バーボン小僧

 幼かった頃の私は、父に連れられた映画館で観た、“西部劇の男”に憧れた


 白黒映画で、タイトルも内容もよく覚えていないが、カウボーイハットを目深に被り、腰には愛用の回転式拳銃リボルバーを引っ提げた“賞金稼ぎのガンマン”は、バーのパタパタした扉を開けて、どっかりとカウンターの席に座り、ぶっきらぼうに『バーボン』と一言。そしてグラスに入った液体を、さも旨そうに飲んでいた


 映画館を出た後、私は父に、あれは何?と尋ねる


「酒だよ。バーボンって酒を飲んでるんだ」


 そう、父は教えてくれた。『バーボン』、なんて、かっこいい言葉なんだと、当時の私はいたく感動した


 そして時はすぎ、私、田口雅彦たぐちまさひこは24歳になった。高校卒業後、地元を離れて都会の商社に営業職として入社して6年。“営業マン”としてようやく独り立ちでき、仕事も順調だった


 ある日の接待の帰り。接待相手の社長さん、同席していた部長、課長がそれぞれ乗ったタクシーを見送った私は、当てもなく夜の街を歩く。煌びやかに光るネオンや、ライトアップされた看板が賑々しい。「お兄ちゃん、可愛い子いるよ。どうだい?サービスするからさぁ」なんて声は、今の俺にはお呼びでない。すると、一軒の小さな店が目に止まった


 『BAR ウェスト』


 その看板を見た瞬間、私の脳裏に幼き頃の思い出が蘇る。あのパタパタした扉じゃないが、ここはBAR。男たちが酒を飲む場所だ。かつて憧れた“賞金稼ぎのガンマン”になったつもりで、肩をいからせ、重厚感のある戸をゆっくり引き開けると、ウインドチャイムが、カランコロンと鳴った


 「いらっしゃいませ」


 少し暗い店内は、赤いチョッキに黒い蝶ネクタイ、髪をきちっと角刈りに整えた、中年のマスターと、カウンターの隅で、ピーナッツをツマミに“ダルマ”を美味そうに飲む、白髪の混じる中老の男が1人いるだけだ。どうぞと促され、入り口のコート掛けにジャケットを掛けると、カウンターの真ん中辺りに座る


 「凄え、これ全部酒なのかよ」


 私は思わず息を呑む。それもそのはず、私の知ってる酒はビールに焼酎、日本酒、それに“カク”に“アカフダ”、“ダルマ”。それにお得意先の社長さんが好きな“ジョニクロ”ぐらいのものだ。ここにはそれ以上の、英語で書かれた読めないラベルの貼られたボトルが、ところ狭しと並んでいる


 「何を召し上がりますか?」


 マスターの男の声で我に返った、“賞金稼ぎのガンマン”気取りの俺は、この時を待っていたと言わんばかりに、意気揚々と注文をする


 「バーボン」


 私は子どもの頃から憧れた、“呪文オーダー”をしたり顔で唱えてみる。だが、目の前のバーテンダーは何故か、少し困った顔をしている


 「バーボン、ですか......え〜、どのバーボンをお召し上がりでしょうか?」

 

 一瞬、時が止まる。私はこのマスターは、“バーボンも知らないモグリ”だと思った。一向に出てくる気配がないので、急かすように言う


 「バーボンと言ったら、バーボンでしょうが。バーボンだよ!」


 すると、隣で“ダルマ”を飲んでた中老の男が口を挟む


 「あんちゃん、そりゃ無理な注文だよ」


 その言葉にムッとした私は、男を睨みつけた。もし本物のガンマンであったなら、今頃、愛用の回転式拳銃リボルバーをサッとホルスターから抜いて、鉛玉をプレゼントするところだ。そんな私に臆する事なく、男は続ける


 「まあ、そう怖い顔するな。よく聞け、カウボーイ。いや、バーボン小僧キッドと呼ぶべきか。バーボンってのはな、酒の名前じゃねぇんだ」


 するとマスターは、申し訳なさそうに、カウンターに数本の瓶をズラリと並べながら、低く落ち着いた優しい声で、話始めた


 「バーボンっていうのは、アメリカンウイスキーの一種で、トウモロコシを主な原料に使って、主に、ケンタッキー州と言うところで作られたものを“バーボン”と呼ぶんです」


 私は急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして下を向いた


「生意気なこと言って、すみませんでした......」


と蚊の鳴くような声で謝罪すると、“ダルマ“の男は、気にする素振りも見せず、豪快に笑った


「誰にだって間違いはある、気にするな。若者は素直が1番だ。それより、せっかくマスターが何本か用意してくれたんだ。おじさんのお節介だ、一杯ご馳走するよ」


 目の前にズラリと並ぶ、読めないラベルの瓶の左から2番目にある、赤い蝋が垂れたような意匠の瓶に心奪われた私は、それを指さす


 「『Mark’s Maker(マークズ・メイカー)』ですね、かしこまりました。飲み方はいかがしましょう?」


 「じゃあ......おまかせで」


 「はい、かしこまりました。では『オン・ザ・ロック』でご用意します」


 マスターは慣れた手つきで、氷の塊をアイスピックで丸く削り、幅広なグラスに落とすと、その上からキッカリ1ショット分のバーボンを注いだ。そしてマドラーで数回、攪拌ステアすると、私の前に置いてあったコースターの上に乗せた


 「お待たせしました。『Mark’s Maker』オン・ザ・ロックです」


 グラスの中で、惑星ほしのような丸い氷と琥珀こはく色の液体が、店の照明の光を反射し、見惚れてしまうほどに煌めいている。私は恐る恐るグラスを手にし、少し口をつけてみる。喉が焼ける様な、アルコールのきつさに、少し驚く。だがその後にオレンジの様な“風味”と、バニラやキャラメルにも似た、“甘さ”が押し寄せてきた


 「美味しい。これが“バーボン”......これがウイスキーの味なんだ......」


 これまで接待の席や、連れて行ってもらったキャバレーなんかで、ウイスキーの水割りを飲んだことはあったが、美味しいと思ったことはなかった。だが今、それが大きく覆ったのだった


 その晩は、その一杯だけで帰ったが、私はすっかりウイスキーのとりこになってしまった。しかし、まだ若かったので、生意気だと思われないよう、決して表にせず、隠れるようにして『BARウェスト』に通った


 “ダルマ”さんやマスター、他のお客さんと色んな話をしながら、ジャパニーズ、カナディアン、アイリッシュ、スコッチ、そしてバーボンを含むアメリカンの色んな銘柄を飲んだ。するとそのうちに、自分の好みの味がわかってきて、その日の気分で、銘柄や飲み方を選べるほどに詳しくなった


 だが、マスターや“ダルマ”さんは、いつまで経っても私のことを、バーボン小僧キッドと呼んでいた。今思えば、相当可愛がってくれたのだった



 あの衝撃的な出会いから、40年の月日がたった。私はちょうど、あの頃の“ダルマ”さんぐらいの年齢になった。足繁く通った『BARウェスト』は、10年前、マスターが亡くなって店をたたみ、“ダルマ”さんは、音信不通、多分もうこの世にはいないだろう。最後の最後まで、彼の素性も本名も知ることはなかった


 2人の子どもたちは独立し、仕事は定年退職。今は妻とふたり暮らしだ。時折、こうして小遣いをもらい、行きつけのBARの扉をくぐる


 「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」


 「いつもの」


 それは『Mark’s Maker』オン・ザ・ロックだ。マスターは慣れた手つきで私の前にそれを置いた


 薄暗い店内で、グラスに入った琥珀色の液体を傾けると、芳醇な香りと甘さと共に、『バーボン小僧』と呼ばれていた、若かりし“あの頃の自分”を思い出した


終わり

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