最終話 殺意の行方
◆◆◆◆◆◆
少女が父親を刺し殺した事件は、マスコミによってセンセーショナルに報道された。
幸い僕の実名は報道されなかったが、大学生A君として新聞に載ってしまった。僕は、その新聞を読みつつ深いため息を付いた。
事件のほとぼりが冷めるまでは、僕はできるだけ外出を避けることにして、大学もしばらく休むことにした。世間体を気にしてというよりは、自分自身の感情を持て余しての結果だった。
この事件は、僕の心に酷い傷を作っていた。
自分でも、自身の心の弱さに笑ってしまった。つい先日まで、僕自身が『黒闇姫』で友人を殺すことを夢想していたというのに、現実の殺人を目の当たりにして自分が持っていた殺意が幻にすら思えてきた。
少女の殺意を思い出すたびに、僕は今でも震えを感じ吐き気がするほどだった。
返り血に染まった頬に、薄っすらと笑みさえ浮かべていた少女。
あれは・・・安堵の表情だったのかもしれない。
辛い日々から逃れられる安堵感の微笑。
事件の関係者の僕よりもマスコミは、彼女の事情に詳しかった。新聞で報道された彼女の生活は酷いものだった。
日常的な虐待。
見聞きするのも辛いような悲惨な現実を彼女は、あの事件を起こすまで一身に受けていたんだ。両親によって、あの密室とも呼ぶべき自宅で忌まわしい虐待が繰り返されていた。
世間は、彼女に同情的だった。誰も、死んだ男を気の毒がる人間はいなかった。殺されて当然だという雰囲気が世間に漂っていた。
ただ、僕だけは本当にそうだったのか今でも迷っていた。僕が、『黒闇姫』を持ち込まなかったなら殺人なんて起きなかったのだから。彼女も、父親殺しをすることもなかったのだから。そう思うと、彼女に申し訳ない気がしていた。彼女の未来を壊してしまった事実が、胸を酷く締め付けた。
そして、世間の関心が事件から離れ始めた頃。
少女は、年齢的なこともあり刑事責任を問われることはなく保護施設への収容が決定された。その事は、僕に少し安堵をもたらした。それでも僕はまだ動き出せる気分にならなくて、大学も休み自宅と買い物の為に訪れるコンビ二との間を往復するだけの生活を送っていた。
そんな僕を気遣ってくれたのは、家族と・・・・そして友人と元彼女だった。
特に、友人と元彼女は僕の好きなケーキ屋さんのプリンを持って何度も僕のマンションに足を運んでくれた。今となっては、自分が友人に殺意を抱いていたことが恥ずかしかった。
僕は、涙を隠すように俯きながらそのプリンを食べた。
その内に、最初は友人と一緒に僕の家に遊びに来ていた彼女がやがて一人で来るようになった。彼女は、僕の為にせっせとご飯を作ってくれた。『美味しくないかも』って彼女はそう言ったけど、僕にはすごく美味しかった。
僕が『美味しいよ』って言うと、彼女はふわりと笑ってそして照れくさそうに俯いてしまった。僕はそれだけで胸が熱くなってしまった。
もしかしたら、僕たちはまたやり直せるかもしれない・・・・そう思った。
周りの支えでようやく気分が前向きになった僕は、普通の生活に戻り始めた。大学へも通い始めた。ちょうどその頃、少女の弁護士を名乗る人物が僕を訪れてきた。その弁護士は、少女から預かった僕宛の手紙を手渡す為に会いに来たという。
僕は戸惑いながらも、彼女からの手紙を読んだ。その内容は、まるで恋人へ宛てた手紙のようだった。弁護士は、僕が読み終えるまでじっと待っていた。そして、僕が読み終えるのを待って彼が口を開いた。
「今の彼女の心を支えているのは、あなたの存在です」
その言葉は、僕には酷く重かったけれど彼女を人殺しにした罪を償う為にも少女の力になりたいと思った。僕は、彼女に手紙の返事を書き弁護士に託した。
これで少しは、少女の心は癒されるだろうか?
止まることなく過ぎていく刻が、少女の心を癒してくれる事を僕は祈った。
熱い夏が過ぎ、何時もと変わらない秋が訪れた。
世間がすっかり事件の事に興味を失ったように見えるある秋の日に警察から呼び出しがあった。それは、『黒闇姫』を僕に返すという知らせだった。
殺人に使われた凶器が手元に戻ってくるなんて、僕は少しも考えていなかった。びっくりして躊躇した後に、僕は警察署に『黒闇姫』を取りに行った。幾つか書類を書いた後で、『黒闇姫』が僕の手元に戻ってきた。
人の血を吸ったはずの『黒闇姫』は、以前と変わらず綺麗だった。
いや、以前よりも綺麗かもしれない。
僕は魅入られるように、黒い鞘に収まったナイフを見つめていた。受付の警察官の視線を感じて、僕は慌ててカバンの中にナイフを収め自宅のマンションに帰宅した。
最初、僕はそのナイフを捨てようかと考えていた。でも、一晩自宅で考えを巡らせて捨てることを止めにした。
このナイフは、僕の殺意が招いた悲劇の象徴だから。僕が二度と『人を殺したい』と思わないように、僕の枷とする為に手元に置いておく事にした。
鍵のかかる机の引き出しに『黒闇姫』を収めて鍵を掛けた。
「さよなら・・・・黒闇姫」
僕はそう呟いていた。
もう二度と、僕の心の底の暗闇が浮上してこないことを祈って。
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黒闇姫〜殺意の行方〜 月歌 @tukiuta33
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