第4話

週末、詩子は奏に言われるまま車で30分ほど離れた先のショッピングモールの列に並んでいた。

早めに家を出ようとしたものの、なかなか部屋から出てこない庸介のシーツと枕カバーを剥がせず、洗濯機を掛ける時間が大幅に遅れてしまった所為である。その当人の庸介は「疲れているから」の一言でついてこなかった。

そんな庸介の元に鈴太郎を置いていくのも不安なので、家族3人で出発した。週末のショッピングモールは駐車場に入ることが第一関門だ。そこから目当てのお店でショッピングをして、混んでいる時間をずらしてフードコートで目を光らせながら空席を探す。席を確保出来たらそこからは数店あるお店の前に並んで自分の食べたいメニューを注文する。それを詩子が一人でやるしかない。

そもそも今回の買い物は奏がどうしても〈ジュエル・エンデ〉の服を買いたいとごねたからである。前にもTシャツを買ってあげたでしょう、と話すと同じクラスのみーたんとりるりるが先週末家族と買い物に行ってお揃いの服を着始めたので、自分も着たいとのことらしい。

〈ジュエル・エンデ〉は中高生に人気のブランドで、Tシャツも一枚2500円くらいする。詩子の着ている服は地元の古着屋で済ませることが多く、三倍くらいも違う。お小遣いで買いなさいと話しても、お小遣いはちょくちょく友達と買い食いしたりしているからほとんど残らないらしい。

(……甘やかしているなぁとは思うけど)

家の手伝いをするという約束をすると、奏は満面の笑みを浮かべて喜んだ。

「もぉーだからもっと早く出発しないからだよ。お父さんのシーツや枕カバーなんて自分で洗って自分で干させればいいじゃん。いい大人なんだからさ」

後部座席で奏がブツブツ不満を言っている。

「そうはいっても、お父さんがやるわけないじゃない。お母さんも週末くらいしかまとめて洗濯できないし、明日はあまり天気が良くないみたいだし、今日しかチャンスがなかったのよ」

「……ほんと、何でお母さん、あんな何もしない人と結婚したんだか」

ちくっと奏の呟きが胸に刺さる。

それは、自分自身がよく分かっている。でも、付き合っている時に一人暮らしをしていた詩子の家に泊って次の日の朝は朝食を作ってくれたり、すすんで布団とかを干してくれたりしていたのだ。

詩子の兄の音哉や父もほとんど家事をやらなかったので、感激していたのを覚えている。そして、庸介が理想の男性という錯覚をしてしまったのだ。その魔法は、結婚して一緒に暮らし始めてからはすぐに解けてしまったけれど。

「そうは言うけどね、奏や鈴太郎を教育するのとはわけが違うのよ。もう人生の根幹が出来ていて、こういう生き方を四十年近くやってきた人に家事をやってくださいって頼むってすっごい力がいるんだから」

「んーまぁ、それは分かるけど。でも、お父さんがああなったのって由布子お祖母ちゃんの影響は大きいよね。伯父さんたちも典型的な昭和男って感じだもん」

奏の言葉に、詩子はあははと空笑いをするのに留めておいた。先ほどから鈴太郎は黙って窓の外を眺めているが、息子の耳にあまり自分の愚痴を入れたくない。

15分ほど全く動かなかった前方の車がやっと動き出した。

「あ、やっと動き出したみたいよ。そろそろ駐車場に入れるかな」

「〈ジュエル・エンデ〉で買い物したらお昼ご飯食べようよーお腹空いちゃった」

奏はこれみよがしに下腹部を撫でている。

「そうだねぇ、もう11時半だもんね。でも、13時くらいまでは待った方がいいかぁ。フードコートに行っても、多分座れないわよ。鈴太郎はどう?お腹空いた?」

詩子はバックミラーを覗くと、鈴太郎は小さく首を横に振っている。

「えー13時まで食べられないなんて無理―」

「じゃあ、キッチンカーでベビーカステラみたいのを買って小腹を凌いでおこうか。それで、あとでいっぱいご飯を食べればいいんじゃない?」

「うん、それなら大丈夫そう!」

奏はにっこりと笑って頷いた。


詩子は立体駐車場というのがすこぶる苦手だ。

普段から使っているショッピングモールの車間の狭い駐車場も入れるのに難儀して後続車にイライラされているのに、立体駐車場はその駐車場の何倍も入れるのが難しいと思う。車間の狭さも明らかだが、特に柱側のが入れにくい。後続車が来る前に何とかバック駐車で入れてみようとするが焦ってしまい何度も切り返してしまう。庸介の方が入れるのが上手いので、飲んで帰りが遅くなる時に駅まで迎えに行っていたこともあったが、そんな時は何かと運転スキルにダメ出しが多かったので今は全くやっていない。そもそも今は家族や仕事よりも大事なことがあるみたいだし、様子見で放っておいてみている。

今回の車庫入れも何度か切り返して何とか入れることが出来た。車庫入れだけでどっと疲れ切ってしまった。だけど、前を歩く奏は楽しそうにスキップしているので、そんな疲れも吹き飛んでしまう。ふと、横を見るとどこかぼんやりと前を見据えながら鈴太郎が歩いている。

「鈴太郎、ごめんね、せっかくの休みなのに付き合わせて。家でお父さんと待っていた方が良かった?」

鈴太郎は詩子を見上げ、ふるふると首を振った。

「―――お母さんとがいい」

小さく呟く鈴太郎に、詩子はじわっと胸が熱くなる。嫌がられるかと思ったが、鈴太郎の手をぎゅっとつないだ。本人は嫌がらずにそのままでいてくれたので、ぶんぶんとちょっと大きく振りながら歩き続けた。

〈ジュエル・エンデ〉は大盛況だった。やはり奏くらいの高学年や中学生くらいの女の子で店内が埋まっている。あまり詩子のように親は一緒にいないようだ。子供たちだけでお買い物に来ているのか、もしくは別行動をしているだけなのだろうか。

奏は早速店内でお目当ての服を見つけたようだった。

「お母さん!これだよこれ、みーたんとりるりるが着ていたの」

「えーでも奏、これちょっと肩の部分が切れてない?」

「知らないの?こういうのが、今のトレンドなんだよ」

〈ジュエル・エンデ〉はスポーティ・カジュアルな服がコンセプトのようで、フリルなどがついた可愛らしい服はそんなに見当たらない。まわりの女の子たちをみると、皆5着以上は手に取っている。

概算で大体1万以上は掛かるはずだ。詩子は思わず身震いしてしまう。

「じゃあ奏、早く買ってきて。ベビーカステラ探しに行こう」

「えーちょっと待って。なかなかお店に来れないし、これ以上はおねだりしないから、少し店内を見てていい?」

「お腹空いたんじゃなかったの?」

「お腹は空いてるけど!それ以上に〈ジュエル・エンデ〉のアイテムチェックもしておきたいの!」

「じゃあ外で待ってるから。早くしてね」

詩子は鈴太郎と店の外に出た。ここのショッピングモールはグリーンテイストがモチーフで、人工的に植えられた樹木があちこちにあり、自然な日陰を作り出している。空気も涼やかだ。

近くのベンチに座り、ひとまず目の前にあったシェイクのお店で鈴太郎にももシェイク、詩子はバナナシェイクを買って飲んでいた。

(でもまぁ、家に居たら家事育児であっという間に土日が終わっちゃうし、こういうところでのんびりと過ごすのもいいかもしれない……)

うとうとと眠気に苛まれながら、詩子はぼんやりとあたりを眺めていた。

その時、見覚えのある後ろ姿の二人が目の前を通過した。

「―――実羽ちゃん、りるかちゃん?」

詩子が声を掛けると、ストレートヘアーの女の子と肩ぐらいの髪を外はねにした女の子がこちらを振り返った。二人は訝し気にこちらを見ている。

「えっと、私、廣道奏のママなんだけど、ごめんね、急に声を掛けて」

詩子の言葉に、二人はあからさまにマズいという顔つきをした。

「あーかなっぺの!すみません、気づかなくって」

「え、ううん。急にごめんね。今日は二人で来たの?お父さんとお母さんは?」

「えーまぁ、今日は二人で、ね?」

「え、う、うん。というか偶然に会って。で、せっかくだから一緒にまわろうかって」

どこか調子を合わせようと目線を合わせる二人に、詩子は視線を止めた。

『やっばーかなっぺのママと出くわすなんてめっちゃ運悪っ』

『毎週末、かなっぺ抜きで遊んでるのバレたかな?』

どこからか声が聞こえてきた。

早くこの場を去りたそうな二人に向かって詩子はにっこりと笑みを浮かべた。

「奏は今〈ジュエル・エンデ〉で買い物しているの。実羽ちゃんとりるかちゃんとお揃いの服が欲しいみたいで。また学校で仲良くしてね」

「あ、はい、じゃあ失礼しまーす」

足早に二人は去っていった。奏と鉢合わせしたくないからだろう。

(これくらいは、奏のために言ってもよかったよね……)

それにしても、子供からは心の声が聞こえないというわけではなかった。聞こえないのは、わが子だけだったのか。

でも、彼女たちの心の声は、正直知りたくなかった。

奏はただ二人と同じ服を着て、結束力を高めたいという気持ちだけだったのに、あの二人は奏を抜きにして服も一緒に買いに行って、週末も仲良く遊んでいたというわけだ。

もやもやするけれど、女子の付き合いにはやはり少なからずそういう排除の要素が生まれてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。三人グループだったら、二対一になってしまうのは、自然の摂理なのかもしれない。

親として、自分の娘がのけ者にされている真実を知った後では、その現実をなかなか受け入れにくい。

だけど、彼女たちの心の声を奏に伝えたところで詩子に対して不信感しか抱かないだろう。だから、この想いは詩子の中に留めておくしかないのだ。

さらに、彼女たちは手にスマホを持っていた。

二人がスマホを持っていることは奏から聞いたことがないし、奏自身もスマホを買って欲しいと言ったことがない。ということは、彼女たちだけでスマホを所持し、奏にはその存在を秘密にしているということだ。二人で奏抜きで色々と情報を共有しているという事実にも、母として凄くやるせない。

でも、奏自身で確認したことだけで彼女たちとの付き合いを考えていくべきだ。もう五年生なんだし、詩子が色々と口出しするべきではない。

奏本人が考えて、構築していけばいいのだ。

そこまで考えた時に、店から奏が出てきた。嬉しそうに店の紙袋を抱えている。詩子に気付くと、大きく手を振っている。

シェイクを持った手を振ると、奏は指をさして何か叫んでいる。

「あー酷い!勝手にシェイク飲んでる!」

「えーだって時間がかかると思ったし」

「私も飲みたい!」

「ベビーカステラはどうするの?」

「シェイクもベビーカステラも両方食べる!」

「まぁ、しょうがないかーいいよ」

やった、とばかりに奏はガッツポーズを取った。そんな娘の行動に、何だかいとおしさが込み上げてくる。

これから色々と交友関係で悩むこともあるかもしれないけれど、奏がもし悩みを打ち明けてくれることがあればきちんと向き合って訊いてあげようと思う。

母として、それくらいことはしてあげなければと使命感に充ちていた。

「ベビーカステラ食べたら、少しぶらぶらして、美味しいものいっぱい食べようね」

「そうねーお母さんはオムライスにしようかな。鈴太郎は?」

「……きつねうどん」

「鈴太郎はうどんばっかりよねー私はパスタかなーデザートも食べたい!」

「いいねぇ。お父さんがいない分、四人分食べちゃおうか!」

「四人分!?そんなに食べられないよー」

けらけら笑う奏、ぎゅっと手を繋いだままでいてくれる鈴太郎、この二人に挟まれて歩く詩子は幸せな気持ちでいっぱいだった。







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