第9話
『――まあいい。詳しいことはその内きちんと、そういう場を設けて聞く』
状況終了後に言ったセリカの声が頭の中を延々と掻きまわしている。
「そういう場ってなんだと思う? ハエ」
『……と言われましても、前例から想像するに、異端審問とかそういう類の物でしょうかねぇ』
異端審問。つまり、魔物を信奉する者を明らかにし、処刑にかけるための裁判の事だ。
本来であればこれは統括機構内部の裁判所で秘密裏に行われ、また秘密裏に処刑が進む。しかし大体は機構の職員が主で、魔法少女が裁判にかけられるなど聞いたこともない。
「でも、上部組織が求めている魔法少女の完成系が私なんだよ。しかも天然の。そんなの簡単に殺しちゃっていいの?」
『殺しはしないでしょうが、今の会長の考え的には多分、また地下に逆戻りになるでしょうね』
「あぁ……」
完璧な魔法少女だからこその研究対象。
『――魔法少女として生きるか、私の娘として生きるか。選択肢は君が持ってる。どちらを選ぼうとも、私は君の考えを尊重する』
あの日、あの人が言っていたことを思い出す。あの人は、魔物である私に対して、そう優しく問いかけた。
彼が地下研究室から連れ出してくれなければ、私は今頃、知的魔物として危険指定され、一生地下に閉じ込められていただろう。
だが、もう彼はいない。
もし仮にもう一度捕まることがあれば、もう二度と地下から出ることはできない。
「リリスになんか会わなければよかった」
『会わなければあの状況で帳をくぐり逃げても問題なかったと?』
「……もともと私は消息不明の身だったから。それに、もし逃げたとしても、影を通れば魔法少女には見つからない」
狭い廊下のベンチに座る。先ほどリリスが買ってきてくれたちょっとおしゃれなコーヒーを一口だけ口に含むと、甘ったるい香りが鼻いっぱいに広がった。
甘いものは好きだが、甘ったるいものは好きじゃない。限度という物がある。
『にしても遅いですね、リリスさん』
「話してるのがセリカだから」
『セリカさんも、別に悪い人ではないんですけど』
「まあ、前に比べたら随分話しやすくはなったよ。けど、性格の根本が変わったわけじゃない」
少しは人の話を聞くようになった、というだけだ。前に比べて。
「今回の話し合いだって、多分セリカの中では私をどうするかなんてもう決まってる。ただ形式的に私の話を聞こうとしてるだけだよ」
『……どういう心境の変化なんでしょうね』
「部下が増えたから、じゃないかな」
列強二位という立場でありながら横暴な振る舞いを続けると、その内自分の元を離れたり言う事を聞かなくなったり、あるいは指揮が下がったりする。私兵を持つ彼女の事だ、そのあたりはわきまえているのだろう。
形式的に話を聞いて、一応は物分かりのいい上司を演じようとしている。どうせそんなところだ。
『でも、お二人は旧友なのでしょう?』
「……同じ穴の貉だよ。ああ、おかえり、リリス」
いつの間にか傍にいたリリスに声をかける。不満げに唇を尖らせると、私が太ももの内側には挟めていたコーヒーを強奪し、飲み始めた。
「——うげッ、なにこれ、甘すぎるじゃない」
「いや、お前が買ってきたんだろ」
「いちいち味なんて気にして買ってこないっつの。はぁ、にしても――」
リリスが向き直る。
「まさか、アンタが人間ですらなかった、なんてね」
前々から影の強いやつだとは思っていたけど、と付け加えると、黙って自販機の横にあるゴミ箱にコーヒーを投げ入れた。がたん、という鈍い音を立ててゴミ箱が揺れると、リリスがガッツポーズをした。
「……教育係を解雇された今のリリスは、正確には魔法少女ですらないけどね」
「うるっさいわね、セリカに詰められてからちゃんとリハビリもしてるんだから」
「へぇ、レベル3で?」
「し、仕方ないでしょ! 背に腹は代えられないの!」
「まあわかるけど。わざわざ一人でやる必要なんてないでしょ。他に仲間集めるとかさ、あ、友達いないんだっけ」
「……だから、みんな死んだっての」
……長生きしてる魔法少女の友人関係なんて、基本的にはそんなものだ。
大抵の魔法少女が二年で死ぬかやめていく。やめた魔法少女も、正確には人間ですらないために人の社会では生きていけず、結果としてどこかのタイミングで死ぬ。
「私を誘えば」と言おうとしてやめた。私などが行ったところで、何かできるわけではない。いや、リリスを連れて逃げることはできるか。
その場合、もし逃げたらセリカに殺されるが。
「まあいいわ。それで本題だけれど、セリカが来る前に単刀直入に言うわね」
廊下の奥の方で、扉の開くガタっという音が響く。
目だけをそちらに向けると、やや急いだような口調で言った。
「セリカはアンタをどうこうする気はない。その代わり、列強に全面的な協力をさせる、これがセリカの求めている条件よ」
「……全面的な協力? もし拒否したらどうするつもり?」
「上に引き渡されるわ。聞いた話が本当なら、そのあとどうなるかは、あんた自身が一番よくわかってるんじゃないかしら」
リリスの声は、今まで聞いたことない程に低かった。
「とりあえず、アンタは黙って要求を飲めばいい。セリカはそれで満足する。それに、セリカだってただの人間だから、」
リリスが言い淀むと、ハエの気色悪い羽音と奥から響く足音だけが鼓膜を刺激する。やけに緊張感のある空間だった。既視感の正体は、あぁ、病院の待合室か。
「……わかった」
私がそういうと、リリスは満足げにうなずいて隣へと腰掛けた。あと一人分はスペースがあるが、ちょうどハエがその辺りを陣取っているので、誰も座りたがらない。
しばらくすると、セリカの呼ぶ声が耳に入った。やけに明るい声色に不安になる胸中は無視して、列強二位との話し合いが始まった。
***
「……つまり、お前は私たち列強の哨戒任務に全面的な協力をする、と?」
「最初からそのつもりだよ。もちろん面倒事は避けたいけどね」
避けるべき面倒事と避けない方がいい面倒事の区別はついているつもりだ。
もっとも、セリカ絡みなら避けるべき面倒事の方が少ないが。
「先日まであんなに面倒くさがっていたのにな。それこそ、私に対して敬語で口を利く程に」
「そりゃあ、上司に対しては敬語を使うでしょ、最低限の礼儀だよ」
「……そうか」
口先三寸。ほとんど嘘だ。が、嘘をついて楽になるコミュニケーションなら積極的に嘘を吐くべきだと思う。
「まあいい、それなら話は早いな、着いてこい、会わせたい人がいる」
そういうと、スマホを見ていたリリスの肩を叩き、廊下の奥の方に消えていった。
当のリリスは驚いて固まっている。セリカが怖いようだった。
「行こう、リリス。どうせロクな話じゃないと思うけど」
「……ええ」
統括機構の本部庁舎は、その地下を研究室とし、魔法少女が生け捕りにした魔物や、そのコアなどを補完、研究する施設としている。
魔法少女を対象とした非人道的な研究もされているという噂があるが、噂はただの噂だ。
そもそも魔法少女自体彼らの研究成果なのだから、今更どうってことはない。
あるとしたら、介入してきた政府を黙らせるための兵として魔法少女を使った前科と、魔法少女の超常的な能力がある限り政府も機構の言いなりになるしかないという事だ。
先日のリリスやセリカといった魔法少女の能力を見ればわかるとおりに、コアに適合した人間は、埋められたコアが持つ性質と同じ能力を発現する。
そこからさらに自分の魔法として能力を昇華させることができるかどうかは本人の努力次第だが、少なくともリリスやセリカ、あるいは、おそらく水瀬ちゃんも既に能力を我が物としているはずだった。
「……ここ、始めて来たわ」
「あまり騒ぐな。地下は影の中だからな」
緑色の液体で満たされたカプセルが並び、その中には、ちょうど私たちと同い年程度の少女たちが管に繋がれた状態で眠っている。
よくあるSF物の実験風景を想像してもらえれば、最も適切な光景が浮かぶだろう。
「噂には聞いてたけど、これが一人一人魔法少女になる個体、って事よね」
「その通り。本来ここは、一人を除いて魔法少女の立ち入りが禁止になっているが、」
セリカが言い淀む。
「本部の地下が影の中にあるって本当だったんだ」
「ああ。正確には、地下に影がある場所に本部を建てた。……影の中にあれば、何かあっても証拠を消せるからな」
それに、一度スイッチを押せば、侵入した人間を魔物に食い殺させることもできる、とセリカが続ける。
「さしづめ、魔法少女培養所としてもいうべきなんだろうな。今生き残ってる全ての魔法少女はここで作られ、死んだらここに帰ってくる」
それでも大概は魔法少女らによって火葬されその場に埋められる。
本部規定では、死んだ魔法少女は必ず回収することになっているが、シグナルがついているわけではないため、仮に死んだとしても引き裂かれて識別不能に陥ったなどと適当な言い訳をすれば問題はない。
「にしても寒いわね」
廊下を進むごとに肌寒くなり、声もより響き始めた。
「既に独房エリアだからな」
「……ってことは、昨日セリカが捕まえたあの魔物もこの辺りにいるって事?」
「ああ、生け捕りにされて独房に繋がれている。って言っても、最下層にいるからお目にかかることはないだろうがな」
「あの個体そんなに強かったんだ」
「お前が使役できなかったのだから当然だろう?」
という事はつまり、アイツのレベルは5を優に超えているという事か。
「そんなものが地下に繋がれた状態で生きてるとか、何かあったらどうするんだか」
「……それについては問題ない」
セリカが立ち止まると、闇の中から人間らしき影が浮かび上がった。
「……紹介しよう、列強一位で、今はこの独房の管理を任されている魔法少女、クラリスだ」
セリカが指さした先にいたのは、黒髪黒目の少女だった。
***
胸辺りまで伸ばした艶やかな黒髪。光すら吸い込みそうな漆黒の瞳。そして、およそ140センチほどしかない程に小柄な体躯。
無を貼り付けたように静かな表情とは対照的に、彼女が歩く度に独房内にいる魔物が怯むのが魔力感知を通して伝わってくる。
さすがは列強一位というだけはある。あったことはないし、彼女がどんな魔法を使うのかも知らない。
が、その立ち振る舞いだけでわかるほどに、彼女は強かった。
列強一位。事実上最強の魔法少女。その名とは相反するような、つかみどころのない少女。
それが、彼女の第一印象だった。
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