第8話
人は、生まれた時の事を思い出せないらしい。そのことを自覚したのはこの世界に転移してからしばらくたった頃だった。
その時の私は、魔法少女を統括する政府組織。統括機構と呼ばれている組織の所有する研究室の中にいた。
様々な身体検査と、様々な肉体の研究。最初、何をしているのかさっぱりわからなかったが、後になってから、あれは私が人間なのかを確かめるための研究だったのだと気付いた。
結論から言えば、私は影から生まれていた。記憶はないが、私を担当した研究者がよく言っていたのを覚えている。魔物が覆われた影の中から這い出てくるように、私も彼らと同じく、影の中に横たわっていたのだと。
最初に手を差し伸べてくれた人のことは覚えている。
統括機構の会長の弟だ。 だがしかし、あの人は私を殺さなかった。私を見つけた魔法少女達も、私を研究すると決めた研究者も、誰もかれも、私を決して殺さなかった。
魔法少女を私物化し、人間とは認めないという主張を続ける会長と、対立する弟。
あの人は確か、対立する組織内の人間によって魔法少女を遣わされた。幾度となく及んだ暗殺未遂の最後には、自分が守ろうとした魔法少女自身の手にかけられて死んだ。
私は影だった。正確には人間ですらない、人の形をしているだけのただの魔物。知能化された影と同じ。殺されるべきなのは、あの人ではなく、私だった。
影と魔法少女は同質の存在か、という命題がある。魔法少女を殺すことと、魔物を殺すことに、違いなどあるのかどうかという命題がある。
はっきりと答えが出ているからこそ、これは命題と呼べるのだ。
そしてその答えは紛れもなく、真だ。
魔法少女は影である。魔物のコアを体内に埋め込み、無理やり影に適応させた人間が、魔法少女だった。
そして私は、体内に影を埋め込む必要のない。影から生まれた人ならざる者。人の形をしていながら、魔物と同質の影で体を構成されている、人の形をした魔物。
統括機構が求める魔法少女研究の目指す先にある物そのもの。
つまり私は、機構が追い求めている、
――完璧な魔法少女だった。
***
「お前は、影ではない、のカ」
相対する魔物に対して、私は答えることができなかった。
自分では認めたくないが、私は結局、こいつらと同じ魔物の一種だ。人の身として生まれたとしても、一度死に、生まれ変わった時には魔に堕ちていた。
だから、本来こいつらが使用するはずの洗脳を使えて、元が人であるからこその知能を持っている。
「お前の目的は、ただ私と話したいだけ。あってるか?」
「あって、ル。俺は、ただ、しりたいだけ」
この魔物は、私の予想が正しいのであれば、魔物が作った組織の中間管理職のような立場にあるはずだ。
洗脳した魔物たちの罠を張り、侵入した人間を餌とするための。
「なら、私と交代で答えっこをしよう」
「答えっコ?」
「そう。お互いに質問をし合って、された質問には全て答える。お前が満足するまで、私はなんだって答えてやる」
正直、これで助かるとは思えなかった。
だが今は、これにかけるしかない。
「最初はお前からでいい」
出血は止まっていない。そう長く留まれば、最悪出血多量で死ぬ可能性がある。
こいつの闘争本能を刺激しないように。かつ、時間を稼ぐ。
それでいて、私の個人的な調査を完了させるのなら、これが最も正しい道なはずだ。
「——なら、さっきの質問二、答えロ。お前は、影ではないのか」
「……ああ、私は影だ。お前が思っている通り、お前らの仲間だよ」
「ならどうして、魔法少女のガワにつく」
「質問は一回につき一個までだ。次は私の質問に答えてもらう」
魔物の影が濃くなる。イラついているのだろう。
「お前ら魔物が最近街で人間を襲わなくなったのは、影の中で何かしらの組織を組んでいるから、あってるか?」
「……合ってル。次はオレの番ダ。我々は、生まれた時から常に影をまとっているが、お前にはそれがない。ナゼだ」
「それは、私にもわからない。ただ一つだけ仮説を立てるならば、私が別の世界から転移してきたからだろうな」
これは、本来高い知能を持たないはずの魔物が、人間社会で暮らしていけるほどの知能を有して生まれてきた理由にも言えることだ。
「じゃあ次は私の番だ。さっきの質問を踏まえて一つ聞くが、魔物は生まれる時に、個体のそれ以前の記憶を、影全体に還元している。あってるか?」
ひっきりなしに蠢いていた魔物が、嘘みたいに動きを止めた。
「なぜ、おマえがそれヲ、シってる……!」
……ビンゴだ。
***
私の仮説はこうだ。
魔物自体はほとんど知能を持たないが、彼らは全体を通して知的な行動をする。その理由は、魔物が生まれる時に知能、つまり記憶を影(魔物の苗床のような物)に抜き取られているからだ。
その証拠に、魔法少女が集まる本部を魔物に叩き壊された事件がある。魔物は、最初からそこが魔法少女のいる場所だとわかっていたかのように、全国の本部とその支部を襲撃して回った。
そもそも影の中以外でさほど長く生きられない魔物にとって、そもそもそんな情報知り得ることなどできないはずだ。しかし魔物は、その情報を知り、あまつさえ襲撃まで企てた。
おそらくこの世界の生命体は、死ぬ時に影としての属性を最も強めるのだろう。
故に、死んで虚無に落ちた生命体は、その全てが影へと落ちていく。
その時に記憶と知能を影に抜き取られ、影の中で生活する一部の知的個体に共有されるのだ。
そしてそれは、たった今正しかったと証明された。
その証拠に。
「お前が、それを知るハズが、なイ……!」
目の前の魔物は激昂し、
「そレを人間たちにしられレば、私は、主様に、殺され、う。ウアギャァアアアアアウ!!」
錯乱状態に陥ったようだった。
「オマエは、殺ス! なんとシテでも……!!」
人型の影が跳躍する。その姿を眼で追う事はできないが、生憎私が人ではないということは既にネタバラシ済みだ。今更その力を出し惜しみする必要はない。
影が影を洗脳し罠を貼れるのはなぜか? 答えは簡単だ。影は影同士で、その位置をおおよそ把握できるからだ。外で使えば瞳の発光により目立つどころか、おそらく魔物の出現を告げるアラートが作動する。
だが生憎、ここは影の中だ。
未だに溢れ続ける血液を手で拭う。
この量なら、持ってあと15分といったところだった。
「ぎぃえええへええ――」
発光。突進してくる魔物に向けて、糸を放つ。確かに魔物の体を貫いた。が、すぐに切られ、再び跳躍。
「——情報共有は終わった。入っていいぞ、セリカ」
私の声に呼応するように、周辺を覆いつくしていた影の結界が大きく揺れた。
「盛大なネタバラシをどうも、シェーレ。……まあいい、お前の駆逐はしばらく不問とする。総員、かかれ」
言うと、セリカが私の肩に触れる。淡緑色の発光をまとうと、気づけば、わき腹の傷が完治していた。
「使えるの、反転魔法だけじゃないんだ」
「反転できるなら回復もできるに決まってるだろ」
「確かに。状況は?」
「リリスは負傷中。ネメシアは休暇中。偶然この街にとどまっていたから駆け付けてみれば、シェーレが死にかけている。その上お前は魔物だったらしいときた。控えめに言って最悪の状況だよ」
「あっそ」
「まあとりあえず、話は終わってから聞く。始末書と報告書にうなされてから眠るんだなッ」
セリアも跳躍する。
本来ならば私も戦闘に混じるべきだ。だが、洗脳を主に使う私にとって、他の魔法少女との共闘以上にさけなければならない物はない。
私以外のすべてを見境なく攻撃する魔物を召喚すれば、最悪の場合、人型の魔物vs魔法少女vs
セリカ的には、この状況は敵前逃亡も等しいのだろうが、それで私が戦闘に加われば、第三勢力としてセリカに駆逐されかねない。彼女なら『好都合だ!』とか言って刃を向けてきてもなんら不思議ではない。
もどかしいが、この状況で私にできることはないだろう。だが、そもそもセリカがいるのならば、私がやることなど最初からないに等しかった。
***
影を目で追う。驚異的な身体能力を持つこの敵を前に、セリカは一つも動じていなかった。
他の魔法少女もそうだ。セリカの私兵である彼女らは、出動する用事がある度に、セリカに教育と称した無理難題を押し付けられている。
故に、この程度の敵なら問題ないと言わんばかりに敵を一か所へと包囲していた。
「やつを端へ寄せろ! 決して逃がさず、決して殺すな! 奴は生け捕りにし、必ず収容所へと送り込む!!」
セリカの怒号が響く。彼女が常に後方にいるのは、彼女の使う魔法が回復魔法だからだ。
セリカは、回復魔法しか使えない。
広範囲に対して継続的な治癒を施す支援魔法。触れている物を対象に一時的に時を戻すことで根源的な治療を可能とする固有魔法。
だが、たかが回復魔法だ。回復させる以外に使い道はなく、彼女のそれは一般的な後方支援型の魔法少女の物と変わらない。強いて言うなら、後方支援組の中でならトップクラスの性能といった具合の。
それでも彼女が列強の二位にいるのには、理由がある。
それは。
「ッセリカ様……!」
「ナメるな」
セリカの背後に魔物が周り込む。超常的な速度は、降ろしている帳——つまり、影の幕を蹴り跳躍することで可能しているようだった。
弾丸のような速度で、触れたら体が消失する可能性すらある魔物本体が飛んでくる。
いくら足の速いリリスだとしても、この状況ならよけきれずに体を貫かれかねない。
仮にリリスであれば、貫かれてもかすり傷程度に留めそうに思えるが、それ以下の動体視力しか持たぬセリカの私兵如きなど、下手をすれば一瞬で死ぬ。
が、セリカに関しては、そんなこと全く気に留めていないようだった。
彼女の周囲が淡緑色に発光する。
広範囲の回復魔法だ。彼女の驚異的な治癒魔法は、彼女が指定した範囲内にいる者を全て無差別に回復する。仮に致命傷を喰らったとしても、意識を失うだけで傷だけなら瞬時に治癒するだろう。
「おまけだ、魔物」
「俺の、傷ガ……?」
魔物が帳に足を付けた状態で制止すると、セリカが不敵な笑みを浮かべた。
範囲内を無差別に回復する。つまり、範囲内に敵がいる場合は、その敵をも無差別に回復する。彼女の魔法に対象が人間であるかどうかなど関係ない。
「気分はどうだ? つっても、魔物相手に使ったことはないんだが」
「……なんのつもりダ?」
「愚問だ、ただの実験だよ。続きと行こうか、魔物」
セリカが前に出ると、魔物を追い詰めていた私兵たちが一斉に彼女の後ろに下がった。
「——援護しろ」
「御意に」
セリカが手を伸ばすと、淡緑色の光線が魔物めがけて飛ばされた。
が、当たってもすぐに治癒されることを理解しているのか、魔物は光線をよけようとせず、そのままの姿勢で射出。
対するセリカもよける気配がない。魔物も勝ちを確信したのか、帳内の至る所から魔物の笑い声が聞こえてくる。
「きぃひゃ、ひゃっはうあああァ!!」
魔物が絶叫ともつかない声を上げる。セリカに的を絞り、確実に仕留めんと突進した。
もはや目で追う事すらできないような速度で射出される人間大の弾丸が、まっすぐにセリカの背中に向かって飛ぶと、
「——は、?」
セリカの真後ろで魔物の動きが止まった。ニタニタ笑っていたはずの笑みだけを残して、その表情は強張りきっていた。
「反転魔法って知ってるか? 魔物」
魔物に対してゆっくりと問いかける。
その目はさながら、獲物を刈り取る狩人のようだった。
「しら、知らない、知らナイ!!」
手足をばたつかせるが、意味をなさない。動くのは手足だけで、魔物の体は、静止したままだ。
「知らないか。ならば教えてやるよ」
セリカがゆっくりと魔物に近づき、右手で魔物の帽子のような突起に触れる。
「私はな、魔物。回復魔法を反転できるんだ」
「——ッ」
次の瞬間には、魔物の体は溶け始めていた。黒く沸騰した液体が地面へと滴り落ちてなお、魔物はその場を動かない。いや、動くことができない。
「お前の生きようとする本能を死に向かう本能に変換する? ああ、そんな生易しいものではない」
「なにを、言っ、グぴゅッ……」
「私の魔法は、お前の存在する空間の時を止める。そして、触れている物の時を逆行させることができる」
影の幕が徐々に晴れ上がっていた。セリアの私兵たちが彼女を取り囲むように集まると、彼女は一言だけ、魔物に対して冷たく言い放った。
「……永続輪廻。これでお前は、私の手のひらの中で永遠に生まれては死ぬを繰り返すことになる。チェックメイトだ、魔物。投降しろ」
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