レッド・ローズ・ライン/RED ROSE LINE
猫舌サツキ★
序章 WIEDERHOLUNG
0話 ラ・カンパネラ
僕の人生における最大の不幸は、この世に生まれてきたことだと思う。
魔王軍が、僕の故郷の島を襲撃した。火炎魔法が籠められた砲弾が炸裂して、炎の柱を立ち昇らせ大地を揺るがす。人々は四肢を四散させて、家々は焼けて崩れ、僕が強きの象徴とした【勇者】の像は粉々に破壊された。
僕は、赤い炎が上がる方向とは逆に走り出した。若干の小雨が頭を濡らして、前髪が水分を含んでちょっとばかり重い。
「早く逃げて!!」
「魔王軍の襲撃だ!!」
「殺される!!」
村人たちが走りながら叫ぶ。
白っぽい月が空の高いところにあって、黒い雲間から覗いて、僕たちを見下ろしている。草の、鼻奥に残るような渋い香りと、血の鉄臭さがそれに混じって僕の鼻腔を殴るのだ。血の臭いは、砲撃によって上半身が爆ぜた人間から発せられていた。赤々とした血肉と桃色の内臓が外界に露出しているのを、一見して身震いをした。僕は、あんな風には死にたくない。
(死にたくない、死にたくない・・・)
僕は、村の人たちとひたすら走った。目指すは、島の港。船で脱出できなければ、魔王軍に殺される。そんな恐怖が、僕たちを突き動かしていた。
「いたぞ、人間だ!」
風雨の中から現れたのは、魔王軍に属している魔族だった。それも、数十という人間でない存在が、村から脱出せんとする僕たちを取り囲んでいる。ぐるっと辺りを一瞥したのだが、ヴァンパイア系の種族に、あれは悪魔系の種族も見える。・・・八方塞がりだ。どうやら、逃げ場は無くなってしまったらしい。
僕は、如何にしてこの難局を乗り越えようか思考を巡らせた。僕自身に、魔族を相手取れる力はない。魔法も剣も、僕は扱ったことがなかった。僕は、背丈も低くて非力な人間だ。
「おいおい、結構逃げ遅れた人間がいるじゃねぇか。」
魔族の一人が、舌なめずりをした。彼の赤い双眸には、怯え震える多くの害虫(ニンゲン)が映っていることだろう。
「や・・・やめてくれ。俺たちを、殺さないでくれ・・・」
村人の一人が、命乞いの文言を震えた声で発した。
取り囲まれた人間は、僕を含めて50の数はあった。生まれて間もない赤子を抱いた主婦の姿もあれば、教会の修道女も、杖をついた老人だっていて、雨でぬかるんだ地面の上で身を震わせていた。
「おい、早く歩け!」
魔族たちは、僕たち人間を円形に囲い込んだまま、牛舎の前まで行進させた。杖を突いた老人は、雨でぬかるんだ地面に足を取られて倒れ込んだ。いっこうに立ち上がれないその老人を相手に、魔族の一人が魔法を詠唱した。
「第四階位火炎魔法、ヘル・ブレイズ。」
泥の黒に染まった顔を上げた老人の足元に、赤く輝く魔法陣がグルグルと回転して出現した。老人は、地面に転んだ杖を拾いあげようと手を伸ばしたが、その次の光景は、炎の赤で煌々としていた。
「ぐあぁぁぁぁぁ・・・」
全身を炎に包まれた老人が、断末魔を叫んだ。渋声の断末魔は、次第に炎のごうごうと燃える音に掻き消えてしまった。皮膚が爛れて、眼球が溶け落ちるが、地獄の業火のためにすぐに灰に帰した。皮膚がもはや蒸発して、骨だけが力なく地面に転げて、ようやく魔法の炎柱は収まった。
「きゃあああああ!」
「ガハハハッ!我々魔族の意に反する愚か者は、コイツのようになるぞ!!」
魔族のヴァンパイア(吸血族)は、燃え尽きた老人の頭蓋骨を手に持って掲げている。
「ほら、早く入れ!さっきの老人みたいに焼き殺すぞ、ニンゲンども!!」
僕たちは、魔族に押し込められるがままに、牛舎の中へ入った。数十という人間が入るには狭い牛舎だ。最奥に押し込められた人が、なだれ込む人の大波に呑まれて、苦痛を叫んだ。
牛舎の入口には釘が打たれて、僕たちは牛舎に閉じ込められたのだった。
「出してくれ!!」
「壁を破れ!!」
「どけ、早くどくんだ!!」
牛舎の中には、大人の手が届くか否かの高い場所に、小さな窓があった。そこから、降雨と夜空が覗いている。しかし、その窓には鉄の格子が張り付けられていて、そこから外に脱出することは不可能だ。共に閉じ込められたある男が、偶然持ち合わせていた鍬(くわ)で壁を強打している。何度も何度も、木製の壁を叩いた。しかし、その壁は、存外に頑丈にできていて、破ること叶わなかった。
そうこうしていると、例の小窓から魔族の一人が顔を覗かせた。頭の後ろから黒い角を覗かせる、東洋に伝わる鬼を彷彿とさせる風貌であった。
「魔王軍のクソッたれどもめ!!」
「ここから出しやがれ!!」
窓の周辺の村人たちは、魔族への恨みを晴らさんとばかりに、拾い上げた石を投擲した。
「おいおい、痛てぇじゃねぇか。」
「やはり人間という種族は、下衆だ。」
魔族たちは、投げられた石を額に受けても、平然としていた。カン、カンと、魔族が身に着けている鎧に石が当たる、鈍く乾燥した音が微かに聞こえてきた。
「さて、こいつらをどうしようか。」
「この建物ごと、丸焼きにしてやろうか?」
「そうしよう。面白そうだ。」
僕は、叫び声の氾濫する牛舎の中で、魔族たちの嫌な会話を聞いてしまった。この牛舎に、火を放とうというのか・・・!?
「「中位階位火炎魔法、ヘル・フレイム!」」
魔族たちの魔法の詠唱が、オルガンの奏でる主題のように重なり合う。魔力の発現により、太陽を思わせる熱を生み出した。それは、牛舎の外側からじわりじわりと程度を強めていって、張り合わせの甘い木材の壁の隙間からは、熱の根源たる炎が噴出した。
木材でできた牛舎であるから必然、熱が炎を伴なって拡大する。閉じ込められた僕たちは、想像を絶する灼熱に抱かれた。
「ぐああああああ!」
「出して、ここから出して!!」
閉じ込められた人々の叫びが、いよいよ壁を割るのではないかという具合で反響する。鼓膜の痛みよりも、僕は耐えがたい熱に唸った。壁に密着していた人々の衣服にも炎は侵食して、黒色に焼き焦がすか、熱で体にぽっかりと穴を空けるのだった。
入り口を、壁を引っ切りなしに腕で強打する人々。しかし、期待に反して開かないし、炎の広がる木製の壁は破れない。
「ゴホゴホっ・・・」
僕は咳き込みながら、喉の焼ける感じを払拭するために肺に空気を思い切り吸い込んだ。しかし、熱と煙によって、体の内側からさらに焼けるようだった。
「熱い・・・痛い・・・」
僕の黒い学生服にも、遂に火が移った。僕はそれを手で払おうとした。小さな火は周囲の空気を取り込んで、僕の全身を包み込もうと大きくなっていた。
「お母さん・・・大好き・・・」
「・・・私も。」
僕は視界の片隅で、ある親子の愛情の交換が、魔法の炎によって焼き尽くされる瞬間を捉えていた。二人の親子は、炎の赤に巻かれて、少しずつ全身を黒色に変えて、最後には、二人で抱き合ったまま、動かなくなってしまった。
(っ____ここから・・・出られる・・・!?)
永遠とも思えた熱地獄から、僕はなんとか這い出した。
牛舎の壁が少しずつボロボロと崩れたので、黒くなって焼け死んだ人間の山をかきわけて、足元の隙間に滑り込んだのだ。僕は元から体が小さかったので、牛舎からの脱出が叶った。
「う・・・熱い・・・痛い・・・」
体に打ち付ける雨の冷たさが、剣先で突かれるかのような刺々しい激痛を伴った。肘から下と胸のあたりを酷く焼いたので、特に痛みが強く感じられた。真っ赤に腫れて爛れた腕や胸に、雨の冷たさが突き刺さる。
僕は、灼熱の牛舎から離れた。泥にまみれた地面を全身で這って行ったので、舌上には泥の苦みと不快感を転がしたし、もはや服の機能を失った布切れが体から引き剥がされた。
魔族に見つからない、どこか遠い場所に、逃げなければならない。
「あら、こんばんわ。」
その時、僕は頭の上の方からの、幼さと妖艶さの同居する声を浴びた。顔を上げることは火傷が酷くて叶わなくとも、なんとか横の方に首をひねった。
僕の横にしゃがみ込んでいたのは、人間の少女的な外見を持った存在だった。純白の髪を腰にまでたなびかせ、その間から長く尖った耳を覗かせる、深紅で猫のような瞳孔の瞳をもつ少女だ。右の瞳については、眼帯に似た黒い薔薇の飾りで隠されていて見えなかった。大きくない体を、胸元にフリルのついた黒のドレスで着飾り、それと同色の禍々しい翼を背中から伸ばしている。
僕は、その秀麗たる美貌に見惚れることはなかった。それどころか、長く尖った耳と黒色の翼という特徴から、彼女が魔族であるろ悟った。人間の耳は尖ってないし、人間の背中には翼なんて生えていない。
「うぅ・・・」
全身に悪寒が走った。風をひいたときと似たような、気味の悪い寒気が僕を包み込んでいた。視界に入っているだけで悪寒を引き起こす少女から距離を取ろうと、腕を、脚を、体をよじった。
「ぐが・・・・・」
火傷の患部のあちらこちらに、泥水が染みわたる。全身に針を刺されたような激痛だったが、喉の下の辺りになにやら詰まっていて、絶叫を上げることができなかった。それは肉の感触だった。あまりにも熱を含んだ空気を吸い込んだせいで、喉が焼けて爛れていたのだ。
「アタクシは魔王【ヴィルヘルム】。そんなに怖がらなくてもいいかしら。」
それ、冗談か?魔王がなぜ、こんな田舎の島にいるのだろうか・・・?
僕は、喉に引っかかった肉の隙間から、かすれた声で訴えかけた。
「勇者・・・助けて・・・」
僕は、かつてから信奉を寄せる存在に叫びたかった。悪を剣で断つ【勇者】の存在こそが、苦痛で喘ぐ僕をこの状況から救うことができるのだと思った。
「【勇者】は来ないわ。彼は・・・【マックス】は、魔王であるアタクシに敗北して、尻尾を巻いて逃げ出したわ。」
僕は、砲弾が背中に直撃したかのような衝撃に襲われた。勇者が、逃げた?敗北した?そんなことが、有り得るのだろうか?
「ウフフフ・・・魔王であるアタクシがここに居るのだから、分かるでしょう?勇者は、助けになんか来ないわ。」
魔王ヴィルヘルムは、目を細めて僕を笑っていた。
「アタクシは、力をもった強い人間が、地上から全て消え去ることを望んでいるかしら。なぜなら、そういう人間はわたくしが追い求める【永劫不滅】の存在を壊しうる存在だからよ。」
魔王は突如饒舌に、僕の耳元で、舌の回りの速いままに囁いた。
「お前も、いつの日か追い求めたことはないかしら?永劫不滅の存在を。何が起ころうと、絶対に変わらない約束された振る舞いが、美しさが・・・欲しいと思ったことはないかしら?アタクシは、永劫不滅の世界に、愛する人と共に永遠にありたいと願っているのよ。だからこそ、永劫の美しさを脅かす存在は、アタクシにとって許されざる存在かしら。」
永劫不滅の存在・・・ああ。強いて言えば、決して裏切らない、信じられるものが欲しい。例えば、決して誰にも負けない強さを持った【勇者】という存在とか?
魔王は、僕のチリチリになったカナリア色の髪を掴んだ。猫のような赤黒い色の瞳孔をした魔王の白い美貌が、僕の眼前にあった。
「ごぇ・・・」
首の皮が剥がれて、鋭い痛みで嗚咽を漏らした。
魔王のもう一方の手には、いつの間にか少女の頭部が乗せられていた。それは、村の娘のものだった。顔はすすや灰で黒く汚れているが、村娘の顔であると認識できるぐらいには、原形を保っていたかもしれない。あれ、首から下が無い。
「この顔の整った娘、一度味わってみたいと思ったのよ。焼いて殺すなんてもったいないぐらい綺麗な顔・・・」
そう言って、魔王は鋭利な八重歯を覗かせた。パンに齧りつくかのように村娘の顔に噛みついて、その八重歯で眼球を串刺しにした。
村娘の顔面にあった右の赤の眼球は、魔王の八重歯に引かれて、白い神経や紅の色の血管を引き連れて、脱落した。黒瞳がはめ込まれていた場所は、黒いくぼみを作っていた。にわかに鮮血が噴出して、魔王の少女的な美貌を赤に染め上げた。
猟奇的な捕食者の一端を見せ微笑む魔王の顔と、村娘の眼球の欠落した顔など、誰が見たいと所望する?僕は、見たくはない。しかし弱まる雨、雲の合間から覗いた白い月光が、魔王と村娘の顔を流れるので、より鮮明にそれらの輪郭を僕に見せつけた。
魔王は、不敵に口角を釣り上げて、目を細めた。
「あなたも、この美味を味わってみたいでしょう?」
魔王の、病的に白く透き通った肌の美貌が、僕の息がかかる距離に迫った。口元からは、血生臭い悪臭が零れ出る。村娘の眼球を咀嚼する、ブツリ、ブツリという妙な音がかすかに聞こえた。
「いや・・・だ。」
かすれた僕の声を、魔王はまるで聞いていなかった。
僕の唇に、魔王の、血の紅で染まった唇が重なった。舌を絡め合って、唾液を交換する。村娘の眼球らしき破片が舌上に転がった時、僕は頭の血管がぶつりと切れたような感じを覚えて、急速に意識を霧の中に追いやった。
「ん、えへへ・・・」
魔王は、僕と冒涜的な接吻を交わしながら、人間の少女のように笑った。
血液の鉄っぽい味と、魔王の唾液の臭みと、人間の眼球という不快感の塊の味を、一挙に味わって、僕は空の腹を絞り出すように嘔吐した。黄色や赤の色をした、もはや何かもわからぬものが、草の地面に広がった。
気持ちが悪い。不快が極まる。
そんな感想を音にできずに激しく吐いて、意識を遂に闇に葬る。
___勇者は敗北したのだ。絶対に敗北しないと、僕も含めて多くの人が信じたであろう【勇者】は、魔王を打ち倒すことができなかった。だから、こんなに弱い僕の目の前にいるのではないか。
「ウフフフフ・・・・・」
魔王は、最後に僕に向けて微笑み、赤い瞳を見開いて恍惚の色を見せた。地面に仰向けで倒れた僕の腹の上に跨って、僕の腕に八重歯を突き立てて笑う魔王の姿が、最後の景色となった。
鐘の音が、意識の途切れ際に聞こえてくる。それは、僕の内側でいつまでも残響を奏でた。
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