第9話

「ここまで来ればもう大丈夫でしょう」


 そうレスタが宣言したのは、野営地でのことだった。実は全然大丈夫ではなかったのだが、レスタが極大結界を張り巡らしたので、半径1キロ以内から人の姿は消えていた。追っ手ならぬ、『見張り役』は今は結界の外にはじき出されている。

 レスタがここまで巨大な結界を張ったのにはわけがあった。


「さて、ここで1つご相談したいことがあります。魔王討伐、止めませんか?」

「止め、……って!? あんた、聖女だろう!?」

「そうですね、聖女です。それがなにか?」

「聖女なのに、悪逆非道の魔王を放っておくっていうのか!?」


 盾士の男は、大柄ながら純朴そうな人柄だった。王家の主張をそのまま鵜呑みにしているのだろう。

 レスタはテスラに頷いて、地面にガリガリと棒で周辺国の地図を描かせた。どうしてかって? テスラの方が絵心があるからだ。


「まず、こちらが帝国。こっちが隣国。そしてここが我が国で、その隣のここが魔族領です。ここまではよろしいですか?」

「……ああ。っていうか、これ、本当に地図か? なんか、――」

「魔族領ってこんなに小さいのか? ですよね。そう、これが実際の大きさの地図、なんです。国内で流通している地図は、国の方針でワザと魔族領を大きく描いているんですよ。あと本当の意味で魔族領って言って良いのってこの辺だけです」


 レスタが指し示したのは魔族の都と言われている周辺のごく僅かな土地だった。

 すでにそこから欺瞞が始まっているのだ。なお、これは割と古い書物の中から探し出してきた古地図を元にして描いている。帝国のものも運良く手に入り比較しているが、国内の地図の中ではこれが一番帝国のものに近かった。つまりこれが正解なのだ。

 テスラの手に入れる化粧品は実に良い仕事をしてくれた。それを欲する余り、様々な階級の様々な立場の人間の財布と口と頭のネジが緩んだのだ。欲というのは恐ろしいものである。


 情報を総合的に判断した結果、魔王が求めているものは、魔族の復権だろうことが判明した。こちらの国を攻め滅ぼすもなにも、彼らにそんな力はなかった。

 魔王の「悪逆非道」の大半を占めている魔物をけしかけているというのは全部デマで濡れ衣だ。彼らの地も普通に魔物に襲われてるし討伐もしている。土地自体は痩せているが魔力的には良質な地なので、むしろ被害はあちらの方が大きいくらいだ。


「そしてこれがここ十数年の、国内の奴隷販売の推移です。基本的に奴隷は富裕層の持つものですから、皆さんにはあまり馴染みのないものかもしれないと思いますが」

「こりゃぁ……ひどいな」


 薬士の男がテスラがまとめた資料を手に取った。通販で買った羊皮紙だ。本物ではない。羊皮紙、という名前の羊皮紙風の植物紙だ。

 国内奴隷の半数は、普通の人間だ。これは犯罪奴隷と借金奴隷に分けられ、大半が借金奴隷となる。負債を払いきれなかった人間の負債を肩代わりし、代わりにそれを解消するまでの対価を労働という形で受け取るのだ。ある程度の権利や自由が認められるが、肩代わりした借金への利率などはグレーな域で、余程心根の正しい主人に巡り会えねば、大抵は生涯掛けても払い終えることはない。少数となる犯罪奴隷は死罪代わりの刑罰となるため、一切人間扱いされない過酷な環境だ。

 そしてそれと同等かその下に置かれるのが魔族とその混血の奴隷たちだった。鉱山などの危険な場所で命をかけた作業に従事させられたり、人体実験の道具や一部の特殊な嗜好を持つ者の餌食とされる。性産業に強制的に従事させられる者も多く、そうした者は逃げ出せないようワザと足を潰された。

 隣国での同族の置かれる過酷な環境を知った魔王が同族を救うために立ち上がった、が真相なのだ。


「にわかには信じがたいな。魔族だろう? 強い力を持つと言われているのに」

「それはごく一部のみです。彼らが力を得るためには、高い教育と特殊な環境が必要なんです」


 そもそも、魔族という言い方がもう間違えている。彼らは『森山の民』と呼ぶのが正しい。魔術的素質の高いものが多い彼らがその力を発揮するためには、長い時間が必要になる。彼らの魔術は精霊の力を借りて行うものであるが故に、精霊の多く棲まう彼らの故国でそれらとよしみを通じ、その特性を学び、力を借りられる環境を己で構築する必要があるのだ。最も、精霊との親和性に恵まれた彼らの肉体は、普通の人間よりずっと頑健ではある。病にかかりにくく、劣悪な環境にも適応しやすい。だが、それだって総体的に人族と比べれば、だ。

 加えて言うなら、魔族が強大であるとは、王国が自らを正当化する為の過剰な喧伝に他ならない。


「同時に、魔王に味方することも出来ません。私達は親兄弟を人質に取られています」

「それは――本当なのか?」

「ええ。あなたと同じですよ、殿下」


 意外そうな顔をするかと思いきや、彼は苦く笑った。そうして、ゆるりと首を左右に振った。


「確かにそうだが、それは気にしないでくれ。父母は亡く、叔父は面倒こそ見てくれたが、所詮厄介者でしかなかったからな。……何度も死にそうな目にはあったし、妹は命を落としている。別段恩義は感じていない」

「ああ、なるほど。私達も一応両親と兄を人質に取られてはいますが、私と姉を人身御供に差し出した人達ですので、最低限の義理だけ果たせばあとは気にしないことにしているんですよ」


 私の家族は姉だけですので。と言い切ったレスタの手を、テスラはそっと握った。

 少しだけ、レスタからテスラのことを聞いたのだ。正確には、レスタからテスラの知識を引き継いだ四宮から。

 生贄には、最初はレスタだけが差し出される予定だったこと。そんなレスタをテスラが庇い、自分の身を差しだしたこと。けれど結局テスラでは器が足りないという話となり、レスタもその身を差し出すことになったこと。

 結論だけを見れば2人とも魂を失った。けれど確かにレスタの魂はテスラによって救われたのだ。


 テスラとレスタは双子の姉妹だ。しかし双子は縁起が悪いと、2人は離して育てられた。テスラは母方の祖父母に預けられ、レスタだけが父母の元で養育された。レスタの方が母に似た色合いであったこともあっただろう。実際、レスタは母に良く似た美少女に育ち、テスラは父に似た美人に育った。そしてそれが故に、祖父母からは愛されなかったのだそうだ。祖父母にとっての双子の父は、自分たちの愛娘を奪い去った男であったからだ。父母は相思相愛の夫婦ではあったが、相思相愛であったが故に、母は両親が用意した婚約者を捨てて父の元へと走った人だったのだ。


 冷遇の中で育てられたテスラは、祖父母の死を契機に実家へと戻ってきた。

 暗い瞳の少女だったそうだ。レスタをうらやみ、憎み、そねむ気配が彼女を覆い尽くしていた。けれどそれは、レスタが彼女と目を合わせた瞬間に、消え失せた。まるで濃い霧に閉ざされていた山道が急に晴れて、眼前に美しく青い山脈が現れるような、劇的な変化だった。

 このときに、レスタはテスラに恋をした。そしてまた、テスラもレスタに恋をしたのだろう。

 レスタが一番に彼女を歓迎していた自覚はある。その為かどうかは分からないが、家族の誰よりも、テスラはレスタに心を開いた。何をするのも2人で揃って行った。両親から止められるのも聞かず、幾夜も2人で呼吸を重ねるように互いを抱きしめ合って眠った。それまで離されていた時を取り戻すように、2人は寄り添いながら成長した。


 美しく育った2人は、本来はそれぞれ別の貴族家との縁組みに使われる予定だった。けれどレスタが高い魔力量を持っていたことで、「別の用途」が生まれてしまった。王家に恩を売るために、レスタは高値で王家に売られた。絶望するレスタだったが、王家からの迎えの使者の前に身を投げ出したのがテスラだった。身代わりを申し出て、それが入れられなければスペアとして自分を利用するように提言した。


 彼女の提言は受け入れられた。2人はともに城へと向かい、けれどテスラの魔力量はやはりレスタには届かず、ただのスペアにもなれないと貶められ、片隅へと追いやられた。

 有力な魔術師達はこぞってレスタへと傾倒した。はじき出された前時代の魔術師達はそれを恨み、やがて片隅に追いやられていたテスラに目を付けた。


 そして、今に至る。

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