃない?」

 わたしは首を横に振った。歩いていると、いくらでも考え事ができるが、腰を据えてしまうと、どうしても、その流れも澱んでしまうように感じる。私は背凭れに体重を預けない癖がついている。誰と出掛けても、どこに行くとしても。いつでも、すぐに立ち上がれるような姿勢をとっているように思う。それは考え事を始めるために備えているといったわけではなく、どこかに焦りがあるのではないか、という要因かもしれない。落ち着く、というのがいったいどういった感覚なのか分からず、この国に住む人は、たとえば授業が終わったあとにはコーヒーを飲み、ケーキを食べる、その時間を友人と分かち合う、そういう文化というか、習慣がある。卓上にキャンドルを置き、静かに立ち上がる小さな炎、みんな、なんとなくの暗黙の了解があって、それを吹き消すようないたずら小僧もどこにも居らず、小さな炎が柱のようにその居心地を支えているという場合もある。どんな飲食店にもキャンドルが置いてある。それが視界に入ると、わたしは毎度、自分が歓迎されていないような気分になる。街行く人はたいてい、わたしが道を尋ねれば笑顔で教えてくれる。それは、彼らの信教によるものではないだろうか。だから、わたしという弱者をあわれむのではないだろうか。道を教えるのは向こうの都合であり勝手、わたしを生かすも殺すも自由、けれども決まって、誰も彼もがわたしを生かしてくれる。誰も炎を吹き消すことはない。わたしの考え方が捻くれている、というのは部分的にはそうだろう。わたしは常に神経をぴんと張り詰めていて、それで自分の首を絞めているのだ。自分でも、ばかだ、愚かだと思うことはあるのだけれど、その緊張の糸をわたしの手で切ってしまうことはできないと諦めてしまっている。切ったら、それはつまり、わたしの命のまるごとが御仕舞なのだ。

 青く塗られた壁に、白いペンでたくさんの落書きがされている。しかし、落書き、と思ったのは束の間、駅の掲示板に誰かとの待ち合わせの時間を書きくように、みな思い思いの「メッセージ」を残しているらしい。この国の言葉が半分くらい、あとは近隣の、文法や単語が似ていて通じなくもない、かといって方言として片付けることもできないような言語たち。ありがとう、とか、美味しかったよ、とか通り一遍の感謝の言葉、それから、自分の名前であったり、どこから持ってきたのか、別の色のペンで知らない国旗が描かれていたりする。あとは、決まって、日付が書いてある。ペン先が丸いからか、書かれている言葉も、不思議と、すべてが柔らかい言葉遣いをしているように見えた。ただ、その柔らかさが、わたしには鬱陶しく、厭らしいものだと感じられた。目の前に置かれてほとんど口をつけていないブラックコーヒーの液面と、ロールケーキの真ん中、クリームの塊の部分を交互に見やった。わたしは、壁を見た瞬間に、大きな声援を背中に受けながら運動場のトラックを走って周る過去のわたしを思い出したような気がした。実際にはそんな経験はなかったかもしれない。外へ外へと、背後から押し込まれる、排斥される苦しさが胸に去来した。どこへ向かって走るわけでもないのに、背中を押される過酷。コーヒーもクリームも、わたしを癒すことはなかった。

「日照時間が短い国は自殺率が高いんだよ」

 シオンが、なんの脈絡もなく口にした。シオンの手元にあるコーヒーは半分ほど減っていて、シフォンケーキは食べかすだけが真っ白な皿の上に載っている。わたしは、自分の手元にあるものから、そちらの食事へと、視線を送った。それから、机の上にある、小さな炎。確かに燃えているが、わたしがふうっとため息のひとつでも吐けば、その巻き添えになって尽きてしまうかもしれないくらい、小さな炎。

「ね、知ってた? だからさ、この国も幸福度ランキングで上位とか言われてるけど、こんだけ高緯度だとやっぱり、自殺する人の数って多いんだよ。北の方に行けば尚更でさ」

 わたしは、自分のことを言われているのだろうな、と悟っていた。それが勘違いではない、という確信があった。実際、自分は二時間をかけて首都まで南にやってきたのだ。北方では雪が延々と路傍に残っているのに、こちらは既に、春の兆しが感じられる。雲に覆われた空は、南に進むにつれて、少しずつ晴れていっていた。それは別に、快い感覚をわたしに与えたわけでもなかったが。

「つまりどういうことかっていうとさ、自分の考えでは、自殺しちゃう人が多いから福祉が充実するようになって、結果として最大多数の最大幸福、っていうのがあるじゃん、あれの実現に漸近してるけど、そういう人たちが感じてる、いや、ほんとは自覚してないんだろうけど、幸せの割りを食ってるのが、自殺する人たちなんだと思っててさ」

 そこで一度、シオンは言葉を区切った。わたしはシオンが話しているあいだ、ただの一度も顔を上げなかったし、頷きもせず、話を聞いている素振りも見せなかったと思う。

「ケイは、なぜ『死にたい』って言うんですか?」

 シオンの言葉は、突然、畏まった感じになった。もちろん、シオンもわたしも第二言語でやりとりをしているわけだから、母国語ほど滑らかに言葉を紡ぐということは難しいのだけれど、わたしにくらべるとシオンはずっと、憧れや嫉妬も届かないくらいに、すらすらと話すことができる。それにもかかわらず、教科書の中の登場人物のような喋り方をしたものだから、わたしは思わず、驚いて、反射的に顔を上げた。そこで今日はじめて、シオンの顔を、表情を直視したような気がした。真面目くさった顔。鉄道でラップトップを開いて画面と向き合っているような顔。シオンの目に、わたしの顔はどんな風に映っているのだろうか、などと気になった。それから、わたしはやはり、逃げるようにして、卓上のキャンドルに目をやった。壁に沿って置かれたテーブルの端で、真っ青な壁を照らしていた。照らされても、青色はじゃっかん明るくなるだけだった。

「生きたくないと思うから。」

 わたしは、しばらく考えてから答えた。手紙のなかで希死念慮を打ち明けることもあったし、こうして二人でどこかに出かけるときに、死にたい、と言ったこともあった。しかし、どんなときでも、「死にたい」の裏には深い理由は見当たらず——深すぎて、底が見えなくて、考えても考えても、泥沼に飲み込まれていくような気分になる。本当は、死にたくない。できることなら、希望をもって生きていたい。でも、それができない。できないことが、もどかしい。生きたいと思えないから、死にたい。もっと、ずっと複雑ななにかがあると分かっているのに、誰かに頼るための言葉も——自分を納得させる理由すらも見つけられていない。わたしの子どものような言い訳は、シオンを納得させたり、黙らせるために言ったわけでもなく、思いついて、拾ったものをまじまじと眺めてみる時間があるように、「生きたくない」という言葉を浅いところから掬ってきたのだった。シオンは、蟀谷こめかみを爪でぽりぽりと掻いてから、うなじに手を置いた。

「そうじゃなくて、うーん。どういう理由で言うのか、って、過去のことでしょ? そうじゃなくてさ、何を求めて、何のために『死にたい』って言うのか、気になって。別にカウンセラーとかじゃないから、気分を害したらごめん」

「うん」

 わたしはようやく、コーヒーを口にした。とっくのうに、室温まで冷めていた。味はよく分からない。香りも立っておらず、すでに空中に霧散してしまったようだった。

「わたしが死んだときに、誰にも悲しんでほしくないから。」

「それは、なんでそう思うようになったの?」

 シオンも叮嚀ていねいに言葉を選んでいると感じられて、少しだけ、好感を持てた、気がした。けれども、質問など何も、わたしに投げかけてほしくはなかった。わたしに、何かの答えを求めてほしくはなかった。ものを尋ねられたら、ずんと口を塞いでいるわけにはいかない。口を開けば、自分から発せられる言葉に引っ張られて、別のところ、目的地の定まったどこかへと、わたしの思考が向かっていくような気がして、厭になる。わたしはどこにも行きたくない。ここを離れたいといつも念じながら、けれども、どこにも行きたくない、とも思う。

「人が死んだら、その人の友達とか、家族とか、恋人は、悲しむ。」

 考えを声に出すたびに、わたしのなかの「なにか」が固まっていくような気がして、後戻りはできないのだろうな、と怖くなった。言葉がわたしの身体の関節にこびりついていって、誰かの働きかけに応じてしか身動きがとれなくなっていくようで、このまま人形になってしまうのではないかとさえ思った。

「っていうのが一般的なんだよね? わたしは、家族が死んだときとか、知ってる人が死んだとき、ペットが死んだときも、悲しい、とは思わなかった。」

 思えなかった。訂正しようとしても、口をいて出ることはなかった。わたしは、悲しい、という感情——いろいろな人が使う「悲しい」という言葉の意味と、わたしが感じていることを一致させようとしたけれど、そこにはどうしても、わたしと世間がどのように譲り合っても、埋まることのない溝があった。悲しさを感じようとした。けれども、できなかった。人が死ぬことと、目のまえのコーヒーが飲み干されていくことと、何が違うのだろう。どうして、コーヒーが喪われることに、シオンは悲しむ様子を微塵も見せないのだろう。どうしてわたしの目からは、涙がこぼれないのだろう。

「愛着がないわけではない、と思う。」

「うん。ケイは好きな人がいるんだから、それはそうだよ」

 想い人は死んだものだと仮定すればいい、と言ってくれたのもシオンだった。連絡が返ってこないのならば、死んだものだと決めつけて、そうすれば、喪った存在が甦ることはない、だからいつか、諦めがつく、と。デリカシーがないと思った。そんなに人を簡単に、好きになったり、死んだと思い込んだりできるものなのだろうか。わたしにとって、世間とは、シオンの言葉そのものだ。

「わたしは、喪うことの悲しさが、想像するしかない。」

 胸にぽっかりと穴が空くような感覚。生活に張り合いがなくなる。あの人が生きていれば、と夢想するときが訪れる。いろいろ、「悲しみ」に対する解釈はあるらしい。そうした現象になんとなく共感することはできても、それは結局、共感どまり。自分の一部分が欠けるというのは、自分の構成要素がひとつ失われたのならば当然のことで、死んだ人に夢の中でも会いたいと願ったり、天国で安らかに過ごしていますようにと空に祈りを捧げたり、そうした行動は、「悲しみ」によって突き動かされ、発生するものらしい。しかし、わたしは、「悲しみ」に似てはいるが、決定的に異なっている思いを、なにかをうしなう度に、こころに蓄えていた。そのため、その「悲しみ」によって突き動かされることもなかった。

「悲しかったら、涙が流れるんじゃないかな」

 閾値を超えれば、身体の反応が現れないことがある。そう、どこかで耳にした記憶があった。わたしはそれを、案の定、他人事のように聴いていた。そのときの記憶をシオンに伝えようとも思いかけたが、うまく伝えられる気がしなくて、諦めた。

「泣いてないから悲しいってわけじゃないし、つらいってわけじゃない。人が何を感じているか、みんな簡単に、共感、共感、って言うけど、その想像って、自分勝手でしかない。」

 思わず、声に力がこもったことに気が付いて、わたしは口を閉じた。そして、味のしないコーヒーを飲んだ。その分だけ、カップの中からはコーヒーが喪われた。だが、わたしの口腔、食道を通って、胃の中に流れ込んだだけだ。なにもおかしなことはない。

「わたしは、自分が死ぬことが悲しいことだと思わない。みんないつか死ぬ。精神を病んで、以前までのその人らしさがなくなることもある。それも悲しいとは思わない。」

「うん」

「けど、それを悲しいと感じる人がたくさん居る。わたしには分からない。分からないから、わたしは何も判断ができない。他の人が何を思ってるのか、決めつけたくない。その信条を、わたしが勝手に考えてるだけの論理を、他の人にも課してるんだと思う。」

 自分でも、自分が何を話しているのか、何を、何のために、拾い物みたいな根拠で「思う」などと口走ったのか、不思議な気分になった。話すというのはこれだから、厭になる。取り返しがつかない。どうして世の中の人は、そしてシオンは、これほどまでに饒舌なのか、と思う。シオンを上回るお喋りさんもいるのだろうが、流れるように滔々と飛び出す言葉、自分の言葉をよく信用できるな、と憧れに似た軽蔑を抱く。さっきもこんなことを考えていたような気がする、と気づいて、わたしは二度と余計な口を利かないように、ぎゅっと口の端を閉じた。自分の口が、それを支配できないわたしが、厭になった。

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