天龍軒のラーメン (二)

 電話の主は、三田村みたむらあつし(47)。獅子頭ししがしらプロレスに所属する、現役のプロレスラーだ


 彼の地元はこの街。小さい頃からこの『天龍軒』のラーメンを食べ続けてきた。彼もまた、シゲさんと同じ、古くからのお客さんだ


 三田村は、この店のTVで、父親とラーメンを啜りながら見た、プロレスの試合が忘れられず、プロレスラーを夢見るようになった。中学生になって、『身体を大きくしたい』と言った、三田村の要望に応えて誕生したメニューが、今も続く、儲け度外視で、麺とライスを無料で大盛りにできる、学生ラーメンだ


 「あら、アッちゃん珍しいわね。いつもならひょっこり来てくれるのに」


 「ちょっとね。あ、おじちゃんに代わってくれる?」


 みゆきは、受話器を吉彦に渡す


 「で、なんだ淳」


 「おじちゃん、急で悪いんだけどさ、俺この間のアメリカの試合でベルト取って、昨日、日本に帰ってきたんだけどさ」


 「おう、おめでとう」


「その祝勝会を明日、『天龍軒』でやりたいんだ。久しぶりに、おじちゃんとおばちゃんの顔も見たいしさ。頼むよ」


 「... わかった。そういうことなら、いらっしゃい。明日は、貸切にするよ」


 「ありがとう、おじちゃん!じゃあ、若手連中もあわせて10人ぐらいで、11:00に来るから!よろしくね!じゃあ、おやすみ」


 電話が切れたので、受話器を戻す吉彦の顔は、やる気に満ち溢れていた。そして、みゆきの目をまっすぐ見た


「みゆき、明日は忙しくなるぞ」


「ええ」




 そして次の日。店の前をしげるが通りかかると、『本日貸切』の張り紙が表に貼ってあった


「なんだよヒコちゃん、今日から営業再開するって聞いてたから、来たのになぁ」


 きびすを返すと、後ろから、“シゲさん”と呼ばれた。声の主は、丁度、店前を掃こうとしていた、みゆきだった。みゆきは、いいからいいからと言って、シゲさんを店内に入れた。出されたお冷をグイッと飲んだ茂は、準備をしている吉彦に尋ねる


 「いいのかい?今日“貸切”って、書いてあったんだけどさ」


 「ああ、あつしがな、祝勝会をここでやるんだと」


 「淳って、あのミタちゃんとこの、プロレスラーのせがれかい?」

 

 そうこうしているうちに、時間になり、ガラリと戸が開いた。獅子頭プロレスのトレードマークが入ったTシャツを着た、体格の良い男たちがゾロゾロと入店する。そして1番最後に、淳が入ってきた


 「おじちゃん、おばちゃん!来たよ!って、あれ?親方おやかたまで!」


 学生の頃の淳は、茂の建設会社でアルバイトをしていたので、茂のことを今でも、“親方”と呼んでいる。茂はもうすでに、ビールを引っ掛けていた


 「おう、俺までお呼ばれしたよ。淳、いい加減、俺を“親方”と呼ぶな。隠居して今は、たくが親方...いや社長なんだからよ」


 「へえ〜あの、“ヤンチャな卓ちゃん”が、社長ねぇ」


 「まあまあ、積もる話は後にして、アッちゃん、座って。ほら、ビールでも飲みなさいよ」


 若手選手の前で、“ちゃん付け”で呼ばれたベテランレスラーは、照れ臭そうに笑って席に座った


 ビールの王冠フタを開けると、みゆきがお酌をして回る。全員に行き渡ったところで、茂の乾杯の音頭で、祝勝会が始まった



 「さあ、好きなもの頼んどくれ。遠慮はいらん!どんどん作るから」


 厨房に立つ吉彦がいうと、淳や若手の選手は、思い思いにラーメンや餃子、チャーハンを注文する


 みゆきは注文を聞き、料理ができると、どんどん運ぶ。すると皆、一心不乱にうまいうまいと食べ進め、面白いぐらいに空の丼や皿が積み上がっていく。中にはラーメンを6杯食べた選手もいた

 

 あらかた食べ終わった後、酔って、真っ赤な顔した淳が、吉彦とみゆきをじっと見た


 「おじちゃん、おばちゃん!今日はありがとう!せっかくだからさ、店先で写真でも撮ろうよ」


 「やだよ、照れ臭くって」


 吉彦は、即座に断ったが、そんなことでは、淳は引き下がらない


 「いいからいいから、ね!」


 なし崩し的に、吉彦とみゆきが店の外に出ると、淳は、自分のスマホを付き人に渡し、淳を真ん中に左に吉彦、右にみゆきの順に並ぶように促した


 「はい、おじちゃん、おばちゃんも笑って!ハイ!チーズ!」


 撮った写真を確認すると、淳は満足そうな顔をした


 「いい写真が撮れたからさ、あとでサインと一緒に郵便で送るよ」


 「ああ、わかった。1番目立つところに、飾ってやるさ」


「今日は本当ありがとう!おじちゃん、おばちゃん、また来るよ!」



 若手の選手をゾロゾロ引き連れて、淳は帰っていった


 嵐が過ぎ、吉彦は夕陽を背に、ポケットからタバコを取り出して火をつけた


 「みゆき、まだ俺たちは、まだ衰えちゃいないようだなぁ」

 

  吉彦がボヤくと、みゆきが微笑んだ


「ええ、まだやれそうね」




 次の日、とあるSNSで『#天龍軒』がトレンド入りした。きっかけは、獅子頭プロレスの三田村淳選手のこの投稿だった


 『AWAヘビー級王者の祝勝会は、オレの地元のラーメン屋天龍軒で!ここのラーメンがなければ、レスラーの俺はいない。ドラゴンバスターも、この店で湯切りを見て、閃いたんだ。昔から何も変わらないこの美味さ!おじちゃん!おばちゃん!ありがとう&ご馳走さん!風評被害に負けるな、天龍軒!!ジャスティス!』


 投稿には4枚の写真が添えられ、店先で撮った記念写真と、天龍軒のラーメン。そして、長年のヤニや油で黄色くなった、古いサインに、若手の頃の三田村選手が写った色褪せたスナップ写真だ


 図らずしてか、1枚目と4枚目の写真は天龍軒の店先で同じ構図、同じポーズで、吉彦とみゆきが、写っていた


 それを見た多くのフォロワーが、その写真を、『エモい』、『感動的だ』と絶賛する中、“風評被害”と言うワードから、直後に、ある動画が、一気に拡散された。


 それは、あの日、“天龍軒で起きた出来事の一部始終”が収められた、映像だった

 



 この動画を撮り、SNSにアップしたのは、あの日、後輩と一緒にラーメンを食べていた高校生の昭雄だった


 彼は元々『麺どうch』のファンであり、憧れのインフルエンサーの、突然の登場に驚いた昭雄は、スマホのカメラを向け、こっそり動画で撮影していたのだ。だが、憧れの気持ちは、嫌悪感、そして憎悪に変わった。自分の大好きなこの店のラーメンが、目の前であんなにも、酷く貶されているのが、どうしても許せなかったのだ


 家に帰って、一度は溜飲を下げたものの、数日後、例の件が『麺どうch』で取り上げられたことで、再燃した


 自分たちの都合よく、編集された”天龍軒を悪者にする“動画に、昭雄は怒る。チャンネル登録を解除し、例の動画を、無加工のままSNSに投稿したのだった


 しかし、たかが平凡な高校生が投稿した内容など、すぐに情報の海に溶け込んでしまった


 だが、その三週間後、三田村の投稿を呼び水に、『暴露系インフルエンサー』によって、発掘されたそれは、瞬く間に拡散されていったのだった


続く

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