第四話『ダークエネルギー②』

__紀元二〇XX年__


 一週間もの暗黒。


 低重力。


 快晴の空に浮かぶ、黒い月ダークムーン


 その下の海は……


 大時化おおしけ


 暴雨風でも何でもないのに、である。


 荒れ狂う海水の塊は、低重力のせいで、ゆっくりと落ち、やおらに飛沫しぶきを上げる。


 長大な龍のようにうねりながら、大波が陸を目指す。


 大波はやがて、海岸にかかり、白い砂浜を深い青に変える。


 海岸沿いの幹線道路は、かろうじて、波の侵略から逃れている。


 その先の内陸部では……


 未曾有の異常事態に、地球の人類は、大パニックに陥っていた。


 交通網の崩壊。


 あらゆる機械の誤作動。


 それらに伴う、食料や生活必需品の不足。


 家の中も、屋外も、商業施設も、会社も、学校も、政府も、めちゃくちゃだ。


 パニックであたふたしているはずの人々が、これまでよりもずっと、ずーっとゆっくりと動くのが、これまた滑稽。


 人類は、今までの暮らしをすぐに取り戻せるはずもなく、全ての経済活動がストップした。

 

 人々は、世界秩序の大変革への対処法を、誰か早く打ち出してくれないかと、今か今かと、他力本願で待ち望んでいた。


 とはいえ、人類の生への執着とは凄まじいもので、ほどなくして、再興への一歩が踏み出されたのだった。



●●●●●●●●●●●●



 都市部を中心に、街中のLEDスクリーンが、ポツリ、ポツリと復旧し始めた。


 そして、スクリーンには決まって、とある映像が映っていた。


 そのタイトルは……


\\\\人類存続のための科学リテラシー教材 其の壱////


             ▶︎


 殺風景な白一色の空間に、神妙な面持ちの、男性と女性が、立っている。


 男性が物理学者イコカ・トーク、女性が映画監督コノミカ・カイーヌだ。


「カイーヌ監督。二七〇〇万キロメートル先の黒いもやが、三十秒後に地球を襲ったんだ……これが何を意味するか、わかるよな?」


「ええ。つまり、黒い靄の移動速度は、秒速約九十万キロメートル! 光速の三倍じゃないですか! そんな、光より速いものがあるなんて、あり得ない!」


「だが、人間は己の知恵を過大評価していると思わぬかね?」


「というと?」


「その黒い靄が、ダークエネルギーのような意味不明の存在だったら……分からんでもないぞ?」


「なるほど……あ、トーク博士。ダークエネルギーとは何か、ご覧の方々に説明が必要なのでは?」


「そうだな。そうしよう…………オッホン!! で、最初にお伝えするべきことがある。今、地球が低重力下にあるのは、結論から言えば、ダークエネルギーのせいだ! なぜこのような奇想天外なことになってしまったか、全人類が気になっているだろう。少々小難しく聞こえるかもしれないが、これも人類の科学リテラシーを向上させる良い機会。私たちが、今、地球で起こっていることを、わかりやすく説明して差し上げよう!」


「らしいです、皆さん! ついてきてくださいね!」


「でだ。ダークエネルギーについて説明するには、まず、この宇宙は何で構成されているのかを考えねばならぬ」


「はぁ。原子とか、そういうものなのでは? 水素、ヘリウム、リチウムみたいな」


「うむ。部分的には正しい。が、そんなもの、宇宙のダークエネルギーの量に比べたら、ミジンコほどの存在だ!」


「そんなぁ! じゃあ、学校で習った化学は嘘だったんですか?」


「まぁまぁ、落ちついて。これを見たまえ」

 トーク博士の手元に、大きな円グラフがカット・インする。

「この宇宙のパイ・チャートの構成要素と、構成比を読み上げてくれるか?」


「わかりました。ええっと……既知の物質が五パーセント、ダークマターが二十七パーセント、ダークエネルギーが……六十八パーセント!?」


「そう。我々はこの地球上の物質全てを知ることさえ不可能なのに、それは宇宙全体の物質のたったの五パーセントにしかならない!」


「で、ダークマターとダークエネルギーっていうのは一体何者なんです?」


「まず、ダークマターとは、質量があるが不可視で、銀河を漂うが既知の物質では触れられず、ダークマター同士も触れられない、やばい物質だ。これが宇宙を構成するうちの二十七パーセントだ」


「地球を襲ったのは、二つあるダークで奇妙な物質のうちの、ダークマターの方ではないんですか?」


「違うだろうな。今回の黒い靄は、第一に国際宇宙ステーションから確かに観測できた。第二に人々も皆その黒い靄を見たと言っている。第三に地球に確かに触れた。第四に皆その靄に包まれ、触れたと言っている。すなわち、見えるし、触れられるなら、ダークマターではないだろう」


「なるほど、納得です。で、残った『ダークエネルギー』とやらが、今回の未曾有の大事件の元凶というわけですか。それはどんなものなんです?」


「うむ。ダークエネルギーとは、宇宙を膨張させている力で、全ての物質に働き、外側へ追いやって、物質同士を引き離している。それ以外はぜんっぜんわからない、お手上げな野郎だ!」


「随分と掴みどころがありませんね……」


「ああ。でも、とにかくエネルギーなんだ! 何かしらのな! で、それを月が吸収して、真っ黒になった」


「ひょっとして、あれですか? 月は、ダークエネルギーを吸収したことで何らかの力を得て、地球を低重力環境にしたとか……」


「そういうことだ! カイーヌ監督、良い勘をしているな! ここでだ。天才物理学者アインシュタインが特殊相対性理論から導き出した公式、『E=mc^2』はご存知かね? 知らないなら、全員に知ってもらわねばならん! でないと、何が起こっているのか、理解が、できないからな!!」


「『エネルギー=Energy』は、『物質の質量=mass』に『光速=celeritus』の二乗をかけたものに等しい……」


「そうはそうなのだが、もーっと噛み砕いて、とっても雑に言うぞ? 公式の意味するところはこうだ。エネルギーと質量は等価だ!」


「博士、私はわかりますけど、もっと噛み砕いて言わないと……」


「わかっておるわ! 信じ難いかもしれないが、この事実を受け入れてほしい。」


「つまりはこうだ。なんらかの要因で、ここにいる質量を持った私たちが、とんでもない量のエネルギーに変わってしまうことが可能性としてはあるし、逆に、エネルギーの塊があったとして、それがなんらかの質量を持つ物質に変わることだってあるという、可逆的なものなんだ!」


「うんうん。核爆弾も、元を辿れば、この『E=mc^2』に行き着く、という表現がされることもありますしね」


「それは今は言わんでいい! 話がややこしくなる! 一旦忘れてくれたまえ。とにかく、質量はエネルギーに変わって熱とか光とか音になるし、その逆も然りと言うことだ!」


「わかりました。素人が口出しして、すみません」


「気にするな、畑違いの人間の声も時には必要……。で、今回は月がエネルギーを吸収した! サイズはあのままで、だ。つまり……」


「密度ギチギチで、超絶ヘビー級になったと言うことですか?」


「そう! そしてだ、次に一般相対性理論について触れよう。論旨はこうだ。『質量を持つものは、もれなく周囲の時間と空間を歪める』。そしてその歪みが、重力の正体! ちなみに質量が大きくて、密度ギチギチなほど、重力は大きくなる!」


「そうか、月が地球と引かれあって、ずっと離れずにニコイチになってるのは、ある程度の重さを持った天体同士だからなんですね!」


「そう! でだ、月はダークエネルギーを吸収、『黒い月ダークムーン』となり、サイズは変えず、密度ギチギチになり、極めて重くなった! だから重力も大きくなった! 月の重力、と言うのは、地球側から見れば、『引力』だ。地球は、引っ張られているから、これだけ、物がふわふわ漂う低重力環境になったということだ! おわかりいただけたかな? そうでないそこのあなた! もう少しそこにとどまって、もう一度この映像を見てくれ! でなければ、人類の新たな一歩は始まらないっ!!」


「私からも、切実に、お願いいたします!」


                ▪︎


—— This Material was Written and Directed by Konomica Cawine. ——



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【特殊相対性理論(一九〇五)】理論物理学者アルベルト・アインシュタインはその中で、特殊相対性原理と光速度不変の原理に基づき、光速についての三つの現象を説明した。①光速より速く進むものは存在しない。②光速に近づくほどものは縮んで見える(空間が歪む)。③光速に近づくほど、そのものの時間の進み方は遅れる(時間が歪む、ウラシマ効果)。それらにより、亜光速(光速に近い速さ)での運動の説明が可能になった。そして、もはや時間と空間は不変の存在ではないということ、時間と空間をひとまとめにした『時空』という世界の見方が可能だということから、ニュートン力学は部分的に修正されることとなり、常識が覆った。また、『特殊相対性理論』からは、かの有名な公式『E=mc^2(質量とエネルギーの等価性を表す)』が導き出された。

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〈第五話『ダークエネルギー③に続く』

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