第6話

「ハエ、いる?」

『ええ、おりますとも』


 もはや都合よく呼び出すことしかしなくなっているような気がするが、ハエは魔法少女になった時からの数少ない知り合いだ。

 魔法少女関係者の間なら私の事を一番よく知っているだろう。


 まあ、他に知り合いがいるわけではないが。


「頼んでたさ、レベル5相当の魔物の調査の件、何かわかった?」

『生憎ですが、橘さんの言うような、魔物が空腹になるような凶悪な魔物は今のところ気配すら感じられません』


 使い魔は魔物の一種だ。知能の魔物と呼ばれる、人間と意思疎通の取れる知的レベルの高い魔物の一種。


 魔物は魔物同士で気配を感じ取ることができる。それを利用してハエに付近に魔物の影がないか調査を任せていたのだが、未だ進展はない。


「そう。ありがとう」

『……ですが、一つ気がかりなことがありまして、』

「なに?」


 珍しく口ごもるハエにわずかな嫌な予感を覚えつつ、詳細を聞く。


『他の魔物の影すら全く感じ取れないのです』


 ハエの言葉に、しばらく状況がつかめないでいた。


 最近の魔物の総相当数は、三年前と変わらず、駆逐しきることも、一切駆逐していないという事もない。


 影がある限りどこからでも発生する可能性のある魔物において、この辺りで一切その気配を感じることができないのは、確かに気がかりな内容だった。


「……身を潜めてるんじゃなくて?」


 仮にレベル5ですら空腹になり得るほどの魔物がいるのなら、それ以下の魔物がなりを潜めるのも納得ができる。

 が、理由がそこにはないことは明確だった。


『空腹になるのなら、誰かしらが獲物を捕食してるということでしょう。しかし、そんな目撃例は今のところ一つもありません』


 アラートが鳴っていないということはそういう事だ。

 警戒アラートは、魔物が影から出てきたことを察知して鳴り響く。響かないことがあれば不具合か、あるいは魔物が影をまとっていないということになる。


 前者はともかく後者に関してはそんな可能性ゼロに等しい。


「そもそも出現すらしていない」

『その可能性が高いと思います』


 魔物がずっと影の中にいるのなら空腹になるのも無理はないと思われる。

 だが、だとしたら、なぜ魔物は空腹を耐え続けながら影の中に居続けるのだろうか。


「もう少しだけ調査しててくれない?」

『構いませんが、何か心当たりでもあるんですか?』


 出かけようとした私の背中に向かってハエが問う。


「心当たりがあるというよりは、魔物が影から出てこないなら、影に何か問題があるんだと思っただけだよ」

『一人で影を見に行くつもりですか?』

「うん。個人的な調べものと、あとは野暮用をしに行こうかなって」


 影に問題があるというより、影から出てこないに問題がある。

 スマホを開けば、すぐに地域別の魔物出現情報が見られる。既に目は通してあるが、魔物が出現していないのは、この辺りの都市近郊だけだった。


 つまり、何か問題があるとしたら、この辺りの影に限定されるのだ。


『橘さんなら問題はないと思いますが……。念のため誰かについてきてもらったらどうですか? 最近本部との交流が再開したのでしょう?』

「誰のせいだと思ってるんだ……? いや、まあその通りだけどさ」


 口ごもってしまった。

 確かに、魔物の性質を考えれば、夜中に一人で出歩くのは危険だ。


「知り合い、二人しかいないんだよね。昔仲良かった子たちはみんな死んだから」

『……そうですか』


 昔仲が良くて、今でも生きているのは、列強の数人しかいない。


「それに、今から行くやつはの方が都合がいいんだよね」


 その言葉に何かを察したのか、ハエが沈痛そうに俯いた。


「じゃあ行ってくるよ。大丈夫、どうせ私だから、そんな狙われるとかはないだろうし」

『ならいいのですが……。お気を付けください』


 ハエの声を背中に受けつつ、ドアを開けて外に出た。


 ***


 夜の街に初めて出たのは、16の夏休みの頃だった。


 青春というのはひどくでたらめな物で、何があっても思い出した時に綺麗に見えてしまう。少なくとも私の場合はそうだ。


 それから先延々と続いていた同じような日々を思えば、毎日どこかが違い、毎日どこかしらで目新しい発見があったあの頃というのはきらめいて思い起こされる。


 夜の街というのも、私にとってはそういう類の物だった。


 初夏にしては少し肌寒いような。梅雨が明けたばかりの陽気。これから夏がやってくると告げている虫の声と、雨の代わりに降りしきる街灯の薄ら明かり。群がる羽音。


 深夜の誰もいない国道沿いを歩く。夜行バスなんかが出ていればいいのだが、生憎そんな便利な物はなかった。

 同じ感覚に灯る街灯を何度も超える。橋に差し掛かり、晴れ間から覗く月が湖を照らす。相互作用として、湖が月を反射し、キラキラと波間の漣を光らせている。


 平和だ。


 先日のレベル4とレベル5の連続出現をカウントしなければ、もう一カ月は魔物の出現例がない。異常気象もなければ、特異的な不景気もない。

 平和そのものの風景。


 だからこそ、妙な胸騒ぎがあるのだ。


「……影が途切れている」


 魔法少女は少なからず、影を察知することができる。リリスのような光としての属性が強い者は厳しいが、私や、あるいはどっかの列強の一位のような影としての属性が強い者はその限りではない。


 そもそも魔法少女の魔法の元となっている物は、魔物の持つ影を反転させた時にできる光だ。それが強ければ強い程魔法少女として適正が高く、魔物に狙われやすくなる代わりに魔物を照らす光となって致命傷を負わせる確率が上がる。


 リリスなんかが最たる例で、やる気がない上に今では身体能力すら並みであることを除けばその才覚は全魔法少女の中でのトップだ。そして、その才覚を決めているのが、人間の持つ光の強さ。


 上部組織が言うには、希望と絶望の心理的な割合らしいが、実際どうかはわからない。


 ちなみに、魔物が出現する際の影というのは、日光から隠れている場所である必要性はない。

 アイツらは、人間の不快感や絶望感といった陰からでも出現できる。


 だからこそ、都市部の人の往来を司る大動脈的なこの国道において、そもそも影が途切れるという事が理解不能なのだ。


「……察知できなくなったのか……?」


 自分の魔法少女としての希望の色が強くなりすぎたとか。自身に何かしらの理由があると、そう考える方が自然だろう。いや、なわけない。理由は別にある。


 だが、追えなくなってしまったら調査のしようがない。


 バッグに手を突っ込み、馴染みある木の棒を取り出す。

 魔法少女のステッキだ。個人的な嗜好から木の棒のような見た目にしてもらった特注品。


「——影よ」


 それに魔力を込めれば、たちまち、魔物の持つ影と同種の影が体にまとわりついていく。


 視界が揺れて、思わずその場に倒れそうになった。この前はなかったから慢心していたが、魔法を使うときの軽い眩暈と頭痛は、未だに健在のようだった。


 しかし不思議だが、どうして魔物を召喚してもアラートが鳴らないのだろうか?


 眼を開けると、影から出現した使役物である犬型の魔物が、私の目の前で伏せしていた。見た目だけはかわいいから撫でたくなるが、撫でたら最悪、しばらく手が使えなくなる。


「私の代わりに影を察知してその方向に進め」


 いうと、犬型の魔物——ハウンドがゆっくりと歩き始めた。


 抽象的な命令を聞かせられるのならば、新人教育も受けてよかったのではないか。

 頭のどこかで、そんな声がした。


 もし本当に可能なら、双方の犠牲無しで勤まるのならば。

 かつての私の仲間たちが、灰になることなどなかった。


 しばらく進むと、ハウンドがおもむろに歩みを止めた。こちらを向いて一吠えすると、その場に伏せをして私をじっと見つめ始める。


 彼に追いつくと、街灯が照らしているはずなのに、その一部だけ全く光が灯っていないおかしな場所がすぐそばにあることに気付いた。


 おそらくは、ここが私が察知して追ってきていた影の集合体なのだろう。


「ありがとう、戻っていいよ」


 そういうと、ハウンドはすぐに影へと消えてしまった。

 私は再びその一際濃い影へと目を向けた。


 ***


 上部組織の定める規則の中に、いくつか『禁忌』と呼ばれるものがある。

 魔法少女として守るべき最大規則であり、破った場合問答無用で死罪、みたいな、法律ガン無視のエゴイズム的法制度。


 だがそのほとんどは、魔法少女に自分たちの命を守らせるための最低限の行動制限だったりする。


 その中の一つにあるのが、故意に疑わしい影に踏み込まないという物だ。


 影とはつまり、魔物の生まれる場所だ。影から出てきて影に逃げていく。

 どんな影だろうと、そこに日が差していないのなら、どこだって魔物の出現する影、仮に名前を付けるのならゲートになりうる。


 ただ、たいていの場合、影というのは光を当てると霧散する。

 その光源が日光である必要はなく、一面に光があれば理屈の上なら弱体化された魔物しか出現しないということになる。


 しかし実情はそう単純ではない。


 魔物は、いくつかある根源的な影を共通の扉として、こちらの世界に出現している。


 これは、おそらく魔法少女の中で最も影に近い私であるから立てられた仮説だ。

 そもそも全ての影を潰すことなど無理に近い。影を潰せば今度は日の当たる場所の中からわずかな差を見つけて、それを影と定義しだすことだろう。


 この根源的な扉を見つけたところで、魔法少女にしてみればなんの利点もない。


 普通に考えれば、その結論に達するのだが。

 

 今のこの街の現状と結び付けてみれば、そうではないことがわかる。


 魔物は光によって霧散しない根源的な影から生まれ育つ。

 この街には、魔物がほとんど出現していない。

 何故かレベル4から5の魔物が立て続けに出現し、30程度を死傷した。

 さらに、レベル5という高レベルであるにも関わらず、なぜかその魔物は空腹である可能性が高かった。


 これらの情報から導きだせる答えがあるとするならば、この街全体の魔物がどこかに身を潜めていて、さらに、レベル5ですら空腹になるほど食事を我慢する何かしらの理由があるということになる。


「……例えば、魔物が魔物同士で徒党を組んでいる、とかな」


 直後、見つめていた影から、人や猿、霊長類のような五本の指を持つ手が伸び始めた。すぐにそれらは数を増し、小さかったはずの影から無数の手が伸びる。ホラー映画のワンシーンのようなグロテスクな絵面。


 だが、これでようやく立証された。


「——影よ、」


 これが、私が出した一つの仮説であり、たった今立証されたまぎれのない現実だった。


 轟音を立てて影が広がっていく。直後鳴り響いたけたたましいアラートは、既に頭の遠くの方で静かになっているに過ぎなかった。


 影が自分の体を囲んでいるのがわかる。そしてその影が、魔物が持つものではなく、自分自身が持つものであることも、だ。


 不思議と、影を使ったときの頭痛はしない。先日と同じく、一切の違和感もない。


「お前らが何人で私の相手をしようと、私はお前ら以上のを今すぐに呼び出すことができる」


 辺りが瘴気で満ちていく。街灯の下の一部にしかすぎなかった影は、既に視界のほとんどすべてを覆いつくしている。

 その影がある場所全てから、無数の手が伸びている。


 だとしても、怖気付く必要はない。そもそも、私が一人でここに来たのは、確実な勝機があるからだ。


「お前らは確実に負ける。だが、やるしかないんだよな?」


 魔物に向けて問いかける。おそらくは、この魔物に何を言ったところで、私の言葉を理解することはない。理解できる知能は持っているはずだ。魔物ならだれしも、言葉を理解する程度の知能は持っている。


 だとしても、こいつらが私の言葉を理解することはほぼ不可能だ、


 それはなぜか?

 決まっている。


「何故ならお前らは既に、私以外の誰かに使されているのだから」


 言い終わると同時に、影が膨張を止め、手を伸ばしていた魔物が、その場から這い上がるように影の上へと立ち上がった。


───


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