第5話 58億以上の価値ある出会い
イギリスのロンドンといえば何を思い浮かべるだろう。某眼鏡魔法使いの舞台?某元プロサッカー選手の国?それともロンドンバス?
様々なものが思い浮かべるが、やはりロンドンといえば、イギリスを代表する時計台、大時鐘ビックベンだろう。
ビックベンはウェストミンスター宮殿に付属する時計塔内に設置されている大時鐘だ。
誰もが一度は見たことのある時計台。他の街には決してない洋風らしいオーラが日本人の心を揺さぶる。
そんなビックベンの近くの路地裏にある一つのパン屋がイギリスにはある。
そのパン屋にて、彼らは相席している最中だ。
「ここが、僕の親戚が営んでるパン屋、柊ベーカリーだよ」
「凄いお店〜。なんか秘密基地みたいでワクワクする!」
「ほんと?そう言ってくれるなんて嬉しいな」
二人は互いに笑みを浮かべながら会話をする。一方彼女の方は満更でもなさそうだった。
静かなパン屋。薄暗い空間でオレンジ色の照明が際立っており、焦茶色で構成された壁や床はチョコレートを連想させる。
良い匂いが香る中天井で回転している大きなシーリングファンを見ていると、パン屋というよりカフェのような雰囲気に思える。
「フランスパンが食べたいんだっけ?」
「あ、はい。そんな気分!」
「今から持ってくるから、少しここで待ってて。お代は結構だよ」
「えぇ!そこまでしてくれるの!?ありがとう!」
もう察しているだろう。彼女は彼に一目惚れだった。
ミステリアスで温厚で童顔。おそらく歳も近い。彼女は彼を初めて視界に入れた瞬間から一目惚れであったのだ。
ドキドキしながらパンを取りに行った彼を待つ。店の空気と店内で流れている心が穏やかになるようなBGMにより、彼女はすっかり気を緩めていた。
「おまたせ。こちら当店おすすめのフランスパンをつかったガーリックトーストだよ」
彼は皿に盛り付けられた大きめなフランスパンをテーブルに置き、笑顔を浮かべてそう言った。
ガーリックの香ばしい香り、焼き立て特有の食欲がそそられる匂い、ジュワジュワと音を立て、輝かしい見た目をしている。
視覚、聴覚、嗅覚で感じられる範囲全てにおいて美味しいと確信できるほどの代物だ。
「わ〜〜!!美味しそう!これ、食べていいの!?」
「もちろん。君のために、僕が作ったんだから」
「私のために!?嬉しい!」
一目惚れ自分のために尽くしてくれる、笑顔。全てにおいて完璧な状況。彼女は運命の出会いだと信じてやまなかった。
早速と言わんばかりに彼女はテーブルに置いてあったビニール手袋を手にはめ、パンを持ち上げ自身の口元に寄せる。
「いっただきま~す!!」
「召し上がれ」
彼は笑顔で彼女がパンを頬張る姿を見ていた。
しばらく咀嚼を続け、彼女は満面の笑みで言う。
「美味しい〜〜〜!!初めて食べる味かも!」
「そ、それはよかった!ささ、もっと食べて」
彼はなにやら少し焦った様子で言う。そんな分かりやすい彼の様子を見て、彼女は確信した。
このパンにはガーリックの味に隠れて、舌が痺れるような感覚のする苦味がある。渋柿に苦味を強く強調されているような味だ。
この味が何の味なのか、彼女は知っている。免疫を作るために何度も飲まされたことのある味だ。
「This is poison......」
「は?」
「これ、テイクアウトできるかしら?」
「..........無理」
「..........そう...」
お互いが目論を察してしまった、その瞬間だった。
彼女は隣の窓を突き破りながら店を豪快に出て、逃げ始めた。
想像より迫力のある逃走方法に少し反応が遅れた彼は、急いで彼女の後を追いかけた。
「っ!クソッ!!待ちやがれクソガキィィ!」
「わあああ!あっはははは!怖い怖い〜!」
何が起こっているのか、今一度、丁寧に説明しよう。
彼女、胡桃有沙は街中で一人、イギリス観光をしていた。とあるトラブルが怒り、そんな中一人の彼、柊翔雲に胡桃有沙は助けられる。
その後柊翔雲の口実により胡桃有沙はまんまと柊翔雲の親戚が経営するパン屋につれてこられる。
そこで胡桃有沙は一つのガーリックフランスパンを食べる。が、そのパンにはなんと象をも倒れるほどの"毒薬"が仕込まれていた。
胡桃有沙は毒を真正面から受けたが、舌が痺れる程度で済み、自分が今殺されそうになっていることを察して、現在柊翔雲から逃げている、という状況だ。
では何故胡桃有沙は殺されかけているのか。柊翔雲は胡桃有沙を殺そうとしているのか。
それは胡桃有沙がプロの殺し屋であり、世界最高金額の賞金をその首にかけられているからだ。
この世界には警察では手がつけられないほどの凶悪な犯罪者や悪党などに賞金をつける組織、『裏ギルド』が存在する。
裏ギルドは国際連合総会公認の組織で、そのギルドに所属している暗殺者は一般市民に被害を加えない条件の下、賞金がかけられている犯罪者を殺すことが許可されている。
賞金を手に入れる条件は三つ。
一: 賞金首を殺したという明確な証拠を裏ギルドに提出すること。
ニ: 裏ギルドに所属している暗殺者、賞金稼ぎであること。
三: 賞金首を殺害する際、一般社会に迷惑をかけないこと。
この三つの条件をクリアした場合にのみ、賞金を手に入れることができる。
この三つの条件の中で最も難易度の高い条件は三つ目の、一般社会に迷惑をかけないこと、だ。
凶悪な犯罪者を殺害する場合、相手によっては一般市民に害を及ぼす可能性が高い。人質を取ったり、爆弾で自爆したり、自暴自棄になって殺人マシーンになったり。
何事もないように事態を収めることは、警察のような大きな組織でない限り難しいのだ。賞金稼ぎは組織こそあるが、そのほとんどが個人事業である。
柊翔雲の家は暗殺一家であり、才能ある子は皆賞金稼ぎを行っている。彼は胡桃有沙という世界最高金額の賞金首を捕まえるために奮闘していたのだ。
そして現在、胡桃有沙と柊翔雲の盛大な追いかけっこが繰り広げられている。
「クソッ!早すぎんだろてめぇ!」
「君が遅いんだよ〜!あははっ!鈍足鈍足〜!」
胡桃はいとも簡単に建ち並ぶ家の壁から屋根まで駆け上がり、屋根から屋根へと飛び越え、街中を走り抜ける。
その圧倒的な身軽さ、俊敏さは追いつく気も失せるほどだが、翔雲は諦めずに食らいつき、胡桃を追いかける。
一般人にぶつかっても、ゴミ箱に突っ込んでも、女子トイレに入っても、車にぶつかりそうになっても、何があっても翔雲は胡桃を追いかけ続ける。追いかけっこを続けていくうちに、どんどん胡桃の背中は小さく見えてきて、距離が全く縮まっていないことに気づかされる。それでも翔雲は諦めない。圧倒的に格上の悪党相手であっても、彼は諦めることを、怖がることを知らない。
良い天気の休日の昼間から始まったこの追いかけっこは長くに渡り続き、やがて辺りはすっかり暗くなって夜が訪れた。
「よっと」
すでに何時間の前から翔雲の姿を見ていない胡桃は、追いかけっこも潮時かと考え、見晴らしのよいビックベン時計台の外壁を俊敏に駆け上がり、大時鐘の屋根の先端に素晴らしいバランス感覚で立った。
つま先立ちしながらも一切のブレなく立っていられるその体幹は、オリンピック選手のソレを遥かに上回るレベルだ。
風心地の良いこの場所でしばらく口笛を吹きながら翔雲を待ってみる胡桃。彼が本物の賞金稼ぎであれば、いずれここまで辿り着くと、胡桃は信じていた。
そして、時は訪れる。
「………ッグ」
「おっ?」
屋根を見下げると、そこにはボロボロに黒ずんでいた手が、必死に食らいつくように屋根の瓦を掴んでいる。
手に力がこもると同時に、胡桃の望んでいた童顔が大時鐘の頂点へと顔を覗かせた。
「はぁ………はぁ………はぁ……お、追いついたぞ……胡桃…、有沙…!」
「おぉぉ!!おめでとう!よくここまで追いかけてきたね!しかも一人で。いやぁ〜相当執念深いね〜。怖いくらいだよ〜」
胡桃はボロボロになった翔雲の顔を見て、彼の努力をパチパチと乾いた拍手と笑顔で讃える。息を切らし、疲れ切った翔雲は屋根にへばり付きながら胡桃の笑顔を見ることしか出来なかった。
しばらく拍手を続ける胡桃。翔雲がここまで辿り着いた事への驚きで忘れかけていたが、追いかけっこをしている最中にずっと考えていた疑問が彼女にはある。
翔雲の息が整ったタイミングで、胡桃は翔雲へと純粋な疑問をぶつける。
「ねぇ」
「…なんだ」
「どうしてさ、そこまで必死になって私を狙うの?」
「は?お前が一番分かってるだろ。58億の賞金首が目の前にいるんだ。狙うしかないだろ」
「それが意味分からないの。仮にあなたが世界でもトップクラスの賞金稼ぎとかだったら分かるんだけど、見た感じだとあなたまだ賞金稼ぎ始めてからそこまで経ってないでしょ?」
「………っぐ、まぁ、そうかもしれないな」
彼は賞金稼ぎを始めてからまだ2年も経っていない。暗殺一家ではあったが長い間祖父の元で修行をしていたので、実際に凶悪犯と対峙することはあまりなかった。なんなら人の命を狙い始めたのは半年前だ。それまでは人殺しなどしたことすらない。
そんな彼がどうしていきなり世界最悪な悪党の首を狙ったのか。どうして胡桃有沙相手に怯まずに立ち向かい続けることが出来たのか。数々の賞金稼ぎや、世界中の警察や組織から狙われ続けていた胡桃からすれば甚だ疑問であった。
「答えて。あなたはどうしてそこまでして、私を狙うの?」
「……………どうしてって、決まってんだろ」
身体はボロボロ。数々の障害にぶつかってここまで辿り着いた翔雲だが、その深緑の瞳はまだ輝きを失っていない。
決して曲げる事のない信念がこもったその瞳で胡桃の目をしっかり見てハッキリと気持ちのこもった声で彼は言う。
「俺が!!お前(の首)が欲しいからだ!!」
翔雲は大事な部分を省略し、胡桃を指さして勢いよくそう叫んだ。
ありきたりな答え。当たり前だろと言わんばかりの返答に胡桃は一瞬フリーズした。が、ここで一つ、思い出して欲しい。
胡桃有沙は柊翔雲に一目惚れだということを。
恋愛をしたことがなく、少女漫画やラブコメにありがちな展開に憧れていた胡桃からすれば、"お前が欲しい"というワードは脳内で"プロポーズ"に変換されてしまう。
今、この瞬間で彼と彼女の間には、これから大きな影響をもたらす"解釈違い"が起こってしまった。
「………わ、私が……ほ、ほほほ、ほし?」
「?だから、お前(の首)が欲しい!それが、俺がお前をここまで追い詰めた理由だ!」
「わ、わわわわ、私が欲しいぃぃ!!??……はぅ」
「は?」
顔を紅くし、恥ずかしさのあまりオーバーヒートしてしまう胡桃。最強の悪党がここまで我を忘れることに疑問を覚える翔雲。だが考える暇もなく胡桃は意識を取り戻し、気を取り直す。
「よ、よ〜し!なるほどね!私が欲しいんだ!そーなんだ!ちなみに、ご、ご年齢は?」
「は……?13だけど」
「まさかのタメ!?運命じゃん!」
「何を言ってるんだお前」
「ち、ちなみに、星座は?」
「乙女座だが」
「私牡牛座、まさかの相性最高!?やっぱり運命じゃなはなかむりゃ!?」
「動揺しすぎだろどうした急に」
普段まったく隙を見せない胡桃だが、顔がタイプの男に、大胆に告白されれば動揺するらしい。年頃の女の子であることには変わりないようだ。
胡桃とは真反対に冷めた視線を送る翔雲。一体どんな勘違いをしているのか、鈍感な翔雲は気づかなかった。
しばらくして、多少冷静さを取り戻した胡桃は気を取り直して翔雲に話しかける。
「分かった!あなたは、私が欲しいんでしょ?」
「あぁ。その通りだ」
「でも今のあなたじゃ、どう考えても私とは合わないと思うの」
「...............そうだな。それは今日、深く痛感した」
「だから、大きくなったら、また私に会いに来てよ」
月の光に照らされ、街の灯りがロマンチックな雰囲気を醸し出している中、吸い込まれるような真紅の瞳を輝かせて彼女は言った。
まるで邪悪な契約を結ぶ悪魔のような。しかし悪魔と言うには魅力的すぎるような、そんな風に見えた。
魅力的に感じてしまい、少し顔を紅くする翔雲。だがすぐに正気を取り戻し、純粋な疑問をぶつける。
「................あ、会いに行く?いや、なんでお前がそれを言う立場になってんだよ」
「ん?なんでって?」
「お前は、自ら命を狙われに行っているんだぞ?分かってんのか?」
「なるほど〜。特殊な性癖を持ってるんだね。いいね!」
「頭がおかしいのか」
会話にならないと思い呆れる翔雲だが、同時にまた、胡桃を殺すチャンスが訪れたと考え、やる気がさらにみなぎっていた。
「分かった。今ここで俺を殺さなかったこと、後悔させてやる!首を洗って待っとけ!胡桃有紗!」
見れば見るほど虜になってしまう真っ直ぐ自分を見てくれている深緑の瞳。最初こそミステリアスな雰囲気を作っていた彼だが、今となっては自分のことで必死になっており、年相応の表情になるギャップも相まってますます胡桃は翔雲に興味をそそられていた。
情熱的な彼に応えるよう、胡桃は最高の笑顔でこの場を締める。
「楽しみに待ってるね、ダーリン♡」
「は?」
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