【5】騎士の背徳

馬車がクラーヴァル公爵家のタウンハウスに到着するや、侍女のリサが玄関ホールで出迎えてきた。

「ヴィオラ様、お帰りなさい。……旦那様とご一緒ではないのですか?」

「ああ」

と、短くエデンが応えると、リサはとても悔しそうな顔をした。


「そんな……旦那様はあんまりです! ご夫婦でのお出かけなんて、初めてじゃありませんか。なのにヴィオラ様をひとりで帰らせるなんて!」


玄関ホールには、リサ以外に出迎える使用人の姿はない。結婚してから2年も経つのに、使用人たちはわたしを女主人として扱う気がないのだ。当主のルシウス様が私を軽んじているのを知っているから、使用人たちも私を軽視している。王都のタウンハウスでも、公爵領の領主邸でも、私の扱いは目障りなお飾り妻に過ぎない。


実家時代からの侍女であるリサは、私の唯一の味方だ。そんなリサに向けて、エデンが労うように微笑みかける。


「リサ、いつもヴィオラ様を支えてくれてありがとう」

「え?」

「いや……。まぁ、気にするな。ともかく私は、部屋で休むことにする」


エデンはあまり演技が上手くないようだ。かろうじて一人称が『俺』から『私』になっているけれど、口調はほとんど変わっていない。

リサはふしぎそうにエデンを見ていたけれど、違和感を飲み込むような顔で話を続けた。


「わかりました。それでは、お召し替えをお手伝いしますのでドレスルームへどうぞ」



――お召し替え。



「お、お召し替えだと……!?」

エデンが、激しくうろたえ始めた。

リサはふしぎそうに首をかしげている。

「はい。夜会用のドレスから、ルームドレスに着替えないと。そのあとはお風呂です。すぐに用意しますから、少々お待ちを――」

「風呂!? 俺がっ??」


エデンがうろたえている。完全に素が出てしまった。


「い、いや。それはダメだ、リサ。着替えとか風呂とか、そういう破廉恥なものは一切断る。俺は騎士だぞ、そんな背徳的ことできるわけが……」

「なに言ってるんですか、ヴィオラ様ったら。というかどうして『俺』なんです? お顔も真っ赤ですけど、酔ってるんですか?」

「……ぅぐ、」


唐辛子みたいな顔色で汗をダラダラと流しているエデンに向かって、私は心の中から呼びかけていた。

(落ち着いて、エデン。そんな態度だとリサに怪しまれちゃう!)

「しかしヴィオラ様はそれでも良いんですか!? 俺なんかに、その……見られるんですよ!?」

(そ、それは……)


わたしだって、そんなの恥ずかしい。

でも、エデンの魂がわたしに取り憑いている以上は、どうしようも……。


リサは少し青ざめて、心配そうな顔でこちらを見ていた。

「ヴィオラ様、独り言なんか言って、どうしたんです? まるで誰かと話しているみたい……幻聴でも聞こえているんですか?」

「うぅ……」

「さぁ、ドレスルームに行きますよ」


ドレスルームに入るや、リサは手際よくエデンのドレスを脱がせ始めた。エデンは目を硬くつぶって、羞恥心にふるえている。

恥ずかしいのは、私も一緒だ。

でもエデンは目をつぶってくれているし、これなら一応、大丈夫――。


と言う訳でもないらしく、エデンが叫んだ。

「……っ、もう無理だ!! やめてくれ!」


――ひゅっ。

突風のような衝撃とともに、何かが白い世界に飛び込んできた。

(きゃあ!?)

わたしは尻餅をついた。――いったい、何が入って来たの!?


(やっぱり無理だ! これ以上ヴィオラ様を穢すような真似はできない! もう、やめてくれ、ああ……)

飛び込んできたのはエデンだった。私の目の前で、頭を抱えてうずくまっている。

(やめてくれ、俺はヴィオラ様に、ヴィオラ様になんてことを)

と叫びながら、身もだえしていた。


(ちょっと、エデン!)


びくり、とエデンが反応した。

(ヴィオラ様!? す、すみません俺、あなたの着替えを)

(そ、それはいいから! ともかく落ち着いて。そんなに取り乱したら、リサに怪しまれ――)


そのとき、外の世界からリサの悲鳴が聞こえた。


「きゃあああ! ヴィオラ様!? いきなりどうしたんですか、しっかりしてください!」

外の世界に視線を向ける――ドレスルームの大鏡の前で、私は薄眼を開けて倒れていた。リサが泣きながら、ぐったりした私を抱き起している。


(エデンの意識が無理やり心の中に引っ込んだから、体が気絶しちゃったみたい!)

(え!? そういう仕組みなんですか!?)


私にも分からないけれど、どうやらそのようだ。

リサが、ドレスルームの外に向かって声を張り上げている。

「誰か、誰か来て!! ヴィオラ様が……! お医者様を呼んで……早く!!」


どうしよう。このままでは大事おおごとになってしまう。


(――リサ、大丈夫だから落ち着いて!!)

心の外へと手を伸ばしてそう叫んだ瞬間、私の意識はぐい、と外の世界に引っぱり出された。


「!?」


全身に血液が巡るような感覚とともに、目の焦点が合う――泣き顔のリサと視線が交わった。


「……リサ」

「ヴィオラ様! よかった、気が付いたんですね!?」

私はよろめきながら身を起こし、リサに「もう大丈夫よ」と告げた。

「でも、やっぱりお医者様を呼んだほうがいいんじゃないですか?」

「必要ないわ。本当にちょっと疲れただけなの。今日はもう寝かせてちょうだい」


着替えを済ませ、私は自分の部屋に戻った。

ベッドに横たわり、まぶたを閉じて心の中へと意識を向ける――。ふわりとした感覚とともに真っ白の世界に包まれ、エデンが私を待っていた。


(……すみません、俺が取り乱したばかりに)

(ううん、平気よ。おかげで、エデンと私の意識を切り替える感覚が分かった気がする)


なんとなく、仕組みが分かった。

私の体には『エデン』と『ヴィオラ』の魂が同居していて、どちらかが体を動かしている間はもう片方は心の中から外の世界を眺める形になるようだ。ふたり同時に心の中に入ると、外の世界の体は意識を失うらしい。


(自室だったら、人目を気にせずあなたと話せるわ。体はベッドで眠っているから、朝までこのままで平気ね!)


ようやく人心地ついて、私の顔は自然と綻んでいた。

私の前に、エデンがいる。その事実がこんなにも嬉しい。


(わたし、これまで眠るのがとてもつらかったの。寂しくて、苦しくて。でもこれからは安心して眠れるわ。眠っている間は、こうやってエデンと会えるんだもの)


胸に安堵が広がって、じわりと涙が滲んできた。

その涙を、エデンがそっと拭ってくれる。実体がないためか触れられた感覚はないけれど、それでもこれは現実だ。

実体なんていらないし、空虚な白い空間でかまわない。

エデンがいるなら、それでいい。


(私、このままずっと心の中で過ごしていたい。現実になんか、もう帰りたくないわ)

(それはいけません、ヴィオラ様)

エデンは真剣な顔で、私を諭すように言った。


(ヴィオラ様は現実の世界で幸福に生きるべきです)


琥珀の瞳が、まっすぐ私に見つめる。エデンは少し言い出しにくそうにしていたけれど、やがてはっきりと告げた。

(ヴィオラ様の幸せのためには、クラーヴァル公爵との離縁が不可欠だと俺は思います)


――離縁?

ずきり、と胸が痛む。


(公爵がヴィオラ様を愛す気がないのは明白です。それどころか、今日の夜会での――クラーヴァル公爵はフラメ女伯爵と結託して、あなたを陥れようとしました。あんな男からは離れるべきだと、俺は思います。……ヴィオラ様はどうお考えですか?)


私の考え……?


(俺はあなたの騎士ですから、あなたが公爵との婚姻関係の継続を望むのであれば勿論異論は挟みません。関係を維持した上であなたが安全に暮らせるような方法を探します。しかし――)


(別れたいわ)

迷うまでもない。あんな人とは別れたい。でも――


(でも、できないの……これは王命による結婚だもの。私から離婚を申し出たりしたら、国王陛下のお顔に泥を塗ることになってしまう)

(ご実家のノイリス伯爵家への不利益を恐れていらっしゃるんですね)


エデンの言う通りだ。王が『褒美』として与えてくださった縁談を私が反故にするなんて、そんな非常識なことをしたらノイリス伯爵家の社会的な信頼は地に落ちる。そうなれば、領地の復興はますます困難になる。もともとの資金難に加えて、災禍の竜による被災でノイリス伯爵家は破産の危機にあるのだ。


悔しそうにうなずくわたしを見つめて、エデンは言った。

(心配いりません。戦況を変えてから、一気に畳みかけましょう)

(……どういうこと?)


俺に策があります。とエデンは力強く笑った。


(任せてください。必ずや、円満な離縁を勝ち取ってみせます)


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