天龍軒のラーメン (二)
電話の主は、
彼の地元はこの街。小さい頃からこの『天龍軒』のラーメンを食べ続けてきた。彼もまた、シゲさんと同じ、古くからのお客さんだ
三田村は、この店のTVで、父親とラーメンを啜りながら見た、プロレスの試合が忘れられず、プロレスラーを夢見るようになった。中学生になって、『身体を大きくしたい』と言った、三田村の要望に応えて誕生したメニューが、今も続く、儲け度外視で、麺とライスを無料で大盛りにできる、学生ラーメンだ
「あら、
「ちょっとね。あ、おじちゃんに代わってくれる?」
みゆきは、受話器を吉彦に渡す
「で、なんだ淳」
「おじちゃん、急で悪いんだけどさ、俺この間のアメリカの試合でベルト取って、昨日、日本に帰ってきたんだけどさ」
「おう、おめでとう」
「その祝勝会を明日、『天龍軒』でやりたいんだ。久しぶりに、おじちゃんとおばちゃんの顔も見たいしさ。頼むよ」
「... わかった。そういうことなら、いらっしゃい。明日は、貸切にするよ」
「ありがとう、おじちゃん!じゃあ、若手連中もあわせて10人ぐらいで、11:00に来るから!よろしくね!じゃあ、おやすみ」
電話が切れたので、受話器を戻す吉彦の顔は、やる気に満ち溢れていた。そして、みゆきの目をまっすぐ見た
「みゆき、明日は忙しくなるぞ」
「ええ」
そして次の日。店の前を
「なんだよヒコちゃん、今日から営業再開するって聞いてたから、来たのになぁ」
「いいのかい?今日“貸切”って、書いてあったんだけどさ」
「ああ、
「淳って、あのミタちゃんとこの、プロレスラーの
そうこうしているうちに、時間になり、ガラリと戸が開いた。獅子頭プロレスのトレードマークが入ったTシャツを着た、体格の良い男たちがゾロゾロと入店する。そして1番最後に、淳が入ってきた
「おじちゃん、おばちゃん!来たよ!って、あれ?
学生の頃の淳は、茂の建設会社でアルバイトをしていたので、茂のことを今でも、“親方”と呼んでいる。茂はもうすでに、ビールを引っ掛けていた
「おう、俺までお呼ばれしたよ。淳、いい加減、俺を“親方”と呼ぶな。隠居して今は、
「へえ〜あの、“ヤンチャな卓ちゃん”が、社長ねぇ」
「まあまあ、積もる話は後にして、
若手選手の前で、“ちゃん付け”で呼ばれたベテランレスラーは、照れ臭そうに笑って席に座った
ビールの
「さあ、好きなもの頼んどくれ。遠慮はいらん!どんどん作るから」
厨房に立つ吉彦がいうと、淳や若手の選手は、思い思いにラーメンや餃子、チャーハンを注文する
みゆきは注文を聞き、料理ができると、どんどん運ぶ。すると皆、一心不乱にうまいうまいと食べ進め、面白いぐらいに空の丼や皿が積み上がっていく。中にはラーメンを6杯食べた選手もいた
あらかた食べ終わった後、酔って、真っ赤な顔した淳が、吉彦とみゆきをじっと見た
「おじちゃん、おばちゃん!今日はありがとう!せっかくだからさ、店先で写真でも撮ろうよ」
「やだよ、照れ臭くって」
吉彦は、即座に断ったが、そんなことでは、淳は引き下がらない
「いいからいいから、ね!」
なし崩し的に、吉彦とみゆきが店の外に出ると、淳は、自分のスマホを付き人に渡し、淳を真ん中に左に吉彦、右にみゆきの順に並ぶように促した
「はい、おじちゃん、おばちゃんも笑って!ハイ!チーズ!」
撮った写真を確認すると、淳は満足そうな顔をした
「いい写真が撮れたからさ、あとでサインと一緒に郵便で送るよ」
「ああ、わかった。1番目立つところに、飾ってやるさ」
「今日は本当ありがとう!おじちゃん、おばちゃん、また来るよ!」
若手の選手をゾロゾロ引き連れて、淳は帰っていった
嵐が過ぎ、吉彦は夕陽を背に、ポケットからタバコを取り出して火をつけた
「みゆき、まだ俺たちは、まだ衰えちゃいないようだなぁ」
吉彦がボヤくと、みゆきが微笑んだ
「ええ、まだやれそうね」
次の日、とあるSNSで『#天龍軒』がトレンド入りした。きっかけは、獅子頭プロレスの三田村淳選手のこの投稿だった
『AWAヘビー級王者の祝勝会は、オレの地元のラーメン屋天龍軒で!ここのラーメンがなければ、レスラーの俺はいない。ドラゴンバスターも、この店で湯切りを見て、閃いたんだ。昔から何も変わらないこの美味さ!おじちゃん!おばちゃん!ありがとう&ご馳走さん!風評被害に負けるな、天龍軒!!ジャスティス!』
投稿には4枚の写真が添えられ、店先で撮った記念写真と、天龍軒のラーメン。そして、長年のヤニや油で黄色くなった、古いサインに、若手の頃の三田村選手が写った色褪せたスナップ写真だ
図らずしてか、1枚目と4枚目の写真は天龍軒の店先で同じ構図、同じポーズで、吉彦とみゆきが、写っていた
それを見た多くのフォロワーが、その写真を、『エモい』、『感動的だ』と絶賛する中、“風評被害”と言うワードから、直後に、ある動画が、一気に拡散された。
それは、あの日、“天龍軒で起きた出来事の一部始終”が収められた、映像だった
この動画を撮り、SNSにアップしたのは、あの日、後輩と一緒にラーメンを食べていた高校生の昭雄だった
彼は元々『麺どうch』のファンであり、憧れのインフルエンサーの、突然の登場に驚いた昭雄は、スマホのカメラを向け、こっそり動画で撮影していたのだ。だが、憧れの気持ちは、嫌悪感、そして憎悪に変わった。自分の大好きなこの店のラーメンが、目の前であんなにも、酷く貶されているのが、どうしても許せなかったのだ
家に帰って、一度は溜飲を下げたものの、数日後、例の件が『麺どうch』で取り上げられたことで、再燃した
自分たちの都合よく、編集された”天龍軒を悪者にする“動画に、昭雄は怒る。チャンネル登録を解除し、例の動画を、無加工のままSNSに投稿したのだった
しかし、たかが平凡な高校生が投稿した内容など、すぐに情報の海に溶け込んでしまった
だが、その三週間後、三田村の投稿を呼び水に、『暴露系インフルエンサー』によって、発掘されたそれは、瞬く間に拡散されていったのだった
続く
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