第7話 次の獲物

屋上の扉を開けようとするが、鍵がかかっており簡単には開かない。しかし翔雲は暗殺者だ。鍵のかかっている一般の扉をぶち開けることくらい造作もない。持っていた鍵を開ける用の針金を用いて古典的な方法で鍵を開け、屋上に足を踏み入れた。


その後屋上の扉はしっかりと閉め、周りに人がいないことや監視カメラの位置を確認し、ようやく胡桃と話せる環境を整えた。


「ここまでこれば誰もいないだろ。降ろすぞ」


「中々居心地は悪くないね。翔くんの肩の上は」


「早く降りろ」


翔雲からすれば抱えていたのかどうか心配になるほどの軽さを持ち合わせている胡桃。その自身の身軽さを用いて素早く音も立てずに翔雲の肩から降り、改めて翔雲の顔に自身の顔を近づけ、思わぬ再会に喜ぶ。


「久しぶりだね!翔くん!」


「そうだな。じゃなくて、何でお前がここにいる。本業の方はどうした?日本旅行でもしてんのか?それとも任務でここに?」


「まぁまぁ落ち着いて。そんな質問攻めされても胡桃有沙ちゃんは一人しかいませんよ〜?」


焦る翔雲。しかし無理もない。最後に顔を見たのはイギリスのロンドンだ。まさか日本の、しかも都心でもない場所で出会うとは思わないだろう。


「すまん。じゃあ、まず何でお前はここにいるんだ」


「まぁそんな複雑なことでもないんだけど、簡単にいえば任務の一環なんだよね」


「やっぱり任務か」


「うん。想像してるものとは違うと思うけど」


「ん?人殺し関連じゃないのか?」


「まぁ〜そうとも言うけど〜、えっと、これ言っていいのかな〜。いや翔くんにならいっか!未来のダーリンだもんね!」


「なんでそうなったのか全く分からんが教えてくれ」


「私さ、生まれた瞬間からずっと殺人やらの術を教わってきたから、普通の女の子の暮らしとか、普通の人の趣味とか、知らなかったの」


胡桃有沙は世界で最も最悪な組織、"dirty"という組織に属しており、そこの最高幹部として日々殺人に関する任務を遂行している。


組織dirtyは胡桃明彦という人物によって運営されており、彼は胡桃有沙の実父にあたる。つまり胡桃有沙はこの世に生を授かった瞬間から殺人に関することばかり身体に叩き込まれてきたのだ。


ハイハイしか出来ない時期にも関わらず、有沙はナイフを持たされ人肉を捌き、肉を断つ感覚を覚えさせられ、歩けるようにもなれば組織の少年と対人戦もさせられた。


もちろん幼稚園も小学校も中学校も通わず、組織の力によって法の抜け道を辿って生きてきた。勉強は組織に属している客卿に教わり、最低限の知識は得ている。


そんな彼女の1日はもちろん普通の女の子とはかけ離れている。ご飯と勉強以外の時間は全て殺人術を学び、趣味もなく好きなものもない。現在は世界最凶最悪の極悪人と呼ばれるほどにまで成長し、地位を形成したおかげで、ある程度の自由は効くようになった。が、しかしその頃にはすでに、有沙は普通女の子にはなれないほどに極悪人に染まっていた。


「そんな私だから、一般社会に紛れ込んで行う暗殺系の任務とかは出来なくてね。もう今年で16歳だからそろそろそういう任務も出来るようにしなきゃいけなくてさ」


「つまり?」


「つまり、今更普通の女の子の暮らしを学んでこいって事。そんで私が日本の都心外の学校に行かされてる。簡単にいえば、これが私が今ここにいる理由だね。勝手だよね〜。15年以上そんな教育させてきたくせに今になって普通に戻ってみろと?無理無理無理。パパも何考えてんのかよく分かんないよ」


「なるほどな。これも任務の一環ってことは、一人でここに来たのか?」


「いや?流石に一人だけお使いの人はきてるよ。今その人と一緒に暮らしてる」


「そうか。ってか大丈夫なのか?ロンドンで会った日となんら変わらない姿だが、変装とかしないと胡桃有沙だってバレるんじゃ?」


「バレないバレない。だって今これが変装してる姿だもん」


「え、そうなのか?」


「もしかして私が仕事してる姿見た事ない?裏ギルド新聞とかでよく載ってると思うんだけど」


「昔はよく見てたけど、今はあんまりだな。あの新聞は誤情報が多いからあてにしてなかった」


「そうなんだ。ちなみに私は仕事の時はいつも赤と黒の可愛らしい猫耳パーカーとNEIKEの伸縮性抜群の黒いスポーツパンツを履いてるよ!だからバレないの!」


「いや髪の毛……」


「へ?」


裏ギルドの新聞は色つき。さらに胡桃有沙の特徴的な髪色は全世界の暗殺者は認知している。翔雲が2年以上前にロンドンで彼女を見つけることが出来たのもそれが理由だ。


「あー……この髪色でバレるってことか……いつもフード被ってるからバレてないと思ってたけど、そうだよね。じゃないと翔くんがロンドンで私を見つけることが出来た理由がないもんね」


「まぁ、そうだな」


「だ、大丈夫でしょ!まさか日本に私がいるだなんて思わないでしょ!それに、日本には賞金稼ぎは少ないってよく言うし」


「まぁ、そうだな」


珍しく焦る胡桃。今彼女を殺すチャンスかもしれない。しかし何故だろう。今の翔雲には彼女の首に手をかける気が全く起こらなかった。


「そういう翔くんは何でこの学校にいるの?」


「家近かったから」


「嘘。この私に嘘を吐くなんてお気に入りのぬいぐるみを間違えて食べちゃうくらい無理な話だよ」


「例えが雑だな」


実際、翔雲がこの学校にきた理由は別にある。それも、暗殺に関連する理由だ。


「お前なら知ってるだろうけど、来年の今日、この学校にスーパースターがやってくる」


「ミシェル・ツィドラー、でしょ?」


「そうだ」


ミシェルツィドラー。現在彼女の首には36億の賞金がかかっており、賞金首ランキングでは胡桃有沙の次に大きい額をつけられている。


悪党組織"deep"の最高幹部にして、彼女の殺人技術は胡桃有沙ほどではないが、世界トップクラスのものだ。

彼女が犯した事件の中で挙げられるものは、大統領暗殺、世界銀行襲撃、同時多発テロなど。数々の事件を起こし、その全ては彼女たちにとって大成功で終わっている。


「彼女が犯した罪でいえば私とそう変わらないけど、世界は私の方が格上だと思ってるみたいだね」


「実際そうだろ。胡桃有沙は無理だがミシェルツィドラーなら殺れる。そう思ってる暗殺者は少なくはない」


何故彼女が日本に来日するのか。理由は明らかにされていないが、翔雲は任務だと考えている。


この学校の学長は内閣府と深い繋がりがあると言われており、そこから情報を抜き取り売るのか、はたまた内閣府に属している日本のお偉いさんたちの暗殺を計画しているのか。


目的は分からずとも、この学校に入学する時点で学長狙いである可能性は高い。任務のつもりでやってきたミシェルツィドラーの首を取るために、翔雲はこの学校に入学した。


「ミシェルを舐めすぎじゃない?あの子結構強いよ?一緒に任務を行ったことがある仲の私が言うくらいには」


「え、そういう仲なの?」


「deepとdirtyは協力関係を築いてるの。お互い助け合って犯罪犯してる」


初耳の情報を意図せず知ってしまった。


「いや待て。いいのか?」


「何が?」


「何がって…協力関係を築いてる組織の最高幹部の首を狙ってる暗殺者がすぐ目の前にいるんだぞ?止めようとしたり嫌な気持ちになったりしないのか?」


「しないよ。そこはお互いよく分かってる。今こうして話している間も、世界中の賞金稼ぎは私たちを狙ってるし、なんなら今、翔くんだって私を狙うチャンスなんじゃない?」


「は?」


確かにチャンスだ。胡桃からは見たところ凶器は持っていないようだし、殺気も感じられない。今咄嗟に手を出せば届きそうな予感がする。あの日届かなかった目標に。


しかしそれは一般人から見たら、の話だ。実際翔雲の目から見る胡桃有沙は違う。


小柄で細い身体からは無限の動き出しの可能性を感じられ、凶器もどこかに隠し持っていそうな雰囲気も感じられる。今彼女を殺そうと動き出せば真っ先に自分の首が飛びそうな、一挙手一投足が死に直接繋がってしまうような予感がする。それほどまでに彼女と自分には圧倒的な差がある。


「ほら、ここに欲しくて堪らない胡桃有沙の首根っこがありますよ〜?」


「…………本気か?」


胡桃は襟をめくって自身の首を翔雲の前に存分に晒す。透き通るようできめ細かい白い肌を露出しているその首は普通の人から見れば誘惑のように思えるが、翔雲からすれば58億という大金にしか見えない。


「本気って何?私はいつでも相手してあげるけど?」


「…そうか。まぁ一旦落ち着け。話の続きをしよう。んで、そのミシェルなんだがっ!」


目の前に晒された58億を見てしまえば我慢が出来ない。翔雲はさりげなく会話を続けるフリをして手首につけていたブレスレットに扮したカラムビットを出して胡桃の首に一直線水平に攻撃をしかける。が、かなり素早い動きであるにも関わらず胡桃はそれを余裕でかわし、距離を取った。


その後も間髪入れずに距離を詰め、胡桃に刃を振るうが、全てかわされてしまい、胡桃は楽しそうな表情をしながら対角にある屋上の柵の先端まで高速で移動し飛び乗った。


「あっぶな!あはは!ブレスレットとして使えるように細工されたカラムビットか〜!前と比べて随分と繊細になったね」


「チッ、速すぎんだろ!」


「それを売りでやってるからね〜。筋力はあまりないけど、この速さのおかげで首も綺麗に切れるし」


胡桃有沙の筋力はそこらの一般男性よりほんの少し劣る程度しかない。そんな筋力ではdirtyの最高幹部にはなれるはずもないし、首も綺麗に真っ二つに出来るはずがない。


そこで胡桃有沙が極めた技術それが、他者を圧倒する"スピード"だ。


スピードにも色々ある。スプリント力や加速力など、スピードが速いと一概に言っても様々な種類が存在する。

その中で胡桃有沙が極めた技術は、"全て"だ。


「あははっ!追いついてごら〜ん!」


「あいつ…前よりも速くなってやがる…!」


種類なんて関係ない。スピードに関する技術は全て極めた。初速も加速度も何もかも超一流。

速すぎて走り始めを誰も見たことがない。


「!?消えた」


「後ろだよ?」


「後ろ!?っていないじゃないか!」


「前だよ?」


「前!?あ、今いたのに!どこだ!?」


「右だよ?」


「右!?」


「左かも?」


「左!?」


「上だったりしてぇ?」


「上!?って、マジで上じゃねぇか!」


翔雲の周りを動き回り翻弄する胡桃。

少なくとも霊長類最速の彼女の鍛えられた脚はスピード面以外でも活躍する。それが跳躍力。背の低い彼女が一瞬にして誰よりも高い目線になれる身体能力だ。

その跳躍力は垂直跳びで189cm。まさに人間離れした圧倒的な速さとこの跳躍力を持ち合わせて、立ち幅跳びでもやったらどうなることやら。


「チッ!どこだ……どこから現れやがる」


障害物があるわけでもない場所にも関わらず目で追えない速さで動き回る胡桃。翔雲はその場に立ち尽くして彼女がどこから姿を見せるのか好機をうかがう。


「………どこだ」


「…………………」


「どこからきやがる」


「……………はぁ」


「!?」


彼女のため息が聞こえた刹那、翔雲の視界には雲一つない青空が映っていた。

ひんやりと地面の冷たさが背中を這う。一瞬のうちに何が起こったのか全く分からなくなっていたが、自分が今仰向けで倒れていることだけは分かっていた。


状況を整理していると、青空が映っていた視界は最凶の悪党美少女の冷たい表情で埋まった。

彼女は右手で銃を形作り、翔雲の額に向ける。


「ばンッ」


「………え?」


「はい、今翔くんは死にました〜。母親は悲しみ父は酒に溺れて失業、親戚が営む柊ブレッドは閉店。お通夜の準備をお願いしま〜す」


「……何言ってんだ。ってか速すぎんだろ。いつの間に俺の膝の関節叩いたんだよ」


「お?自分が膝カックンで倒れたことには気付いたんだね。昔の君なら絶対に気づかないけど、成長したね翔くん」


素直に成長を認められ、少し照れる翔雲。童顔美少女からのストレート褒め言葉はどんな男でも興奮し照れるものだ。


「でもね翔くん。君は一つ、昔に比べて劣っている部分があるよ。劣っているというより、無くなったモノって言った方が正しいかな」


「は…?無くなったモノ?」


「知りたい?そりゃ知りたいよね。教えてあげる。翔くんが昔持っていたけど今は持っていないモノ、それは恐れないココロだよ」


「恐れない…心?」


「そう。翔くんは昔、敵うはずのない私に対して全力で殺しにかかってた。どんなに逃げても逃げても逃げても逃げても、君は追いかけてきた。なんで?」


「なんでって…その時は、馬鹿だったから。実戦慣れしてなかったし、相手が最強だってことは知ってたけど、正直舐めてた、というか低く見積もってたというか」


何度も見た景色は、いずれ見慣れてくる。どんなに恐ろしいものでも見続ければ自ずと見慣れてきて、いつの間にかなんて事ないもののように見えてしまう。


何度も行った行動は、どんどん自分の身体に浸透していき、どんなに難しいことでもいずれはいともたやすく行うことができるようになる。


全ては"慣れ"に共通していることであり、生き物全てが持っている認識だ。慣れることができればその分野が非常に簡単に思えるようになる。


人間という生き物は、慣れていないことや初めての事には警戒し、慎重に行ってしまう生き物だ。それは初めての事への恐怖心からきており、人は必ず何か保証できるものを作ったりする。


しかしその"慣れ"がなくとも初めての事や難しいこに対して自身を持つことができる人間もいる。その人間たちは皆共通した意識が身についている。それが恐れない心。


「ううん、低く見積もってないよ。舐めてもない。ただ君は恐れなかっただけ。それに理由なんてない。その恐れない心は生まれつき持っているモノで、それは成長するにつれて消えてなくなってしまう。とても大切なモノだよ」


賞金稼ぎをする上で、慎重さや丁寧さや警戒心は確かに重要なことだ。だがそれを磨きすぎると逆に恐れない心が失われていき、手が届くはずのものにも届かないと勝手に認識してしまう事もある。


「だからって、その恐れない心を持って私を殺そうとしても無理な話なんだけどね。でも今後の成長次第では、翔くんでもあの子の首に手が届くと思うよ」


「あの子って、ミシェルのことか」


「そ。あの子相当な自信家なんだよねぇ。自分なら何でも出来るって思ってて、まぁ実際あの子は意外と何でも出来るんだけど、私からすれば逆にあの子にはもう少し恐れない心を捨てて慎重さを身につけてほしいかな〜あはは」


そう言いながら胡桃は翔雲にまたがるのをやめ、立ち上がり、制服についた汚れを手で払う。

そしていつまでも尻もちついている翔雲に向かって手を差し伸べ、最高の笑顔を見せた。


極悪賞金首が賞金稼ぎ暗殺者に手を差し伸べている。その光景はこの業界の人からすれば非常に異様な光景に見えるだろう。

翔雲は彼女の手を取り立ち上がった。


「で、どうするの?まさかミシェルが入学してくるまで何もせずに待つなんてことないでしょ?」


「あぁ。もちろん策は練る。そして一つ、とある人物にあてがあるんだ」


「それは同業者?」


「そうだ。明日、そいつに接触しミシェル暗殺計画に加わってもらうように言う」


「楽しみだな〜。翔くんがどうやってミシェルを攻略するのか。私も少しは手伝ってあげる!」


「お、おぉ。お前がそれでいいなら構わないけど」


と、話していると何者かが屋上の扉を開ける音がした。翔雲は扉の方を見るが、焦る必要はなかった。屋上にやってきたのは学校の職員だった。


「こら!君たちこんなとこで何をしてるの!?はっ、もしかしてナニをしてるの?」


「してません」


「もう入学式始まってるから急ぎなさい!!」


「はーい」


この学校で再会することになるとは思いもよらなかった二人。だがこれは胡桃の言う通り運命的な出会いと言えるだろう。

来年入学してくるミシェルツィドラー。翔雲は彼女を迎え討つための準備を今すぐにでもしたいと思っていた。

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