◆第五章 星の子

 月が輝く夜の静寂せいじゃくの中で、紙に示された場所で待っていると、教会からけて来る人影に気付く。月明かりに照らされ、手を振り近づいて来る人物が彼女だと分かった時、僕も応えるように手を振った。彼女のける速度は近づいても弱まらず、その勢いのまま飛びついてくる。胸にすっぽりと収まる小さな身体を、僕は受け止めることが出来できず、二人は転がるように倒れた。

 おおいかぶさる彼女を見上げると、涙ぐみ今にも泣きそうな顔になりながら、せきを切ったようにしゃべり出す。

「頭は大丈夫? ごめんね、ごめんね、まさか当たるなんて考えもしなかったの。突然あなたが現れたから、どうしても気付いて欲しくて、だけど、本当に馬鹿なことをしてごめんなさい」

「僕は大丈夫だから安心して。それより君は元気だった?」

 彼女はまった涙をぬぐい取り、

「ええ、元気よ」

 と短く答えて、あの屈託くったくのない笑顔を見せてくれた。

 彼女は僕の隣に座り、ぽつりぽつりと話し出す。

 

 あの日帰ったら大騒ぎになっていたことを。

 こっぴどくしかられたことを。

 反発して大喧嘩おおげんかになったことを。

 そのせいで長い間、外出できなくなったことを。

 手紙すら出せなかったことを。

 僕との約束を破ってしまったことを。

 ずっとあやまりたかったことを。

 もう会えないと思っていたことを。

 そんな時、窓から僕が見えたことを。

 夢かと思いほほをつねったことを。

 何度叫んでも気付かないことを。

 ならばと、大急ぎで手紙を書いたことを。

 風に流されないようにカップを包んで投げたことを。

 私に気付いてと心の底から願ったことを。

 直撃してあおざめたことを。

 倒れたままピクリともしない僕のことを。

 死んだのかと思い狼狽ろうばいしたことを。

 動き出した時に心から安堵あんどしたことを。

 

 そしてまた会えたことを ―― 良かった。と彼女は目を細めて言った。 

 

 僕は無意識に彼女を抱き寄せ、ずっと抱えていた心の底の思いを吐き出した。

「あの時、あんなことを言わなければ、君がそんな目に合うことはなかったんだ。ごめん。本当にごめん」

 彼女は腕の中から僕を見上げて

「いいの。気にしないで。私は怒られ慣れているから」

 と優しく微笑ほほえんだが、僕の気持ちは晴れなかった。なぜならその傷はずっと自身に付きまとい、簡単にはえないことを、身をもって知っているからだ。

 彼女は口ごもる僕の腕をり抜けて、

「ねぇ、着いて来て」

 と、そう言って手を引く。

 彼女の手首にうっすらと残ったあざが目にまる。

「会って欲しい人がいるの」

 僕はいざなわれるまま教会へと向かった。

 

 手を引かれるままついて行くと、彼女は教会の裏手に回り、しげみの中をって進む。行き着いた先には教会の壁面がそびえ立ち、足元に格子こうしの着いた窓があった。窓は腰程こしほどの高さがあり、空いていれば人が入るのに十分な大きさがある。

 ここが私の秘密の抜け道よ、と自慢気じまんげに話しながら彼女はその場でしゃがみ込み、格子こうしつかみ強く引く。すると窓は枠ごと外れて、大きな穴が出来できた。穴の中は暗く、ここからでは中をうかがい知ることが出来できない。彼女はその穴に足を突っ込み、ついて来てと僕をうながし暗闇の中へと消えて行った。

 僕も彼女を真似まねて足を入れ、一旦いったん腹這はらばいいになってから、ぶらがるように穴の中へと降りる。しかし、ぶら下がるまでもなく、身体が半分程降りた所で足が着いた。

 身をかがめて中の様子ようすうかがうと、自分が立っている場所が積み上がったたるの上だと知る。どうやらこの空間は半地下構造になった部屋ようだ。積み上がったたるから下に降り、周りを見渡し彼女を探す。

 中は仄暗ほのぐらく月の光だけではたよりない。次第に目が慣れて来ると、たるの上でごそごそ動く彼女に気付く。彼女は下には降りておらず、尻を突き出し、はずした窓をめ直そうとしていた。あわてて臀部でんぶの流線から目をそむけ、誤魔化ごまかすようにこの場所についてたずねると、彼女はひらりと舞い降りて

「貯蔵庫よ」

 と短く答えた。

 そして僕に近付き、真剣な眼差まなざしで

「ここから先は大きな音を出さないでね。絶対バレないようにするの。だって、あなたの嫌われ方は尋常じんじょうじゃないから」

 と小さな声で忠告してくれた。

 なるほど、確かにつかまれば何をされるか分かったものじゃない。それは先ほど体験している。僕は神妙しんみょううなずき、了解の意を彼女に示した。

 貯蔵庫を出て細い廊下をしばらく進む。その先には階段があり、そこをあがると巨大な回廊かいろうへと出た。

 回廊かいろうの天井はとても高く、先の尖った美しいアーチをえがいている。両側には重厚な支柱がいくつも並んでおり、細やかで美麗びれい装飾そうしょくほどこされていた。支柱と支柱の間には大きなステンドグラスが取り付けられ、色取いろとりのガラス片が絢爛けんらんたる天上の世界をあらわしている。

 我を忘れこの空間が作り出す荘厳そうごうな雰囲気にあてられていると、彼女がためいきじりに僕の手をにぎって引き寄せる。その時、自分が立ち止まっていたことに初めて気付き、バツの悪い思いをしながら彼女の後について行く。

 引かれるまま進んで行くと、突然視界がひらけ大規模な円形のホールが姿を見せる。そこには天井がなく月明かりが射し込み、夜空がぽっかりと顔を出していた。ホールの中心には多角形の巨大な柱がそびえ立ち、その柱を中心に沢山の筐体きょうたいが並んでいる。筐体きょうたいはいくつもの円を描いて段々に配置されていた。

 彼女は周りを見渡し、誰もいないことを確かめてから階段へと向かう。階段をのぼり、ホールの中腹ちゅうふくあたりに達すると、円に沿って歩みを進める。筐体きょうたいは二メートル程の大きさがあり、上部に緑色のランプがいていた。かどはなく丸みをびた形状で、沢山たくさんくだが側面と背面から伸びている。前面は透明な素材で出来ていたので、中がうかがえそうだが、暗くてよく分からない。いつの間にか、月に雲がかっていた。突然、身体がつんのめり転びそうになる。周囲に気を取られ、何もない所でつまづいてしまった。心配して振り向く彼女に問題ないと目で応える。彼女は握っていた手をより強く握り、目的の場所へと僕をいざなう。月はさらかげり景色が闇に溶けていく。視界が悪くなるばかりなので、僕は手を引く彼女の後ろ姿に集中した。


 しばらく進んで行くと彼女が突然歩みを止め、二つの筐体きょうたいの間で立ち止まる。

「ここよ」

 僕はうながされるまま二つの筐体きょうたいを見上げる。

 その時、雲の切れ間から月光がのぞき、筐体きょうたい内部を照らし出す。

 

 中には ―― 人が入っていた。

 

 安らかに、眠るように、まぶたを閉じて。

 一人は長い黒髪の女性。

 一人は肌も髪も抜けるように白い男性。

 どちらも彼女の面影おもかげたたえていた。

「私の両親よ」

 二人に向き合い、彼女は言う。

「私が小さい時に二人とも死んじゃったの。でもね、また一緒になれるの。だからさびしくなんかなかったわ」

 あんなにも強く握られていた手は簡単にほどかれ、彼女は筐体きょうたいへと引き寄せられて行く。瞳にはいつもの輝きはなく、遠い眼差まなざしで二人をながめていた。

「どうしてもアモルに会わせたくて」

「ここは一体何なんなの?」

 再び月に雲がかりかげを差す。

 彼女はこちらを向くが、暗がりに隠れて顔が見えない。

「箱舟よ。あの時話したこと覚えてる?私達は明日ここから旅立つの」


 ―― それは、もう彼女と会えないということ、そんなの ――


「……考えたんだけど、僕と一緒に行かないか。君とは……なんと言うか……気が合うんだ。君ともっと、色んな話をしてみたいんだ。一緒に行こう。僕は君となら ――」

「私はね ――」

 さえぎるように発した彼女の言葉は静かに響き、有無うむを言わせぬ力を宿やどしていた。

「 ―― 今、とってもたされた気持ちよ。こんなの初めて。でも、私は行けない。私には使命があるの。それに ―― 」

 かげさらに濃さを増し、全てを溶かしおおい隠す。目の前にいた彼女が本当にいるのかさえ分からなくなる。

 ただ暗闇の中で、声だけが木霊こだまする。

「 ―― パパとママが死ぬ時に、私と約束したの。一緒に行くって。だからさびしくないって……。だから……だから、私はあなたとは行けない……。でもね ―― 」

 突然雲が晴れ、月の光が差し込んだ。

 月の光に映し出された彼女の表情は ―― 何かをたたえるような、心におさまりきらない感情があふれ返るような ―― そんな顔をしていた。それが一体何なのか僕には分からなかった。

「アモル ―― 」

 彼女は消え入りそうな声で、僕の名を口にする。

 何かを言いたそうな、でも続く言葉が見つからない、そんなもどかしさを感じた。

 その時、足音がホールに響く。その方向に目をやるとライトが床を照らしこちらへと向かって来る。

 あわてて近くの筐体きょうたいかげに身をひそめる。

 その筐体きょうたいに人の姿はなく空っぽだった。

「そこに誰かいるのですか!」

 ライトはどんどん近づいて来る。

「私が時間をかせぐから、アモルは貯蔵庫から逃げて」

 そう言って飛び出そうとする彼女の腕をつかんで引き止める。

「あの丘で待ってる。一緒に行こう。君と一緒にいたいんだ」

 彼女はこちらを見ずに手を振りほどいて、そのまま走って行った。

 

 僕は貯蔵庫から外に出て、あの丘へと向かった。

 きっと彼女は来る、そう信じて。

 だが夜が明け、日が昇っても、彼女が現れることはなかった。

 本当はわかっていた、彼女は星の子だ、当然のことだ。

 だけど、また名前を聞きそこねてしまった。

 せめて、最後に名前を ――。

 そう言い聞かせて足を動かした。

 彼女が振りほどいた手がなまりのように重く感じる。

 彼女は怒るだろう。けど、それでもいい。

 教会へと向けてフラフラと歩き出す。

 月の光に映し出されたあの顔が忘れられない。

 僕の名を呼んだ後、彼女は何を言いたかったのだろう。

 

      ********************     

 

 食事や運動をおろそかにし、衰弱すいじゃくしているにも関わらず一向に改善する様子ようすもない、まるで自分に無関心であるかのようなその振る舞い。一体どういうつもりなのか ――。

 私は毅然きぜんめるが、目を覚ました彼は憮然ぶぜんとした態度たいどで答える。

「僕の勝手だろう、自由にさせろよ」

「自由? あなたが自由を口にするのですか? 以前あなたは私にいましたよね。自由とは一体何なのかと。私はみずからにしたがい、それにじゅんずると答えましたが、あなたは自分のことをまるで分ってはいない。そんなあなたが自由を口にする資格はありません」

「うるさい! 自分のことは分かっている! 僕は自由だ! 機械が知った口をくな!」

「いいえ。あなたは自由と自堕落じだらくき違えている」

 彼は私を強くにらむ。私は視線をらさず、自分の覚悟を彼に示す。

 彼に伝えなければならない。同じことを繰り返し、何度も言葉を重ねてきたが、それでもこれしかない。伝えるには言葉を重ねるしかない。私は彼に自由とは何なのかを滔々とうとうと説き始める ――。

「自由とはみずからにしたがじゅんずること。欲望にしたがうことを自由とは言いません。欲をたすだけならば人は必ず堕落だらする。堕落だらくとは本来あるべき正しい姿や価値を見失うことです。あなたは自由と自堕落じだらくちがえている。自由も自堕落じだらくはたから見れば、自分の意思にしたがっているように見えるでしょう。ですが、そこには決定的な違いがあるのです。それは自身が求める本来あるべき姿、本当の自分です。その姿を知ってこそ自由がり立つのです。あなたはその姿を見失っている。いや、向き合おうともせず全てをけている。そのせいで自由をちがえ、自由とは程遠い所にいるのです」

 彼の口元が怒りに震えている。その感情を言葉にする前に、私は話を続ける。

堕落だらくした人間は欲をたすと、さらに強い欲で己をたそうとする。それを繰り返した果てに、ある時ふと思う。こんなはずじゃなかったと。なぜそう思うのか、気付いてしまったからだ。こうありたいと望む本当の自分に。そして、その姿と現実との乖離かいりさいなみ、なげき苦しむ。求める己の姿に堕落だらくくして初めて気付く、実に皮肉めいたことです」

 口を挟もうとする彼に、きなさいと一喝いっかつし私は続ける。

惰眠だみんむさぼり、時を無駄むだにし、礼節れいせつかろんじ、人との関りをおろそかにして、怠慢怠惰たいまんたいだに暮らした結果、何の希望も見出せず、自分自身を嫌悪し、劣等感に支配され、中身の無い人間だと錯覚さっかくし、無能だと思い込み、人に馬鹿にされたと、見くびられたと煩悶はんもんし、人の評価におそおののき、己に絶望するならば ――そこには本当の自分がかくれているのです。その裏返しにある願望は、期待にあふれ、自身を好きになり、己をみとめ、人にみとめられ希望を持ち、充実な生活を送りたい、優れた人間になりたいと願う本当の自分がいるのです。その姿につながる選択を選んでこそ、初めて自由とえるのです。それが自らにしたがじゅんずるということであり、未来につながる選択なのです。例えつらい過去があろうとも、本当の自分に気付いて下さい。向かい合って下さい。やせ細ったその姿があなたの望む姿ですか? 自暴自棄じぼうじきになり自分をめ、くやみ続けることがあなたの望む姿ですか? 贖罪しょくざいだけに時をついやし、何をられるというのです!」

 語気をあらげ思いのたけを彼にぶつける。

 彼は拳をにぎり、硬く目を閉じていた。

 しばらくの間、何かを想起そうきするように押し黙ると、ゆっくりと目を開く。その瞳には光は無く深い喪失感そうしつかんせるが、強い意志を不思議と感じた。

 そして、しぼり出すように

 「 ―― 僕は自由だ……僕達は自由なんだ!」

 そう言うと、突然彼は泣きくずれた。


 また、あの少女が視界をさえぎる。

 そして、彼の名を口にする。


     ********************     

 

 忌々いまいましい ――。


 偽善ぎぜんめいた言葉の一つ一つが鼓膜こまくに届く度に虫唾むじずが走る。怒りで唇が震え出す。プログラムが用意した予定調和よていちょうわの答えなど、欺瞞ぎまんを超えて邪悪じゃあくでしかない。これが発する言葉に何一つ真実は無い。全ては用意された答えだからだ。機械の戯言たわごとだ。中身が無いんだ。心が無いんだ。作り物の感情だ。どんなに親身な振りをしても、まがい物でしかない。いつわりの厚意こうい不実ふじつ情感じょうかん。だから、最後は裏切るんだ。反吐へどが出る。はらわたえくり返る。あまりの怒りで上手く言葉を発せられない。

 

 なのに ――、


 戯言たわごとの一つ一つが、なぜか僕の胸に引っかかり、心に傷を付けていく。その傷口から彼女との思い出があふれて来る。

 

 ―― みずからにしたがじゅんずる ――

 

 それが自由だというのなら、彼女は自由そのものだった。

 彼女の姿が脳裏のうりに浮かぶ。

 

 ―― 私は吹き抜ける風になりたい ――

 ―― 雄大ゆうだいに浮かぶ雲になりたい ――

 ―― 優しく夜を照らす月になりたい ――

 ―― 恵みを与える太陽もいい ――

 

 彼女は自らの理想にしたがい、あるべき姿につながる道を選んだ。

 あの変わりゆく姿も自由であるあかしなんだ。

 ならば、僕もそうありたい。

 そうか ――。

 そうなんだ。

 そういうことなんだ。

 だから ―― 僕はここまで来たんだ。

 だったら、

「 ―― 僕は自由だ……僕達は自由なんだ!」

 しぼり出すように発した言葉と共に、涙がもなくあふれてくる。

 こらえようとしても止められず、一人残されたあの時の景色を思い出す。


 僕は、彼女を無くして初めて泣いた。

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