1話 劣等猜疑

 はるか太古、人類という種は二つに分かれた。人間と、魔族という二つに。彼らは互いの文化観や宗教観を巡って対立し、血みどろの戦争の歴史を綴った。遂に人間は勝利し、地上世界の覇権を握る。魔族は多くが、地獄へと通づる【アビス】へと追放された。


 しかしながら、魔族の血は人間と絡み合って、複雑に多様な種族を地上に生み出すに至った。今の地上世界では、人間に似た見た目をした、魔族の血を引く者でありふれていると言える。


 魔族に近しい血統を持つか、人間に近しい血統を持つか。それの分かりやすい指標は、血の色だ。赤い色が濃いほど、人間に近しく、青い色が濃いほど、魔族に近しい血統を持つ者ということになる。ちなみに、僕の母と父はどちらも純粋な人間なので、僕の血の色はもちろん、赤色をしている。



****



  そんな世界に生きる僕は、名を【アレス】という。母ローザと父アレンの間に生を受けた者だ。当時の帝国の階級の下位に相当する家の生まれだった。父は帝国の陸軍人。母は敬虔な教会信者だった。


 僕は、サマリアルという大陸の巨大な帝国を母国とした。しかし、僕は帝国の広大な本土ではなく、その領域に含まれる、小さな島で生まれ育った。島には学校という機関がなかったので、母の半ば強制で、本土の寄宿制の学校に入学させられた。・・・僕自身は、学校への入学に前向きでなかったが。


 しかし、いざ入学してみれば学びは面白いと思った。特に歴史学は僕の気に入った。母国であるサマリアル帝国の波乱の歴史を文字で辿ると、どこか懐かしい情緒をくすぐられる。この科目への興味が、僕に様々な知識を与えた。


 ただ、僕は学校生活によって自らを満たすことはできなかった。


「おい、チビっ子!」


 いつからか、学友たちは僕に対する理不尽な蔑視を始めた。


 ある一人の男子の学友は、僕を「チビ」という蔑称で呼んで、僕に白いチョークを投げつけてきた。黒い制服と制帽に、雪が降ったとばかりの白が付着したのだった。


 僕は、学友たちの中で一番背丈が低かった。背丈が高いことは、力強さや逞しさの象徴でもあったので、僕は周囲から勝手に弱いもの扱いを受けた。まあ、実際に僕は力も弱く、心も脆かったけれど。





**** 




 学校の校庭にクラスの全員が出て、講義の担当の教師は言った。「騎士道という精神を、お前たちにも叩き込んでやろう。」と。その教師は、元陸軍の人間で、かつて魔王軍との戦いに騎兵として参戦していたらしい。


 二人ずつ順番に、真剣を握らされた。クラスの他の学友たちは、先生の指示で重々しい剣をなんとか両の手で握って上げて、小麦の藁束にそれを振るった。


 そして、僕の番が回ってきた。


「アレスは、剣が重くて持ち上げられないんじゃね?」


「いや、そんなに重くはないから大丈夫でしょ?私でも、なんとか持てたのよ?」


 周囲の学友たちが、地面の芝生の上に寝かされた真剣に、僕がよろよろと歩み寄った様子を笑っている。


 僕は、バケツに満杯にされた水を運ぶことが困難なまでに、非力であった。周囲の学友たちは、それを見ていつも笑っているが、僕に手を貸してくれる者はいなかった。そんな僕の醜さたる【非力】をこれ以上晒したくはなかったので、重い物を積極的には持とうとはしなかった。しかし、先生は僕が辟易としていることにお構いなしだった。


「先生、持てないです・・・」


「はぁ?冗談はよせ。柄をしっかり持って、そこに振り下ろすだけでいい。簡単だろ?」


 教師は軍人だったから、こんなことは容易だと言う。でも、元から極度の非力が備わった僕という人間にとって、それは容易ではなかった。


 僕は、覚悟を決めて剣の柄を握った。上腕が震えて、ビリビリと痛みとしびれが走る。それを何とか持ち上げて、小麦の藁束に振り下ろした。


「うっ・・・」


 僕はよろめいて、狙いを外した。剣の刃は虚しくも、その自重のまま芝生の上に振り下ろされ、剣の自重に振り回されるままに僕は地面に倒れ込んだ。


「あ、外した。」


「下手くそだな、チビ(アレス)は。」


 周囲で見ていた学友たちが、僕の醜態を晒して倒れたところをすかさず嘲笑した。数人が大げさに手を叩いて、口角を釣り上げていた。


「はぁ!!」


 その隣で、もう一つの剣を握った学友が、見事に小麦の藁束を両断した。


「おぉ!ヴァレのやつ、斬ったぞ!?」


「すげぇ・・・」


 クラスからは僕を笑う声と、藁束を見事に両断した僕の隣の学友を称賛する拍手喝采が混ざって鳴り響いた。


「チビに剣は似合わないわね。」


 僕の隣で、学友たちと先生から称賛を受ける女学友【ヴァレンシュタイン】が僕に向かって、ボソリとそう言った。


 チビが剣を握ってはいけないのか?非力が剣を振るうことは許されざることなのか?僕は、剣を握りしめたままで、苦虫を噛み潰したようにちょっと、顔を歪ませた。こうしなければ、目尻から涙が零れそうだったから。


 なぜ、皆が容易にできることは、僕にとっての困難なのだろう・・・悔しい。


「素晴らしい、ヴァレンシュタイン!剣の刃の入り方、体の使い方がこれほどまで美しい生徒を、私は見たことがない!君は、もしかしたら【勇者】になれるかもしれないぞ!?」


「過分なお褒めのお言葉に感謝申し上げます、先生。」


 藁束の断面の美しい様に、過大ともとれる称賛を送る先生。学友たちも、僕を馬鹿にするよりも、ヴァレンシュタインへの羨望の眼差しを向けることとか、称賛の色を向けるばかりであった。



 その後は、先生が剣を振るって、ひたすらに騎士道精神や、剣術のノウハウを語った。そうして時間が過ぎ去って、講義の終了を告げる鐘の音が、校庭に響いた。


 皆がワイワイと騒々しく、学生寮の方へ帰っていくのを尻目に、僕は一人、剣を再び握っていた。


「おい、アレス君。剣を片付けるから、こっちに寄越しなさい。」


「せ、先生・・・剣の練習をしていてはいけませんか?僕も、みんなみたいに剣を振れるようになりたいんです・・・」


 僕は、もっと剣を振れるようになりたいと思った。みんなのように、当たり前に剣を握って、当たり前のことのように剣を軽く振るえるようになることを切望した。なので、僕はみんなが帰った後も、練習をしたいと考えていたのだが・・・


 先生は、僕に怪訝そうな感じで、眉を寄せた。


「お前みたいな奴が剣の練習をしても、どうにもならないだろう?先生も次の講義があって忙しいから、早く剣を寄越しなさい、ほら。」


「・・・はい、先生。」


 僕は一言だけ返して、先生に真剣を手渡しで返却した。先生の高い影が、僕を覆い隠して陽光を遮った。僕は、影を落とされて黒くなった。先生に手渡した剣の白く、まばゆい輪郭を、そこに見た。


「さっさと帰って、好きな勉強でもしたらどうだ?」


「・・・はい。そうさせていただきます。」


 僕は、とぼとぼと一人、学生寮に戻った。僕は体の前面に、陽光を遮った黒い影を抱いた。



 部屋では、同室の3人がガヤガヤと話をしている。僕は、彼らを尻目にベッドに横になって、ある本を読みふけるのであった。


「勇者・・・」


 その本は、題名を【勇者の軌跡】とする、自伝小説だった。今現在、魔王軍と戦っている勇者【マックス】の冒険や功績、苦悩が言葉で綴られた本である。その中の一部分を、僕は何度も何度も読み返していた。


(僕は、帝国の離れ島の生まれだったから、言葉の訛りに苦しんだ。ずっとそれを笑われてきた。しかし、僕が【勇者】になってからは、訛りについては誰も気にしなくなった。)


 僕は、彼と似たような境遇であった。彼の「訛り」という欠点を僕の「チビ」という醜さに置き換えれば、僕と彼はとてもよく似ているように思えた。しかし、彼と僕との間には、明白な違いがある。


 彼は、努力家で剣の才を持ち合わせていたからこそ、彼は【勇者】になった。


 僕は打たれ弱く、何かの才で他者よりも秀でているところがなかった。僕は、自らの弱さを晒すことを恐れて、こうやって本で語られる世界にいつも逃げ込んでいるのだ。


___僕は、強く逞しい【勇者】の光を我が物にしたいと思うが、恐らくそれは叶わないのだと気が付いて、いつの間にか本を元の棚に戻していた。しかし、自らの醜さや羞恥心に再び押し潰されそうになったら、また読み返すのであろう。




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