第14話 続・天使の効果

 通い始めた就労支援の事業所。


 収入にならないどころか通うだけで通所のバス代やそこで食べる昼餉代が出費になってしんどい。

 そしてその中の様子はちょっとした事務系の職場風味になっていて、そこで就職後の仕事を摸した訓練を行うのだ。なんとなく大人用キッザニア的な感じもあるし、事実そういう訓練をやっているところもあるのを体験入所でいくつかの事業所で見ている。課題がそういうカード整理や単純作業、PCのキー入力の練習もあった。


 でも今私が今通っているのはもうちょっとホワイトカラーよりのところである。資格試験の取得を目指したり、ビジネススキルにつながるものの講座があったりする。

 私に一般的なホワイトカラーが勤まるかどうかはわからなかったが、ガチの肉体労働はどうやっても無理だし、ブルーカラーの仕事にしても朝ちゃんと通勤して夕方まで仕事をするという生活は高校卒業後、浪人生1年目で脱落してしまっている。

 そののちは自営業という事で好きな時間に起きて好きな時間に寝る生活を35年以上もしているのだ。


 そこで毎朝通所して毎朝の通勤ができるようにすることから始めねばならないのだ。それがまず第一の課題だった。


 そしてもう一つはスキルはいろいろあるけどすべて独学なので、それを雇う側がわかりやすくする必要がある。そのためには資格試験を活用するしかない。幸い国策の就労支援ではリスキリングなどといって資格試験に合格すれば試験代を助成してくれる制度もある。その条件に合う資格試験を受けるのは少し有効ではないかと私は考えた。


 とはいえITパスポート試験はこれより前に受験して合格したが、ものの見事になんの役に立ってる感もなかった。立て続けに書類選考で『お祈りメール』をくらっているので自己肯定感はどん底だった。


 世の中に必要とされてない感がどんどん増えて、アマゾンで首吊り紐を検索してしまうぐらい落ち込んでいた。しかしその検索に「Amazon'sチョイス!」と綿ロープをおすすめしてくるのには仰天した。いのちの電話へのリンクもあるにはあるが、冗談きつい、と思わざるを得なかった。


 それだけ落ち込んでいたし、しかも就労支援は地味に出費になるので実家に借金するしかなかった。行政の支援は事業所に入るだけでそこに通うバス代飯代は自己負担だし、通っている間は仕事をすることもできないのだ。


 それでも通う以上は何かを得るしかない。


 そこで私が目をつけたのが資格だった。


 マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト、MOSと呼ばれる資格がある。ExcelとかWordとかの使い方をちゃんと知っているかの試験である。

 正直、試験代が1万ちょいかかるのでマイクロソフトせこいなーと思う。こんな試験いらないような分かりやすいソフト作れよ、と思うが、今それを言っても仕方がない。

 とりあえず雇う側にアピールするにはこういうものを使うしかない。役に立つかは疑問でも今はほかに無いのだ。



 というわけで、通所してその試験勉強をすることにした。

 幸い試験対策本の付録の模擬試験プログラムが事業所で貸してくれるPCに入っていたので、それをやりこむことにした。

 Excel、私の知っているのよりも今のはよく出来ていて、へええ、なんて感心しながらやっていく。

 模擬試験アプリでは初めは正答率67%しか出せなかった。合格ラインは1000点中700点。あと3%でそのまま合格できるかどうかだが、せっかくなのでやりこんでみることにした。


 そうすると出題傾向やExcelのソフトとしての設計思想が理解出来てきた。それで誤答したらそこから逆引きで機能を学習して身に付けていく。

 しかしそれよりも失点で多いのが問題の指定することを取り違えるケースが多いことに気づいた。私自身早とちりの多い人間なのだ。

 それを気を付けて、鉄道員のような指差し確認でやってみた2度目の模擬試験アプリ挑戦は正答率97%。


 これならいける、と受験会場を探した。

 すると同じ市の中心街のパソコン教室で受験可能な事がわかった。

 その週末に受けても行けそうだったが、念のために1週間後に受験予約を取った。


 そして1週間の準備期間を通所しながら過ごすことにした。


 だんだんその間に通所にも慣れて、朝の起床から通所して帰宅して寝るまでのパターンを作って暮らすことができてきた。時々持病の定期通院で例外のパターンになるが、パターンを自分で設計してそれで行動するのは思ったよりずっと楽だった。

 おかげでひどい遅刻などはしなくてすんだ。一回だけ市内にちかい高速道路の大きな事故の影響でバスが遅れて遅刻することがあったが、それでも大きな問題にはならなかった。


 通所も通所後も時間に余裕ができてきた。それで通所から帰ってきた後、趣味の模型を作ったり、作文を楽しむこともできるようになった。


 そうしたなか、もしかするとこれは幸せなんじゃないかと思えてきた。財布は火の車もいいところなのだが、そのことばかり考えなくて済むのは本当にありがたかった。

 就職なんてできるとは思えないし、そのさきに結婚とか子供とかもないのだが、それでもこうしていられることに感謝すべきだと思えた。


 そして試験の日を迎えた。通所でやっていた模擬試験はすべて100%クリアできていたので、これで落ちたらどうしようと変なありえない不安が起きていた。

 ここまで理不尽と不条理にやられすぎていて、心配の方向が狂っていた。

 それで2時間も前に会場に言ってしまうほどズレた行動をしていた。


 でもその2時間で気持ちをまとめ、ゲン担ぎにカツカレーも食べた。


 それがよかったのか、試験、とはいってもPCでゲームのように設問を解くCBT方式の試験なのだが、それは順調に解くことができる、と思った。


 だが1問、へ?と頭が真っ白になる設問があった。


 どう考えてもここまでの学習で使ったことのない関数を使えと言う設問だ。


 でも模擬試験で慣れているように、マークだけつけて先に進んで普通に解ける設問をすべてクリアし、またその問題に戻った。

 これにまったく動揺しなかったのは繰り返しのやりこみの成果だろう。


 そして戻ってまたその設問を見た。

 並べ替えの関数……並べ替えは知ってるけど関数?

 そんなの対策本に出てなかったぞ。


 でも、関数名は英単語なのだから、もしかするとでたらめでも類推でうまくいけば当たるかもしれない。


 そう思って入力することにした。


 SORTと入れると、ビンゴ!! 


 SORT関数が存在することが分かった。


 もうほかの問題はクリアしてる。どれも難しくなく答えたし、指示の確認もしている。できないのはこの1問だけなのだ。怖くはない。


 SORT関数があって、あとはExcelがサジェストで使い方を説明してくれた。


 その通りに使えば、課題の並べ替えは無事できた。


 その時点で残り時間20分。持ち時間50分なのでたっぷり時間がある。ここでもう終わりにしてもよかったのだが、見直しをしてみた。問題なかった。

 最後に回答済みのフラグを全部に立ててみた。やらなくてもいいのだがやった。暇つぶしだ。


 それでも時間が余ったので、終了ボタンを押してCBTの試験アプリを採点モードにした。


 ちょっとした間の採点処理の後に出た結果は、1000点中1000点の満点獲得で合格だった。

 満点すぎて現実味がなかったが、それが結果だった。




 終わって帰るとき、ようやく自分が何をやっても無駄の理不尽不条理のどん底から少し上がれたような気がした。満点取ってもだめならもう仕方がない。事実仕方のない状態だったが、変な意味での諦めができて、逆に楽になっていた。


 ここから好循環になって生活改善ができれば、と思う気持ちと、多分これでも世の中的には不条理理不尽でまた突き落とされるんだろうといういやな気持ちが半々だが、前はその嫌な気持ちしかなかったのだ。


 少し、好循環に向かえたのかもしれない。期待も希望もないけど。


 冷静に見れば好転はしているのだが、私はここまでの不遇にそのことがまだうまく受け止められなかった。


 でも、この苦しい状態に、一途に努力するすがすがしさとともに変化の兆しを持ってきてくれたのは……私にとっては、やはりあの「プールの天使」だと思えたのは偽りのないものだった。

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