第2話 始まりの物語

 それは天空界にあって異形の住処。異株津ノ森でのことだった。そこに住まうのは、十二神の一人、ながらの女神の宮だった。ながら神は、元は性別を持たず、見ながらに形を変えて来た。創造神と語られているが、元は解らない。

 慈悲の女神ヴィシュヌが、今はその座を守っていて、時折来客が来ていた。その中の一人、修羅俄はじっと耐えて、湖水を眺めている。

「ここに集った時のことは、今も鮮明に憶えている。あの頃は女神だの、神将だのとくだらないと思ったが」

「あなたは変わらず、少女の身の姿なのですね?」

「ああ。俺は変われない。変わってはならない」

「罪、ですか? 神将を崩壊させた。それはないと申しましたのに」

「だが俺が崩壊させたんだ。兄修羅斗を討って。撃たなければならなかった」

 そうだった。あれが始まり。この惨劇の。

 だからこの戦いだけは、終わらせなければならない。そう難く心に誓って、今もここにいる。天将界に帰らず。

 だけどあの人は帰ってこない。もう一度相談に乗ってもらって、心を明かしたい。だがそんなときは思い出してしまう。

「クリス様はお元気ですか?」

「ああ。元気だ。クリファールはあれから、母のことを語らない」

「そうでしたか。クリス様はまだ幼く、ご兄弟をお守りしておりましたから」

「知ってる。俺があいつらを巻き込んだものだ。修羅斗を討つために」

「そのようなことはありません。誰かがしなければならなかった」

 それは解っていた。茶飲み話をするためにきたのではない。修羅俄は天空樹を眺めやって、そこにいるはずのヴィシュヌがここにいるのだと知って、だから切なくなった。

「ヴィシュヌよ、お前は今の暮らしがあうか?」

「はい。ここでは市井のことが、よく見えます」

「想像を追われたものとは思えないな? 俺はまだ帰れん」

「ではあの方の元にも、おかえりにならないと?」

「ああ。帰れないからな。ここで俺は自分の始めた戦いを、戦い抜く。慈悲をつかさどったお前が、天空樹を失ったようにな」

「あなたは何も失ってなど、おりません。過去に向き合ってくださいな」

 それができれば、どれだけいいか。ここまで来て、もう振り返れない。この手で兄を打ったのだ。阿修羅王として、修羅王を。それまでに続く過去など、もう捨て去った。あとは神官を打つだけだ。

「今度また訪ねる。クリスのところに帰ってやらなければな。過去はもう踏ん切りをつけなければならない」

 そう言って彼女は立ち上がり、静かに真紅の瞳を閉じて、ふわりと空に浮いた。そしてかき消えた中に、一言だけが残る。


「平和を勝ち取るために」


 

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