第八話『一二六番元素エクシウム②』

 会議の出席者たちは、未来の地球の映像に圧倒されたのか、それとも単に相変わらずの低酸素で頭がぼーっとしているだけなのかはわからないが、とにかく静まり返っている。


 流体物理学者の歩木芽衣ほぎめいは、会場の反応などお構いなく、話を続ける。


 「次に、この映像がSF映画のような絵空事でないことを示さなければなりません。改めて、アクアリウムとTubeについて、詳細に説明させていただきます」

 と、映像だけでは終わらせてくれない様子。


 スクリーンでは、海上に浮く巨大な透明の水槽のような建造物から管が伸び、人や物が高速で行き来する映像が何度も繰り返されている。


「アクアリウムの方は、まだ単純です。映像からもお分かりの通り、それは人が暮らすための、水槽のような空間。その中に家や商業施設、公共施設などを建てます。アクアリウムの底に土の地面を敷けば、草花や木を育てることもできるでしょう。アクアリウム一つで、町や村ほどの規模になります。これが、人間の主たる居住スペースとして、世界中に点在することになります。世界規模なわけですから、アクアリウム同士が、そう近い距離に位置しないこともあります。二地点を繋ぐTubeの長さは、場合によっては、特急列車や新幹線を使うような長さ、ひいては飛行機を使うくらいにもなるでしょう。では移動速度はどうか。時速六〇〇キロメートル以上を想定しています。長距離の高速移動。この絵空事のような条件を実現するのが、『低重力』と『慣性』です。皆様も、ダークエネルギー襲来の日以降、嫌というほど実感されているとは思いますが、体を動かそうとすると、思ったよりも動く、ようになりましたよね。言い換えれば、重力、すなわち物体を鉛直方向に抑えつける力が弱まった分、慣性も大きくなりました。この低重量による慣性によって、加えるエネルギーあたりの移動距離、つまるところエネルギーパフォーマンスですね、これが飛躍的に向上しています。現状、自動車、船舶、航空機の燃費は、少なくとも従来の半分以下になったと報告されています。エネルギー資源の枯渇が予想される未来においてはなおさら、この環境を活かさない手はありません」


 力説する歩木芽衣の隣では、酸欠から復活した神東淳人しんとうあつとが静かに、小さなサイコロのような物を、右手から左手へ、左手から右手へと、サッカーのワンツーパスのように何度も投げ、交換を繰り返している。


「そんなアクアリウムとTubeですが……それら接合部はどうなっているのか。本来アクアリウムからは、人や物の往来のために、二本以上のTubeが、人体で言うところの動脈と静脈、毛細血管のように複雑に入り組んで伸びていますが、ここでは分かり易さを優先して、単純化した図で説明します」


 歩木芽衣の合図で、スクリーンには、直方体のアクアリウムの側面下部から一本の円筒形のTubeが伸びる構造、これを縦に切った断面図が表示される。


「アクアリウムとTubeは、その接合部にある扉付きの小さな区画によって隔てられています。この区画に、『シャトル』があります。人や物をTubeを使って移動する際は、Tubeよりもほんのひとまわり小さい、円筒形のシャトルに乗り込みます。Tubeとシャトルは底部のみ円筒の湾曲がわずかに削られて平面になっており、この設計のおかげで、管の中でクルクルと回転することがありません。移動の原理はこうです。シャトルの出発地点側のTube内を加圧。目的地点側はTube上部の空気弁から空気を抜いて減圧。圧力調整の具体的な方法に関しては後ほど説明します。加圧と減圧で空気の大移動が起こるわけですが、イメージとしては、ほとんど空気のない宇宙を漂う宇宙船の壁が破れた時を想像してください。宇宙船内はヘルメットを脱いで過ごせるよう酸素などの気体が満たされた空間。そこに急に穴が空くと、一気に宇宙側へ空気が漏出します。その勢いは、人の力では抵抗できない程です。宇宙映画でそんなシーンがよくありますよね。これを、密閉されたTubeの中で再現するわけです。すると、時速六〇〇キロメートル以上の速さで、シャトルが発射されます。計算上、揺れはわずかにありますが、シャトル内の人や物に大きく影響はありません」


 神東淳人は、相変わらずサイコロのようなものを投げて遊んでいる。


「次に、『素材』です。アクアリウムとTubeは、人を大勢収容したり、長大な管となるわけですから、相当強固でなければなりません。実は、富士産業は、これら二つの技術を実現する新素材を発見しました。ちなみに両方とも、同じ素材からなります。発見以来長らく未公開だったのですが……今回の人類史上最大の危機的状況に際し、自社の利益を度外視で公開することに決まりました。ここからは、まさに今日の今日、世界初公開の情報となります。そしてその重要機密とも言うべき情報の伝達役を、富士産業一の物理化学者、|物理化学者の神東淳人しんとうあつとに託します」


 神東淳人は、遊び相手にしていたサイコロを握りしめて、歩木芽衣と壇上の中央を交代する。

 彼女は一時降壇し、脇に控えていた仲間の科学者たちと、コソコソ話を始める。


 神東淳人が生意気にポケットに手を突っ込んで、

「物理化学者の神東淳人しんとうあつとです。単刀直入に申し上げますと、アクアリウムとTubeの素材となるのは、元素『エクシウム』です」

 と、切り出す。


 酸欠で凍りついていた会場が、振動を始め……

 

「一二六番元素だって!?」

「つまりは、新たな人工の超ウラン元素か?」

「元素はまだ百十八番までしか見つかっていないのに……そんな物が!?」

「ちょっと考えられないなぁ」

 と、皆疑問の声を次々と漏らす。

 

 神東淳人は、自分の忌憚無い言葉が、会場を大いに沸かしたと見て、

「いい反応を、ありがとうございます。エクシウムは、人工的に生み出した元素ではありません。かと言って、自然に存在するというわけでもありません」

 とさらに、妙な物言いをする。


 すると会場は、野次を飛ばし始め、

「どう言うことだ?」

「意味がわからない!」

「冗談なら早めに終わってくれよ?」

「皆にわかるように説明してくれ!」

 と、さらにざわつく。


 そんな中、舞台の裾では、こそこそしていた歩木芽衣ほぎめいと仲間の科学者が、何やら複数の大きなダンボールの箱を引きずっているが、皆気づかない。


 神東淳人は続ける。

「実は、大和国やまとこくは富士山の火道奥深く、かつてマグマ溜まりだった空洞内にある空間が、天然の、非常に強力な加速器のようになっていて、一定方向に高速の粒子が飛び交っているのです。そこにある重い元素、予想では八十二番元素の鉛に、四十四番元素ルテチウムイオンが高速でぶつけられてできた超ウラン元素の一種、それがエクシウム。強度に関して言えば、現状、この世で最強の素材でしょう。エクシウムは、チタンの十一万倍の強度。比重は約四十八、つまり水の四十八倍の密度です」


 ここで歩木芽衣が、会場が再びざわつくよりも前に、

「えーっ! まさか、そんなものが本当に存在するの?」

 と、わざとらしく大声で、疑問を投げかける。


 神東淳人は、待ってましたと言わんばかりに、

「ありますよ、ここにねっ! 歩木さん、よろしくです」

 と、歩木芽衣に目配せをする。


 歩木芽衣は段ボール箱を開封すると、

「はーい! よいしょー!」

 と言って、箱を勢いよく上へ向かって振り、中から大量の、細々こまごまとした何かを宙にぶちまけた。

 仲間の科学者たちも続いて、同じようにした。


 箱の中身は、フワッと宙を漂いながら、ガラスのように、キラキラと光を反射する。


 親指サイズの、ダイス状の透明物質。

 

 ゆっくりと、なだらかな放物線を描いて、会場中の四方八方へと、散らばり飛んでいく。


 歩木芽衣は、箱の中に残ったその物質を、ごそっと掴み取り、

「皆さん、どうぞそちら、おひとつ手にとってください。サンプルの『エクシウム・ガラス』です。純粋なエクシウムではなく、アクアリウムとTubeの素材用として、ガラスと組み合わせてあります」

 と言って、投げる。

 まるで、相撲の力士が塩を土俵に撒いて清めるかのように、である。

 

 エクシウム・ガラスが、皆の手に渡っていく。


 そのうちの一つが、チチブ議長の飲んでいた水のコップの中に入り込み……


「どう言うことだ……ガラスの内側に水が入ってしまった! 表面はツルツルで、穴ひとつないのに!」

 とチチブ議長が、水に浸かったエクシウム・ガラスを、宝石でも鑑賞するかのように、まじまじと見つめる。


 神東淳人はニヤリと笑みを浮かべて、 

「皆様も、お手元にミネラルウォーター、それもかなりの硬度のものがあると思いますので、そのエクシウム・ガラスをつけてみてください」

 と、皆に促した。


 皆、酸欠のことなどすっかり忘れて、見様見真似でエクシウム・ガラスをコップの水につけ始める。


 すると会場からは、

「本当だ、水が減った? いや水を吸収した! どう見ても吸水性の物質には思えないが……」

「どういう仕掛けだ? まるで想像がつかない」

「おい見ろ、水から引き上げたら、今度は水が滲み出てくるぞ!」

 と、驚きの声が。

 エクシウムガラスを、コップの水の中でカラカラと転がしてみたり、床に転がし踏みつけて、強度を確かめたりしている人もいる。


 神東淳人は、会場のボルテージが上がるのに合わせて、やや話す速度を上げる。

「びっくりですよね。それがエクシウムの性質です。その性質が、どのようにアクアリウムとTubeに活かされているのか。構造を紐解いていきます。まず両者の外見イメージは、魚の水槽と、カテーテル。ですが、実際の水槽やカテーテルほど空洞の占める割合が多いと、海面上昇時、浮力が強過ぎて海水と一緒に上昇してしまいます。そこで、潜水艦のように、二層構造にして、外層と内層の間に水を取り込むことで、沈むこともなく、浮き過ぎることもなく、ちょうど良い具合に海中の一点に留まれるようにするのです。数字的な話をすると、海中の一点に留まるためには、水と同じ密度『1g/cm^3』、海水だと厳密にはそれよりも大きい数字になりますが、とにかくアクアリウムとTube自体の密度が、それらの周囲を取り巻く液体の密度と等しくなるように、調整してやるのです。一方で、海面下降時は、排水して、できるだけ軽くなる。これでアクアリウムとTubeが海水から出て宙に浮いたとき、自重で潰れないようにします」


 会場からは、こんな声が漏れてくる。

「おいおい、それこそ絵空事じゃないだろうか……」

「そうだ、非現実的に思える」

 コノミカ・カイーヌ監督も、

「でも待って、この水が貫通する性質がひょっとして……ってあれ、なんだかお腹が痛いような……」

 と、お腹を抑えつつも考えを巡らす。

「いや、水を吸うのは確かにすごいが、そんな単純な性質だけでは力不足だろう?」


 などと、皆、エクシウムに興味を示しつつも、まだ神東淳人の言葉を信用するには至っていない。


「ええ、ええ。皆様がそうおっしゃる気持ちはわかります。中には、優れた勘をお持ちの方もちらほらいらっしゃるようですがね……。人が住めるほどのサイズの物体に、そんな機構を組み込むのは、どう考えても至難の業です。しかしなんと、この注水と排水を行う方法、エクシウムのおかげでほぼ完全に『自動』なんです」


 神東淳人がそう言って、握りしめていたエクシウム・ガラスを指で摘んで示す。


「その秘密は、特殊な『二重構造』にあります。外側はエクシウム。内側は強化ガラス。この小さなキューブも、その構造になっています。実はエクシウムは、強固なだけではありません。エクシウムの最も稀有な性質、それは、『液体の水に対してのみ、のにように振る舞う』点です。より正確に言えば、海面上昇などでエクシウムが液体の水に触れると、水分子をエクシウム原子どうしの微細な隙間から透過する性質を持つ。その際、海水中の塩化ナトリウム、塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウム、塩化カリウムなどの溶質は濾過され、エクシウム表面に付着する。例えるなら……半透膜による浸透圧現象と類似しています。まだ、これだけでは終わりません。そうして表面に付着した溶質は、一定以上の厚みになった時点で、最も内側、一番目の強化ガラス層、第二のエクシウム層に次いで、さらにその外側で第三の層となり、水の内側への透過を妨げます。海水面が下がり、アクアリウムとTubeが外側の海水と離反すると、エクシウムと溶質であるミネラル成分の壁を隔てて外側には何も支えがなくなり、水は内側のみとなるので、内側の水は自重で溶質の壁を壊しながら流出。海面上昇前の状態に戻ります。ちなみに、先ほどエクシウム・ガラスを『硬水』につけていただいたのは、軟水よりも硬水の方がミネラル分が多く壁を形成しやすいため、デモに適しているからです」


 皆、神東淳人の言う通り、エクシウム・ガラスを水に浸けたり、引き揚げたりしては、水の透過現象を見て不思議がる。


「注意点としては、海水の溶質の組成が地域によって異なるので、海水の溶質が『壁化』するタイミングには地域差があります。つまりは、アクアリウムとTube内への水の流入は、濃度の『低』い海水だと溶質の壁の形成まで時間が長くなるため『多』くなるし、濃度の『高』い海水だとすぐに壁が形成されるため『少』なくなる。そのため、それぞれの地域の海水の塩分濃度に合わせて、外側のエクシウムの壁と、内側の強化ガラスの壁の隙間の広さを調整してやる必要があります。今皆様の目の前にあるエクシウム・ガラスのキューブは、ミネラルウォーター用に調整していると言うわけです。水なんて硬度は知れていますからね、このデモ用のキューブのエクシウム層、強化ガラス層の隙間はかなり広めにとってあります。とはいえ実験用である手前、水にしてはかなりのミネラル含有量なので、もしこの後お腹を下す人がいらっしゃいましたら、申し訳ありません」


 ちょうどそこで、さっきから腹の調子が良くなかったカイーヌ監督が、

「あ! まずい! ちょっとトイレ!」

 と叫び、席を立ちトイレに駆ける。


 聴衆に名監督の悲痛の叫びは聞こえない。

 神東淳人も、哀れな監督のことは気にも留めず、続ける。


「また、先に述べました、Tube内の圧力の調整の原理はこうです。海面が上昇し海水がエクシウムの外壁を透過して内側に入り込む時、管内に元あった空気の行き場がなくなり圧縮され、かつTubeのシャトル発射側へと送られて貯蔵されます。逆に水位が下がり、海水がエクシウムの外へ流出する時は、Tubeの上部の空気弁を開き、海水と同体積の空気が再びエクシウムの外壁と強化ガラスの内壁の間に充填されて元に戻ります。つまり水位の上下という自然の力がシャトルのエネルギー源になり、人間の方で加える力はといえばTubeの空気弁の開閉をするほんのわずかな労力のみ。これで圧力調整にエネルギー資源を無駄に割かずに済むわけです」


 皆、ただ首を縦に振り、頷くのみで、野次を飛ばす者はもういない。


「建設計画についても、簡易的に説明しておきます。生産体制が整い次第、アクアリウムとTubeのパーツを世界中で総力を上げて作り、あらかじめ各地のラパス=フジ・ライン、標高三五〇〇メートル以上からアンデス・ライン、標高七〇〇〇メートルまでの場所へと運んで溜めておきます。それと同時並行で、Tubeとアクアリウムを繋いでいくための基軸となる巨大な支柱『大黒柱ブラックピラー』を数千本、大地に突き刺します。世界の水没に伴って、柱も沈んでいきますが、どんどん上へと積み上げて、最終的には高さ数千メートル、直径数キロメートルの支柱にします。この柱を基軸として、わけです。そして、ラパス=フジ・ラインの標高三五〇〇メートル、これはエクシウム・ガラスがギリギリ水圧に耐えられる高さですが、この高さのエリアが水没し始める少し前の段階で、運んでおいたアクアリウムとTubeを組み立て始める。つまり、当然ではありますが、標高の比較的低いエリアからアクアリウムとTubeの本運用が始まります。アンデス・ラインの七〇〇〇メートル、一番高いところにあるアクアリウムとTubeは、満潮でちょうど沈むくらいの高さに配置します。ギリギリ沈む高さにするのは、せっかくのエクシウムの水の透過の仕組みと、空気圧縮のシステムを活かすためです。そして、富士山はエクシウム生産のために水没から死守します。二千年後の未来もエクシウム供給を絶やさないようにするべく、山の周囲を固めて、火口を現在のおよそ倍の七〇〇〇メートルまで延長するのです。駆け足での説明になってしまいましたが、説明は、こんなところでしょうか?」


 歩木芽衣が、澄まし顔で、神東淳人へ拍手を送ると、

 

 会場の全員がそれに同調した。


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【ラパス=フジ・ラインとアンデス・ライン】二千年後の水没した地球で、ある土地が、水上から顔を出して『陸地』になれるかどうかの指標となる、二種の標高のこと。ラパス=フジ・ライン(標高三五〇〇メートル)を越せば、干潮時には陸地となり、アンデス・ライン(標高七〇〇〇メートル)を越せば、干潮時であろうと満潮時であろうと、常に陸地になる。前者を満たす地域は、世界水没対策会議の開催地ボリビアラパスや富士山を始め、数多く存在するが、後者を満たす場所は稀有で、そのほとんどがヒマラヤ山脈やカラコルム山脈などアジア地域に集中している。

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〈第九話『Tuberと巨大津波』へ続く〉

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