2話 福音

 で、そんな鬱屈としながらも机にしがみついていた学校生活がひと段落して、僕は定期休業のために島へ帰省した。船が島に到着したときには、白色に輝く三日月が空の高いところから僕を見下ろしていた。


「ただいま戻りました、母上。」


 僕は、木製の戸を二度ノックして、学校指定の黒の制帽を手にしながら、久しぶりの帰宅を果たした。


 母ローザは、酷くやつれた顔で円卓の席に腰を下ろしていた。


「・・・出ていきなさい。」


「は・・・はい?」


 僕は、あまりに唐突な母ローザの物言いに、玄関で体を硬直させてしまった。


「お前に食べさせてやるものはない。わたしは、あなたの面倒を見る気力もない。だから、出ていきなさい。そして、二度と戻ってこないでちょうだい。」

 

 僕が床の木を踏みしめる靴裏の音を家に響かせると、母ローザは顔を背けて、手で追い払うような仕草をした。なぜ、僕に向かってそういう事を言うのか、大変疑問に思った。


「なぜ、そのようなことを・・・」


「わたしは、お前のことを別に愛していない。それと、お前が役に立つ訳でもない。だから、いらない。」


「それは、あんまりではありませんか!」


「うるさい、うるさい!何度でも言うけれど、わたしは産みたくてお前を産んだわけじゃないの!」


 母が叫んだのは、幼い頃から、僕が母ローザに言い聞かされてきたことだった。耳が腫れあがってたこができるまで、言い聞かされたことだ。そして、母ローザはこれに続けていうのだ。


___「だから、せめて役に立つ人間になりなさい」と。


「学校から通達があったの。成績は別に良いわけじゃない。おまけに、体も弱くって、剣を持つことも難しい様子だったって。情けない、弱い、役立たず・・・お前は何にもできない・・・」


「っ___母上、歴史学に関しては、学年で一番を取りました。」


「歴史なんか学んでどうするの!?教会に関する歴史以外、学ぶ意味はないでしょう?!そんなどうでもいいこと勉強する暇があるなら、剣の一つや二つ振れるようになりなさいよ!農作業ぐらい出来るようになりなさいよ!!」


 僕が反発する姿勢だったので、母ローザは罵声を浴びせてきた。耳がキーンとして、少し痛んだ。母はまだ若い歳だから、顔を赤くしたときに甲高い声がするのだ。


 僕は、歴史学が好むところがあり、また重要であると考えていた。しかし、母ローザがそれを否定するのであれば、僕は反論を立てることができないで沈黙するしかない。僕が、母の意に反する物を言えば、僕を殴りつけてくる。幼いころから、そうやって拳を振るわれたので、僕の首や頬には、薄く痣が刻まれている。


「・・・」


 僕は、家の静寂を守りながら、思考を巡らせた。父は、帝国陸軍の軍人であるが、僕に特段興味を示さなかった。父アレンは、本土の陸軍に勤めきりで、島に帰ってくることはなかった。・・・僕は、母の怒号と拳の下で育った。


 母は、僕の沈黙の下で、白の十字を手に持って、ブツブツとひたすらに聖書の教義を唱え始めた。暖炉にくべられた薪の炎の赤が、母ローザの虚ろな瞳をした顔を流れた。


「・・・」


 僕は黙りこんだまま、家を出た。最後に戸を閉める時も、母は僕の方を振り返らず、ひたすら聖書の文言を呟いていた。


 どうしようか。学校は、生活は、どうすればいいのか。そういった不安に苛まれてて、母を説得しようかと刹那考えた。頑張りますから、家に戻してはいただけないか、と。


 しかし、僕はそういった不安よりも、むしろローザと距離を取ることへの高揚感の方が、内側で大きくなった。痛みを抱え怯えるよりも、不安を抱えて生きる方がマシだと思った。


 靴裏が草花を踏みしめる音と、自然の青々しい香りを鼻腔に感じながら、とりあえず家から最寄りの村に向かおうかと考えて、ふらふらと歩みを進めていたまさにその時に・・・・・


「うわっ!?」


 破壊的な衝撃があった。それも、何度も何度も轟音を響かせて、大地を揺らした。僕は、突然に襲い掛かってきた脅威から身を護るために、その場に伏せたのだった。土の苦みが、舌上に転がった。


 ひと際巨大な轟音と衝撃が近くで炸裂したので、僕は背後をふと見た。僕のカナリア色の瞳には、轟轟と燃え上がる我が家が映った。屋根は崩れ落ち、柱や床が全てが炎の赤に包まれている。


「母上・・・」


 僕は、ローザを思った。彼女は、あの炎の中で悶え苦しんでいるのだろうか。声がしないから、既に死んでしまったのだろうか。しかし、それでも良いと僕は思った。僕の痛みを、こうして別な形で味わえばいいと、口角を図らずとも釣り上げていた。


「ははは・・・」


 笑いだ。笑いが起こった。僕は、目を細めて笑っていた。この炎の赤の先に広がっている新たな世界に待ち焦がれて、期待を抱いて、僕は笑っていたのだった。



 しかし、その先の世界といえば、絶望と血に汚れた、【勇者】が魔王に敗北した後の地獄の様相を呈していたのだった。




___魔王軍は、僕の故郷の島を、村を、ローザを焼き焦がした。僕が幼い頃から母に殴られ叩かれ刻んだアザは、火傷の跡によって上書きされていた。


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