4話 美味い昼飯と胸のデカい女

 僕とガルクは、それからしばらくして自由の身になった。規律を遵守した態度によって、再犯の可能性が低いと判断されたのだろう。まあ、ガルクの方は見回りの兵士の目を盗んでコソコソと煙草を吹かすのだったが。彼は、懐に煙草を何本かしまい込んでいた。最近の帝国の情勢を鑑みると、煙草という嗜好品は値が張るものだろう。


 地下からの階段を上がって、久々に地上の光を見た。時刻は昼過ぎ。清々しい快晴の青が僕たちの頭上にどこまでも広がっている。憲兵は、僕たちが通りの向こうに見えなくなるまで、ジッと凝視して警戒の色を最後まで解かなかった。


「さて、まずは、うまい飯でも食いに行こうか。」


「・・・うん。」


 ガルクは、僕を背後に置いていくように、帝都の人混みの向こうを速足で歩いていた。ちょうど収穫祭が近いらしく、街には人が溢れかえっていた。家々の窓からは収穫祭の開催を祝う帝国旗が吊るされて、秋先の豊かな香薫を運ぶ風を受けてはためいている。


 そうして、人混みの間を縫うようにして辿り着いたのは、大衆酒場だった。昼間であるのに、人で全席が埋まっているではないか。


「うひゃあ、今日も混んでるねぇ・・・まあ、メシはウマいから許すけどな。」


「ここで食べるの?」


「おう。オレの行きつけの店だ。大将に顔を覚えられるぐらいには通ってるぜ。」


 それでも、ガルクは、店の外にまで伸びる列の最後尾に着いた。ざっと見た限りの人数で、待ち時間は数十分だろうか。


 帝国の憲兵に捕らえられていたのは約一か月。まともな食事にありつくことは許されなかったので、体が鈍重に感じていて、実際、体重や筋肉の量は減少しているはずだ。全身に鉛が括りつけられたように重くて、ろくにまっすぐ歩くこともできず、それは困難に近かった。直立するだけでも一苦労な僕の肩を、ガルクに支えられた。


「おいおい、そんなんじゃ夜の女の相手にはなれないぜ。たんまり食って、その小さい背、伸ばしな。」


「僕、お金持ってないけど・・・」


 僕はこの帝都でろくに職にありつけなかったから、一銭無しに等しかった。臆する僕の肩を、ガルクは力強く叩いた。


「安心しな。オレ、冒険者の仲間がいるんだが、そいつから、いくらか貰ってるからよ。」


「そ、それはガルクの仲間に申し訳ないから、僕は自分で何とか稼いで自分で食べるよ。」


「あ?人のもん盗んで食い繫いでた奴が、今更そんなこと気にすんな。いいんだよ、そいつオレに優しいヤツだから。」


 全く説得にもなっておらず、盗みに対する罪の意識の再燃を煽る様子のガルクに、むしろ不満が募るのだが。しかし、稼ぎのあても無いので、この場は彼の調子に合わせるとしようか。彼は、僕に食事を奢ることに前向きなようなので、ありがたくこの機会を頂くことにする。


 店に入るまでは、まだ時間があった。


「アレスは、どんな女がタイプなんだよ?オレと同じで、胸がデカい女か?」


「うーん・・・胸の大きさの好みは・・・このぐらい・・・?」


 僕は、右の手の平を開いてガルクに示した。


「手のひらぐらいってことか?」


「うん。」


「そんな恥ずかしがるなよ。好みは人それぞれあるだろうからな!」


「ごめん。こういう話、慣れてないからさ・・・」


「初心(うぶ)だな。童貞。」


「それ言わないで。」


 そうして、好きな女のタイプとか、好みの女の胸の大きさ云々、下らない話題を吹っ掛けられ続ければ、待つ列は進んで、遂に入店が叶う。


「お、いよいよだぜ。どこの席が空いてるか・・・」


 僕とガルクは、酒と、煙草と、肉の焼ける脂っこい臭いの混濁する空気を掻き分けて、店の奥の方の席に対面で腰を下ろした。見上げるところの窓からは、帝都の歴史に洗練された建物の模様と、それの背景として際立たせる雲の一つもない快晴の青が覗く。


「お腹減ったな・・・」


「まぁ、当たり前だろうな。豆のスープだけじゃ、満たされる訳ねぇからな。」


 栄養不足甚だしいメニューがひと月あまり続いたので、僕もガルクもたいへんな空腹感に苛まれていた。


「さて、オレはステーキをガンガン食うぞ。あとは、やっぱり酒だな。」


「僕もステーキにするよ。」


「金は気にすんな。リーダーは貴族出身だから、金だけはある。」


 僕は、彼の言った【リーダー】なる人物が気になったので、尋ねた。


「リーダーって?」


「オレの所属している冒険者チームのカシラのことだよ。そんなことより、早く注文して食おうぜ。」


「・・・うん。」


 僕も注文を決める。ガルクは、腰にぶら下げていた袋を僕の眼前で振ってジャラジャラと鳴らした。中を覗いてみれば、なんと、金貨がたんまりと入っているではないか。10万ガリアはくだらない資金だろう。彼は、この金で肉を食らい、女を喰らうらしかった。


「へへへ・・・リーダーは太っ腹だぜ。」


 正直、顔も名前も知れない彼の仲間の金で色々やることは、心が締め付けられる思いがあるのだが、いざとなればガルクにいっそ責任を転嫁してしまおうとも考えた。彼が、「目の前の果実にかじりつく生き方ってのを、試してみるのはどうだ?」と提案したのだから、しょうがないのだとない腹をくくった。


「うほー、肉きたぜー!!」


「うわぁ・・・凄いおいしそう・・・」


「ほら、早く食えよ。」


 ガルクは、自分のよりも先に、僕の分のナイフとフォークを差し出してくれた。


 僕は、久々の肉を口にした瞬間に、涙をこぼすのだった、それ程に美味で、快いものがあったのだ。ユニコーンという魔獣の肉は、歯で噛んだ瞬間に肉汁が溢れ出して、うま味で口内が満たされた。程よく焼けた表面はカリカリとした食感ながら、内の柔らかさを、実は包み隠していた。誇張の無く、人生で食らった肉の中で最もな美味であった。空腹から由来する悲観や鬱屈たる気分も、痛みも、喉を通った瞬間にはその美味で上塗りにされて、忘却することができた。


「おいしい・・・!」


「だろ?ここの大将の魔獣の肉の捌き方と焼き加減と味付けと、全部が最高なんだよな!」


 ガルクも僕も、無心で肉にひたすら食らいついていた。


 僕は、またこういった美味を食らうために、盗みなどという悪で手を汚さないように自らの心に誓った。あくまで正攻法に生きて、またこれを食らいに来ようではないか。


 酒は、アルコールの臭いと独特の苦い感じが苦手であったため遠慮させてもらったが、ガルクの方はそれを水のようにガブガブと飲み干していくのだった。これだけの量を摂れば、僕であったら気絶・・・あるいは死んでしまうかもしれなかった。浴びるように酒を呑むという表現が、まさに適当であった。


「いやーウマかったなー!!」


 ガルクは行儀悪く、フォークの先端で歯の隙間を突いた。




 ごちそうさまでした。僕とガルクの腰を下ろした席のテーブルには、グラスやら鉄板やら皿やらが山積みになっていた。彼が、とにかく暴飲暴食の限りを尽くした。会計の時、店員は注文のメモの確認に手間取う有様であった。合計、4万ガリア。常識的な範囲での二人での外食の金額としては、かなり高い金額であった。


 店を出ると、今度は満腹のあまりに体が鈍重に感じられた。今日は、もう夕食が不要であるかもしれない。外は夕刻の口で、空がほのかに茜色に染まり始めていた。


「さてさて、いい女はいねぇかな~」


 ガルクに黙って付いていくと、なにやらそれらしい雰囲気の裏路地に辿り着いた。看板には、美貌を曝け出す女性の多くがあった。猫耳を頭に生やした猫族(びょうぞく)や、尖った耳のエルフという種族も見られた。


 僕の背筋を、にわかに冷たい汗が伝う。視界がキョロキョロと落ち着きが無く、息が乱れる。こういった店の存在は、孤児院にいた頃から知の範疇ではあったが、いざ眼前にすると、非日常の独特な空気に酔いそうだった。ガルクは、そんな僕に目もくれず、品定めをするように、目尻の落ちた黄色の瞳をギョロギョロと左右に振った。


「そこの緑のおにいさん~今夜は私と飲みませんか~?」


 ガルクの腕に、ウサギの耳を頭部から生やした兎族(とぞく)の、長身の女性の腕が絡まって離そうとしない。拘束にも近しい恰好で、彼は豊かな女性の胸を眼前にして鼻の下を伸ばした。


「うへへへ・・・じゃあ、お邪魔しようかなぁ~」


 明らかに語尾も脱力した感じで、ガルクは兎族の女性に引かれるままに、煌びやかな光が溢れる店に引かれていこうとした。外壁は石でできているが、帝都の中心でよく見るような細緻な装飾を刻んでいる。明かりは、魔法のランプと似た色味をしていた。明々白々に、資金を注がれたと分かる店の秀麗な佇まいに、僕は瞠目した。


「あ!?たっかいな・・・」


「でも、金額に見合った良質なサービスですよ~どうです?」


「いや・・・さすがにやめとくわ。また羽振りが良くなったら来ようかな。」


 ガルクは、どうやら料金の一覧を一見して、驚愕の色を隠せないらしい。僕も、ガルクの過度の反応で、さすがに気になったので、店先のそれを一見した。一泊20万ガリア・・・僕の洗礼されていない目で見ても、どれも割高に思えた。


「あら、可愛らしいね。君はどう?遊んでいかない?」


 その時、ガルクの腕に抱きついていた店の女性と目が合った。兎の耳がぴょこぴょこと跳ねるのを見て、僕の心臓の音は高鳴りした。その女性は、快晴の空のような青をした瞳で、僕の瞳を覗き込んでいる。背中で風に揺れる金の髪や、あるいは、路地裏の影の黒を落とした身体の曲線が美しいと思った。


「こいつはオレの連れだ。また連れてくるよ・・・」


 僕は、ガルクの腕に引かれてその場を後にさせられた。裏路地をもとの通りに戻って、再度、人々が縦横無尽に行き交う大通りに出た。


「ヤバいな・・・さすがにあの店は金が足りねぇわ・・・別のところで探してみようぜ。」


 その時、通りを駆け抜けてくる女性を見た。僕とガルクの突っ立っているところに向かって、全速力で駆けてきた。


「アンタ、こんなところで何してるの!?」



「うぇ!?フ、フレア!?ひ、久しぶり・・・」




 ああ、たしかそれは、ガルクが牢の中で話していた、付き合いのある女性の名前だ。

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