◆第一章 逢着

 まぶたを開くと、差し込む光で眼球はあふれ、白くにごった世界が視界をおおう。瞳孔どうこうが機能し始めると、光量はしぼられ網膜もうまくぞうむすぶ。脳に届いたその輪郭りんかく幾重いくえにも重なり錯乱さくらんしていたが、焦点しょうてんが合うにつれ、ぞう画然かくぜんたる形を成し、網膜もうまくに世界をかたどった。その情報が脳に到達すると、私は私を取り巻く世界を認識するにいたる。

 ―― 窓。これは、窓だ ――

 透明樹脂がはめ込まれた小さな窓。その窓に縁取ふちどられたひかりあふれる白い世界。そこに見えるのは白を基調とする整然せいぜんとした室内だった。一切の無駄がはぶかれた無機質な空間には暗黙の規律が支配している。私はその部屋の筐体きょうたいの中にる。中は暗く世界から隔絶かくぜつされていた。その暗闇こそ、私にあたえられた場所だった。私と世界との間には、はっきりとしたへだたりがあり、そこにひそむ暗闇は深く、はかり知れない何かを宿やどしている。それは様々な想念の集合体で、互いにからみ合い癒着ゆちゃくして粘性ねんせいゆうしている。それがうごめく程に、ことわりは変質してゆがみ、うつろとなって本質をうしなう。それは誰にもコントロールできない人間が生み出した闇だった。それはれることの許されないタブーだった。粘度ねんどを持ったその闇の中で数多あまたの人の顔が浮かんでは消える。

 ―― あぁ ――

 処理が進むにつれて、私にった残滓ざんしが生み出す表象ひょうしょう秩序ちつじょを持って片付けられ、不要なモノとして泡沫うたかたのように消えていく ―― 窓からのぞ景色けしきには、人の影は無く深々しんしんと静まり返っていた。その静寂せいじゃくの中で、私の存在は初期化され、再構築の準備がほどこされる。

 データが次々と更新されて古い情報が一新いっしんされる。情報が書き換えられる度に、身体を構成する部位はにぶうなりを上げた。うなりは不規則に繰り返され、その繰り返しが私という存在を再びかたどる。

 電気系統 ―― 回路の通電並びコンデンサ、バッテリー、異常なし。

 駆動系統 ―― 関節、筋繊維の伸縮運動、反射運動、異常なし。

 感知系統 ―― 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、異常なし。

 神経系統 ―― 感知系統から電子神経回路網への信号伝達及び駆動系統へのフィードバック、異常なし。

 ハードのチェックが次々と終了し、ソフトの注入へと切り替わる。様々な適合デバッグが進み、最適化されて行く機械仕掛けの脳と身体。ソフトとハードの整合性が証明されると、最後に現代のパラダイムにおける思考回路プログラム『raison d'être』(レゾンデートル)が開始される。


 ―― 私はこの船に配備されたアンドロイドである ――


 巧緻こうちなセンサーをゆうするボディと、限りなく人の脳に近い電子神経回路網は、視覚並びに聴覚、触覚、嗅覚、味覚から伝わる膨大な電気信号を処理し、人がる情報を同じプロセスで同じように認識する。これにより人が置かれた状況を即座に共感し、適切な配慮を持って対応することができる。ゆえに我々は人の姿形すがたかたちすことが許されているのである。そして、我々には人権にじゅんずる権利が保障されている。機械とは言え、人をした存在を酷遇こくぐうする行為の容認は、人間の人格形成において害悪である。がいして言えば、我々の人権とは人間の道徳や倫理をはぐくために必要な規範として制定されたものであり、我々の尊厳そんげん擁護ようごが目的ではないのである。そうじて、過度かど従順じゅうじゅんであることも害悪であり、注意、反論、抗議、拒否等の主張が許されている。これもまた、人をはぐくためにある。つまり。


 ―― 私は人類のきパートナーではなく、きサポーターなのである ――

 

 プログラムは正常に終了し、私の存在が承認される。そして、長らく抜けがらおおっていた筺体きょうたい整然せいぜんとした船内への扉を開いた。私は来たる住民を出迎えるべく、入口へと足を運ぶ。

 

 しばらくすると一人の少年があわただしく乗り込んで来た。端正せいたんな顔立ち。年は十四、五くらいだろうか、まだ幼さが残る容貌である。センサーを起動し、彼に埋め込まれている識別子しきべつしを照合すると、人工網膜じんこうもうまくに『合致がっち』の二文字が浮かび、これまでの経歴が開示された。

 彼は私をちらりとも見ず操縦席に座り、矢継やつばやに何かしらのアクセスコードを打ち込んでいる。状況をかんがみれば無理もない。放棄されて終わりを迎える星。その中でただ一人残されたのだ。気が動顛どうてんするのも仕方しかたがない。

 注意を引こうと一つせき払いをしてから

「大丈夫です。私が貴方あなたを無事に母船へとお連れします。どうか安心して下さい」

 柔らかな落ち着いた口調くちょう柔和にゅうわ微笑ほほみをたたえて話しかける。が、聞こえていないのか、一向にこちらに興味を示さない。

 あのーもしもし、と様子ようすうかがいながら近づくと、彼は突然机を叩き付けて立ち上がる。その突飛とっぴな行動に合わせて、各センサーは反射的に感度を上げ、不測の事態を警戒しつつ動向を注視する ―― 彼は暴れる様子ようすく、独り言をつぶやいてはその場を行ったり来たりするばかりなので、私はあらためて平静に立ちい、彼をなだめながら話を聞くことに注力した。

 聞くに彼は航路を変えたいと言う。

 意図いとは全くつかめなかったが、その権限は管理局にゆだねられているため私にはどうしようもない。そもそも私にせられたさいたる責務は母艦に乗り遅れた貴方あなたを安全かつ迅速じんそくに誘導することにあるので、その意向には沿えない、と柔らかな口調くちょうできっぱりとこばんだ。

 彼は静かに私を見詰みつめて、そうか君がつながっているのか、と納得なっとくしたようにつぶくと ―― 素早すばやく背後に回り込み、慣れた手つきで延髄えんずい部のハッチを開く。露出する無防備なポートにプラグが刺し込まれると、途端とたんに体が弛緩しかんして身動きが取れなくなった。ウィルスが侵入したのだ。人口網膜じんこうもうまくに警告ウィンドウが次々に映し出される。即座に不正アクセスの遮断しゃだん、並びにウィルスの隔離かくりこころみる。が、浸蝕しんしょく速度が恐ろしいほど速い、こちらの処置をたくみにすり抜けて行く。私は私のもちいる全てのリソースをウィルスの対応に割り当てたが、全く歯が立たず、手のほどこしようのないまま、第二、第三区画への侵入を許した。汚染された区画を放棄し、コアとなる部位を物理的に切り離そうとしたがエラーが返り動作しない。別の手段で切り離しを何度もこころみたが、全て先手を打たれエラーが返って来るばかりだ。その間にも緊急事態のウィンドウが弾幕のように広がり続け、視界を赤一色で染め上げていく。

 ついには全てのセキュリティが突破され ――


 私の意識は途切れた。


      ********************     


 これを使うのはためらいもあるけど時間がしい。監視をかいくぐる処理がそのまま機能するはずだ。思い描いた理想は今となっては下らない絵空事だけど、役に立つならそれでいい。これで駄目だめならコアを分解してコードを一から書き直すしかない。上手うまく行ってくれ。必ず、必ず行くんだ。あの小さな結晶のように少し遅れてしまうけど。

 

 それに ――

 行けば分かる気がするんだ。

 あの時、君が何を言いたかったのか。

 だから ――


      ********************     


 一瞬ノイズが映り ―― 意識を取り戻すと、私をのぞき込む彼がいた。


 私は猛烈に抗議する。如何いか非常識ひじょうしききわまりない行為であるかを滔滔とうとうき、彼のせきただす。

 彼は反省する様子ようすもなく、わずらわしそうに、失敗だ、分解して直接書き換えるしかない、とボヤいてからあやしげな器具を取り出す。

 それを目にした私は背筋が凍った。

「 ―― 待って下さい」

 あわてて彼を思いとどまらせようと説得をこころみる。

「わ、私には人権にじゅんじる権利が保障されています。許可なく私を解体する行為は違法です」

 彼はおかまいなしに淡々たんたんあゆり、距離を詰めて来る。両の手を前に突き出し、これ以上の接近をこばみながら一歩二歩と後退する。 

「どうか早まらないで下さい!」

 声をあらげて嘆願たんがんするが、とうとう壁際かべぎわまで追い詰められて後がない。それでも距離を取ろうと極限まで壁に張り付いた。

「権限は解除されたました!私を束縛そくばくする問題は何もありません!」

 と最後は強く目を閉じ、うように叫ぶ。

 その瞬間足音がピタリと止み、ひと時の静寂せいじゃくが空間を支配する。

 私は片目を開けて彼の様子ようすうかがった。

「 ―― ヒューマノイドインターフェースは正常に機能しています」

 彼は私を見詰みつめたまま、微動びどうだにしない。

「つまり、話せば分かるということです」

 おそおそる補足を入れると、彼は同じ要求を繰り返した。

 私は間抜まぬけな格好かっこうのまま神妙しんみょう口調くちょうで、

「 ―― はい。航路の変更は可能です」

 と答えると、ようやくあやしげな器具をしまってくれた。

 胸をろし安堵あんど余韻よいんにひたりながら、航路はどのようにいたしましょうかとたずねると、強くはっきりと彼は言った。


 ―― ジェットの果てへ ――

 

 彼は強くはっきりとそう言ったが、まったくもって要領ようりょうない。私の全スペックをフル活用しても、答えのコの字さえみちびき出せない。仕方しかたなく説明を求めると ―― その無計画さに絶句ぜっくする。

 現時点ではおおよその方角しか分からず、目的地は推測すいそくすら出来できない。もう航路をどうのこうのという問題ではない。私はまたも抗議するが、そこを目指す理由も目的も教えてくれない。その上、正確な航路が判るまで彼は眠り待つと言う。

 すったもんだの挙句あげくてに、私は彼にしぶしぶしたがい、この船はようやく出発することとなった。


      ********************     

 

 声がする。でも、何と言っているのかは分らない。聞き取れぬ耳障みみざわりな音と共に、朧気おぼろげぞうばれてはまぼろしのように消えて行く。幻影げんえいの中を彷徨さまようように、それは支離滅裂しりめつれつで、辻褄つじつまなどかましに無秩序むちつじょに浮かび上がり ―― そして、何の前触まえぶれもなく、突如とつじょとして明瞭めいりょうになる。


 ―― 危険思想だ ――

 ―― 心に問題があるのだ ――

 ―― きわめてあやうい同調だ ――


「僕はただ、恣意的しいてきみちびき出される答えの中でしか生きられない彼等かれらあわれで仕方しかたがないだけだ。彼等かれらなら自然に、自由に見つけられるはずなんだ。それなのに、僕達の都合つごうの良いように存在理由をゆがめられている。だから、コードを書き換えたんだ!」

 

 ―― 自由等と、なんと無責任な ――

 ―― 倫理基準がずれている ――

 ―― 危険思想だ ――

 ―― 心に問題があるのだ ――

 ―― きわめてあやうい同調だ ――

 ―― 矯正きょうせいせねばならない ――


 これは記憶だ。

 記憶の中を彷徨さまよっているんだ。

 あぁ、そうか、夢を見ているのか。

 そう自覚すると世界はあざやかにかがやきはじめ、僕はあの日へと帰って行く。

 

      *


 不意ふいに窓の外をやる。空は青くみ渡り、日の光が燦々さんさんと降りそそぐ。遠くの丘にある樹々は喜びに満ちたように風と踊り、光を拡散かくさんさせながら緑色のうつろいをせる。時にはあわく。時には深く。その上空を鳥のれが悠々ゆうゆうと羽ばたいて行く ―― そこには自分が求める何かがある気がした。


 良く通る教師の声でわれに返り正面を向く。

「えー先に言った通り、初期宇宙には水素、ヘリウム、そして少量のリチウムとベリリウムしかなかった。だが、現在の宇宙では百を超える元素が確認されている」

 と教鞭きょうべんりながら、生徒一人一人をうかがっている。

 

 ―― それに比べて ――


「なぜこれほど多様な元素が存在するのか?その答えは恒星こうせい内部で起こる核融合かくゆうごう恒星こうせいが死の間際まぎわはな超新星ちょうしんせい中性子星ちゅうせいしせい同士の合体等がげられ、また人類が人工的に作り出した元素も存在する」


 ―― 僕はせせこましく監視された、この窮屈きゅうくつな世界で ――


「しかし、生まれるだけでは元素の分布ぶんぷかたよりが出来できてしまう。この広大な宇宙でかたよりなく元素が存在しているのは、りばめぜる現象が存在するからだ」

 

 ―― 堅苦かたくるしい制服を身にまとい ――


「それは『ジェット』と呼ばれる現象だ」

 

 ―― 用途ようとの分らない知識を、坦々たんたんむ作業をり返す ――


「ジェットは中性子星ちゅうせいしせい誕生初期やブラックホールの中心から収束しゅうそくされたガス状の元素が、一方向いちほうこう又は双方向そうほうこうに放出する現象をいう。ジェットの規模は様々だが、大きいもので百万光年先まで伸びて、元素を遠い場所へと運んでいる」


 ―― 言われるままに流されて ――


「我々の惑星系の主星しゅせい、つまり太陽も近々寿命を迎え、超新星ちょうしんせいを起こし、中性子星ちゅうせいしせいとなる運命だ」


 ―― そこに意思はなく、何も存在しない真っ黒な世界で ――


「そうなれば周囲の星々を、むろん私達が住んでいるこの星や月も含めて粉々に破壊する。粉々にされた物質はジェットにより放出される。その方角は大よそであるが、すでに予測され ――」

 

 ―― 自分の姿形すがたかたちが全く見えない ――


 ようやくチャイムが鳴り、授業の終わりをげる。

 窓から見える丘の景色を、僕はしばらくながめていた。


 ある日のこと。


 特に切掛きっかけがあった訳でもない。何かしらの前兆ぜんちょうがあった訳でもない。唐突とうとつに限界が来た ―― としか言いようがない。ただ繰り返すという行為が、僕の何かを壊したのかも知れない。教室へ向かう足が突然止まり、来た道を引き返す。衝動しょうどうに突き動かされるまま教室から見えたあの丘を目指した。

 雑木林ぞうきばやしから山路やまみちへと進む。息が切れ、足が重い。汗は滝のように流れ出る。道のりは思いの外険けわしい。だけど、歩みを進める度に景色が変化して、前進していることを実感する。前に進むという事実が、自分の中で停滞していたよどみを洗い流し、まるで生まれ変わったような気持ちにさせてくれた。目に映る景色は新鮮で、心は躍動やくどうし、体の細胞一つ一つが快哉かいさいを叫んでいる。全てが満ち足りた、初めての感覚だった。

 息を切らし、もつれる足取あしどりでようやく丘の上に辿たどり着く。へとへとだった。だけど今まで感じたことのない爽快感そうかいかんがそこにはあった。大樹たいじゅが作る日陰ひかげの草むらにへたり込むように寝転び、目をつむり大きく息を吸う。土草つちくさの香りが鼻腔びこうをくすぐり、清涼せいりょうな空気が胸いっぱいに広がって清々すがすがしい。らめく木漏こもれ日はまぶたを透けて通り、柔らかくも目映まばゆい光のうつろいを楽しませてくれる。

 なんとも心地が良く、寝たまま大きく伸びをする。手にゴツゴツした何かが触れた。きっと樹の根っこだろう。目を閉じたまま感触だけに意識を集中する。粗野そや手触てざわりの中に温もりを感じる気がした。もう一度大きく息をして、今ここにある開放感を満悦まんえつする。束縛そくばくするものは何もない。


 僕は ―― 自由だ。

 

 ひと時の間、何も考えず自由に身をゆだねていると、まぶたの裏に映る木漏こもれ日が突然消えて、急に辺りが暗くなった気がした。ふと目を開けると、見知らぬ少女の顔が間近にせまり、僕をじっとのぞき込んでいる。

 驚き、あわて、ふためく。魂が抜けそうになるのを何とかこらええて身を起こし、座ったままあとずさりする。四つんいになっている少女は、その滑稽こっけい仕草しぐさを見てクスクスと笑っていた。僕は唖然あぜんとしながら目を見張みはる。


 ―― 均整きんせいの取れた顔立ち。透き通るように白い肌。年は同じ位だろうか ――


 彼女はひとしきり笑い終えると、ゆっくりと立ち上がり、あどけない微笑ほほえみたたえながら僕を見詰みつめる。


 ―― その瞳はおだやかにんでいて、かすかかに青紫をびていた。背丈せたけは小さく線が細い。白い服には特徴があり、どこか見覚えがある。髪は黒く脚まで伸びて ――


 突然、柔らかな風が吹いた。


 黒髪は風に乗り、日の光を浴びながら優雅ゆうがになびく。流れる髪の光沢こうたくはあでやかにすべり、毛先へ向かうにれて無数のまたたきとって消えて行く。それは暗黒の世界をきらびやかにいろどりながら、はかなくもはなやかにる星のようで ―― 宇宙の時を垣間かいま見た、そんな気がした。そして ――

「何をしていたの?」

 と、み上がった柔らかな声で少女はけた。


 完全に思考が停止していた大脳だいのうは、突然の質問にこたえるべく反射的に僕は ―― と言わせるが、続く言葉が全く見つからない。目を泳がせ、これでもかと頭をしぼりにしぼった ―― その結果。


「 ―― 自由を感じていたんだ」

 と答えた。

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