第3話
最終防衛ラインという考え方がある。読んで字の如くで、最後に守るべき前線の事だ。魔法少女の間では、その最終防衛ラインは常に現在自分がいる場所であり、そこから後ろに下がることは敵前逃亡を意味するとかいう日本軍の様な価値観が存在する。
提唱したのは列強の二番目だか三番目だかの金髪ロリなのだが、こいつも私とは価値観が合わない。
私の個人的な考えでは、最終防衛ラインなんていくらでも下げていい。死ななければいいのだ。
意思疎通の取れそうな魔物ならどうにか説得して見たり、無理なら全力で撒いたり。とにかく、人間が人間としてやれる全ての事をやって、無理なら危険を冒す、で構わないと考えている。
だが、魔法少女とその上部組織はそんなことを許さない。
つまり、今現状、明らかに不利でこのままでは一番最初に列強末席の赤髪が死ぬという状況でも私は逃げることができない。
非戦闘員の魔法少女の死者数は3人に留めた。10人は軽傷、あるいは中等度の怪我で済んでいる。
控えめに言って奇跡だ。
おそらくは空腹で見境がなくなっているっていうのもあるのだろうが、多少残った自我で私たちを誘い込み全滅させることで、都市部から帰ってきた市民を捕食するという作戦を立てられるほどの魔物だ。
知能が高く、半端な強さではない。
「でも、そういう魔物ほど引っかかってくれる」
触手の動きは乱雑で、戦っている感覚ではレベル5ほどの強さを感じない。
今の状態なら、触手を三つ同時に相手にしてやっとレベル5といった感じだろう。
だが決め手に欠ける。どれだけその肉を抉ろうと、どれだけ援護射撃に怯もうと、次の瞬間には再生している。
こいつが完全な状態ならと思うとぞっとするが、今日の私は運がいい。
迫りくる触手を先ほどリリスに借りた剣で切り落とし、その断面に魔力を込める。
「ギィイイアア」という苦悶の声を上げると、他の二つの触手が翻り、見境なく周囲を撫でまわした。
「——冷静なのね」
もう限界といわんばかりの息切れの中リリスがつぶやいた。
「洗脳を打つタイミングを探してるだけだよ」
「そう。彼女を守りながらとは思えないけど」
「別に守ってないからね」
直後、触手が水瀬ちゃんの方へ叩きつけられた。轟音と共に土埃が舞い、血液が宙を舞う。
「──ほら」
が、水瀬ちゃんは無事だった。
それどころか、触手が再び翻り、今度はそのうちの一本が地面にへたりこむ。
再生する気がないのか、血を流したまま動くことはなかった。
「どうやったの!?」
リリスが驚嘆の声を上げるが、そんな雑談に興じている暇はない。
すぐにリリスの方へ触手が動いたのを確認して、寸前のところで切り捨てる。
「えっと、防護壁の耐久力が上がるかなと思って、リリスさんの糸の要領で魔力を流してみたんです」
「だとしても、ぶつかる瞬間に流さない限りは……いや、いいわ」
諦めたように触手に向き直る。
言いたいことはわかるが、今そんな余裕はない。
再び叫びをあげると、先程へたりこんだ触手が動き始める。
「リリス、次は守れないから絶対によけて」
耐久勝負なら私たちが負ける。
いくら水瀬ちゃんが防護壁を張ってくれてるからといって、その耐久値に期待はできない。それに、リリスは既に体力が尽きていて、よけることはおろか、時たま糸を出して隙を作るくらいしか仕事ができていない。
勝ち筋を作るなら、なるべく早いうちに。
触手が同時に動いた瞬間に、本体に向けて洗脳を打つのだ。
「水瀬ちゃん、リリスは任せた」
「え!?」
跳躍。
当初の予定では、触手に向けて洗脳を放ち本体を穿つつもりだった。
しかし、何度か洗脳は打ってみたが、触手を永続的に使役することはできなかった。
きっと、触手の所有権は本体が持っているからで、触手はあくまで触媒、つまり、独立した捕食器官だったのだろう。
ならば、本体に向けて洗脳を使うしかない。
触手が私の後方に向けて目では見えない速度で飛んでいく。
速度の二乗がエネルギーだったか。そんなものはとっくに忘れたし最初から興味はない。
「
ギョロ付いた目が私を捉える。直後、私の杖から放たれた影が触手たちの本体に向けてまとわりついた。
不思議とさっきのレベル4の時のような頭痛やめまいはない。
狂騒状態という奴だろうか。
好都合だ。
「ギイイアェァァ―—!!」
本体が苦悶の声を上げる。
触手が荒れ狂っているのがここからでもわかるほど、その根本がぐわんと揺れていた。
使役は済んだ。だが、一瞬だけだ。
この数秒の間に畳みかけて、こいつを殺さなければならない。
「空腹だったんだろ?」
捕食用の触手を本体に向けて放つ。30人を一瞬で殺した、空間を占める全てごともっていく威力のこもった触手だ。
敵の目は私を据えている。完全に支配できていないのは、敵からすれば、なぜか勝手に触手が自分の元に動いているといった感覚なのだろう。
「穿て」
私の声に呼応して、触手が敵の腹部を貫いた。もはや声を上げる力もないのか、そのギョロ付いた眼が私を睨んだまま沈黙している。
「囲め」
最後には自分の触手でがんじがらめにされ、触手同士で捕食し続けている。
「逃げるには、触手を引きちぎるしかないが、そこまでして逃げたいか?」
一瞬でも目を話してはいけない。その隙に殺された魔法少女を何人も見てきたからだ。
「水瀬ちゃん、リリスは無事?」
「二人とも問題なく!」
鈴のような声が帰ってきて安堵する。
リリスからの返事はないが、疲れて何もできないのだろう。
死んでないなら問題ない。
「なら、こいつにとどめを刺して」
「……私がですか!?」
新人教育の一環にとどめを刺させるという物があったはずだ。
「そう。できる?」
「わたしなにもしてないんですけど、」
「じゃあ、とどめを刺して。上官命令、これは君の仕事」
上下関係の厳しい魔法少女間なら、上官の言う事は絶対だ。私は彼女の直接の上官ではないが、立場は明らかに上である。
「……わかりました」
水瀬ちゃんが一歩前に出る。
敵のギョロ付いた目は私だけを見ている。
リリスでも水瀬ちゃんでもなく私を捉えているのは、この場においての脅威が私だけだと思っているからだろう。
だが、常にいつ死んでもおかしくなかったリリスをこいつが殺せなかったのは、水瀬ちゃんの防護壁があったからだ。
隙だらけの初仕事だった水瀬ちゃんに近づくことすらできなかったのは、火力不足ではなく、彼女の防護壁が綿密に編まれていたからだ。
「行きます」
ピストルから放たれた銃弾がむき出しになった核を貫き、そのギョロ付いた目から光が失われていく。
哀れなものだ。ただ空腹だっただけなのに、最後に食べたのが自分の体だったなんて。
「ありがとう。お疲れさま」
「はいっ! お疲れ様です。リリスさんは、途中で気を失っちゃって……」
振り返ると、防護壁の中に寝かされているリリスがいた。
「魔力切れか」
「……そのようですね」
「ハエ、来い」
呼ぶと、すぐに虚空からハエが出現した。
『はいただいま! どうしたんです?』
「お前が待ち望んでたリリスとの面会をしたい。こいつを本部まで運ぶのを手伝ってくれ」
『な、雑用じゃないですか!!』
「なら今すぐこいつを殺して証拠隠滅してもいいよ。この場には私たちしかいないし、いくらでも隠蔽できる。」
『……はぁ』
ハエが渋々といった様子でリリスを虚空へとしまった。
「使い魔って便利だよね」
「そんな使い方してる人は初めて見ましたけど……」
本来は魔石の剥ぎ取りの補助とか魔力切れを起こしたときに供給してもらったりするのだが、私の場合恩を感じたくないからそんなことはしていない。
「じゃあ、一旦本部に戻ろう」
「え、死体処理はしなくていいんですか?」
「そんなことしてたら過労死しちゃう。連絡は既に出してあるからその内回収班が来るし彼らに任せるつもり」
「なるほど、」
不思議と、水瀬ちゃんからは戦闘後の疲れが感じられなかった。
体力が化け物なのか、本当に体力を消費していないのか。
それで言えば私もさほどつかれていないのだが、さっきこなかった頭痛と眩暈があとから来る可能性も否めない。
「私は一旦本部へ向かうけど、水瀬ちゃんはどうするの?」
「えっと、特に用事はないですけど。……ご一緒してもいいですか?」
予想外の返しに思わず笑ってしまった。
「別に構わないよ。証人は多い方がいいから」
「ありがとうございます……!」
「じゃ、いこっか」
水瀬ちゃん、歩き出した私の数歩後ろをぴったりとついてきているようだった。
「……ほんとに、ありがとうございます、橘さん」
後ろから響く声に聞こえないふりをした。別に、私が何かをしたわけではない。
どちらかというと、あのレベルの魔物が空腹になるような原因の方が、疑問であり不安材料である。
「水瀬ちゃんはしばらく休んだ方がいいよ」
レベル5の3人での掃討なんて、肉体的にも精神的にも多量の疲労を伴うものだ。
「橘さんも休むなら私も休みます。橘さんが休まないなら、私も一緒に仕事したいです」
休んでほしかったのだが、彼女はそう言って笑った。
階級的に、私には休暇と呼べるものがない。取得すれば話は別だが、定期休暇や臨時休暇といった掃討作戦後の長期の休暇は存在しない。
そもそも、大体が新米のうちに死ぬ魔法少女たちの中で三年も魔法少女を続けている時点で、本部からしたらなくてはならない存在だ。
けど、水瀬ちゃんは別だ。レベル4以上の魔物が出てこない限りは休暇となる。
個人的に、彼女には休んでもらいたい。慣れない最初のうちに休むことなく戦い続けては、殉職率が跳ね上がる。
「私は、今回は流石に休みを取るよ」
そこから会話することなく都市部に向かった後、私たちは、本部に続くバスへと乗り込んだ。
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