第12話 天使の降りぬ荒野
10月も半ばを過ぎた。
私の生活は変わっていた。
就労支援の事業所通いが本格化していたのだ。
この就労支援という制度は非常に不条理で、支援を受けるには無職でなければならない。しかし支援を受ける費用は公的負担があるが、その間は無職なので収入がなく、生活費に困るのは必定なのだった。
ほかの補助をかき集めてもいまの日本の現状だと暮らしていけない。それどころか支援の事業所に通う交通費も自費であり、無職ではどうにもならない。
通うための交通費、通って訓練を受ける間の食事や飲み物も自己負担である。こういうものを支援する制度は存在しないのだ。
それで私は実家にすがるしかなかった。でも実家があってよかった。父も母も健在でなんとかお金を借りられる。これがなかったら本当に路頭に迷うところだった。またしても私を最後の運が生き延びさせた。
就労支援という制度は国、厚生労働省が作り、雇用保険法や障がい者雇用促進法が根拠法になっているが、厚生労働省がいかにぼんくらなのかはちょっと職探しをすればすぐわかる。
職探しのサイトで私のような体力に自信がないものが仕事を探して応募すると「すみません、女性しか集めてないんです」「若い人限定なんです」なんてことが本当によくある。
だったら募集対象の条件に最初から女性と対象年齢を書いておけと思うのだが、国がそれを男女差別だから、年齢差別だから、求職者に公平なチャンスを与えたいから、そして企業に多様性と包括的な労働環境を作らせたいから、という方針で禁止したのだ。でも企業はそんなことお構いなしである。
そもそも男女で仕事が違うのも老人と若者でできる仕事が違うのも当然であろう。女子トイレの掃除に男性が入るのが望ましい男女公平なのか? 30年雇って働いてもらう仕事に70歳の老人を無理やり入れることが年齢の公平なのか? 冗談じゃない。ただの役所の自己満足だ。
そのために何度も無駄なエントリーシートを書き、無駄な就職活動をさんざんする羽目になる。この今時新卒でなければ雇いたくないという企業もどうかと思うが、それ以上に役所の自己満足で無駄なエネルギーを奪われるのは今の日本らしい理不尽である。
だがそれでできた就労支援に私が通うと行政から1日8000円から10000円が入るのだ。そのわりに就労支援の事業所にはあまり特殊な設備はいらず、机と椅子とロッカーなどといった普通のものを用意すれば雑居ビルの一室で十分開業できる。複雑怪奇な文書制度に慣れて事業所として認められてしまえば、働きたいけど働けない障害者はどっさりいる。今の日本ではせっかく能力や学識経験があるのに企業のバカな人事労務管理やブラック労働で使いつぶされた障害者が大勢いる。それを受け入れれば1日1人1万円なのが就労支援だ。
そしておそらく多くの障碍者はなけなしの施し感覚で与えられる福祉では「文化的な最低限度の生活」ができないため、それに少しでも足すために働きたいのだ。そしてその希望をかなえたいと考え、無理にお金を用立てる親も多い。
だから本来収入のない無職障害者で利益を上げるようなこういう仕事がはやるのは当然であろう。そうならないためにも、そもそもブラック労働をちゃんと規制したり、ちゃんと福祉を払えばいいのに、今の日本ではそれが現実的でない。今の日本の障害者、それも氷河期世代がまともに生きるには、いったん死んでどこかに生まれなおした方がまだ現実的な有様である。
そして気づけば駅前の雑居ビルには就労支援業者がいくつもできている。中には障害者を集めるために昼飯に冷凍おかずとパックご飯を供する業者もあった。障がい者の奪い合いになりつつあるのだ。
私の場合は勤め人をした経験がないので、毎朝通勤するのに慣れることと、それに慣れてることを推薦で言ってくれる者が必要なので就労支援に行くことにした。
役所の手続きはひどかった。生活費の問題は相談という名で身の上話をしたら「あはは、どうにもなりませんねえ」と笑いながら言われた。就労支援の公費負担を市役所の別の障害者担当部署に相談に行ったら女子職員に「ここはあなたのような健常者が来るところではありません」と言われた。ただの見た目でそういうこと言うんだ、いったいいつの時代だ、と思ったがそういう市役所だった。
それでも持っている障害者証を見せて手続きしたが、彼女はずっと不機嫌だった。私はそれまで別の役所で臨時職員として窓口業務を17年間やってきたが、この女子職員でつとまる窓口職なんて想像もつかなかった。本心では「仕事をバカにするのもいい加減にしろ」と言ってやりたくなった。
17年間ずっと窓口応対をしてきた私がこういう窓口に置くべきではない若い女子職員に邪険にあつかわれる。これもひどい不条理だが、今の日本はそういう国だ。
そして国や自治体にとっては障碍者の私よりも、その不機嫌でまともな応対もできない若い女性職員の方が大事なのだ。
生きていても私は稼げないし子供も産めない。不機嫌な彼女は子供も産めるし税金も払える。
国にとっての未来がない方はただの荷物になるので、すりつぶして目障りでないところで消えていってほしい、というのがこの国である。
憲法がどうのこうのというが、結局そういう国なのは少しも変わらない。絵に描いた餅もいいところだ。
そんななか、私は就労支援を受けながら先生との水泳のレッスンを受けていた。もうこの命を返してしまいたいのが本音なのだが、先生がいるのであまり勝手なことはできないと思う。その一筋だけで私の命は今つながっている。
それでもしんどくてレッスンは1回休んだ。体の調子が悪すぎて、いつもの集合場所のスーパーの駐車場まで行ったのだけどへとへとになってて、すまないけど帰ることにした。
しかしそのあと別の日にレッスンに行くことにした。相変わらず陰性症状が前景だし、希死念慮にもさいなまれている日々なのだが、行くしかなかった。
だが、正確にはもう一つの一筋があった。
そう、あの天使にまた会えるのでは、という期待が。
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