第一章 自殺は他殺より神を困らせる ③

 振り返った男はルンを睨み、腰の短剣に手をかけた次の瞬間、横薙ぎの蹴りが脇腹に叩き込まれた。


「ふべっ!」

「え……」


 薄黄色の壁に顔面を叩きつけ、地面に滑り落ちる男。下手人は振り抜いた右足を下ろし、そして再び躍動する。


「このガキ、舐めやがって!」


 三人組の一人が短剣を抜く。しかし刃を振るより早く、獲物だった相手の方が得物を抜き、そして男のこめかみを横から殴りつけた。


「ぶふっ⁉」


 鈍い音が響いて、側頭部を殴られた男が力なく崩れる。獲物だった人物――短く結んだショートボブの黒髪を靡かせる少女は、スマートな外観の拳銃を手にしている。


「死ねやおらぁ!」


 残された一人が、短剣を握り締めて少女に突っ込んでいく。腹を狙った刺突。少女は横薙ぎの蹴りで刃をへし折り、怯んで立ち止まった男の胸元へ大きく踏み込んで、掌底を腹に叩き込み、弾き飛ばす。


「すご……」


 圧巻の立ち回りに、唖然とするばかりのルン。と、少女は男のもとへ歩いていき、手にした拳銃を向けて、引き金を引こうとした。


「ちょ、ちょっと待って!」

「あ?」


 咄嗟に呼び止めたルンに、少女が不機嫌な顔を向けてくる。そこでようやく、ルンは少女の異質さに気づいた。

 拳銃は自動式で、質感からしてポリマーフレーム。ここまで見てきた限り、この世界にそんなものが存在しているとは考えられない。

 それに少女の姿には、どこか見慣れた感があった。臙脂色のブレザーに、白のシャツ。膝ほどの丈のスカートに、黒のローファー。ここまですれ違ってきたこの世界の住人が着る衣類とは、明らかに質感が違っていて、まるで現代日本の女子高生だ。


「あれ? おじさん、ひょっとして……」


 少女もルンの姿に、違和感を覚えたようだった。丸い瞳から漏れ出ていた敵意がスッと引いていくと、目を輝かせて駆け寄ってきた。


「ねぇねぇ、おじさんも異世界転移した人?」

「あ、はい」

「やっぱり! そっかぁ。もう一人転移した人がいるって聞いてたけど、こんなに早く会えるとは思わなかったよ~!」


 さっきのアクションスター顔負けの大立ち回りから一転して、少女は年齢相応にはしゃぐ。


「じゃあ、君も転移してきたの?」

「そう! 霜月冬那しもつきとうな、一六歳。おじさんは?」


 大きな黒い瞳を輝かせる少女に、ルンは気圧されつつ答える。


日笠ひがさるん。三〇歳……」

「ルン? ステキな名前!」


 満面の笑みで言われて、思わず笑みがこぼれる。結構なキラキラネームの自覚があるだけに、現代っ子に受け入れられるのは割と嬉しい。


「えっと、霜月さんはここで何してたの?」


 訊きたいことは他にも色々とあるが、まずは手近な疑問から投げかけた。


「自衛団の事務所に行く途中だったんだけど、こいつらがこの子を捕まえようとしてたから、やっつけた」


 少女はそう言って、スカートポケットの方へ目をやる。それを合図にちょこんと顔を出したのは、白い毛に覆われたふわふわの小動物だ。背中には薄水色の縞が三本浮かんでいる。黒くて大きな瞳と長く尖った耳から、リスだろうかと思ったが、額に嵌め込んでいる白い石からして、生前世界にいた動物ではなさそうだ。少女が手を差し出すとその上に飛び乗って、丸みを帯びた長い胴と、三本の細長い尻尾が姿を現した。


「ルンさんは? どこか行こうとしてたとか?」


 一体何という生き物なのだろうと、肩まで駆け登った小動物を見つつ訝っているところに、いきなりの名前呼び。面食らいつつも、ルンはそれに応じた。


「どこにも。さっき来たばっかで、道を歩いてたらこいつらの声が聞こえて、助けなきゃと思って」

「へぇ~、ルンさんは心がイケメンだね!」


 そういう褒められ方はまんざらでもない。


「その、何だっけ……ジエイダン? の事務所って、ここから近いの?」

「うん。表の通りに出て、少し歩いたところにあるんだって」


 少女はそう言って、ルンが歩いていた通りの方を指差した。


「そうだ! ルンさんも一緒に自衛団に入らない?」


 消防団みたいなものだろうか。少なくともこんな少女が入りたいと思う辺り、異世界ならではの何かで、この街に住む以上入団必須というものではないのだろう。

 彼女と同じくらいの年齢の頃なら、勢いに任せて「入りたい!」と思うところだが、さすがに体力的についていける自信がない。


「俺は良いや。やれる自信ないし」

「え~……でも、一応見学だけでもどう? あたしも一人で行くのは何となく心細いし」


 そりゃあ、異世界で異世界らしい場所に行くのだから、さしもの陽キャ女子高生でも不安はあるだろう。

 それに、この世界のことを知るには、現地人に話を聞くのが一番だ。事務所に行けば、それも叶うことだろう。


「良いよ。霜月さんと一緒に行く」


 ルンがそういうと、少女はちっちっちと舌を鳴らして指を振った。


「あたしのことはトーナで良いよ。あたしもルンさんって呼ぶから。よそ者同士、仲良くしよ!」

「あぁ、分かったよ。じゃあトーナちゃんね」


 変な子だなと思いつつ、ルンはトーナの提案に頷いた。


「じゃあこいつら片づけて、出発しよう!」


 気絶した悪漢に、銃口を向ける。銃爪にかかった人差し指が、グッと絞り込もうとした瞬間、


「ちょっと待って!」

「え、何?」


 声を上げたルンに、トーナは訝しげな顔を向ける。


「それ本物なの?」

「そりゃもちろん! こいつらの頭、木端微塵にできるよ?」


 得意顔のトーナに、寒気を覚える。


「でも別に良いじゃん。こんなかわいい子を売り飛ばそうとしたんだよ? 酷くない?」


 異世界ならではの見た目の動物をすんなりと受け入れる辺りは、若さ故か。彼女の言い分も理解できなくはないが、とはいえ殺すほどのことではなさそうだし、そんな簡単に人の命を奪ってしまうのは、情操教育の観点からも良くはない。


「こんな奴らほっとこうよ。未遂に終わったわけだし、トーナちゃんにここまでされてさすがに懲りてると思うし」

「え~……」

「そんなことより、ジエイダンに行くんでしょ? そっちがまず優先だって」

「う~ん……まぁ、そうだね」


 不満はありながらも、トーナはルンの意見を受け入れてくれて、腹立ちまぎれに悪漢の腹を踏みつけて、路地を出ていった。


    3


 ルンが来た道を戻ること一〇分と少々。木造二階建ての事務所に到着し、受付に直行したトーナだったが、登録を申し出るなり難しい顔を返された。


「え~、年齢制限あるんですか⁉」


 白い小動物を頭に乗せて、素っ頓狂な声を上げたトーナに、一階の食堂で休憩する現役団員達の注目が集まってしまう。トーナのすぐ後ろに立つルンは、周囲の視線に居心地の悪さを覚えながら、受付に立つ若い女性の説明に耳を傾ける。


「自衛団の団員として登録することができるのは一八歳からなの。そうでないと、当方で引き受けている依頼を紹介することもできないし、仮に個人で依頼を遂行されても、報酬をお支払いすることはできないんです」

「えぇ~……」

「ごめんなさい。でも、法律で決まってることだから」


 灰色のジャケットを着た金髪の受付嬢は、別に悪いことをしているわけでもないのに、落胆の色を隠さないトーナに申し訳なさそうに謝る。どことなく日本人めいたその低姿勢は、背後の壁に飾られた自衛団の旗には似つかわしくない。

 灰色の旗に描かれた三本の剣。これ見よがしに武闘派の色合いが出ている団旗は、ルンの思った通り、異世界的な職業であることの証拠だろう。


「どうするの? トーナちゃん、登録できるのは再来年でしょ」

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