天龍軒のラーメン (三)

 天龍軒には、束の間の平和が戻っていた


 あれほど鳴り響いた無言電話は、ついに終息。大繁盛とまではいかないが、常連客が気軽に入れるくらいには客足が落ち着いた


 ランチタイムも終わり頃の13時45分。今日もまたシゲさんこと茂は、カウンター端の指定席で、真昼間からビールと焼豚の切れ端で一杯やっていた


 ガラリと戸が開いた


「はい、いらっしゃい」


 みゆきが出迎えると、そこには『麺どうch』の3人が立っていた。この間来た時とは打って変わって、まるで“青菜に塩”の様相だ。とにかく入ってと、座敷席に案内すると、茂が若者たちに気づいた


 「あ!この間のガキどもじゃねぇか!何しに来た!帰れ!」


 若者たちは俯き、黙ったまま静かに座っている。すると、吉彦が、若者たちの姿に気づいた


「みゆき、暖簾を下ろしといてくれ」


 みゆきは表へ行き、暖簾を下ろし、札をひっくり返して『準備中』にする。茂以外の店内に残っていたお客さんを見送った


 暫くすると、吉彦が厨房から出てきた。カウンター席のシゲさんの隣に座り、タバコに火をつけた




「どうしたんだい?」


 すると3人の若者たちは、吉彦の方に向き直り、座敷の畳に額を擦り付けた。


 「本当に、すいませんでした!」


 おもてを上げさせた吉彦は、ひとまず話を聞くことにした


 『麺どうch』の活動は順風満帆で、近頃は人気ラーメンチェーン店や有名店からも、一目置かれるようになった。すると只の大学生の3人組だった彼らは、次第に“自惚れる”ようになっていった


 3人は今後、動画配信から軸足を移して、『ラーメンコンサル』を名乗り、人気のない古いラーメン屋をプロデュースする活動をしていくこと考えた。彼らの筋書きでは、古臭い店のラーメンを食べ、いままで通りのスタイルで改善案を出して店主に提案。そして自分たちの手伝いで、流行りの繁盛店へ変わるよう新陳代謝を促す


 老夫婦が営む天龍軒は、その、足掛かりのための生贄ターゲットにうってつけだったのだ


 しかし思わぬ反撃に遭い、一度は退散。動画はお蔵入りを考えたが、ここで夢が頓挫するわけにはいかない。悔しさのあまり、『徹底的にこき下ろす方向』に考えをシフトさせた


 撮った動画は、自分たちの都合のいいように切り貼り。あとは別撮りのトークで、天龍軒を一方的に悪者に仕立て上げた。公開した動画は、たちまち再生数が伸びていったという


 SNSや動画のコメント欄では、自分たちを称賛し、賛同する声が続々と増え続ける。


『俺たちを“コケ”にした罰だ。ざまあみろ』


 しかし、先日の一件で、あれほどまで称賛していたファンが、一気に手のひらを返した


 結果、動画は大炎上。登録者数が一気に450万ユーザ減り、コメント欄には誹謗中傷を含んだ声が、続々と増え続け、アカウントが凍結した


 災難は続き、炎上の影響で、大学は謹慎処分。さらに、彼らを一目置いていた、人気ラーメンチェーンや有名店が、軒並み梯子ハシゴを外した。コラボや宣伝案件の話は、全て白紙になり、一部推進中のものは、頓挫とんざ。損害賠償で、裁判になる可能性まで浮上したのだと言う


 一通り、若者の話を聞いた吉彦は、タバコを灰皿に押し付けるとため息を一つ。そして腕組みをして天井を見つめる。暫くの沈黙ののち、口を開いたのはシゲさんだった


 「横文字だらけで細けぇところまでは、わかんないけどよ。とどのつまり、あんたらが“偉い先生商売”をするために、こんな吹けば飛ぶような、古い店に散々ケチつけて、自分たちのいいなりにしようって考えた訳だ」


 俯いたまま小さく頷いた3人は、また怒鳴られると思って目を瞑る。だが帰ってきたのはシゲさんの笑い声だった



 「ハハハ、いやー青いねぇ。うん、青いよ。なあ、ヒコちゃん、みゆきちゃん?」


 吉彦もみゆきも、うんうんと頷く。『麺どうch』の3人がキョトンとする中、茂は続ける


「あのな、幾らお前さんらがヒコちゃん...いや、この店のオヤジさんに、『おたくのラーメン、こうした方がいい、味をこうしろ』なんて“馬鹿な話”を持ち掛けたとしても、お前たちに勝ち目はねぇ」

 

 これまで“舌”には自信があって、支持されてきた3人は、少しムッとするが、茂は構わず続ける


 「何せ、ここのオヤジさんはな、修行先の味を受け継いで、自分のものにしてから、こんなジジイになってもなお、味を磨き続ける、正真正銘の“ラーメン馬鹿”なんだからな」


 「ラーメン馬鹿...?」


 「ああ、そうだ。話を聞く限り、お前さんらが美味いっていうラーメンってのは、“お前さんらのような若者“が好きな味だろ?そんなもんは、所詮流行りだ。そんなラーメン屋は、案外続かねぇ。10年保てば“御の字”だ」


 するとカズヤは、物おじせずに疑問をぶつけた


 「あの、おじいさん。ラーメン屋さんでもないおじいさんが、なんでそんなことがわかるんですか?」


 すると、みゆきが優しく答える


 「シゲさんはねぇ、この街の大工さんだったのよ。この街の移り変わりは、よく知ってる。この店だって、シゲさんが建ててくれたのよ」


 「まあ、今はせがれに会社を譲った隠居のジジイだけどな」


 茂は豪快に笑った。そしてまた、若者たちのほうを向いて言った


 「そんな中、この店はここで何年やってると思う?53年だぞ?そりゃあ大したもんだよ。この街の子ども、大人、俺のような年寄り。男も女もみんな、ここのラーメンが好きなんだよ」


 しみじみと語り続ける茂。すると吉彦は、新しいタバコに火をつけながら口を開いた


 「ありがとうよ、シゲさん。あんちゃんたち、俺はそこのじいさんの言う通り、“ラーメンを作ることしか能のない男“だ。そんな俺が、こんな歳まで、この店を続けられるのは、みんなのお陰なんだよ」


 指でトントンとタバコの灰をおとすと、さらに続ける


 「ラーメンがいくら美味く作れるからって、店がやれるわけじゃない。うちのみゆきが、接客と金勘定して、設備屋、おしぼり屋、八百屋、肉屋、酒屋。それから製麺所なんかに世話になって、ようやく、俺はラーメンを作れる。そうしてできた一杯を、美味いといって食ってくれるお客さんがいて、初めて店が成り立つんだ」


 3人はまだ、俯いたままだ

 

「いいかい、あんちゃんたち。商売ってのは、ただ儲かればいい、ってものじゃないんだ。『尊敬と感謝、そしてまごころ』。その3つが大事だと、俺は思うんだ」


 そう言い終わると、タバコの吸い殻を灰皿に押し付けて、ゆっくり立ち上がる。啜り泣く若者たちに、吉彦はやさしく声をかけた


 「腹減っただろ?お代はいらないから、ラーメン食ってけ」


 吉彦は厨房にたち、さっき落としたばかりのコンロに再度火をつけた。そして慣れた手つきで黙々と、3杯分のラーメンを作る


「ヒコちゃん、あんたは変わらず、呆れるほどの、お人よしだよ」


 そうボヤくと、シゲさんは、残ったビールをグビッと飲み干した




 「みゆき、ラーメン3出るぞ」


 「あいよ」

 

 「はい、おまちどおさん、ラーメンね」


 湯気を立てる熱々のラーメンが、3人の前に運ばれてくるも、3人は俯いたままだ。


「ほら、伸びるぞ。美味いうちに食って、元気を出せ!」


 吉彦は、にっこり笑って食べるよう促すと、ようやく、若者たちはパチンと割り箸を割り、ラーメンを食べ始める


 今度はしっかりと麺を摘んでひと啜り。そして蓮華レンゲでスープを掬って味わう。滂沱ぼうだの涙を流しながら、この店のラーメンの感想を素直に伝える


 「おいしいです...これ...本当に。ああ、うまい...」



 ビルが乱立する都心のオフィス街から、一つ細い路地を入ると、一軒の古いラーメン屋がある


 店の名前は『天龍軒』。明るいおかみさんと、無愛想なオヤジさん。そんな老夫婦が営むこの店には、今日も、お客さんが絶えず、やってくる


 「しかし暑いねぇ〜ヒコちゃん。おたくには、冷やし中華ってもんは置いてないのかよ」


 いつものように、ビールを飲みながら店主、吉彦ににくだを巻いているのは常連客のシゲさんだ。そんなシゲさんの前に、この店の女将みゆきが熱々のラーメンを置く


 門外不出の醤油ダレを、鶏ガラと昆布、香味野菜でとったのスープに合わせ、麺は中太ちぢれ麺。その上にはモモ肉の焼豚チャーシューとナルトが1枚ずつ、そしてメンマと刻みネギが鎮座する


 そんな、絵に描いたようなラーメンは、今までも、これからも変わらない、天龍軒自慢の一杯だ


 厨房の奥から顔を出した吉彦は、常連客の冗談に付き合う。


 「そんなもの、ハナっからこの店にはねぇよ。文句があるなら、ラーメン食って帰んなよ」


 「ハハハ、冗談、冗談。オレはヒコちゃんとみゆきちゃんの愛が詰まった、この“熱々のラーメン”を食べにきてるんだ。邪険にしないでおくれよ〜」


 パチンと割り箸を割った、シゲさんはいつものように麺を啜り始める


 「ん〜うまい!やっぱこれだねぇ。よっ、日本一!」


 シゲさんの下手なお世辞を軽く受け流し、吉彦はラーメンを黙々と作り、みゆきは持ち前の愛嬌を振り撒きながら、接客を続ける。しばらくすると、またガラリと店の戸が開いた


 「はい、いらっしゃい。今日は暑いですねぇ」


 今日も天龍軒は変わらず、お客さんの笑顔で溢れていた


終わり

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