66 泣かないで(3)

 礼央が、腕を捻って亮太を振り払おうとする。

 けど、幸いにも礼央には亮太を振り解ける程の力はない。


 こんなの、だめだ。


 ぐいっと腕を引き、また家の方向へ向かった。


「みかみく……っ」


 何か言おうとするのも聞かないままに、ただ、雨の中、その腕を引っ張った。


 助けを求めに来たのかもしれなかった。


 掴んだだけで、ぐしょぐしょの濡れたパーカーからは水が滴り落ちそうだ。

 こんな状態なのに、寒くないわけがなかった。


 抵抗されながらも、グイグイと引っ張って行く。

 暗い道を歩く。

 その力は次第に弱まって、ただ、礼央は亮太に引っ張られるばかりになった。


 パタパタと、雨の雫が落ちる。


 帰ったら、すぐにお風呂入れてもらって……。

 先に家に連絡入れておいたほうがいいかな。


 そんな事を思いながら、また、灯りの少ない住宅地へと入って行く。


「ごめん」


 と、後ろから声がかかる。

 掠れた声。

 礼央の声は、さっきまで元気そうだったのとは打って変わって、すっかり弱々しくなっていた。

 やっぱり強がってたんじゃないか。


「今日さ、ちょっと、家から出られなくて」


 礼央が、ボソボソと喋り出す。

 このチャンスを、逃したらいけないと思った。


「それって、用事?」

「……うん」

「用事って、何の?」


 踏み込まないように、なんていう配慮をする気なんてなかった。


「……弟の、世話」

「弟、なんて居たんだね」

「うん。今、2歳で。目が、離せなくて」

「……わざわざ、学校を休んで?」

「ああ……。今日は特別。……親が、出かけるからって」


 …………?


 何か、違和感があった。

 学校を休ませて、子供の面倒を見させる?

 親が用事なら、仕方ないことなのか。


「親が、忙しかったってこと?」

「うん……。なんか、記念日?らしくて」


 じゃあ本当に、食事とか、二人で出掛けるためだけに学校休ませたのか。

 なんか……。

 それってなんか……。


 妙な、感じがした。


「それで……、その、顔は?」


 聞くと、掴んでいる腕が、幾分かビクリとしたようだった。


「えっと……父親に」


 おずおずとした声。

 けど、有難いことに嘘を吐く気も隠す気もないようだ。……もしかしたら、もうそんな事を考える気力も無いということかもしれないけれど。


「帰ってきて?なんで?」

「なんか……、弟に食べていいって言ってないものを与えた、とかって」

「何か、メニューが決まってたんだね」

「いや……」

「じゃあ、食べていいものリストとか?」

「ううん。何も決まってないから、適当に冷蔵庫の中のもので、ご飯作って」

「それで?」

「冷蔵庫の中に、イチゴがあって……。弟、イチゴ好きだからさ、食べさせたら、『それはいいって言ってない』とかって」

「……食べさせていいものが、分けてあったとか……?」

「ううん。特にそういうのはないよ」


 …………なんだか、変な話のような気がした。


 なんかわかんないけど、朝から弟の世話した挙句、言いがかりみたいな事で殴られて、俺んとこ来たってことか……。


「父親とは、血が繋がってなくてさ……。なんか……ちょっと、当たりが強くて」

 礼央が、誤魔化すみたいに、困ったみたいに、今までの話を笑い飛ばそうとするみたいに、小さく笑った。


 笑って、それで、腕が、震えるみたいに揺れた。

 痙攣するみたいに。


 泣いてるんじゃないかと思ったけれど、暗くて雨でわからなかったし、後ろを振り返らないようにただ、黙って歩いた。


 ……俺にはただ、雨の音だけが聞こえる、から。


 そうこうしているうちに、数十メートル先に、家の灯りが見えた。


 腕をしっかり掴まえている事を、何度も確認する。

 そこに、礼央が存在する事を、何度も。


 あの時点で捕まえてよかった。

 ……見つけられてよかった。

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