第9話

「(ど、どうしよう…。まさか誘われるなんて思ってなかったから、なんて返事をするのが正解なのか分からない…)」


場違いな自分の事など、どうせ誰も見てはいないだろうと考えていたアリッサ。

そんな彼女の事を仮面越しにまっすぐな瞳で見つめながら、優しい口調でノーレッドは言葉を続ける。


「もしかして、ダンスは初めてですか?」

「そ、そうなんです…。だから上手く踊れるかどうか…」

「私に任せてください。責任をもってエスコートさせていただきますから」


ノーレッドはそう言うと、自身の右手をアリッサの前にさっと差し出した。

その振る舞いは非常に上品で、その動き一つをとっても第一王子としての気品の高さを感じさせる。

…が、その内心でノーレッドは内に湧き出る不安感を抑え込むことに必死だった…。


「(落ち着け落ち着け落ち着け、大丈夫大丈夫大丈夫…。まずは手を重ねるだけだ…。仮面で正体を隠しているとは言っても、女性に触れるだけで倒れるなんて情けないことは絶対にできないぞ…。大丈夫だノーレッド、お前ならやれる…)」


何度も何度も自分に励ましの言葉をかけ、メンタルの安定化を図るノーレッド。

そんな彼の手に、アリッサはゆっくりと自身の手を重ねた。


「…では、よろしくお願いします」

「お任せくださいませ、お嬢様」

「(お、お嬢様!?)」


突然にノーレッドからかけられた言葉に、アリッサは自身の心臓をドキリと震わせる。

重ねられた相手の手のひらは、自分のそれよりも一回り以上大きく、暖かな心地よさが手だけでなく体全体に広がっていき、自分の心を包み込んでいくような感覚を抱かせる。


「それでははじめましょう。力を抜いて、自然に身をまかせて」

「は、はい…!」


相当にレベルの高い楽器から奏でられる音色に導かれるように、二人は息を合わせてダンスを始める。

アリッサはこのような場所で踊ることはもちろん、ダンスの経験さえほとんどなかった。

はじめ、それはアリッサの謙遜けんそんの言葉だと考えたノーレッドだったものの、彼はすぐにアリッサが本当にこう言った場に慣れていない事を察し、そんな彼女をうまくサポートしつつ、それでいて大変に見栄えの美しいダンスを演出した。


「(こ、腰に手が!!!!か、顔がすっごく近い!!!!あぁぁそんな抱き寄せられると心臓の脈の速さがバレちゃう!!!)」


アリッサはダンスの動きのひとつひとつに大いに刺激を受け、そのたびに心の中で絶叫しながらも、必死にノーレッドのダンスについて行っていた。

一方でノーレッドの方はというと、非常に穏やかな思いでこのダンスを楽しんでいた。


「(今まででこんなにも、心穏やかに女性とダンスをしたことがあっただろうか…?仮面で顔を隠しているというのもあるかもしれないけれど、それ以上にこの人は私の心に暖かみで包んでくれている…。も、もしかしたらこの女性は私の……)」


舞踏会の場でノーレッドがそう思うことは、彼の人生においてはじめての事だった。

今まで彼とダンスを行った女性たちは例外なく、彼の心を自分のものとするべく相手を誘惑する動きばかりを繰り出し、いやらしい視線やオーラを全開で彼に向けていた。

仮面で顔を隠したとしても、おそらくダンスを行う女性陣は相手がノーレッドであることなど瞬時に見抜き、この場でも同じ光景が繰り広げられたことだろう。


しかし、アリッサは全く違っていた。

異世界から来た彼女にとっては、目の前のノーレッドはある意味で普通の男性であり、特別に意識することなど何もなかった。

ダンスの経験がないことからくるぎこちのない動きも、ノーレッドからすれば非常に新鮮なものであり、彼の目に映るアリッサの姿はそれはそれはこれまでにないものとなったことだろう。


「ひゃっ!ごめんなさい…!」

「大丈夫、もう少し体を寄せられますか?」

「こ、こうですか…??」

「そうそう、上手ですよ。ではもう少し強く…」

「は、はい…!」


楽曲が佳境になるにつれ、二人の息はますますピッタリになっていく。

体を寄せ合ってダンスを行う二人は、互いにこれまでにない思いを感じていたことだろう。


「(女性への苦手意識が出るどころか、むしろ素直にこの時間を楽しめている…。私の心をここまで落ち着かせてくれる女性が、この国にいただなんて…)」


そしてついに楽曲はフィナーレを迎え、最後はノーレッドがアリッサをお姫様抱っこするような形でフィニッシュとなった。

ノーレッドはそのままゆっくりとアリッサの体を地に戻すと、心の中に感じる驚きを隠しながら、穏やかな口調でこう言葉を告げた。


「本当に楽しい時間をありがとう。感謝します」

「わ、私の方こそ…。全然動けないところを、あんなにもサポートしてくださって…。お恥ずかしいです…。…!!!!」


その時、ノーレッドは離したアリッサの手を再び自身の手に取った。

不意をつかれてその顔を少し赤くするアリッサに対し、ノーレッドはこう言葉を発した。


「互いに素性を隠して行われることがモットーであるこの仮面舞踏会。その場でこのような質問をすることはタブーであることは承知なのですが…。それでもぜひ教えていただきたい。あなたのお名前を…」


ノーレッドは仮面越しにまっすぐな目を浮かべながら、アリッサの事を見つめる。

それに対するアリッサの答えは…。


「な、名乗るほどのものではないので!!!あ!私あの子たちのご飯を用意しなきゃいけないんだった!!!そ、それじゃあここで!!し、失礼します!!」

「あ…」


ノーレッドからに直に見つめられたことからくる心臓の鼓動を隠すかのように、アリッサはそう言葉を返し、ノーレッドに背を向けてその場から姿を消していった。

そんなアリッサの背中を見て、ノーレッドは一段とその頭の中を彼女の事でいっぱいにする。


…というのも、自分が名前を聞いた相手に名前を教えてもらえずに終わるという経験も彼にはなかったたのだ。


「(間違いない…。あの人こそ私の運命の相手…。絶対に、絶対にその心を私のものにして見せる…!)」


それは、これまでノーレッドが抱いたことのない初めての思いだった。

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