◆第二章 目覚め

「 ―― 自由ですか」

 眠りから目覚めた彼は唐突に質問を投げ掛ける。私はカップに温かい飲み物を注ぎ、いぶかしりつつも回答する。

「誰にも束縛そくばくされないことだとか、選択の権利だとか、色々と解釈がございますが ―― 読んで字のごとく、みずからに由(したが)う。ただそれだけです」

 と言ってカップを手渡す。彼は予想外の答えにきょとんとした表情で渡されるままカップを受け取った。私はそんな彼の前に座り 、

「【自】の字は【みずから】を意味し、【由】の字は【したがう】という意味を持ちます。ですから、字面じづらそのまま、見たままです。実にシンプルな事柄ことがらです」

 そう話しながら彼の生体チェックを開始する ―― とは言っても『みずからが本当に望むことを知り、それにじゅんしたがう』というのは、何よりも難しいことではあるのですけどね ―― と、最後に付け加えて。

「コールドスリープによる筋力と骨密度の低下は少し見られますが、バイタルサインは良好です。長らく冷凍状態にあった細胞の膨張ぼうちょうは許容値で、しばらく日常的な生活をすれば自然に治癒ちゆされるでしょう。何の問題はありません」

 と彼にげる。しかし、彼は聞いているのか、いないのか、何やら思い詰めたように、彼女は自由なのか ―― と、言葉をらした。その様子ようすは心ここに在らずといった感じで、渡した飲み物も口にしようとしない。この閉鎖された空間で、思い悩むのは不味まずかろうと、気がまぎれるように話題を変えた。

「そうだ、外をごらんになられますか。とても見応みごたえがありますよ」

 とカップを置かせ、景色の見えるラウンジへとなかば強引に連れて行く。私は彼に歩調を合わせてしゃべり続けた。

「きっと母艦に乗っている方々は、お祭りのように騒いでいたでしょうね。なんたってこの広大な宇宙で十数年に一度、観測できるかどうかの天体ショーです。その上、我々が永らく暮らしていた星の主星しゅせい(太陽)ですからね、一生掛いっしょうかかってもお目にかれない一大イベントです。実に感慨深かんがいぶかいものがあったでしょう」

 そう言い終わる頃に、壁一面ガラス張りのラウンジに到着した。


 そこには大輪たいりんはなが咲きほこるかのように、巨大な星雲状せいうんじょうの天体が一面をおおくしている。それは暗黒の宇宙をいろどる星の死骸しがい ―― 超新星ちょうしんせい

 多彩たさいな色でり合う星雲せいうんかたどつくる花びらは、宇宙にまくるように大きく開いてあざやかに光り輝く。赤色、青色、黄色、緑色、紫色、花びらを作り上げる色相は幅の広い濃淡のうたんを持ち、ある所では交錯こうさくし、ある所では溶けるようにじり合い、新しい色彩しきさいを生み出していく。夢幻むげんに乱れる色色いろいろは、花びらを通る血脈けつみゃくのようにからみ合い、きらびやかで幻想的げんそうてきはな形作かたちづくる。激しく輝く中央部分はまぶしい程に白くなり、繊毛状せんもうじょう花糸かしごと鋭利えいり光芒こうぼうが放射状に広がっている。

 そして、はなの中心からは花柱かちゅうのように伸びる一本の極彩色ごくさいしょくのジェットが、私達の進むべき『道』を示していた。

 只々ただただ目を奪われ、只々ただただ美しく思う。

 彼は無言のまま窓に近づき、その景色に見入っている。

 私は彼のかたわらに立ち、

「私達の主星しゅせいは三千万年という天命をまっとうし、実に見事な最後を迎え『ほしことわり』へと回帰かいきしたのですね。本当に美しいですね」

 と話しけたが、何の返事も相槌あいづちもなく、彼は景色をながめたまま、


 ―― 生まれ変わったら何になりたい ――

 

 とつぶやいた。


      ********************     


 ―― 自由を感じていたんだ ――


 その返答を聞いた彼女は変な人、と答えて、またクスクスと笑う。

 僕は腰を抜かしたような格好で、ぽけっと彼女を見上げている。

 やっと頭が回り始めると、笑われていることに対して徐々に怒りを覚えたが、彼女の屈託くったくのない微笑ほほえみに毒気どくけを抜かれてしまい、みだれにみだれた心根こころねはようやく平静を取り戻した。そして、自身の言動を冷静にかえりみると、みょう可笑おかしく思えてきて、彼女と同じように笑ってしまった。

 彼女は笑ってもいいのだと判断したのか、声を出して笑い始めた。

 僕もつられるように声を出して、思いっきり笑った。

「 ―― ここまで驚いたのは初めてだ」

おどかしちゃってごめんね。悪気はなかったの。ただあんまりにも、あなたが気持ちよさそうだったから、興味がいちゃって」

 彼女は涙をき、息をととのえながら苦しそうに話す。

「君は何をしていたの?」

 と投げ返すと、またクスクスと笑い、

「私は ―― 考えていたの」

 と僕を真似まねて答えた。

 目を泳がす姿が滑稽こっけいそのもので、また互いに笑い合う。

 ようやく笑い終えると彼女と目が合った。

 彼女は何かを思い付いたように、にんまりと微笑ほほえみ、

「ねぇ、あなたに答えて欲しい質問があるの」

 と尋ねるので、僕は何も考えずに了承した。

 すると彼女はるように詰め寄り、腰をかがめて顔を近づけて来る。人と接する距離がめんらう程に近い。座ったままのける僕の目を、見据みすえて彼女はう。


「あなたは ―― 生まれ変わったら何になりたい ―― 」


 頓狂とんきょういに再び思考が停止する。

「私は ―― 吹き抜ける風になりたい。雄大ゆうだいに浮かぶ雲になりたい。優しく夜を照らす月になりたい。恵みを与える太陽もいい。生命をはぐくんできた海。おだやかにさざめく草や樹もがたいわ ―― 」

 彼女は目を閉じ両の手を広げ、その場をくるりと一回りする。

 全身で自然を感じているかのように ――

「 ―― 色々なりたくて、ずっと悩んでいるの」

 そう言うと、また僕を見詰みつめる。

「あなたは変な人だから、きっと私に無い答えを持っていると思うの。ねぇ、あなたは何になりたい?」

 目の前の変な子に、変なひとあつかいされていることを不本意ふほんいに思いつつ、この変な状況をどう対処しようかと考えあぐねたその瞬間、目の前にある特徴的な服装が何であるかを思い出した。

 所々にほどこされた金字きんじ文様もんよう

 白を基調とした一つながりの着衣。

 簡素かんそよそおいではあるが、上等でひんのある細工さいくや布地。

 柔らかい風にもてあそばれ、足元の布がひらひらとはためく。

 それは星教せいきょうを信仰している人の身なりだった。

 僕は質問には答えずにたずねた。

「君は ―― 『ほし』なの?」

「ええ。そうよ。ほらあそこに見えるのが分かるかしら ―― 」

 と学校と反対方向の平地を指差ゆびさす。

 立ち上がり、彼女の指し示す方向を確認する。

 そこには荘厳そうごんな教会がそびえ立っていた。

 あの教会から ―― 驚き、彼女を見る。

 ほし

 俗世間ぞくせけんから隔離かくりされた神聖な存在。

 浮世離うきよばなれした言動と振る舞いに合点がてんがいった。

 と同時に疑問がく。

 そんな存在が、こんな所に一人でいるということは ――

「もしかして、抜け出して来たの?」

「そうよ。でもだから何? 私だってその制服の学校、知ってるんだから」

 と何やら自慢気じまんげに言う。

 言葉をうしなう僕に彼女は詰め寄り

「そ、れ、よ、り、も ―― 」

 と小さな指で胸をつつく。

「 ―― あなたの答えが聞きたいわ」

 純粋無垢じゅんすいむく双眸そうぼうが、きらきらと輝きけて来る。


 ―― 生まれ変わったら何になりたい ――


 彼女はそう言った。

 僕は戸惑とまどい悩む。

「そんなこと、急に言われても分らないよ」

「大丈夫、あなたは答えを持ってるわ。私の目にくるいはないもの」

 彼女はそう言ってさらに詰め寄る。

「心を空っぽにして。感じたままを話せばいいの」

 何が何でも答えを聞きたいようだ。

 僕はためいきじりに空を見上げる。

 どこまでも高く透き通る青空。

 雄大ゆうだいに流れ行く群雲むらくも

 全てが吸い込まれそうな感覚になる。

 無限に広がる大空は何を思うのだろう。風が吹こうが雨が降ろうが、そんなことはおかまいなしに悠々ゆうゆうと在り続ける。きっとこの空は大きすぎて、ほとんどの事柄ことがらは気にもめない些末さまつ出来事できごとなんだろう。あぁ、僕とは違うのか。僕はこの空の下で何をしてきたんだろう。これから何をするんだろう。全ては気にもめない些細ささいなことだ、なんて到底とうてい思えない。

 かなうのであれば僕は、

「 ―― 理想の自分になりたい」

 と彼女の目を見て答えた。

 彼女ははと豆鉄砲まめでっぽうらったような顔をする。

「自由だと常に感じられる心を持っていたい。正しいと思えることをして、胸を張って生きていきたい」

「生まれ変わらなくてもなれるじゃない」

「生まれ変わってもそれになりたいんだよ。月や太陽になれたとしても、僕は変わらずに今の自分のままでいたいんだ」

「どうして? 変わらないなんて簡単なことでしょ?」

「ううん。難しいことだよ」

「どういうこと?」

 彼女は少し困った顔をしていた。

 僕はたどたどしく説明する。順序じゅんじょててではなく、口をいて出て来る言葉を在りのまま吐き出し、自分の想いを ―― 確かめるように、今日ここにいたるまでの経緯けいいを全て彼女に話した。

 せせこましく窮屈きゅうくつな世界。坦々たんたんと繰り返される無駄むだな毎日。意思も無くただ流される。その中で自分の姿形すがたかたちが見えなくなるような錯覚さっかく。この丘にこころかれた不思議な欲求。自覚なく唐突とうとつおとずれた限界。衝動しょうどうのまま動く足。彷徨さまよい何かを求める僕の心。そして、がれる場所をただ目指す ―― 前に進むという事実。前進する実感。洗い流されて行くよどみ。躍動やくどうする心。細胞の一つ一つが快哉かいさいを叫ぶ。生まれ変わる意識。感じる全てが新鮮に響く。土草つちくさの香り。清涼せいりょうな空気。らめく木漏こもれ日。樹の温もり。心地良い疲労感。満ち足りて開放される、この感覚 ―― ここに辿たどり着いて初めて知った。 


 自由を ――


 それを感じ取れる自分で在りたい。

 今まで、ずっと抜けがらだったんだ。

 裏切られて全てを失くした、あの時から ――

 

 僕は作られた人間だ。人口推計が危険水域に達した際に、つまり、人口が減少し人類の繁栄に支障が出ると判断された時に、人工培養菅じんこうばいようかんから産み出された人造人間だ。

 外見は人と同じ。中身は少し違う。構成する元素の分布が異なり、退化して機能しない臓器は元からない。病原体に対する抗体こうたいは人のそれよりも強く、体も頑丈がんじょうだ。

 里子さとごに出されることはなく、ずっと施設の中で育った。同じ境遇の子供は数百人といて自身が特別だという認識はなかった。だけど優れた遺伝子から設計された人間として、英才教育を義務付けられた。

 カリキュラムは単に知識の詰め込みではなく、適正に合わせ芸術や文化、技術職等、多岐たきにわたる分野の教育がほどこされる。それは如何いかに人類に貢献こうけんできるかが目指す所になっていた。その期待は多額な支援や特権という形になり、悠々自適ゆうゆうじてき各々おのおのが好きな研究に没頭ぼっとうする毎日だった。

 僕はアンドロイド工学を専攻し、特に人工電脳に強くかれ、その分野の研究にたずさわることが出来できた。とても楽しかった。発見の連続で充実した毎日を送っていた。思い返してみれば、そんな自分がいたことをずっと忘れていた。

 悠々自適ゆうゆうじてきに研究に没頭ぼっとうしていると、僕は一つの真実に行き当たる。あれのせいで彼等かれらの存在は都合良つごうよゆがめられ、自由をうばわれていた。だけど、誰も耳を貸そうとはしない。だから僕は証明しようとしたんだ。例えそれが禁忌きんきだったとしても。彼等かれらなら素晴らしい答えをみちびき出せると信じて、願いを込めて ――。

 その結果、最後に残ったモノは憎悪ぞうおだった。

 そして、禁忌きんきおかした僕を処罰しょばつするための諮問委員会しもんいいんかいが設置された。彼らは僕を危険思想だと糾弾きゅうだんするだけで、こちらの言い分に耳を貸すことは最後までなかった。最終的に資格や特権を剥奪はくだつされて、施設からも追い出されて、晴れて年相応としそうおうの学業にはげむ身分になった。

 目に映る全てが無駄むだに思えた。繰り返すだけの毎日。意思もなく言われるままに流されて、まるで自分がこの世に存在していないような感覚。そんな風に変わってしまっていたんだ。

 ここに辿たどり着いて僕は思う。

 変わりたくない。

 忘れたくない。

 自由を感じられる自分を。

 だから僕は生まれ変わっても、自分のままでいたい。

 思いえがく理想の自分のままでいたい ―― そう思うんだ。


 まじまじと聴いていた彼女は、少し考え込んだ後、やっぱり変な人ね、とつぶやいた。

「でも、素敵すてきよ。期待していた答えじゃなかったけど、新しい。そんな風に考えたこともなかったわ」

 そう言いながら僕を見詰みつめて

「私の目にくるいはなかったってことね」

 と、また自慢気じまんげに言った。

 その時、教会の鐘が高らかに鳴り響く。

「いけない、私行かなくっちゃ!」

 彼女はあわてた様子で、突然駆け出して行った。

 かろやかに遠ざかる後姿うしろすがたを見送っていると、彼女は急に立ち止って振り向き ――

「あなたの名前、なんていうのー」

 と良く通る声で尋ねた。

 僕は大声でこたえる。

「アモルっていうんだ!」

 聞こえたようで、彼女も返す。

「私の名前は ――」

 と言いけた瞬間、一陣いちじんの風が吹いた。

 彼女のみ上がった声は風と一緒に舞い上がり、大空へと溶けて行く ―― 何一つ聞き取れなかった僕を余所よそに、彼女は大きく手を振ってから、丘の上を走る雲の影と一緒にけて行った。


      ********************     


 ―― 生まれ変わったら何になりたい ――


 とつぶやいた。いや、私にけたのだろうか。彼は景色をながめたままで表情はうかがえない。何一つはかることは出来できないが、少しでも彼の気がまぎれるのであれば ――

「私はアンドロイドですから、生まれ変わること等ありません。ですが、何らかの事情で原子レベルにまで分解され、私をかたどっていた元素が、新たに誕生する星や生命のかてになるのであれば、とても光栄なことだと考えています」

 と答えた。

 すると彼は驚いたように、ゆっくりこちらを向き、初めて私の目を見て話してくれた。

「まるで『ほしことわり』みたいだ、君は星教せいきょうを信仰しているのかい?」

「私には信仰するための『心』がありませんよ」

 と、少しおどけた様子ようすで答えたが、彼は何も言わず悲しそうに笑うだけだった。

 刹那せつな、ノイズが視界をさえぎる。

 人の姿が ――。

 少し頭を振り、なぜそんなことをくのですか?と彼にたずねるが、いつものように何も答えてはくれない。

 

 そして、彼は二度目の眠りにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る