三話

 今、秋田の標準季節は秋。


 天は好く晴れており高い。

 空に浮かぶ島々には川が流れており、その川が大地へ下り流れている。川は金の輝きを放ち、水の子達が砂金をせっせと運び働いている。金の川は大地の広大な稲田に降り注ぎ、稲穂を黄金色に染めている。それらは時より風に吹かれ、サワワとした音色で賛歌を歌う。遠くの山々の頂は早くも雪景色をしており、空島では雪のソムリエ達が今年の雪をブレンドし吟味している。どうやら今年の秋田の雪は少々甘くなる予定みたいだ。この地から海は見えないが、日本海はまだ静かに微笑んでいる。この地にも少しずつ冬が訪れようとしている。

 ここは、秋田の南部に位置する 湯沢 という場所だ。


 昼下がりの時刻。

 空から下る列車が地上にある駅へ入場してくる。その列車を牽引しているのは、蒼く透き通った鯨だ。その後方には客車が編成されている。鯨が入場の直前に、クゥと鳴いた。おそらくは『駅に入りますよ』という合図を出したのだろう。

 鯨は速度を徐々に落としながら入場し、そして停止線の位置にぴたりと停車した。停まった鯨の頭からは、シュウという音がした。人間が走り終えた時に、息をハァと吐くのと似ている仕草だ。

 最後尾に乗車している車掌が、手にしている木筒のマイクを自身の口にあてる。そのマイクはほのかに光っている。

『湯沢、湯沢です。お降りのお客様はお忘れ物ないようご注意ください』

 車掌の声が車内に響いた。

 続けて言う。

『お急ぎの所ご迷惑をお掛けしますが、本列車は運転間隔調整のため二分ほど停車いたします』

 客車の天井には木々の葉の形をしたスピーカーが小さく飾られており、その葉が揺れることで空気を振るわせ音声となり、各車両の乗客の耳へと声を届けている。

 降車する人々は車内の出入り口前へと徐々に集まってくる。ドアの上には透明な鳥が片羽を広げており、鮮やかに発光する羽の内側には、『こちらの扉が開きます』、『ゆざわ』、というような案内表示が映し出されている。加えて、降車後の階段の位置や、乗り換えをする列車の案内なども表示されている。

 客車内からは見えないが、空気を操る何かがドア内にいるのか、扉がプシュという音とともに開いた。そして最初に、降車する人がぞろぞろと車外へと降りていく。次いで、乗車する人がぞろぞろと客車に乗り込む。


 車内。一人の女性が座席に座っている。

 到着を知らせる車内放送は、座っている彼女の耳にも届いていたはずだ。彼女はこの駅で降車する予定だった。だが、座ったままで立ち上がろうとしない。伏し目がちなまま、一点を見つめるようにしている。心がここに無く、どこか物悲しい表情をしている。

 彼女が視界に入った乗客は皆、彼女の近くを通る際に、軽く頭を下げ礼をする。中には合掌している人もいる。

[おい、着いたぞ]

 彼女の耳に、車掌の音声とは異なる声が届いた。冷艶で低い音色がする男の声だ。

[早く降りろ]


「・・・」          [・・・]          ―――・・・。


 彼は続けて命令口調で言ったが、彼女は無言のままだ。

 乗り込んできた乗客達が、おのおのの席に座り発車を待つ。

 彼女の隣の席にも、母親に連れられて車内に乗り込んできた少年が近づき、席に飛び乗ろうとしている。そして、少年が座席にはしゃぐように飛び込み、足が彼女の体に当たった。

 少し間があって、彼女が静かに立ち上がった。

「すみません。こら」

 母親が彼女に謝り、子を叱った。母親は子の頭から彼女へと目線を移す。次の瞬間、はっと何かに気づいた。

「た、大変失礼致しました。ご無礼をお許しください」

 母親が深く頭を下げ、許しを乞うように言った。我が子の頭にも手を当て、無理矢理下げさせる。周りに座る乗客達も何事かと思い、彼女らに目線を向けた。

「・・・」          ―――・・・。

 彼女は何も言わない。視線は頭を下げている少年に向けられており、やはり物悲しい表情をしている。

 母親は、彼女が何も言わないので、上目で恐る恐る彼女を見た。子も頭を上げ、目線を上に向ける。二人とも怯えていた。

「どうか、お許しください」

 もう一度、母親が詫びる。

 突然、彼女がすうと少年に近づいた。そして、彼女の手が少年の肩に触れる。

 少年はびくりとし、何か仕打ちをされると思った。

 しかし違った。

 彼女の手つきは至極優しく、少年は自分の肩がほのかに暖かくなるのを感じた。肩に添えられた彼女の手は、仄かに若草色の光を放っている。少年はその光を見て、『綺麗だな』と思った。そして、彼女の手は少年の肩から腕へと流れるように動き、彼女は少年の顔を覗き込むようにしながら、『大丈夫ですよ』というような顔をして落ち着かせた。

 彼女の顔を間近見て、少年は赤面し、うつむいてしまった。彼女に見惚れてしまったのだろうか、耳まで真っ赤にしている。

 母親の時間も一瞬止まっていたが、すぐに安堵した表情に変わった。そして彼女から一歩下がり、頭を深々と下げた。

 恍惚としていた乗客達も徐々に我に返っていった。

『お待たせいたしました。まもなく発車します』

 車掌の音声が鳴る。

「どうか、ご無事な儀式を」

 母親が彼女に向け言葉を献上した。彼女は少しだけ唇に弧を描き、『ありがとうございます』というような表情をし、自身の持ち物である、あずま袋と傘を手にしてドアに向かって歩いた。立ち振る舞いは憂いをおびてはいるが上品であり、どこか神秘的だ。

『ドアー閉まります。ご注意ください』

 彼女達が降車して間もなく、プシュという空気音を立ててドアが閉まり、鯨のクゥという音が車内に響いた。列車はゆっくりと出発する。

 少年は窓越しに見える彼女の背中をずっと見つめていた。少年の視界から彼女が流れるように消えてゆく。少年はその後暫くの間、窓の外をずっと眺めていた。乗客達も、『今日は好い日になった』という表情をしており、皆安らいでいた。

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